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ライブ・オブ・アイドル  作者: 涼木行
第六章 僕たちはどこから来てどこへ行くのか
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第四話 これが永遠になる一瞬



「さて、お疲れ」


木ノ崎はそう言い、ステージ上の三人を手招きする。


「ということで二〇日、初ステージ決まったね。おめでと」


「……そういえばそうでしたね……」


 黒須野はどこか放心状態で言う。


「なに、忘れてた?」


「いや、そうじゃないですけど……そっちが本番でしたもんね」


「別に何が本番なんてないよ。全部が目的地で全部が通過点でしょ。ハコや客が違うってだけよ」


「自分がやるわけじゃないからってすごい適当言ってませんか?」


「そりゃね。で、どうする? 見ていく?」


「あー……私は、正直決まった以上少しでも練習したいですね」


「ねー。二曲目もあることだし」


「はい?」


「いやー実はもう赤宇木さんが作っちゃっててさ。舞台田さんも振りつけてね。二〇日にやるのは一曲だけだけどさ、まぁ早めに練習しといたほうがいいしね。一つだけずっとやってるのも飽きるだろうしさ」


「まぁ、それは多少は……」


「私は一曲でもいいから見ていきたいですね。さっき言ってた魅せるどうこうっていうの見ときたいですし」


と五十沢が言う。


「じゃあ一曲だけ見てから行こうか。生で見といたほうがいいだろうし、それくらいの時間はあるよね」


 と安積が言い、木ノ崎を見る。


「大丈夫よ。じゃあ見てきましょっか」



     *



 しばらく後、ステージ上にレッスン着のディフューズが現れた。


「お、やっぱ見てく?」


 と京手が嬉しそうに言う。


「一曲だけですけど。さっき言ってた魅せるってやつ見せてください」


 と五十沢が答える。


「言うねー後輩。んじゃ注文に答えて、って言いたいとこだけど、魅せる気なくったって勝手に魅せちゃうんだなーこれが。うちらは最初から、根本的にそういうもんをやってるからね。人心掌握よ。それがライブの、アイドルの本懐」


 京手はそう言い、小気味よく笑う。


「だから自己満足でやってっとな、あっという間に潰されっぞ。この世界の全てに。あんまキイさんの言うことばっか真に受けてんなよ。見ればわかるなんてさ、戯れ言よ。人はそんな見れねえし、そもそも見る気もねえ。絶対的で、力があって、やりたいことやってりゃ勝手に売れるなんて、そんなことはここにはねえ。


 一挙手一投足を魅せるんだよ。あたしたちゃ生きてる理想のフィクションだ。アイドルはそういう生きもんだ。それを肝に銘じて、魅せてやるよ。うちらの乱反射、『リフレクション』」


 それは言わば、戦の前の名乗り口上。ディフューズの、リフレクション。


 眩いばかりの、乱反射。



 集中は、秒もかからない。各々が指定の場所に立ち、と同時にすでにそこへ入っている。そこにはすでに、先程までステージの下にいた四人の姿はない。


 向かって右後方、当人らがディフューズの要と認める最年少にしてメンバー一の高身長、三穂田要。普段のクールな後輩はそこにはいない。顔は別人。豹変。没入。百戦錬磨の戦士の顔。そこだけが、自分の居場所。ステージの上だけが、自分のすべてを出せる場所。


 さあ、今日も今日とて挑戦だ。目の前の天才二人に並べるのは、ただこの場所をおいて他にない。あんたらを心底、感動させてやる。それが世界を揺らす最短距離。



 向かって左後方、全てをまとめるリーダー、新殿舞。圧倒的な貫禄。落ち着き。操縦桿を握るは彼女。天才と、それへ挑む狂戦士の手綱を握る一般人。その平凡に自負がある。自分の全ては、自分が人生を生きて身につけたものだという自負がある。たまたま持って生まれたものじゃない。純粋な欲望の下、日々それだけを見つめ歩んできた証。それが絶対的な自信の元。揺るがぬ芯。何にも脅かされぬ、確固たる自分。



 向かって左前方。ディフューズをディフューズたらしめるダブルセンターの左側。天才、最強、それらに違たがわぬ溢れる才能。存在感。絶対的な強さ。それを自明と確信する佇まい。ステージ上のその顔は、負けなど知らない女王の顔。それは、直に出会うと圧倒される。人間がただ立っているだけで、何故これほどまでの「絶対」を発せられるのだろうと。人間にはただ存在しているだけで発することができる「強さ」がある。そういう人間が、極稀にいる。それを体現する存在が、石住美澄。



 そして、向かって右前方。ダブルセンターの右。天才にして最上。日本女性アイドル界の絶対王者。カリスマの中のカリスマ。天上に燦然と輝く太陽。ステージ上でそれは絶対のものとなる。人間はこれほどまでの熱を、輝きを発することができるのか。そう思わせる太陽の如きエネルギー。爛々と燃え光を放つ眼差し。「京手縁はその内に太陽を抱えている」と評されるそれ。彼女の心臓は太陽そのもの。どんな人でも、一度それを目にしてしまえば離さない。その網膜に、いつまでも強烈な光を残し続ける。心臓を、恋焦がす。その存在が、一挙手一投足が叫ぶものはただ一つ。



「いいか、人間は、ここまで来れるんだ。だからお前も、ここまで来い」



 それだけだった。



 曲が始まるまでの、僅かな間。その一瞬で、それだけのものを明確に突きつけてくる。観客は、否応なしに「今ここ」への全身全霊の集中を強制される。

 その収束点で、曲が始まった。



     *



「魅せる」とは、何であるか。



 一つは顔である。同じ振り、同じ曲同じ歌詞を同じように歌い踊り、同じ様に感情を込めても、表情一つで全く異なる。その顔に客が望むものがあるだけで、両者の間での感情の繋がりは何万倍にも膨れ上がる。その瞬間ごとに的確な表情というものがある。的確な感情を、的確に表した表情。顔。求められているもの。それを見た客は、その瞬間に必然を感じる。今ここ、この場所、自身の感情。彼女たちとの、関係性。それが絶対となる。一瞬が、永遠となる。そのために顔は、恐ろしく重要だった。


 とはいえ、顔だけでは魅せられない。絶対条件の一つであるが、生で、大きいハコで、遠距離であればそれをはっきり見て取ることはできない――とはいえ、そうした距離も容易に超えて届くのが本物のアイドルの「顔」であったが。



 魅せるのもう一つの意は「一体」である。共有である。アイドルとの、ライブとの、その場との、その瞬間との同化。一般的にはノリの共有。観客が叫びたい時に叫ばせる。そう仕向ける。跳びたい時に跳ばせる。それを一緒に行う。動きが、心臓の鼓動が、感情が同化する。自分と、アイドルが、一つになる。そのタイミングを的確に、完璧につかみ、操る。場の掌握。人心の掌握。昂ぶらせるだけ昂ぶらせ、その昂ぶりを的確に吐き出させ、それを共有する。共に吐き出す。全ては、共に。私とあなたの、一対一の一緒。その一対一を何千何万と。そうして全ての人間と、一体となる。


 つまるところ、必然なのである。今ここ、この一瞬に、絶対的な必然を与える。そのための共有、同化、一体。私とあなたは、今ここ、この瞬間に、一緒であると。


 それが「魅せる」の本意であり、アイドルという存在の本懐だ。 


 ディフューズがエアの前でやったのは、それであった。


 観客の数など関係ない。ハコの大きさなど関係ない。曲も、照明も、音響も関係ない。いつでも、どこでも、常に全てが、そう。一挙手一投足が、そう。何故ならディフューズとはそういうものだから。彼女たちとはそういうものだから。


 アイドルとは、そういうものだから。


 目の前の、一人一人を相手にする。一人一人の心を、掌握する。一人一人と、どこまでも真剣に、全身全霊で向き合う。存在の全てを見せる。



「いつだってこれが最後なんだよ」


 と、京手縁はいつだって言う。


「乱反射の光はさ、二度と同じもんはできないだろ? あの光はあの時の一瞬で、それで最後。二度と取り戻せない。だからいつだって最初で最後なのよ。全部込める。これが最後かもしれない、じゃないのよ。いつ死んでもいいようにとか、悔いの残らないようにとか、そういう話じゃない。いつだって、全部が、最初で最後なのよ。みんなだってそうじゃん。いつだってなんだって今この一瞬は次の瞬間には消えてるよ。いつだって今この一瞬は最後でしょ。その最後にあんたは何したいかって、それだけじゃん」


 そう言って笑うのが、京手縁。それを体現するのが、今、目の前のこのライブ。


 それは京手に限っての話ではない。ディフューズの四人が、全員そう。わざわざ共有する必要もなく、そういうものとして存在している。そういう四人が集まって、ただそれを強めてきた。


 彼女たちが日本一たるゆえんは、そこにある。



 それを、今、目の前で、骨の芯まで叩きつけられ――黒須野はただ涙を流していた。無意識に涙が溢れてくる。あの日、アリーナで、遠くから見たあの光景。あの感情。それ以上のものに襲われる。こんな、小さな劇場で、ライブでもなく、客もいない中……


 でも、その輝きははるかに勝るものだった。


 エネルギー。圧倒的なエネルギーを至近距離でぶつけられ、感情が否応なしにかき乱される。ただただ、強烈なエネルギー。心臓が鷲掴みされ、無理やり早鐘を打たされる。全身の皮膚が一瞬で、津波のようにぶわっと粟立たされる。強烈な光が涙腺を刺し、涙を流させる。


 自分のすべてが、今ここ、この一瞬に、決定づけられる予感。


 彼女のすべてを、今ここ、この一瞬に、永遠に釘付けにする力。


 京手縁と、目が合った。あまりにも強烈な、視線の向こうの太陽。燃えるような、歓喜に満ちた笑み。


 抗うことは、不可能だった。



     *



 曲が終わる。動きが止まる。熱が引く。


 各々の心臓の音だけは、止まらない。


「十子」


 ステージの上、京手縁が、汗を輝かせ呼びかける。


「ゔぁい」


 嗚咽を混じらせ、黒須野が答える。


「待ってやるから、来いよ」


 そう言い、ふっと笑う。


 鼻をすする。涙でぐちゃぐちゃで、前がよく見えない。それでも――


「――いぎます、いつか」


 黒須野は、まっすぐ見上げて答えた。


 京手は、ニッと笑う。そうして背を向け、タオルで汗を拭いた。その背中に、黒須野は一礼し、足早に扉の外へ出て行く。そうして、思い切りティッシュで鼻をかむのであった。



 鼻をすする不格好な鈍い音が辺りに響き続ける。ゴミ箱はすぐにティッシュで山積みになる。そうしてすっかり泣き腫らした赤い目の涙をタオルで拭う。そうしてようやく、感情が少し落ち着いてきた。


「大丈夫?」


 後方で、木ノ崎が声をかける。


「――はい、平気です。取り乱してすみませんでした。不格好なところもお見せして」


「んなの気にしないよ。その感情の強さだって君の良さだしね」


 木ノ崎はそう言い、笑う。


「しかしすごいね君は。あそこまで号泣するなんて並のファンじゃないね。まーファンじゃないんだろうけど」


「どっちだっていいですよもう。だいたいすごいのはゆか、京手さんの方ですし……」


 黒須野はそう言い、一つ息を吐き天上を見上げる。


「この世で一番好きな人が、本当に好きで好きで、憧れて、自分のすべてを犠牲にしてもこの人のようになりたいっていう、そういう、世界で唯一の存在が――私を待つって、言ってくれたんですよ」


 黒須野はずび、っと鼻をすする。


「私の目を見て、笑ってくれたんですよ。私を、ゆかりんが……この、絶対誰にも、わかりませんよ。私だけの、私と、京手さんだけの、この、この喜びっていうか、感情、幸せと、もっと別の、大きな……」


 黒須野はそう言い、顔を手で覆う。


「多分私は、もう大丈夫です……帰るべき場所ができましたから。京手さんが、作ってくれました。あの、あそこに、あの瞬間に、私の全部が、決定づけられて、運命づけられて……だからもう、大丈夫です」


 黒須野はそう言い、涙を拭い顔を上げ真っ直ぐに木ノ崎を見た。


「いつでもあそこに、私とあの人がいますから」


「――そりゃよかった」


「はい……木ノ崎さんも、ありがとうございます。私をここまで連れて来てくれて」



「どうだろうね……僕からしたら君が勝手にここまで来ただけだけどね」


「だとしても、です」


「そっか……なら素直にどういたしましてだね」


「はい……やっぱりすごいですよね、木ノ崎さん。あの京手さんをスカウトするなんて」


「ははは、まぁたまたまだよ――ただね、僕にとっても、京手さんだけなんだよね」


「……なにがですか?」


「僕の予想をはるかに超えた人」


 木ノ崎はそう言い、ニッと口角を上げる。


「彼女だけよ、僕がスカウトした中でさ、最初に見えたものを容易に超えた人。僕に見えたもののはるか先まで行ってる人」


「そうなんですか?」


「そうよ。あれは元々ね、石住さんのために用意したものなのよ。正確にはちょっと違うし、まぁあえてこういう言い方してるけどさ、先にいたのは石住さん。彼女を入れるために、彼女の戦友探してた時に見つけたのが京手さん。彼女にも同等の戦友が必要だったからね。ま、そういうとこは君も同じよ」


 木ノ崎はそう言い、黒須野を指差し、ニッと笑う。


「君も五十沢さんのために用意したから。先にいたのは五十沢さん。五十沢さんのために、彼女にとって必要な人間として君を入れた……だから君は、京手さんと同じよ」


 木ノ崎はそう言い、先程よりはっきり、確信を持って笑う。


「良かったじゃない、共通点。君もなれるよ、京手縁みたいに」



 ――君も、なれるよ、京手縁みたいに……



「僕に見せてよ。最初に見えたものの、はるか先。もうそれができるのは、世界に君一人だろうからさ」


 あの京手縁のように、木ノ崎の目の、はるか先へ。


「――いいですよ、見せてあげます。木ノ崎さんが見てる景色の、地平線の、果ての果てを」


その目の中に、太陽が見えた、気がした。


 木ノ崎は、ニッと笑う。



 そうよ、僕の目なんて、優に超えてよ。その不明の先にこそ、喜びがあるんじゃないの。


 わからないをちょうだいよ。尾瀬遥の底知れなさ。京手縁の無限の可能性。安積真の、得体の知れなさ。


 そんなものすら容易に越える、果てのない宇宙を、見せてくれ。





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