第五話 懺悔
「いきなりこんなこと言われてもすぐに言葉なんか出てこないよね。まあ時間はあるからさ、考えて整理してもいいし、嫌だったら今すぐ出てってもいいしさ」
「――あの」
と黒須野が、その重い口を開いた。
「純粋に、ただ疑問というか、聞きたいんですけど……木ノ崎さんは、なんでそんなことをしてたんですか……?」
「……かいつまんで言うけどさ、別に同情を引くためとかじゃなくて客観的な事実としてね。まず僕はそういう場所というか、繁華街で生まれてね。いわゆる夜の街。歌舞伎町みたいなとこ想像してよ。君らもまだ詳しくは知らないだろうけどさ、いわゆる飲み屋街、水商売って言われるような店ばっかのとこでね。生まれたというか、正確には物心ついた時にはそこにいてね。まあ父親は最初からいなかったし、母親も半分、八割くらいはいないようなもんでさ。そんなんだから中卒でね。高校とか行く金もなかったし、行こうとも思わなかったし。そういう人間が飯食ってくには見知った生まれた環境の中で働いてくしかなくってね。
まあ、中学を出てからそういうところで働いたりしててね……それとは別にさ、僕は昔から人を見るのが好きでね。そういう場所には色んな人がいたからさ。色んな人を見て、知って、そのうちこの人はどういう人なんだろうとか考えるようになってね……母親の代わりに僕の面倒見てくれた人が占いやってたってのもあってね、その人から占いの基本としての人相学というか、まあ人を見る目みたいなものも教わってね。どういう人間か、職業は何か、悩みや欲望は何かとか、そういうね。僕のスカウトの基礎の一つだよ。
そうやって人を見てさ、どういう人間か考えて、当てるのが好きでね……楽しくて。そんなことしてたらさ、働いてるお店とかその知り合いとかからお前も知り合いとか従業員として店に連れて来いみたいに言われてさ。ああいうお店って人の回転も早いからね。入れ替わりが。年齢とか、色んな問題とかで。だから慢性的な人手不足みたいなもんでね。優秀な人間がそのまま売上に直結するようなシステムだったし。それでまあ、そういうスナックとかキャバクラとか、そういうとこに向いてる人を探してさ、働いてみないかって誘って……まあそれがスカウトの始まりだよ。自分の見る目を頼りにね。
そしたらさ、まあこれが当たってね。自分がスカウトした人が店で売上ナンバーワンなんかになったりしてさ、そうするとやっぱり嬉しくてね。自分の目は正しかったって、まあテストで百点とった子供の気分だよ。それでまあ、仕事もしつつちょいちょいそうしたスカウトまがいのこともやっててね……そのうちさ、お店の人の間とかで僕の見る目が評判になって、その繋がりで性風俗店とかの人からもうちにもスカウトした娘紹介してくれとか言われてさ。今までとはまた少し違った対象を探すことになったわけだから、それもまあ、新しくて面白くてね……自分でもまた研究して、スカウトして、その人がまた店で一番とかになったりして、また自分の目が当たったって満足して、っての繰り返しで。小遣い稼ぎにもなったしね。そこでまたその見る目が評判になって、今度はAV業界からうちのためにもスカウトやってくれとか言われて……ってとこよ。長くてごめんね。全然かいつまんでなかったね」
「いえ、全然……その、その後にEYESに来たのは……」
「ああ。まあそこからまた鴫山さんの耳にも噂みたいなのが入ってね。先にちゃんと言っとくけどさ、鴫山さんはほんと、あの人は僕なんかと違って全然いい人でさ。あの人は個人でAV業界にも知り合いがいてね、そこから僕の話聞いたわけだけど、鴫山さんがそういう業界とも繋がりあった理由はね、救うためなのよ。こう、キャッチする。セーフティーネットみたいな感じでさ。
こんな話はしたくないけど、君らもある程度は知ってるだろうけどさ、一応正規の芸能事務所でも、売れないタレントとかがそこからAV業界に流される、落とされるみたいなのはあってね……もちろんそれは悪質な場合もあるし、本人の意志や納得の場合もあるけど、とにかく鴫山さんはさ、なるべくそういうのをなくしていこう、落とさず拾っていこうみたいな信念を持っててさ。いい年こいてまんまサリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライみたいなことしようとしてるんだよね。
それでタレントからそういう業界に流れそうな人の噂とか聞くと、なんとか別の手立てを考えてさ。もちろんEYESで拾うなり、それが無理なら他の事務所に相談して受け入れてもらう、移籍してもらうなりしようとして。だからあの人は全然、不純どころか言ってみれば道徳心みたいな目的意識でそういう業界とも関わってたわけよ。だから絶対、勘違いしてあの人のことは軽蔑したりはしないでね。ほんとそこだけは絶対さ」
「……はい、それは、わかりました……」
「うん。で、まあちょっと話は逸れたけどさ、そういうルートから鴫山さんに会ってね、うちでちゃんとした芸能スカウトやらないかって誘われて……まあ色々あってさ、それに乗ってEYESに来たってわけ」
「……わかりました。ありがとうございます。――いえ、まだその、一つだけ、」
「どうぞ。一つじゃなくていくつでもね」
「はい……その、理由というか、事情はわかりましたけど……そういう仕事をしてた時、木ノ崎さんは、何を思ってたんですか?」
「……何も」
木ノ崎はそう答え、自嘲気味に鼻で笑ってうなだれた。
「何もって」
「本当に何も思ってなかったんだよ、当時は。いや、面白いとかはあったけどさ、自分がスカウトした相手の気持ちとか、その後とか、そういうものはほんとに何も、考えてなかったんだ。相手のことを気にすることなんてまったくなくてさ。自分のことだけで。自分のさ、面白いって充足感が得られればそれだけでよくて。人を人だと思ってなくてね。本当にスカウトしたらはい終わり。後々評判だけ聞いて満足するだけでね。
だからまあ、どうしようもなくガキだったんだよ。ガキで、幼稚で、クズで、自分のことだけでさ……そういうこと、相手のことをさ、考えるようになったのなんて本当に最近、ってわけでもないけど、EYESに入ってさ、そこでスカウトやって……そうするとさ、スカウトした子たちのその後がわかって、しかもスカウトするのなんて大抵中高生だからさ、まだ子供で、驚くくらい成長していくしね……子供が相手だとさすがに少しくらいは何かしら考えるようになって……
そうすると、自分がそれまでしてきたこともわかってくるようになってきてね。無責任で、時には人生を狂わしていただろう罪の数々もさ……でもまあ僕もまだまだガキだったから見て見ぬふりしてたけど――ある時僕がスカウトした人が亡くなってね。AV業界にスカウトした相手だったんだけど、自ら命を絶ってね……彼女自身じゃないから、真相なんてものはわからないけどさ、いわゆる身バレして、面白半分にネットとかに晒されて、広められて、脅されて……聞いた話では家族からも縁を切られたとかでね……
僕が彼女に会ったのなんてスカウトした時の最初の一回だけでさ、それから会うことなんて一回もなかったわけだけど――でも僕がスカウトしてなかったら死んでなかったかもしれないわけじゃない? もちろん僕がスカウトしてなかったとしても同じような道を辿ってた可能性もあるわけだけどさ、でもそういうことじゃないんだよ。もしもはないし、その責任は、世界で唯一僕にしかないわけだからね……
ほんと、その時に辞めてればよかったんだよね。責任とか言ってるならさ、自分のせいだって、スカウトなんか辞めて。そうしてれば今もこんなことになってなかったわけだしさ……でもまあ、弱いし卑怯な人間だからね。結局続けて、このザマよ。まあ因果応報、天罰だね」
木ノ崎がそう、話し終える。室内には再び、重い沈黙が広がっていた。
「――でも、木ノ崎さんは、そのことをきっかけに、変わったわけですよね……?」
と黒須野が口を開く。
「どうかな……実際変われてるのかなんて自分にはわからないからね。変わりたいとは思ったし、思い続けてるし、責任とか、そういうのもちゃんと、やろうと、やればいいって……そういう自己満足だろうねきっと。逃げだよ。罪悪感からさ、罪を消そうと、なかったことにしようとさ。砂かぶせて隠して。おねしょ隠す子供と一緒だよね」
木ノ崎はそう言い、自嘲気味に鼻で笑って視線を落とした。その木ノ崎の目を、黒須野は顔を上げてまっすぐに捉えた。
「それは、そういうのも、あるのかもしれませんけど……私は、私なんかわからないことばっかですけど、でも、私は、少なくとも木ノ崎さんと出会ってからこの一年で、私は、木ノ崎さんはちゃんと変われてると、思います。だって、木ノ崎さんは自分で変わりたいって思ってたわけですよね? ずっと、過去の自分は間違ってて、変わりたいって、少しでも変わって、少しでもいい人間になりたいって、そう思い続けてきたわけですよね? そう思える時点で、本当に少しだけだろうとしても、変われたんだって、私は、思います」
そう、言い切る黒須野の視線は、決して木ノ崎から逸らされることはなかった。
「――ありがとうね。君は本当に、素晴らしい人だよ。黒須野さんが言うことはさ、多分正しいのかもしれない。でもね、それでもやっぱり罪が消えるわけじゃないからね。やったことがさ、なかったことになるわけじゃないから。それは別なんだよ。たとえ僕が変わったとしても、被害を受けた人の傷は残っている。僕が本当にすべきだったことはさ、自分の罪を、その加害をちゃんと認めてね、向き合って、しかるべき罰を受けることでさ……まあ、そんなこと言っといてちゃんとした被害者なんて一人しか知らないんだけどね。知ろうとすらせず逃げ回ってきたんだから」
「……私は、まだまだ無知で無学で、想像力も足りないから、それが正しいのかはわからないですけど……木ノ崎さんがそれをすべきだと思うなら、それをするのがいいと思います。ただ、もちろん相手も、その家族とかも、それを望んでいるとは限らないとも思います。本当に、わかりませんけど……」
「いや、黒須野さんが言うことはものすごく正しいよ。結局それも僕一人の自己満足にしかならなくて、かえって相手の傷をほじくり返して傷つける場合もあるからね。だからまあ、全部相手に委ねるしかないとも思うけど、それもそれで卑怯で無責任だしさ……ほんとわかんないよね。わかんないんだよね、ほんと……」
木ノ崎はそう言い、乾いた笑いを発する。
「……それは、多分誰でもそうだから、だからそこに、その場に行かないといけないんだと思います……ちゃんと知って、声を聞いて……どうやってそれをするのかもわからないですけど……」
「――うん、その通りだね。ありがとねほんと。本当にさ、こんな、こっちばっか助けられちゃってね……でもまあ、やるよ。そんな泣き言ばっか言ってないでさ、やるよ。だからほんと、ありがとうね、黒須野さん」
「……なら、良かったです。私は、もらったものを返したかった、だけなので」
黒須野はそう言い、目をぎゅっと硬くつぶると深く息をつき、天を仰ぐのであった。
「悪かったね、ほんと……二人もさ、なんかあったら遠慮なくいいよ。五十沢さんはどう?」
「こういうことは最初に言われてましたから問題ないです。内容も特には。私から言えるのは後のことは任せてもらって大丈夫ですってことだけですね」
「はっ。ほんと頼もしいねー。うん、君ならそうだね……君みたいな人に会えてよかったよ、ほんと」
「私もここに連れて来てもらったことには感謝してます。ありがとうございました」
五十沢はそう言い、珍しく自発的に頭を下げた。
「うん、こっちこそありがとね。謝るはずなのに感謝してばっかだねぇ……安積さんはさ、何かあるかな」
木ノ崎はそう言い、安積の方を見る。それに対し安積は、顔を上げると真っ直ぐに木ノ崎の目を見て、薄っすらと微笑んだ。
「――私も、何も。変わらないからさ。何があっても、何を言われても……最初に言ったことと、変わらないから」
「そっか……何をすれば変えてもらえるかな」
「……ごめん。木ノ崎さんが何をしても、これは変わらない。これは木ノ崎さんがどうするかじゃなくてさ、私が何をするかっていう、そういう話だから」
「……わかったよ。じゃあ僕はもう祈るしかないね」
何かが君を、元に戻してくれることを。
やっぱりあの時、スカウトすべきではなかった。後戻りすべきではなかった。
あのビー玉を、瓶の外に出すべきではなかったんだ。
けれども自分はそれをした。欲に負けて、自分のために。やはりここでも自分のせい。そのくせ自分は、その責任を取ることもできない。どうにかすることもできない。
「ほんと、済まなかったね」
済まない。では済まされない。決して変えることのできない過去。人間を、永遠に変えてしまうかもしれないもの。
けれども、そんなことはないはずだ。変われるし、戻れる。そう信じろ。たとえ自分にできなくとも、それを信じろ。自分には不可能であるならば、頼るんだ。託すんだ。
「さて、じゃあ僕は少しでも炎を自分の身だけに集められるようがんばるよ」
木ノ崎はそう言い、立ち上がる。
「だからさ――エアのことは、君たち五人に、託すよ。頼んだよ、エアのことを」
何より、安積さんのことを。
木ノ崎は、ただニッと笑い、一人会議室を後にした。




