第十二話 すべてが決まった日
その夜。木ノ崎のもとに永盛から電話が来た。
「もしもし」
『もしもし、お疲れさまです。永盛です』
「お疲れさまです。こっちは全然疲れてないけどね。悪いねなんか」
『いえ……こちらも色々とすることがあったので連絡できずすみませんでした』
「仕方ないよ忙しいんだろうし。むしろしなくていいしね。まあ、ほんと色々ごめんね」
『いえ、仕事ですから……電話したのは、実は安積さんのお母様から可能であれば木ノ崎さんと電話でお話したい、と頼まれたからでして』
「あー、そっか……確かに散々逃げまわってきてこんな結果じゃあ最後に謝罪くらいはしないとだもんね……こっちはいつでも大丈夫よ。あちらの都合に任せるから手間かけるけど番号教えてさしあげて」
『わかりました……あの、一つだけいいでしょうか』
「一つじゃなくていくらでもどうぞ」
『はい……あの会見で、最後に話していた、五年前に会ったという小学生の少女。あれは安積さんのことですよね?』
「……本人はなんて?」
『……違う、と言ってました』
「そっか。本人がそう言うんなら違うんでしょ」
『けど、安積さんは、あの木ノ崎さんの話を聞いて、飛び出して行きました。これまで見たことないような顔をして……』
「……だとしても、申し訳ないけど俺には答えられないね」
『そうですか……あの後、会見の後、安積さんとは会いましたか? 私は途中で見失ってしまって。安積さんは会えなかったと言ってましたけど』
「……会ったよ、一応」
『……安積さんは、なんて言ってました?』
「……何も。ただ俺が借りてたお守り返してさ、さよならしてそれだけ。ま、二度と会うこともないだろうしね」
『わかりました……では、安積さんのお母様に木ノ崎さんの電話番号はお伝えしておきます。色々ありますが、短い間でしたが、教わることも多々ありました。何より、エアのマネージャーに推薦していただいたことは本当に感謝しています。一番は、安積さんをEYESにスカウトしてくれたことですけど』
「どういたしまして。こっちも一年くらいの短い間だったけどさ、楽しかったよ。ほんとありがとね。それとこんな人間に色々付きあわせてさ、ほんと申し訳なかったよ」
『いえ、そこも仕事ですから……とにかく、私は私と、事務所と、何より彼女たちのため、エアのマネージャーを、命をかけてやっていきます。木ノ崎さんに任されなくても、託されなくても、彼女たちのために、この身を捧げます。そこは鷺林さんも同じなはずです。ですので安心――もしないでください。あくまで全部私たちのためであり、木ノ崎さんのためではないので、木ノ崎さんは部外者として、気楽にそれを、遠目に見ていてください』
「……了解。ほんとありがとね、最後の最後まで、何から何までさ」
『いえ、自分のためですから……では、と最後に一つだけ。木ノ崎さんの名前、幾世橋世之介って本名、世之介ってなんか気が抜けますね』
「ほんとねー。スカウトとしちゃちょっとアウトだよね」
『ですね。それなら樹一郎の方がマシです。以上です。では、お元気で』
「永盛さんも、元気でね。体に気をつけて。幸福を祈ってるよ」
木ノ崎はそれだけ言い、通話を切る。そうしてまた息をつき、ベッドの上に倒れこんだ。
*
安積の母親から電話が来たのは、それから数時間後のことであった。永盛からあらかじめ相手方の番号を教えられていたので、記者などではないことはひと目でわかった。
「もしもし」
『もしもし。わたくし安積と申します』
「はい、こちら木ノ崎です。この度は大変申し訳ありませんでした」
『あ、いえ……永盛さんから、多少話は伺っておりますでしょうが、私的な頼みではありましたが、木ノ崎さんとはお話ししておかなければならないと思いまして……』
「いえ。こちらこそスカウトから一年以上経っているのに挨拶の一つもせずに申し訳ありませんでした」
『いえ、それももう、おそらく真が頼んだことでもあるでしょうし……』
「私が個人的に逃げていただけですよ。真さんの頼みだとかそういうわけではないので」
『そうですか……色々とありますけど、まずこの一年間、娘が大変お世話になりました。ありがとうございます』
「いえ、私はただのスカウトですから、礼を言われるようなことは何もしておりませんので」
『そうでしたね……不躾ですが、お話ししたいということなのですが――まず、大変ご無沙汰しております、で間違いなかったでしょうか』
「……はい。間違いありません。ざっと五年ぶりくらいですね。こちらこそ、大変ご無沙汰しておりました」
『はい……まあ挨拶としては正しくはないのでしょうけど、やはりあの時の、五年前のあの方で間違いなかったわけですね……』
「ええ。あの際は大変ご心配とご迷惑おかけして申し訳ありませんでした」
『いえ、こちらも娘を助けていただいたわけですので、その節は本当にありがとうございました』
「いえ、そこはお互い様でしたので。――私のことは、テレビで見て思い出されましたか?」
『……それ以前から、もしかしてというのはありました。木ノ崎さんのお顔を確認する機会はなかったのですが、名前に聞き覚えがありましたので。ただ名刺は、五年前にいただいていたものは紛失してしまったといいますか、おそらく真が持っているのでしょうけど』
「なるほど。それでもしかしてと」
『はい。それもありますけど、今までそういうものを一切断ってきた真が急に芸能事務所に、ですから。EYESという事務所もかすかに記憶に残っておりましたし。それでまあ、その可能性については、ある程度考えておりました』
「そうでしたか……」
『はい。木ノ崎さんは先程逃げていたとおっしゃっていましたが、それは私が、というより真があの時の小学生だとわかっていたから、ということでしょうか?』
「……正直に話しますと、確信はありませんでした。名前はまったく覚えていませんでしたし、そもそもちゃんと伺ったかどうかも記憶にないので。彼女自身、小学六年生だったのが高校生になっていたわけですから。
ただ、私はスカウトであり、自分の見る目というものには絶対の自信があるわけですけど、その目で一目見て、あの子だ、というのはわかりました。というより、五年前、小学生の彼女を見た時に見えた将来の姿というものが、そのままそこにあったわけですから。そんな偶然があるのかと自分でも思いましたが、でも他の可能性なんかあるわけない、というのが確信でしたね……」
『……それは、真も知っていたことですか?』
「いえ、知らなかった、というよりお互い確認したことはありません。私があなたを避けていたのもそのせいです。確かめたくなかったんですよね。真さんが、あの時の彼女であると」
『それは何故でしょうか』
「……スカウトしてしまったから、ですね。まあ、罪の意識ですよ。罪悪感。確かめなければ自分の罪も確定しないので」
『……それは真を、というよりあの時の小学生だったあの子を、スカウトしたくなかった、ということでしょうか』
「ええ、そういうことになりますけど、でもどっちもなんですよね。後悔というか、スカウトしてはいけないという思いと、スカウトしたいという思いが、どっちも恐ろしく強くて。芸能界に入れば、間違いなく成功して国民の誰もが知る存在になれるのは絶対だけど、でも芸能界のような場所へは来るべきでない、という思いといいますか、まあ独りよがりで傲慢な願望ですけど」
『……わかりました。一応、確認しておきますけど、スカウトするまでの五年間、真とは一度も会わなかったということですよね?』
「ええ、会ってませんね。見かけただけでもおそらくわかったでしょうから」
『スカウトした――文化祭でのことと聞いてますけど、それは完全に偶然だったということでしょうか』
「そうですけど、極一部だけは偶然ではないですね。よその事務所のスカウトマンから世田谷にすごい子がいるという噂を聞いておりまして。ただ本当に世田谷区としか聞いていなかったので、もし会えたらラッキー程度でした。どこの学校かも、世田谷のどのへんかも知らなかったので。それで本当にたまたま、文化祭に行ったら真さんがバンドの演奏をしていた、ということです」
『……その時に、一目見て真があの時の小学生だと、気づいたと』
「はい。自分の目を信じる限り、それ以外はないと確信しました。それで、悩みはしましたが――結局欲には勝てず、彼女をスカウトしました」
『……わかりました。その時に、あの木ノ崎樹一郎と書かれた名刺を渡されたわけですね』
「そうです」
『じゃああの子はその時から……』
安積の母はそう言い、電話越しで小さく息をついた。
『――わかりました。ありがとうございます。木ノ崎さんの会見も、すべて見させていただきました。あの、最後の言葉も。私としては、あそこに嘘偽りはないと、本心だと、感じました』
「そうですか……」
『はい。それと、私から見る限りですが、真もまた、あの時に変わった――いえ、あの時から決まった、のだと思います。自分が何であるか、自分がどう生きるか。迷いというものが一切なくなって、ある種危うさすら帯びるようになって……』
「……それは本当に、申し訳ありませんでした」
『いえ。別にそれがすべてというわけでもありませんから。元々そうだったのが確定したというだけの話ですので。遅かれ早かれそうなっていた可能性はありますし。それに、そうでなければあの子はあの子でないと、今は思いますので』
「……こんなことを、私のような者が電話口で申し上げるのもなんなのですが、真さんのそういった気質のようなものは、これから今まで以上に強まるかもしれません」
『そう思いますか?』
「……正直に言いますと、思うというより、事実です。絶対です。それはもうすでに始まっていて、多分よほどのことがない限り、止まらないと思います」
『そうですか……わかりました。私はあの子の母親ですから、ちゃんとずっと見て、話します』
「はい……私は、皆がいればきっと大丈夫だと信じております」
『そうですね……今はみんなが、仲間がいますもんね。友達に、事務所の人に、何よりグループのメンバーが……晃ちゃんと、十子ちゃんが』
「はい。だから私は、彼女たちを信じています」
『……わかりました。色々とありがとうございました。こんな形でしたが、またお話しできてよかったです。少なくとも真のことは、私ができることは私がやりますので。木ノ崎さんはどうぞ、ご自分の人生を存分におやりになってください。何をするにせよ、どういう道を進むにせよ。その先で、人々が救われることを祈っております』
「……はい。ありがとうございます。安積さんも、どうぞお元気で」
木ノ崎はそう言って一礼し、通話を切った。また、音のない狭い密室に戻る。ベッドに倒れ、もうどれだけ見たか知れないのっぺりとした天井を見つめる。
何をするにせよ、どういう道に進むにせよ、人々が救われるよう……
明日、ここを出た自分は、どこへ行くのか。
自分は一体、どこへ行きたいのだろうか。




