第五話 イニシエーション
「早速だけど上がらせてもらうね」
「いやいや、絶対ダメです」
「上がんないと用件果たせないから」
尾瀬はそう言うと木ノ崎の軽い体をはねのけ、ずかずかと上がり込む。
「ほんとに困るんだけど……というかそっちの方が困るじゃない」
「そっちってどっち?」
「君らというか只見さんとか事務所とかさ」
「それももう困らないから大丈夫」
「あーそう……そういうこと」
「うん。まあそういうことだけど、そういうことじゃないかな」
尾瀬はそう言い、部屋の真ん中で仁王立ちし、ニッと微笑んだ。
「今日は勝負しに来た」
「勝負?」
「そ。勝負」
尾瀬はそう言い、カバンからタブレットを取り出す。そうして見せつけてきた画面には、開演前のエアのライブ開場が映っていた。
「どうせお金なくて見れないでしょ?」
「……お金の心配はちょっとしてなかったね。見れるは見れるけど、見たらやばいかな」
「相変わらずギリギリの生活してるね。ま、あったところでどうせ見るか見ないか一人で散々迷ってたところだろうけど」
「全部お見通しですか」
「そりゃね。人の欲を見抜くことが悪魔の始まりだから」
「はは、自分で悪魔って……」
「そういうことだから、見なよ、ライブ。キイチの小さいスマホなんかよりよっぽどいいでしょ。どうせこの部屋ワイもファイもないんだろうし」
「ワイもファイも同じものでしょ」
「つまんないとこつっつくね。とにかくさ、見なさい」
「……それが勝負なの?」
「そ。私が勝つか、彼女たちが勝つか」
尾瀬はそう言い、ふっと微笑む。
「つまりあなたが私と来るか、来ないか」
「……独立、決めたのね」
「うん。別にあとは時期だけだったからね。予定通りに上手くいってるからじゃあ予定通りにやりますかって」
「そっか……ま、ありがとね。半年ちょっとだろうとさ、俺がいなくなった後のEYESを色々とね」
「私は何もしてないけどね。お金は流れたけど、まあそれだけでいいか。とにかく、見て。それで勝敗は決まる」
「……俺がそっちに行かないなら、彼女たちの勝ちってこと?」
「そういうこと。約束、契約、忘れてないよね? 私はあなたのその眼に用がある。私の国を完璧なものにするために、キイチ、あなたの力が欲しい。契約を破るって言うならさ、それ相応の代価は必要だよね」
「ほんと容赦ないよね、君は」
「もちろん。欲しいものはすべて手に入れる。ま、安積さんには断られちゃったけどさ。ほんと厄介。京手さんに黒須野さん、あれ受け継いでる連中は」
「ははは、そりゃもう天敵だろうね、君にとっては」
「ほんと。じゃ、そういうことだから。見て、決めたら電話して。私も忙しいからさ。今日中に飛行機乗らないとだし」
「そんな忙しい中わざわざうちなんか来たの」
「わざわざじゃないでしょ。これがメイン。これのために一日だけ帰国して、ついでに諸々処理しとくかってだけ」
尾瀬はそう言い、靴を履く。
「だからそれタブレットもらっちゃっていいよ。あげるから。いらないなら後で返してくれればいいし。そのうち契約切って通信使えなくなるかもだけど、まあ別に売っちゃってもいいし」
「悪いからがんばって送り返します」
「それなら寄付でもしてもらっちゃったほうが楽だけどね。
ま、とにかくさ、キイチ。私と来れば、あなたはまたその眼を使える。際限なく、好きなだけ、いくらでもその眼を使わせてあげる。あなたが本当の意味で自分としていられる場所を、その力を遺憾なく発揮できる場所を与えてあげる。そこで一緒に、国を作る。私たちの国を」
尾瀬はそう言い、ドアノブに手をかけた。
「それをよく、考えてね。あなたの人生、これから50年。自分の人生を、どう生きるのか」
「……そうだね。ほんとはもっと早く、君に出会うより前にしとかなきゃいけなかったことだろうけど」
「そう思うんだ。まあいいけど。――それじゃ、またね」
尾瀬はそう言い扉を開け、その向こうに姿を消した。
*
一人残された木ノ崎は、尾瀬が残したタブレットと向き合う。開演直前のステージを映した画面。下の方に少しだけ映るスペースには、隙間なく客が詰め込まれている。
いつか。いつかは、来るときであった、自分の欲はわかっている。けじめ。本当の意味でさよならするためにも、いつかは対面し、見なければいけないのだ。
どのような形であれ、決して逃れられない。その魔力は、尾瀬にもまた作用した。その結果の「勝負」であり、これである。
木ノ崎は、腰を下ろした。安いイヤホンをタブレットにつけ、机の上に置く。そうして一人、対面する。
その始まりを、前にして。
*
ライブハウス。ステージ横。開演まで、あと数分に迫っていた。エアの三人は新しい衣装に身を包み、何度目かわからぬそこに立つ。
「よしよしよし……来るぜ来るぜ来るぜ……」
と黒須野は一人ぶつぶつつぶやき、凶相としか言いようのない笑みを浮かべている。
「ははは。十子ちゃん完全に京手さんが憑依してるね」
「儀式よ儀式。ライブもその前も全部儀式じゃん。それにこれは憑依じゃないから。私は私を、自分が目指す理想の黒須野十子を目指してるだけ」
黒須野はそう答え、ヒヒヒと笑う。
「リーダーよろしくやっちゃってよ。エンジン全開円陣全開で」
「仰せのままに裏番長。じゃ――まずは何より、鷺林さん、永盛さん、今日まで本当に、お疲れ様でした」
安積はそう言い二人に頭を下げる。
「本当に、大変だったと思います。忙しくて、休めなくて。特に永盛さんには個人的にもたくさん負担かけちゃって」
「そんなことないよ。私もやりたくてやってたことだから。こっちこそ、ちゃんと気づいて守ってあげられなくてごめんね」
「そこはもう、お互い様で、これからは違う形でやってけばいいから。とにかく、本当に、ここまでありがとうございました。アルバムも、このライブも、ツアーも。その頑張りに答えるだけの、すべてが報われる想いだけの、そういう時間を、ライブを、すぐに届けるから、待っててください。たとえ少し離れてても、私たちは一緒なんで」
安積はそう言い、再び頭を下げる。
「さて、じゃあ行こっか」
「うん。儀式よ儀式。かますぞこんちくしょう」
黒須野はそう言い、ガバっと安積の体を強く抱きしめる。
「愛してる。本当に死ぬほど愛してるから、あそこで一緒に、生きようね」
「――うん、もちろん。私も死ぬほど愛してる」
「よし! 晃!」
黒須野は吠え、五十沢に向き合い、その体を強く抱きとめる。
「愛してるわよほんと。死ぬほど、あんたの全部を愛してる。あそこで一緒に、生きるぞ晃」
「言わなくてもいつでも一緒ですよ十子ちゃん」
「ハッ! 言うようになったねーあんたも。よしよしよし、万事よし! 出来上がってきてんじゃんねー。たまんねえぞおい。ほんと死ぬほど、たまんなくて……」
黒須野はそう言い、上を見上げる。
「――見せるよ、永遠。いつかを、私たちのエアを。ここにいるお客さんだけじゃなくて、カメラの向こうも、その向こうにも。全部、全部。みんなそこにいるから、全部と一つに、永遠に」
黒須野はそう言い、己の心臓をドンと叩く。
「うん。みんな――みんな見てるからね、きっと」
安積もそう言い、自身の胸をトンと叩く。
「十子ちゃんも力入りすぎなんで私の方みて落ち着いてくださいね」
と五十沢。その胸を、トンと。
「ハッ、言ってくれんじゃん。大丈夫よ。あんたが導きゃ、全部がそれについていくから。それがセンター。あんたがセンター」
黒須野はそう言い、ニッと笑った。
「じゃあ行きますか! 発破隊長、号令隊長、責任もって掛け声かけさせてもらいますよ! 行くぞ、お米ウジ虫!」
「お米ウジ虫!」
「お米ウジ虫」
三人の拳が、宙で交わる。ステージ横に待機する三人。その向こうに、ステージの照明。
それはまるで、後光のように。それでいて、夜明けの朝日で、永遠の夕焼け。




