第四話 黒須野十子という人間
その日はエアの練習があった。とはいえ安積の場合仕事と仕事の僅かな合間に参加する、といったものでしかなかった。練習のためのまとまった時間はとれない――否、はなからとるつもりもない。優先度を考えればそうなる。
練習とは言えどとても全力では挑めない。激務で疲労は溜まりに溜まっていたし、次の仕事にも疲れを残せない。汗だってそんなにかけない。まとまった時間集中してできぬのだから向上も難しい。とはいえ、今のところその練習の「披露」先がないのだから、別にそれでもなんら問題はなかったのだが。
その日も安積の練習への参加――そう、安積の場合はもう「参加」としか言いようがない形でしか関わっていなかった――は一時間に満たないものだった。安積はなんであろうと決して手を抜かず、極限の集中力でその僅かな間でもパフォーマンスを体得していたが、とはいえそこにはもう「比重」が置かれていないことは見てわかるものとなっていた。やる。当然やるし身につけるが、いわばそれは表層だけ。あくまで「仕事」だからやり、身につけるだけ。これは大きな力には直結しないから。だから重要なのは、とにかく最低限求められている形を作り上げることだけ。たとえパフォーマンスとしてこれまでと比べ低次元でも「安積真」であれば押し通せる、と。
「安積さん、そろそろ時間」
と永盛が声をかける。
「はい」
「あ、真もう?」
と黒須野が言う。
「うん、仕事だから」
「わかった。準備しながらでいいからちょっと聞いてほしいんだけどさ、今度ちょっとミーティング? というかまあ話し合いする機会が欲しくて」
「ミーティング?」
「うん、まあ現在とこれからについてっていうか、エアの活動とかについて。ほら、ずっとそういうちゃんと話し合うまとまった時間とか取れてなかったし」
「……それってどれくらい?」
「え、っと、正直実際どうなるかはわからないけど、まあ多分10分から30分くらい?」
「長いね……それLINEとかメールじゃだめ?」
「うん、まあ、直接話し合ったほうがいいと思うから」
「そっか。でも別に私は話し合うことなんて何もないと思うけど。まだアルバムとかライブの予定だって決まってないんだし」
「それは、そうだけどむしろだからこそっていうか」
「……永盛さん、スケジュールってどうなってます?」
「そうね――正直、三〇分ってなると来週一時間だけ取れてるこのレッスンの時間当てるしかないかな、直近だと」
「だって。来週でもいい?」
「いいけど、え、それ以外全部仕事ってこと?」
とさすがの黒須野も驚愕する。
「うん」
「……あんた大丈夫なの?」
「大丈夫って何が?」
「そりゃ、体とか、健康とか疲労とか……」
「大丈夫だよ。大丈夫じゃなかったら倒れてるだろうから、倒れてないなら大丈夫だし」
「いやそれ、倒れるまでやるって、」
「倒れないよ。倒れるわけないじゃん。仕事は全部やらないと」
安積はそうふっと、どこか鼻で笑うように言った。
「……あんた学校とか行けてるの?」
「少しはね」
「……その状況でいいの?」
「いいからやってるんじゃん」
安積はそれだけ言うとまとめた荷物を担ぐ。
「じゃあもう行くから。遅れられないからさ。二人もがんばってね」
それだけ言い、永盛と共にさっさとレッスン室を後にする。
――「がんばって」って、それは一体どれに対して……
その本意は、誰にもわからなかった。
*
そして一週間後。黒須野と五十沢が練習しているところに、安積が姿を現した。
「おはよ」
「おはよ。一時間しかないからすぐ始めよっか」
と安積が返す。
「うん。じゃあすいませんその、私たち三人だけで話したいんで、申し訳ないですけど」
と黒須野は永盛と舞台田に言う。それに対し安積が、
「そんな大袈裟なこと?」
「大袈裟っていうか、これはちゃんと私たちだけで話しときたいから」
「そう……なんでもいいけど」
「――なんでもよくはない」
黒須野はそう、真っ直ぐに安積を見返して言う。安積は――そういえば、こんなふうに誰かに真っ直ぐに見つめ返されたのはいつ以来だろう、と思った。もはや誰も、安積のその強すぎる眼を見返すことなどできない。すべてを包み込み無に帰す、銀河の渦の中心のブラックホールたるその眼差し。一度でもそれを真っ直ぐに見てしまえば、自分という人間のちっぽけさを嫌というほど痛感してしまう。その瞬間、「序列」というものがはっきり決定づけられてしまう。人間としての格の違い。否応ない敗北。だからもう誰も、その眼を見返すことなどできない。
しかし当然、そんなことはこの黒須野十子という太陽を継承する者には関係がなかった。
大人たちは黙って静かに部屋を後にする。三人だけが、部屋に取り残される。
「――やけに好戦的だね十子ちゃん」
「そう? でも私が好戦的じゃなかったことなんて多分ないから」
「それもそっか……それで? 話って?」
「私たちの、エアの現状と、これから――というよりほとんどは、真、あんたについて」
「私?」
「そう。真、あんたはさ、今のままでいいと思ってんの?」
「……今のままって?」
「今の、この状況。色々あるけど、まずはあんたのさ、その無茶な仕事ぶり」
「別に無茶じゃないよ」
「よくいう。疲れてんのは自分が一番わかってるでしょ。誰の目から見ても明らかだし」
「それはよくないね。一応ちゃんと食べてるんだけど」
「そういうことじゃないでしょ。もちろんそれもあるけど、とにかく、まず私はそれを心配してる。単純に。このままじゃ絶対持たないし壊れる」
「……そっか、ありがと、心配してくれて」
「心配してても止められなきゃ意味がないけどね。それに、仕事にしたって、明らかに無理してるでしょ。無理ってのは体力的な話じゃなくて向き不向きっていうかさ、真に合わない、真なら絶対やろうとしないような、それこそやりたくない仕事までなんでもやって。そういうことしてると絶対体力以上に心が疲れるじゃん。魂が削れる。はたから見てても明らかにそうだし」
「そう……はたから見てもわかるってのは確かにまずいね。うまく隠さなきゃ」
「そういう問題じゃ」
「そういう問題だよ。仕事ってそういうものだから。自分のやりたくないとかは関係ない。求められてるからやる。仕事だからやる。ただそれだけ。自分がしたいことだけするなんてさ、そんな子供みたいなこと通用するわけないからね」
「……それがあんたじゃないじゃない」
「十子ちゃんは私の何を知ってるの?」
その言葉に、黒須野はグッと生唾を飲み込む。
「――知らない。知らないけど、知ってる。ちゃんと知ってるから、私がこれまで見てきたことは」
「でもそれは別に私の全部じゃないよね」
「そうかもね。私は私の見たあんたしか知らない。でも――私はその、私がこの目で見てきたものを信じてるから」
「……それはただの願望だよね?」
「そうよ。私の願望。独りよがり。でも願望なしじゃ人は、私は何もできないから。願望が私の原動力だから。私は私の願望を、絶対的に信じてるから」
黒須野は、決して怯まない。臆することなどあり得ない。どこまでも真っ直ぐに、そのブラックホールの深淵に対し、真っ直ぐに炎を叩きつける。
「そっか……でもそれも全部ただの京手さんの受け売りだよね」
「かもね。でもこれはただの受売りじゃないから。バトン。京手さんの前からずっと受け継がれてきた、私たちの魂のバトンだから。だからこそ私は信じてんの。この言葉が、こっちの世界が、より美しくて強くて熱くて、最高にたまんないもんだって。だって私一人のもんじゃないからね」
「――それで、仮に私が十子ちゃんの言う通り無理してたとしてさ、それが何か問題? 別に十子ちゃんには何一つ迷惑かけてないよね。むしろいいことしかないと思うけど。十子ちゃんにとってもエアにとっても。そのおかげでもらえた仕事もあるんだしさ」
「かもしれないけど、それは別にすべてじゃないからね。エアに本当に必要なものでもないし」
「じゃあ本当に必要なものって?」
「――私たち三人」
黒須野はそう、はっきり言い切る。
「私と、晃と、真。それも今のあんたじゃなくて、最初の、以前の、私たちと一緒にあのステージに立ってた、デビューのルフトに、アイドルコレクションに、なによりあの感謝祭の時に一緒にあそこに立っていたあんた」
安積は、黙ってその言葉を聞いている。
「エアには、私には、真が必要。だから私はあんたにちゃんと戻ってきて欲しい。エアにいて欲しい。毎日の練習にいて欲しい。一緒に練習して、高めあって、繋がって、だんだん一つになっていって――何よりも、一緒に笑っていたい」
「……エアはさ、というか芸能活動は、仲良しごっこの部活動じゃないよ。そんなんじゃいつまでたってもどこにも行けないし、何者にもなれない。力だって少しも手に入らないよ」
「力? 何言ってんのあんたは。そんなもん必要? 私たちにそんなもの一度だってあった?」
黒須野はそう言い、鼻で笑う。
「そりゃ大人たちには力はあったかもね。鴫山さんに、木ノ崎さん。もちろん社長も。その力のおかげで私たちはデビューできたし、ここまで来れた。それは間違いないと思う。でもそれは私たちの力じゃないよね? 別に私たちは力があったからあのステージに立てたわけじゃないでしょ。自分たちの力じゃない。そりゃもちろんあんたには力もあるでしょ。すんごい力が。それ以上に晃のほうがもっとやばい力だらけだけど、でもともかく、私たちは別にそれであそこに立ってきたわけじゃない。そういう力じゃないでしょ。
――愛じゃん。練習も、努力も、私たちがお互いに思いあって、支え合って、笑い合ってきたのも、全部愛じゃない。楽しいって気持ちが、そこがいいって、あそこに立ちたいって、ライブをして、お客さんもみんな、一つになりたいって、そういう思いが私たちをあそこに立たせてきたんじゃん。それはみんな一緒でしょ。大人も、スタッフも。そりゃ力はあるし使うけど、でも私たちをあそこに立たせるために後押ししてきたのは、力よりずっと愛だったでしょ。みんな、みんなさ。お客さんだってそう。力じゃない。ただそこで私たちを待っててくれたから、だから私たちはそこに行けたんでしょ? 何が力よ、笑わせんじゃないっての。思い上がりも甚だしい」
黒須野はそう言い、どこか挑発するように鼻で笑う。
「……ま、そうかもね、十子ちゃんは」
「そりゃね。私はとびきりそうだから。それこそあんたが言うような力なんてまるでないわけだし。けどそんなの程度問題でしょ。あんたも晃も、どれだけ力があろうと自分一人でそこに立ったわけじゃない。自分の力だけでそこに立てたわけじゃない。こんなガキ一人が使える力なんてたかが知れてるっての。みんなのおかげで、背中押してもらってようやくやっと進んでんじゃん。何勘違いしてるか知らないけどさ」
「十子ちゃんだいぶケンカっぽいですね」
といきなり言う五十沢に、
「うっさい! そりゃこんな口調にもなるわよこんなバカの前じゃ! てかなにあんた傍観者ぶってんのよ」
「別に傍観者じゃないですけど話すこともタイミングも特になかったんで」
「……まあいいけど。あんたがそこにいてくれてるだけで。ま、そういうことだけど、どう? なんか反論ある?」
「そうだね……まあ、十子ちゃんが言うことも一理あるかもね。確かに最初はそうだったから。
でも、今は違う。私は私の力で、あそこに立ってる。仕事をしてる。仕事を得てる。それは全部私が、私一人が私の力で手にしたもの。
逆にさ、十子ちゃんこそどの口でそんなこと言ってるのって話だと自分で思わない? 十子ちゃんはどれだけ仕事をしてるの? どれだけエアのためになるような仕事ができてるの? 自分一人で、エアのためにさ」
「……ま、それ言っちゃうかーって感じだけどさ、悪いけどこの前オーディション受かって仕事したし」
「それいつの話? 結構前だしその一つだけだよね」
「一つだろうと私にとっちゃ大きな一歩だからね。人には人の一歩があんの。それに私はちゃんと自分の理想があるから、自分の理想のために仕事をするし理想に続く仕事を選んでるだけ。もちろんだいぶ惨敗だけど、けど折れないからね。私はまだまだこれからだし、これからもまだまだずっと続いていくから」
「……別にいいけどさ、そういうのさすがに負け惜しみっていうんだよ」
「かもね。でも負けこそ私の地盤だから。数多の負けの上に私は立ってんの。あんたたちとは違う。だから私は、その負けの一つ一つだって自分の努力の成果で、慈しむもんだって知ってる。誰かの負けだって同じように努力の結晶だって、称えるべき勲章だって知ってる。そうやって負けて負けて負けてきたたくさんの自分が積み重なった上で、私たちはようやくここに立ってんの。そうやってようやく、あんたらの高さに届いてんの。あんたなら――ほんとのあんたなら、そういうことだってちゃんとわかってんでしょ?」
「……どうだろうね。わかったところでそんなのなんの役にも立たないからね。人は別に他人の努力を欲しがってるわけじゃないから。この世界ではそんなものには一銭の価値もないからね。今すぐに、この瞬間にお金になる力だけ」
「ならそんなもんくそくらえってつば吐きかけて自分の世界作るだけでしょ」
その言葉に、安積はふっと鼻で笑う。
「十子ちゃんはほんとに子供だね」
「そりゃ子供だからね。まだ一六だから。よゆーでクソガキよクソガキ」
黒須野はそう言い、ハッと高らかに笑った。
「私は子供だからさ、子供らしく夢と理想を語るわよ。現実なんてくそくらえってケンカ売るでしょ。夢も理想も反抗も、全部ガキの専売特許じゃん。だったら私はそれをフルで使うだけ。だってそれが一番楽しいからね。てかそこよそこ」
黒須野はそう言い、ズイと一歩踏み出し安積の胸に指を突きつける。
「あんたはさ、今楽しいの?」
「――何が?」
「あんたはさ、今のそれやってて楽しいかって聞いてんの。ほんとに楽しい? 一ミリでもなんか楽しいことあるわけ? ぴくりとも笑わないで能面みたいなのっぺりしたつまんなそーな作り笑いばっか浮かべてさ。悪いけどそういうの全部こっちにはわかんの。視聴者には、お客さんには、ファンには。私たちには。ぜってーこいつ今つまんねーってこっちもクソつまんなくなるっつってんの! 景気悪いツラしてさ。何が求められてるものだっての。んなあんた誰も望んでないでしょ」
「――仕事っていうのは、この世界っていうのはそういうものだよ」
「はいはいわかったうるさいってーの。全然自分の体重なんか乗ってないセリフどーもね。一ミリも自分の頭で考えてないどこで誰に吹き込まれたんだか知らないクソつまんないセリフをさ。ほんっとつまんない。一ミリもここに響いてこない。ミリも心臓動かないし熱くなんないんだけど」
黒須野はそう言い、己の心臓をどんどんと叩く。
「あんたさ、それアイドルとして致命的じゃん?」
「――ま、別にアイドルである必要もないからね」
「はいはいわかったわかった。どうせ言うと思ってたけどどうせすぎてほんとつまんない。少しはこっちの予想越えてくるセリフちょーだいよね? ほんと面白くない」
黒須野はそう言い、わざとらしく大袈裟なため息をつく。
「あんたがほんとにアイドルやめる――アイドルやめるってのはエアをやめるってことだけどさ、当然それはエアがなくなるってことだけど、とにかくほんとにそのつもりなら、それはもう止められないからね。というかそんな状態でやったって仕方ないし。そんなのエアじゃないし、誰も望んでないから。まー本気で考えて本気でそう思うなら、すりゃいいじゃん」
「いいんですか?」
と五十沢。
「……あんたタイミングってわかる?」
「十子ちゃんよりはよく知ってると思いますけど」
「じゃあ空気読むだ……いいわけないけど、いーの今は! ここではとりあえずそういうことにしとくの! オッケー!?」
「……オッケーにしときます」
「はいオッケー! とにかく! そりゃもうどうしようもないでしょ、ほんとにそうなったらさ。あんたがそうなんなら。それはもう私の敗北だし、エアの敗北だから。ま、負けるつもりなんかミリもないし、エアがあんたなんかに負けるわけないってのはわかってるけどね」
「……そっか」
「そうよそう。100%マジでそう。それと、今のあんたはどうせわかってないだろうから一応言っとくけどさ――ここで言うエアにはあんたも入ってんだからね」
黒須野はそう言い、ビシリと安積を指差す。
「あんた。今のあんたじゃなくて、そこにいるあんたじゃなくてさ、これまでの安積真。私たちと、エアとエアでずっと一緒にやってきた、これまでの真。どうよ。その最強の三人にあんたなんかが勝てると思う?」
その言葉に――さすがの安積もふっと笑った。
「……らくしょーだね」
「言ったな? じゃあこっちもそのつもりでやったるわよ。そもそも安積真一人でだってあんたなんかにゃ楽勝だっての。そこにうちら二人までついてんだからもうサイキョー。まあ正直これとなると晃は全然頼りにならないけど」
「というか十子ちゃんが全部一人でやっちゃってるからですよねそれ」
と五十沢。
「うっさい! グルーヴよグルーヴ! あんたも本気で自分で言いたいことあんなら上手いことこの波に乗って自分でやんなさい! なにツッコミ担当になってんのらしくない!」
「ほんとノリノリですね」
「ノルしかないでしょこんなビッグウェーブ! ってなに言わせんのよ!
とにかく! 今のあんたは絶対に間違ってる! てかぶっちゃけ間違ってるとかどうでもいいし!
私は! この私が今のあんたが嫌だって嫌いだってただそんだけ! 私は前の真が死ぬほど好きで死ぬほど愛してんのよ!」
黒須野はそう言い、安積の胸にどんと拳を突きつけた。
「だから真を、返してもらうわよ」
「――ほんと、京手さんじみてきたね十子ちゃん」
「たりまえでしょ。私を誰だと思ってんのよ。私がそうだと願うから私は私やってんのよ」
「……そういう独りよがりで独り相撲で空回りなとこもすごくね」
「あ、言ったなテメー。うちら全員を敵に回したぞ今。買ってやるわよそのケンカ」
黒須野はそう言い、ハッと笑った。
「それと、この際だからはっきり言っとくけどさ――木ノ崎さんは絶対に戻ってこないから。あの人に戻る気はないし、私にもあの人に戻ってきてもらうつもりはない。もちろん晃もね。むしろ戻ってくんならどの面下げて帰ってきてんだって蹴っ飛ばして追い返してやるから」
黒須野はそう言い、どこか自身を落ち着かせるように鋭く一つ息を吐く。
「私も、そりゃ最初は戻ってきて欲しいとも思ってた。必要だってね。でもそれはやっぱり正しくないし、なにより木ノ崎さんにそのつもりがないから。なら当然私はそれを尊重する。尊重するし、木ノ崎さんがなんの後腐れもなく自分の新しい人生を歩めるように、私たちは私たちで歩いて行かなきゃいけないとも思う。
けど、それとは別に――木ノ崎さんを、エアのライブに来させるつもり」
「……ライブに?」
「そ。もちろん招待なんかしない。チケットなんか送らない。声もかけない。ただ、木ノ崎さんが自分の意志で、自分の足で来るようにさせる。一人の客として、ファンとして、こらえきれなくて足運んじゃったって、そうさせる。どうよって、こっちは死ぬほど楽しいぞって、熱くて熱くてたまんないぞって――
世界のすべてがここにあるぞって。だからテメーもこっち来いよってただそうやって、そういうライブをやり続けて、そうやってあの人の欲望に火をつけて、こっちに向かって走ってこさせる。だってそれがエアで、アイドルで、ライブだから」
黒須野はそう言い――満面の、満面の狂喜の笑みを湛え、己の心臓をどんと叩いた。
「知ってる? 愛は捕まえたりしないのよ。愛は動かしたりはしない。干渉したりはしない。
愛はただ待つだけ。両手広げてウェルカムって、全部オーライばっちこいって、ただ両手広げて待ってすべてを受け入れるだけ。こっちが最高だって、こっちが一番楽しいぞって、たまんねえぞって、だからお前もこっち来いよって、ただそうやって待つだけなの」
黒須野はそう言い、ニッと笑った。
「それがあんたと私たちの違い。あんたと――本当の安積真との違い。
愛の系譜よ。京手縁の系譜の世界と、一生なにも得られない孤独で寂しい力の世界との違い。どう? 最高にたまんないでしょ」
「……ほんと、狂ってるね」
「でしょ? 狂おしくてたまんなく恋い焦がれるでしょ。
だから真もさっさとこっち戻ってらっしゃい。私はいつでも両手広げてウェルカムだから。ばっちこいよばっちこい。こちとらすべてを包むエアで――なにより私は黒須野十子よ? 死ぬほど色んな人の愛でここに立ってる、一人じゃないから最強の人間」
「そっか……十子ちゃんは、ほんとに強いね」
「たりまえじゃん。言っとっけどあんただってそうなんだからね。一人じゃない。ほんとの真は一人じゃなくて、みんなと一緒だから天下無敵の最強なのよ。だから今のあんたは、すごく弱い」
「――わかった。じゃあほんとに弱いか――力じゃ何も手に入らないか、試してみるよ」
「まーやってみないとわかんないもんね。あんた結構バカだからさ」
その言葉に、安積はふっと鼻で笑う。
「多分十子ちゃんよりは少しだけ頭いいと思うけどね」
「だとしても勉強しまくって追い越すのが私だから」
「……わかった。じゃあ、悪いけど時間だから、もう行くね」
「うん。こっちは散々好き勝手言ってスッキリしたからオッケー」
その言葉に、安積はやはり少し微笑み、背中を向けて歩き出した。
「――真」
「……なに?」
「私はいつでもあんたを待ってるから。両手広げてウェルカムで。ばっちこいよばっちこい。全部両手で受け止めてあげるから。私はあんたの戦友で、親友だからね。
だからそれだけ忘れないで――またね」
「……うん、また」
安積はそう言い、ドアを開け、部屋を後にした。
残された黒須野は――ふーっと大きく息をつき、どっさりとその場に腰を下ろした。
「大丈夫ですか十子ちゃん?」
「うん、いやちょっと酸欠。ライブかってくらい吠えたから……」
「そうですね。ほんと子供でしたね十子ちゃん」
「うるさい! あいつが下手に大人ぶってんだから子供楽しいぞ~子供サイコーって見せてやるしかないでしょうが!」
「……ほんと子供ですね」
「だからこちとりゃクソガキだっつーの! あんたも同じガキでしょうが! にしてもあのやろー……」
黒須野はそう言い、わなわなと震えだす。
「マジでナメやがって……てめーがその持って生まれた顔でちょろっと簡単に仕事もらえるからって調子こいてんじゃねーっての! 人が気にしてることズケズケと! こっちだって死ぬほど仕事ほしいわこんにゃろー! クソ、待ってなさいよあんにゃろー! こっちだってバシバシ仕事とって見返してやんだから! 吠え面かかせて謝らせてやんだから今に見てろよ!」
とスマートフォンを取り出すと、すぐさまどこかに電話をかける。
「――あ、鷺林さんですか!? お忙しいところすみません! 検討してたオーディション、あれ全部ぶち込んじゃってください! はい、全部受けます! 全部です全部!
――え? んなの仕事がほしいからに決まってるじゃないですか! とにかくお願いします! あとほんと申し訳ないですけどオーディションも仕事も今まで以上にじゃんじゃんとってきてください! もう遠慮せずじゃんじゃん全部! 全部やったりますから! ではほんとよろしくお願いします! ほんと頼みますね! では!」
と叩きつけるように言い、電話を切るのであった。
「ふー、っと……今できることはやったぞこんちくしょー……見てろよ真のやつ……」
そう言い狂気の笑みを浮かべる黒須野。それをみて五十沢は、
「やっぱ子供ですね十子ちゃん……」
とひとりごちるのであった。




