第七話 エアがある
翌日。EYES事務所のとある小さな会議室。
「いやー悪いね、レッスン前に集まってもらっちゃって」
と木ノ崎は他の五人を前にへらへら笑って言う。
「昨日シギさんに三人揃ったんだし名前くらいは仮でもいいから早めに出せとか言われちゃってさ。上にやってますよ進んでますよって説明のためにもってことでね。まーそういうわけだからさ、とりあえずぱぱっとなんでもいいからユニット名の案いくつか上げるために集まってもらったんだよね。別にこれで決まりじゃないからさ、なんでもいいから適当に言ってみてよ」
その言葉に、しんと静まり返る。手を上げるものはいない。
「さすがにそんないきなりは……木ノ崎さんは、何か考えてこられたんですか?」
とチーフマネージャーの鷺林が言う。
「僕? そうだねぇ……」
木ノ崎はそう言い、黙りこくる。
「今考えてる?」
と安積が笑って言う。
「はは。まぁそうだけど、僕のハッタリとアドリブ力舐めてもらっちゃ困るね」
木ノ崎はそう言い、背を向けると後ろのホワイトボードに文字を書く。
「よし、どう?」
「……カシマ?」
「そう。キャシマって読まれるんじゃないかと思ったけどさすが安積さん、わかってるねー」
「まあね。カシオがあるし」
安積はそう言ってホワイトボードを見る。そこには「CASIMA」と書かれていた。
「そう、カシオのCよ。シがSIなのもカシオのパクリ。Kだとやっぱなんか硬いしね。まあそれはそれでって気もするけど丸みあったほうがイメージには合うかな」
「そうだね。でもカシマってなに?」
「女三人寄れば姦しいって言うじゃない。姦しいのカシマ」
「はは、木ノ崎さんっぽいね」
「でしょ?」
「うん。っぽい」
「だよねー」
「いや、だよねーじゃないですよね!?」
黒須野は思わず声を上げてつっこむ。
「え、安積さんはほんとにこれでいいんですか?」
「んー……即興で出てきたにしてはちゃんとしてるなとは思うかな」
「いや、まぁ確かに即興でこれならですけど、っていうか木ノ崎さん、ほんとに今考えたんですかこれ?」
「うん。何も考えてこなかったからね」
「えぇ……」
黒須野は思わず木ノ崎の隣の永盛と鷺林を見る。二人とも、諦めた様子で黙って頷く。それが「こういう人だからしょうがない」という意味だと黒須野は察する。
「安心してよ。別にこれで決まりとかじゃないからさ。黒須野さんはカシマは嫌?」
と安積が笑みを浮かべて言う。
「いや、嫌ってほどではないですけど……確かにCASIMAっていうアルファベットの並びとか音は悪くはないと思います。でも説明が難しいっていうか、イメージが違うんじゃないかなぁって」
黒須野のその言葉に木ノ崎は、
「だよね」
と相槌を打つ。
「いや、木ノ崎さん自分で言ったんじゃないですか……」
「そうだけど別に君らが姦しいからってことじゃないからね。君たち三人のこと見ててさ、三人かー女三人、女三人っていったら姦しい、カシマ、あーいいじゃん、っていう連想ゲームよ」
木ノ崎はそう言い、へらへら笑う。
「ほんとに今さっき考えたんですね……」
「うん。まー丁度いいしそのイメージと違うっていうの説明してみてよ」
「はぁ……それは、仮にほんとにカシマって名前で活動していくことになったら、絶対どこかで名前の由来聞かれることがあるじゃないですか。その時に『姦しいのかしまです』って言っても、『いや、君ら姦しくなくない?』ってなるじゃないですか、少なくとも現状の私たち見た限りでは。木ノ崎さんが姦しいってグループにするつもりなら別ですけど」
「いやーそれはないでしょ」
「……それにまぁ、実際そうやって説明した後イメージと違うのになんでですかとか聞かれたら『プロデューサーが即興で適当につけた』としか説明できなくなりますし」
「ははは、なるほど。黒須野さんはちゃんと名前ってものに対しての考えがあるんだね」
「そりゃ、普通はそうじゃないんですか?」
「どうだろうね。少なくとも僕は名前とかどうでもいいし」
「あ、そうですか……」
黒須野は、脱力し腰を下ろす。
「まーそんな感じだけどどう?」
と木ノ崎は安積に尋ねる。
「うん……木ノ崎さんの考えは結構わかったかな」
「そう?」
「うん。見ればわかる、でしょ。それに名前とかどうでもいい。あとは……言葉はいらない、とか。いつもの口癖」
「はは、まあね」
「そういう名前、ってことだよね。木ノ崎さんのイメージは」
「まあ名前ってわけじゃないけど、少なくとも君らのコンセプトはそういうものだね」
「じゃあそれに名前をつければ私達の名前になるね」
「つまり、見ればわかる、名前はどうでもいい、言葉は要らない、ってものを目に見える言葉で、名前で表現する、ってことですか?」
と黒須野が確認するように言う。
「うん。それが多分、一番私たちに合うんじゃないかな。木ノ崎さんがそう思ってるなら」
そう言って黒須野を見る安積の目には、一切の揺るぎがなかった。
(なんか、木ノ崎さんに対する信頼がすごいな、この人……)
と黒須野は思う。いや、信頼、とは違う。もっとより「自明」のようなもの……
「名前のない名前ってよくあるよねー。ノーネームってバンドとか。無題でもいいけどそういうの正直すごいダサいよね」
木ノ崎は、相も変わらずヘラヘラ笑って言う。
「どうよ、そういう安直にならずに表現できるのなんかありそう? 五十沢さんとかどう?」
木ノ崎は、それまで一言も発さず興味なさそうにぼんやりと眺めていた五十沢に尋ねる。
「私ですか? そのまんま名無しの空白じゃだめなんですよね」
「さすがにね」
「……じゃあ、括弧ですかね」
「カッコってこれ?」
木ノ崎はそう言い、ホワイトボードに( )を書く。
「それかカギ括弧ですね」
「あー、こうやって無名っていうか、空白を表現するのね。面白いねー、ちょっと中二っぽすぎるけど。ちなみにこれなんて読ませるの?」
「読まないです。そのままで。音ないとダメですかね?」
「じゃないとさすがに紹介できないからね」
「……かっこでいいんじゃないんですか?」
「それじゃさすがにかっこつかないからねー」
木ノ崎はしょうもないオヤジギャグを言い、ヘラヘラと笑う。
「まーでもアイデアとしては悪くないよね。そのまんまこれじゃなくてここから派生させてってって感じかな」
「あの、無名とか空白じゃなくてその逆で『有る』とかは……」
と黒須野が提案する。
「『有る』ねぇ」
そう言い、木ノ崎はホワイトボードに「ある」「アル」「alu」「有」「ユウ」「you」と書きなぐっていく。
「んー、文字数少ないシンプルなとこは方向性として悪くないんじゃない? 近いのだと『存在』とか? 意味としてストレートで勝手に解釈させられていいよね。存在って英語だと何?」
「イグジステンスですね」
と五十沢が即答し、
「でもそれならイリヤのほうが良くないですか?」
と続ける。
「イリヤ?」
「フランス語です」
「え、五十沢さんフランス語できるんですか?」
と黒須野は思わず尋ねる。
「いや、できないですよ。これは知ってるってだけで。〇〇がある、とかそんな感じの意味ですね確か」
「へー、いいね。どんどんイメージに近づいてるよ。響きも良いし。英語っていうかアルファベットでどう書くの?」
と木ノ崎。
「……確かil y aですね。yの前後に半角スペースです」
「こう?」
「はい」
「んー、実際表記する時もそのまんまスペースあったほうが個性はあるか。意味変わっちゃうんだろうし。もうなんかこれでいいんじゃないって気もするけどね。一応もうちょっと他も掘り下げてみよっか。さっきのカギ括弧。空白だっけ? 空白って英語だとなに?」
「ホワイトスペース? 多分だけど」
と安積。
「そのまんまだね。さすがに微妙すぎるね。スペース、空間か。空はいいんじゃない? クウ、はさすがに音として違う感じだけど」
「――エア?」
と安積が言う。
「エアか……」
木ノ崎はホワイトボードにエア、AIR、と殴り書く。
「……いいね。音もいいし文字少ないし、意味もいい意味で定まってないし。なにより『見ればわかる』がコンセプトのくせして空気ってのがいいね。空気基本見えないじゃんっていう」
木ノ崎はそう言って笑う。
「じゃあとりあえずこの辺で出たの案として上にあげとこっか。あんま長々考えてたってしょうがないし、こういうのも第一印象だからね。まーこっちの優先順位くらい決めとこっか。じゃ黒須野さんから、どれがいい?」
「え? っと、その中から選ぶ、で決定ですか?」
「うん。まー別に最終決定じゃないからさ。あくまでとりあえずね。レッスンの時間あるからちゃっちゃと終わらせたいし。それともこれ以外になんかある?」
「いえ、そうではないですけど……正直昨日決まったばかりですし、二人とも昨日会ったばかりなので、理解という点では全然なので」
「いいじゃんそんなの。何度も言うけど見ればわかるよ。初見のイメージ。何が見えたってそれだけよ。それを的確に言える言葉があるならそれ言えばいいし、ないならここから一番近いの選べばいいし。何度も言うけど最終決定じゃないしさ、適当にね」
(適当って……)
呆れ、ではないが、ほんとに名前なんかどうでもいいんだな、と黒須野は改めて確認する。
「そうですね……その中からだとやっぱりエアかイリヤですね……」
「そう。どっちが第一候補とかある?」
「……個性があるのは、イリヤですよね。ただエアの方が英語で誰でも読めますし、意味もわかりやすいですし……意味がある方が逆に意味が薄れるっていうか。多分ですけど、木ノ崎さんが言う名前はどうでもいいとか言葉は要らないって、意味はいらない、言葉の意味をあまり尊重しない、ってことですよね?」
「まあね。見ればわかる主義だから」
「だと、やっぱりエアみたいな普遍的で絶対的な意味がある方が逆に意味がなくなるっていうか薄れるっていうか。ただの空気ですし……あと空気は一応視覚的なので。イリヤもすごくいいと思いますし、意味って点ではほとんどないですけど、エアと比べるとこっちは選択の意図が強く出ると思うんですよね。わざわざフランス語ですし。個人的にはそういう意図がはっきりしてたほうがいいと思いますけど、木ノ崎さんの考えっていうか、思惑? からは離れるんだろうなとは思いますね。なので一番はエアで、次がイリヤ、です」
「ははは、黒須野さん考えるねー」
いや、考えるのが普通でしょうが! と黒須野はまたも内心つっこむ。
「考え深いのはいいけどさ、もっと大事なこともあるじゃない。要は自分はどっちが好きなのかってことでしょ」
木ノ崎はいつものヘラヘラした顔で言う。
「何が好きか、何がしたいか、何が嬉しいか、楽しいか。何が欲しくて、何で燃えるか。シンプルに、自分の欲望よ。僕の考えだとかそんなのどうでもいいじゃない」
いや、自分でそれ言うんかい、と黒須野は何度目かわからない声に出さないつっこみ。
「この際だからはっきり言っとくけどね、これは僕のユニットじゃない、君ら三人のユニットよ。君ら三人の企画で、君ら三人の人生。それを僕らは全力で最上のものにする。諸々の責任も僕らが負う。でも、踊って、歌って、ステージに立つのは君たち。そこでの責任を負うのは、君たち。君の人生の責任は誰もとっちゃくれないよ」
木ノ崎の言葉に、室内は静まる。
「それともう一つ。確かに僕はシギさんに一任されてるし、そもそもはそこから始まったプロジェクトだし、君らを集めたのも僕よ。でもそれだけ。僕が実際ステージに立つわけでもないし、そもそもいつまでもいるわけじゃない。ていうか途中でいなくなるから、絶対。了承取る前に説明した通り、僕はいずれ消える。最後まではいない。だからね、僕は君らを僕がいなくてもなんら問題ないユニットにする。僕が不要なユニットにする。君ら三人だけで全てを動かせるユニットにする。無責任かもしれないけど、それが揺るがない絶対よ。オッケー?」
「私はオッケーですよ。最初からそういう話ですし」
と五十沢が即答する。
「……正直、昨日の今日の話なんでなんとも言えませんけど、了解はしました」
と黒須野も答える。
「うん、昨日の今日で悪いとは思うけどさ、むしろこういうのはちゃんと早いうちに確認しといたほうがいいからね。まあ僕がいなくなっても大きな変化はないと思うよ。シギさんまでいなくなったらさすがにちょっとあれだけど、でもその頃には外野がどうこうできるような存在じゃなくなってるからさ、君らは」
木ノ崎は一切の疑いもなく、揺るぎもなく、確信だけを持ってはっきり断言する。
「ってことで、安積さんもオッケーだよね」
「――うん、リーダーとしては。私個人としては、最初に言ったとおりだから」
「もちろんよ。そうなったら嬉しい誤算だからね、楽しみにしてるよ」
「うん、任せて」
安積はそう言い、微笑む。
「まぁそれはいいとして安積さんはどれがいい?」
「黒須野さんと同じで二つのどっちかかな。今の時点ではエアの方がシンプルでいいと思うけど。でも三人でやってたらそれも変わるかもしれないしね。一緒にやってみないとわからないこともたくさんあるだろうから」
「それもそうだね。じゃーとりあえず二つを候補に他も混ぜてシギさんに上げとくよ。みんなでやってってまた何かアイデア浮かんだら追加すればいいし。五十沢さんもそれでいいかな」
「いいですよ。私もなんでもいいんで」
「お二方は?」
「もちろんそれで大丈夫です」
と鷺林が言い、永盛も頷く。
「んじゃそういうことで。時間もちょうどいいし早速レッスンいこっか」