第五話 いきつくさき
安積の家は団地の一室であった。七階建てで築数十年建っている。
「じゃあ行きましょうか」
と鷺林が車のドアを開ける。
「あんま大人数で行っても迷惑じゃない? 団地だとそんなスペースないだろうし、休日の朝から玄関先で喋られてちゃご近所迷惑でしょ」
と木ノ崎が言う。
「そうですね。じゃあ私だけ行ってきます。あ、でも木ノ崎さん安積さんのお母様とはまだ会ってませんよね。挨拶だけでも行きます?」
と永盛が言う。
「いや、僕はいいよ。また機会はあるだろうし」
「そうですか、じゃあ」
永盛はそう言い車から降りる。そこで丁度荷物を持った安積がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう。お母さんは? 泊まりだしちゃんと挨拶しておきたかったんだけど」
「大丈夫です。昨日も遅くてすごく疲れてるみたいだったんで寝かせてあげてください」
「そっか、わかった。じゃあ今度改めて」
永盛はそう言い車に戻る。そのタイミングで木ノ崎も車を降り、大きく伸びをする。
「おはよ」
「うん、おはよ」
「体調は?」
「いいね」
安積はそう言って笑い、軽く親指を立てる。
「なら良かった。君のお母さんにもいつかちゃんとあいさつしないとだよねぇ」
「うん……いつかね。その時になったら」
「そうだね。荷物もらうよ。後ろ積んじゃうから。何か取り出しとくものある?」
「ううん、大丈夫。ありがと」
「うん。さてと、んじゃサギさんこっから交代だね」
「はい。よろしくお願いします」
木ノ崎は荷物を後ろに乗せ、運転席に乗り込むとバンを発進させた。
*
六人を乗せたバンは都心を抜け郊外へと進んでいく。途中休憩のため寄ったコンビニ。木ノ崎は寒空の下ホットコーヒーを飲みながら天を見上げて白い息を吐いていた。
「タバコ、大丈夫?」
と安積がやってきて尋ねる。
「あぁ、大丈夫よ。そりゃ吸いたいけど車ん中臭くなるしね。冬だと寒くて窓も開けられないし」
「そっか。木ノ崎さんってそういうの、たまにすごい気配るよね」
「どうだろうねぇ。まぁ君ら子供だしね。タバコなんて害しかないわけだし、子供預かる大人としては当然でしょ」
「そっか。確かにそうだよね」
安積はそう言うとガサガサとビニール袋を漁り、何かを取り出して差し出す。
「はい。あげる」
「いいの?」
「うん。一応買っておいた。代わりになるかわからないけど。なる?」
安積の手にあったのはチュッパチャップスだった。
「ははは。まぁなると思うよ。ありがとね」
木ノ崎はそう言いチュッパチャップスを受け取る。
「しかしこれだとなおさらおしゃぶりとなんも変わんないねぇ」
「そうだね。口唇欲求とかだっけ」
「そんなやつだね。んじゃもう一頑張りいきますか」
木ノ崎は伸びをし、安積とともに再び車に戻っていった。
*
合宿所は都心から一時間ほど行った場所にあった。外装を見る限りではちょっとした公民館のようである。建物は多くなく、木々もあり、いくらか田舎を感じさせる場所に建っていた。
「一応うちの事務所が所有してる合宿所。元々公民館だったのをリフォームしたらしいよ。まー合宿所以外でも色々使ってるみたいだけどね。それこそ撮影とか諸々。外は古臭くても中はちゃんとしてるからさ。まーとりあえず見てみなよ」
三人は中に入るととりあえず荷物を玄関に置き、一階を見る。一階には台所や風呂場にトイレ、洗濯室。そして広いレッスン室。キャスターのついた移動式の大きな鏡もあり、音響設備も整っている。荷物を持って二階に上がると、そちらは宿泊スペースとなっていた。巨大な一つの部屋にすることもできたが、今は仕切りで分けられている。畳の床が、いかにも昔ながらの合宿所を思わせた。
「うわ、畳なんて久しぶり……」
黒須野は荷物を置き、しゃがみこんで畳を触る。
「君らの家にも和室なんてないか」
「そうですね。ほんとこういうとこじゃないと見ないんで……ってことは布団ですか?」
「そうだね。後で業者から届くみたいだよ。まー畳もいいけど冬だとちょっと寒そうだね」
「暖房はあるので大丈夫じゃないでしょか。それより布団だと彼女たちの体にかかる負担がちょっと心配ですね……」
と永盛は言う。
「そこはばっちり対策済みよ。エアウェーブだっけ? なんかスポーツ選手も使ってるちゃんとしたマットレスもあるからさ。もちろん彼女たちの分しかないから僕ら年寄りはせんべい布団で腰イタだけど、まぁなんとかなるでしょ」
と木ノ崎は笑って言う。
「とりあえず部屋は、あとで考える感じでいいね。食事は台所あるけどどうする?」
「それだとやっぱりみんなで作りたいですよね。せっかくの合宿ですし」
と黒須野が答える。
「だよね。まぁ君らはレッスン集中してほしいから、とりあえず昼は弁当とか惣菜何か買ってくるかな。買い出しも行かないとだし……面倒だから無難にカレーでいい? 買い出し楽だし、量作るの楽だからさ」
「うん、いいと思うよ」
と安積が答える。
「となるとアレルギーとかもか。でも確か君らは三人共なかったもんね。大人二人は?」
「あ、私はちょっとあります」
と永盛が手を挙げる。
「じゃあ後で紙に書いといて。とりあえずはそんなとこかな……備品確認して足りないものも買い出しで……なんか消耗品とかでほしいものあったらそれも僕が出るまでに紙にでも書いといてね」
そこで外から車の走行音が近づいてきて、合宿所の前で止まった。
「舞台田さんも着いたみたいだね。じゃあ早速君らは練習練習。他のことは僕ら大人に任せてね」
木ノ崎はそう言い、ニッと笑う。
「そんで僕はようやくタバコと」
*
合宿初日、午前中。三人は舞台田のもとでひたすらダンスレッスン。新しい曲の新しい振付を徹底して覚える。一人ずつ、自分の動きを完璧に。それを三人で合わせて。振付は五十沢に合わせてより高度で複雑なものになっている。センターである彼女のソロパートや、彼女が際立つ動き。その中でも、三人での調和が重要となる。何にしても、天才以外の人間にとって練習以外の近道はなかった。
木ノ崎が買い出しに行き、適当に昼食の弁当などを買い帰宅。鷺林と永盛はレッスンを見守りつつ、各々の仕事もこなす。昼食を挟み、午後からまたレッスン。まずはダンスを徹底的に身につけ、最終日にボーカルトレーナーにも来てもらい歌も見てもらうことになっていた。
黒須野は、すでにそれに気づいていた。五十沢は瞬く間に歌も上達している。それは現在進行形で、秒単位で更新している。理屈はわからない。結局ダンスや他のスポーツと同じなのか。歌といえども体を動かし表現するという点では同じだから、コツさえ掴めば容易にできる、ということなのだろうか。黒須野のこれまでのトレーニングのアドバンテージは、ものの一ヶ月で抜き去られる。
それは単に歌がうまいだけの話ではない。アイドルだから踊りながら歌う。そういう点ではただ歌うより苦しく、難しい。声が出ない。踊りに影響が出る。息が切れる。酸素が足りない。呼吸がうまくできない。慣れていないと、体力がないと一曲を全力でやり切るのも困難だ。
けれどもそれも凡人の話。五十沢晃には関係ない。歌詞も、踊りも、当たり前に覚え完璧にこなす。どれだけ激しく踊ってもその息が切れることはなく、力強い声量が保ち続けられている。腹筋、体幹、肺活量……何が影響しているかはわからないが、全てが超人じみているのだろう。才能、それもあるだろうが、これまで様々なスポーツで繰り返されてきた肉体改造によって。
痛感する。一緒にやればやるほど、痛感する。新しい曲を、同じスタートラインからやっているはずなのに、一瞬で突き放されるこの現実から、痛感する。本物の才能。天才とは何か。何故できるのか。何故自分はできないのか。
それでも、死ぬ気で、追いかけなければ――
「晃、あんた、何か、呼吸、コツとか、あるの?」
黒須野は息を切らしながら五十沢に尋ねる。
「呼吸のコツってなんですか?」
「それ、あんた、ほとんど同じことしてても、全然息、切れないでしょ、だから、なにか、違いがある、はずじゃない」
「普通に歌のレッスンで教わった呼吸法じゃないんですか? 腹式とか。十子ちゃんも教わってますしやってますよね」
「それはそうだけど、てかあんたもう教わったの全部できるの?」
「どうですかね。多分できてると思いますけど。一応自分でも調べて練習とかはしてますね。歌歌う時の呼吸法は」
「……まぁ、それは置いといてっていうかさ、それってあくまで歌のための呼吸法じゃない? 歌いながら踊るっていうのはまた別なんじゃないの? 私も詳しくは知らないけど」
「だとしても勝手にできるようになってたんで教えるのは無理だと思いますよ」
「――は?」
「自分でも理解してないんで。どうしてもっていうなら今まで私がやってきたこと全部一通り試してとかになると思いますけど」
「……それは無理」
「ですよね。じゃあ走ったりすればいいんじゃないですかね? 私も一応ランニングみたいなこととかはしてますし。走りながら自分でいい呼吸見つけるしかないんじゃないですかね」
「まぁ、私もランニングとかは一応してるけどさ」
「そうですか。でもずっと同じペースでダラダラ走ってるとかじゃ多分意味ないですよ。緩急つけるっていうか。前に後ろに横にとか、飛んだり跳ねたり色々激しくして。じゃないとダンスなんかのは身につかないですからね」
「そう、ね……それ、まさか道路でやってないよね」
「グラウンドとかですね。学校とかの。じゃないとスペースないですし」
「それもまあ追々やってくとして、今は呼吸のタイミング掴んでいこっか。とりあえず私が教えるポイントで吸って、ってやってみてさ」
と舞台田が言う。
「それで合わなくて苦しいって時はその場でやめていいし、ここはタイミング合わないとかなら微調整してってね。吸い方も色々試してみてさ」
「……はい、お願いします」
「うん。真は大丈夫そのへん? 呼吸とかでなんかない?」
「んー……私は、自分の感覚でなんとなくこうかなって、ちょっと分かり始めてきたところなんで、とりあえずそのまま自分で探ってみます」
「そっか。ならいいね」
「はい。あとやっぱり走ったりして体力っていうか肺活量? つけたほうがいいですかね」
「そりゃね。でも晃が言ってた通りダンスなら長くゆっくりだけじゃなくて短い全力を繰り返しとかも必要だろうね。シャトルランみたいな感じでさ」
「じゃあ明日朝にでもやりますか?」
と五十沢が言う。
「私がやってるやつ。父に教わったやつのアレンジですけど」
「あー、うん。近くにグラウンドとかあればいいんだけど」
「後で探してみよっか。あれば朝練ってことで」
と安積も答えた。




