第三話 信じてる
ディフューズのリハが一旦止まり、休憩に入る。四人が水分を補給しながら舞台袖のエアのもとへやってくる。
「おっす、来てたか。いい衣装じゃん」
京手が太陽のように眩しい笑顔を向ける。
「ね。ほんとみんな最高の仕事してくれてさ、たまんないよね」
と木ノ崎が言う。
「ほんと、最高だよここは。それに関しちゃキイさんには感謝したってしきれないよね」
「んなことないでしょ。僕がいなくたって君はここに来たよ。だいたい礼を言うなら石住さんにだしね。そもそも僕を君のところに連れてったのは彼女なんだから」
「だとしてもよ。イフはないのよ、この世界。もしかしてなんてさ。今のここの、これが全て。キイさんがあたしを、ここに誘った。それは絶対の事実。逃げんなよ、無責任に」
京手はそう言い、木ノ崎の胸をどんと叩く。
「ま、そっから先はあたしがやったことだけどね」
「まいっちゃうねぇ、どうも」
「せいぜいまいってなよ。今更逃れられるわけないでしょ、あたしからさ」
京手はそう言って笑う。
「さて、んじゃ本番まであと数時間だけど、どうよ」
と京手は三人を見る。
「つっても晃と真は相変わらずだなー。あんたらマジで初めてなん? どうしたらんな顔できんのよ」
「できるというか別に何もしてないですけど」
と五十沢は返す。
「お前はそうだろうなー。まこちゃんはどうなのよ」
「んー、まだ何も知らないから顔も変わりようがない、とかじゃないですかね」
「へー、いいねー最初からそんなんで。うちら最初どんなんだったっけ?」
「どうだろうねー。殿はもうバリバリ現役だったしー、かなちゃんもなんだかんだしょっぱから闘争心だけで没入してたからねー」
と石住が答える。
「お前は?」
「覚えてないけどこのまんまじゃなーい?」
「だろうな。あたしどうだった?」
「ん―、かなちゃん、一番最初の時のゆかりんってどうだった?」
「直前までなんか爪楊枝いじってましたよ。昼飯のなんかが歯に挟まって気持ち悪いって」
と三穂田が答える。
「マジで? 全然覚えてねえわ。嘘でしょ? てかなんでそんなことまで覚えてんの? そんなあたしのこと好き?」
「あのねぇ、先輩がずっと『取れたか見て』って口ん中見せてくるんですから嫌でも覚えますよ。最初のライブの前の記憶イコール先輩の口ん中にされたんですよ私」
「お前ホント持ってるよなぁそういうの」
「誰のせいだと思ってんですか」
「そりゃお前のせいでしょ」
「……」
三穂田は愕然とし、反論すらできない。
「でもお前が緊張しなかったのは私の口のおかげってことだな。ってことで十子も私の口ん中見とく?」
「試せるものなら何でも試します! というかゆかりんの口の中見れるならいくらでも払いますし!」
「あらら、なんかすげーヤバイことになってるねこいつも。んじゃまあじっくり見なよ。タダだから」
京手はそう言い、口を開く。その中を、黒須野は近づき凝視する。
「――なんすかこれ? なんで誰も止めないんですか?」
「止めるような常識人三穂田さんしかいないからねぇ」
と木ノ崎がへらへら笑って三穂田に言う。
「いや、舞さん」
「悪い、私には無理だ。もう疲れたしついてけない」
新殿はそう言い頭を押さえる。
「……いや、いいんですかこれで?」
「いいんじゃない? でもせっかくの三穂田さんだけの思い出が奪われちゃうね」
と木ノ崎は他人事のようにへらへら笑って答える。
「さすがにそれはどうでもいいですね……」
三穂田は愕然としつつ、今一度京手らを見る。
「よし、終わり! さすがにアゴ疲れたわ。どうだった?」
「はい! 歯には何も挟まってませんでした!」
と黒須野は京手に答える。
「うん、まだだいぶ頭イッてんな」
「いや、さすがに冗談ですよ。落ち着きました。なんかすいません」
「ならよかった。やっぱあたしの口すげえな。要も見とく?」
「絶対嫌です。ていうか臭いし」
「フローラル! というか歌って唾液なくなりゃ臭くなんだろ誰もが! だよね?」
「ははは、世界広しといえど京手さんの口臭いとか言えるの三穂田さんだけだよね」
と木ノ崎は笑う。
「私も言えるよー。ゆかりんの口くっさー」
と石住。
「んなこと言ってっとチューすっぞお前ら」
「マジのテロだからやめてねー」
「ったく。んじゃま、リハがんばれよ」
そう言って手を振り立ち去ろうとする京手を黒須野が呼び止める。
「あ、すいません京手さん。最後に一つだけいいですか?」
「なに? なんかはさまってた?」
「あ、いえ、そうじゃないんですけど……その、私たちというか、私はまだちゃんとお客さんの前でやったことないですし、関係者の前でもせいぜい十数人とかで、だからその、お客さんに届けるっていうか、客に向けてっていうか、そういうのをどういう心持ちでとかまだわからなくて……
でも今みなさんのリハーサル見てると、そこに誰も居ないはずなのにちゃんと客席が埋まってて、それでその一人一人に、三千人どころじゃなくてもっと何千何万っていう一人一人に間違いなく届いてるって、そういうのを感じてたんですよ。だから、どうしたらそんなふうにできるのか、初めてだからこそ聞きたいんです」
「なるほどね」
京手はうんうんと頷き、ふっと笑う。
「ま、はっきり言ってさ、何千何万の一人一人に届けるなんて物理的に無理よ。物理的っていうかさ、確認のしようもないし、わかんないじゃん。一人一人が趣味嗜好も違ってさ、生活もこれまでの人生も違うし、その時の感情だって違う。例えば直前にお金を拾ってラッキーなんて人もいれば彼氏にフラれてどん底なんて子もいるかもしれないし。そんな一人一人に合致するものなんてわかるわけないじゃん」
京手はそう言い、ニッと笑う。
「たった一人なんだよ。ハナから何千何万なんかじゃなくてさ、たった一人。たった一人のことだけ見て、たった一人にだけ届かせりゃいいの。たった一人かもしんないけどさ、その一人ってのはたくさんいるはずだから。わかるよな、こういうの」
「……わかります」
「よし。ま、でさ。その一人、最初の一人ってのはさ――自分なんだよ。自分。この私が、感動してんだ。この私が、歓喜と、情熱で、感動して泣きながらやってんのよ。だったらさ、見てる人だって泣くに決まってんでしょ」
京手はそう言い、自身の胸をトントンと叩く。
「自分を信じんのよ。自分の感情をさ。自分の感動を。その涙を。胸の高鳴りを。
いいか? 自分を信じるんだよ。この私の胸が狂おしいほど弾けてんだから、世界中全ての人間の胸も弾けるに決まってんだろって。この私の目頭が熱くて熱くて堪んないんだから、全人類の目にも涙が溢れて堪んないに決まってんだろうって。感情が溢れるに決まってるってさ」
そう話しながら、京手の目に光るものが溢れる。炎と水。相反する、二つの輝き。
本気だ。本気で言っている。本気でそう、信じている。そういうものだけが表せる感情。発現する信念。
京手縁は、己で語りながら信じていた。その言葉を、そうに決まっていると、心の底から信じていた。だから当然、そのようになる。その言葉を浴びる黒須野の目にもまた、涙が溢れる。炎が宿る。胸が高鳴り、弾ける。感情が溢れだす。
黒須野十子も、信じていた。信じるということを、決まっているということを。
そういう、世界の約束そのものを。
「世界の約束だ、これは。人類が生まれてから滅亡するまで、絶対に変わることのない約束よ。ホモサピはさ、物語を共有して生きる唯一の存在なのよ。それだけが人間を人間たらしめてんの。そう運命づけられてんだよあたしらは。だから全部決まってること。そういう約束。だからそれをさ、信じるだけよ」
黒須野は、全てが繋がった気がした。なぜ京手縁が京手縁なのか。何故自分が彼女に憧れるのか。何故、自分はアイドルになったのか。
アイドルとは、いかなる存在なのか。
世界の約束。物語の共有という、ホモ・サピエンスの運命。宿命。感情の共有。鼓動の共有。一体。
私とあなたが一つになり、そうして世界を繋げていく。
だからアイドルは、アイドルで。アイドルは世界に、必要とされ。
その約束が、アイドルの本懐。
「――私も、信じます。世界の約束。アイドルの、本懐」
「よし。んじゃ、行ってきな」
京手にそう送り出され、黒須野は最後のリハーサルへと向かった。




