第九話 結婚以上恋愛未満
「馬走さん、一緒にアメリカに行きませんか?」
とすみれが切り出したのは、セリーナの結婚式の日取りが決まった頃であった。
「はい?」
「今度アメリカでセリーナの結婚式があるんですよ。それに招待されてるので」
「ああ、なるほど。僕のようなボディガードはいたほうがいいですもんね。すみれさんは英語はバリバリですよね」
「ですね。でも観光といいますか、遠征や合宿以外でアメリカに行くのは初めてですね」
「なるほど。そういう際は代表団のスタッフもいたでしょうし勝手も違いますもんね。宿とかも自分で手配しないとですし。そういうことなら任せてくださいよ。アメリカはもう第二の故郷みたいなものですから」
と言って馬走は笑う。
「でも僕でいいんですかね。バイルズさんには会ったこともないですし体操関係者でもないのに」
「いいんじゃないですかね。ご自身でもおっしゃってましたけど、屈強ですし。それに馬走さんもセリーナや彼女の結婚相手にも会いたいですよね?」
「そりゃもう! あのバイルズさんにバリバリ現役メジャーリーガーなんて会えるなら会う以外の選択肢ないですよ! 他にもスポーツ選手沢山来てそうですしね。いやーそう考えると俄然楽しみですね! ちなみにどれくらいの期間とかご予定はあります?」
「まだわからないですけど、色々と見て回れればとは思いますね。私も今は無職ですし、時間は山程ありますから」
「なら全然お付き合いしますよ! MLBのオフシーズン中ってことですもんね。ま、今回もNFLではできませんでしたけど、昨シーズン同様ヨーロッパではやる予定なのでその前でしたら大丈夫ですよ。NFLに急に呼びだされたら別ですけどね!」
威勢のいいその言葉に、すみれも思わず少し噴き出して笑う。
「ええ。じゃあそうなることを祈っています」
*
結果として、このシーズンもNFLでプレーすることはなかった馬走は、セリーナの結婚式とすみれのアメリカ横断行脚にガイド兼ボディガードとして付き合うこととなった。MLBのオフシーズンに合わせた一月という時期であり、アメリカでも北の方では非常に寒い時期である。それと同時に、結婚の発表から比較的すぐの式であった。
「いやー、NFLのプレーオフのこの時期にまさかこんな形でアメリカ来ることになるとは思ってませんでしたよ」
と馬走が笑う。
「そうですね……残念でしたね、NFL」
「ええ。まあでも、キャンプに呼んでチャンスを与えてくれただけ感謝ですよ。なんせもうこの歳ですからね。たとえ僕のほうが実力が上でも若い方にチャンスをやろうって考えるのが普通ですから。こちらとしても老兵は退いて若者に譲る歳ですし。ま、僕としてはそんな気さらさらありませんけどね!」
そう言って白い歯を見せ笑う馬走。
「ですよね。でもまだ28くらいでももうロートル扱いなんですね、NFLっていうのは」
「そうでもないですよ。むしろ一番脂が乗ってる頃で。ただまあ、やはりNFLの経験のないアジア人で、しかもワイドレシーバーという激しいポジションとなると難しい年齢ではありますね。ま、それも実力さえあればなんでもないんですけど。ほんとポジションは大きいですよ。クォーターバックなんて40歳でも普通に現役できますからね。動かないし衝突も比較的少ないんで脳震盪も少ないですから。怪我の心配は少ないんであとは肩が落ちなければって話ですよ。ベテランになるほど戦略面でも味が出てきますし」
「そうですか。確かに馬走さんのワイドレシーバーってポジションは、30はともかく40じゃさすがに大変っていうのはわかりますね」
「ですね。やっぱり脳震盪が一番でかいですよ。ぶつかったり倒れたりが多いほど脳震盪はありますし、後遺症も多いですから。アメフト選手はほんと平均寿命短いですからねー脳震盪のせいで。ワイドレシーバーなんかはアキレス腱や靭帯とかもいきますし。僕も若い気でいるけどそろそろ来るかもですねー。ま、少なくとも四十までは現役やるつもりですけどね!」
「馬走さんなら問題なさそうですね。でも脳震盪は気をつけてくださいね。まだまだ長生きしないと」
「ははは! 大丈夫ですよ、首鍛えてますから!」
と馬走は笑って太い首をパシパシと叩く。
「それ言うと体操なんかもあれだけ回れば脳がシェイクされてそうですよね」
「かもしれませんけど、私はほら、脳がぎっしり詰まってるんで隙間ないから大丈夫です」
「ははは! なるほどなー。それなら安心ですね。僕も隙間に緩衝材とか詰まってればいいんですけどね。さて、それじゃあ行きますか!」
馬走はそう言い、すみれと二人セリーナの結婚式場へと向かうのであった。
*
「よおすみれ! 来たか」
と式場でドレスアップしたセリーナが笑顔で出迎えた。
「うん。久しぶり。いい衣装だね」
「はは、衣装か。ここまでなんも問題なかった?」
「おかげさまでね」
「そりゃよかった。こっちうちの配偶者だよ。アンドリュー。なんだかんだちゃんと会うのは初めて? 見たことはあるよね」
「うん。初めまして、五十沢すみれです」
とすみれはセリーナの配偶者、現役メジャーリーガーの大男・アンドリューと握手しハグをする。
「セリーナ、こちらは米代馬走さん」
「初めまして! 米代馬走と申します」
と馬走は白い歯を見せ、にこやかにその大きな手を差し出す。
「こちらこそ初めまして」
「今回はガイド兼ボディガードとしてご一緒させていただきました」
「馬走さんはアメフト選手でね、七年くらいアメリカに住んでたこともあるの」
とすみれが情報を付け足す。
「リアリー? アメフトならこの体格も納得だね! ポジションはどこ?」
「子供の頃からずっとワイドレシーバー一筋ですね。高校大学とカリフォルニアにいました」
「へー、いいとこじゃない。アメリカでアメフトしてたなんて日本人初めて見た気がするよ。今は日本でアメフトを?」
「メインはNFLヨーロッパですね。もちろん目標はNFLですけど、挑戦しては弾かれての連続ですよ」
「そっか。NFLなんてほんとすごいやつばっかだからね。ねえ、この人アメフト選手だって」
とセリーナはアンドリューに言う。
「聞いてたよ。やあどうも。うちのチームにも一人日本人がいるよ。けど君の方が素晴らしい体つきだな! 今日はNFLの友だちも来てるんだ。是非紹介するよ」
とメジャーリーガーであるアンドリューは言い、馬走の肩を組んで「トップアスリート」たる友人たちのもとへと紹介に行くのであった。
「――へぇ、聞いてはいたけど、まさかあんたが男と来るとは思わなかったよ」
とセリーナはどこか意地悪な笑みを浮かべて言う。
「丁度よかったからね。アメリカに住んでた経験があって、英語も堪能で、大きくて強いから面倒事も避けられそうだし」
「……それだけ? どういう関係なの?」
「んー……元々はドイツの大会にみんなで行った時駅で偶然会って。馬走さんドイツでアメフトしてたから。それでなんかうちのチームのスタッフとかとも色々意気投合して仲良くなって、それで私も少し話すようになったって感じ」
「友達ってこと?」
「んー、でもないかな」
「でも二人だけでこっち来てんでしょ?」
「うん。色々案内してくれるって」
「……ま、そういうのは他人が入り込むとこじゃないからな……けどこう、なんかしら信頼してるからガイドというかボディガード頼んだんじゃないの?」
「それはね」
「わざわざあの人を選んだわけでしょ? 理由は?」
「今のところ、あの人が一番セリーナに近い気がするからかな」
「……あんた私の事好きすぎんでしょ」
「そりゃね。そっちこそ私のこと好きでしょ?」
すみれはそう言い、ふっと微笑んでセリーナを見る。
「あんたに惚れたやつは大変そうだな……私結婚しないほうが良かった?」
「まさか。それはセリーナの自由だもん。セリーナの幸せは私の幸せだし。それに別に私もセリーナと結婚したいとか思わないし」
「そっか」
「うん。だってもう結婚以上の関係じゃん」
「人に聞かれたら誤解しか生まないなー。ま、なんにせよ遠いとこわざわざ来てくれてありがとな」
セリーナはそう言い、すみれの体をぎゅっと抱きしめる。
「うん。セリーナも、結婚おめでとう」
そうして二人は手を繋ぎ、みなの元へ駆けていくのであった。
*
「いやー、いい式ですねー」
と馬走が言う。日も暮れた中、すみれとテーブルを挟み対面しつつ、賑やかな皆の様子を笑顔で眺めていた。
「そうですね。身内の結婚式とかは出たことありますけど、日本のとは違って格式張ってなくて」
「ほんとですね。自由で、楽しむのが一番って感じで。日本の場合はどうしても家同士の関係や職場の関係とかもあるんでしょうね。僕は外国での結婚式ばかり出てるんで逆に日本の方が新鮮に感じますよ」
「そうですか。でもせっかくの結婚式なのに楽しくなかったら仕方ないですもんね。これで会うのは最後になるかもしれないのに」
「そうですね。大人になると、会うのは結婚式と次は葬式みたいな、そういう相手も沢山いますからね。すみれさんお酒は飲まれてます?」
「いえ。やっぱりこれだけ人がいる場で飲み慣れないものは避けたほうがいいと思いますし」
「ははは、ですよね。僕もやっぱり外出時と人がいるところでは飲みませんよ。一人で家で、もう外出ないって時だけで。そんなの酒飲む意味ないだろって言われそうですけどね!」
馬走はそう言って笑い、ノンアルコールの何かを口に運ぶ。
「セリーナさんが結婚して寂しいですか?」
「どうでしょう……でもそれを言ったらそれ以前に、彼女ともう体操できないっていうのが寂しいですからね……」
「そうですか? これからもできるんじゃないですかね、彼女と体操」
馬走はそう言ってすみれを見る。
「そりゃ競技として、世界大会みたいな場でって話ではないでしょうし今よりもっと歳とっていったら跳んだり回ったりってはいかないでしょうけど、でもそこにもやっぱり二人の体操はあるんじゃないですかね」
「……そう思います?」
「だと思いますよ、僕は。まあ体操はやったことないですけど、多分彼女も同じこと言うんじゃないですかね。会いに行って、会いに来てもらって。そうでなくても遠く離れてても、二人だけのあの世界はずっと続くと思いますけどね。なんならそこにみんなも混ざってもらって賑やかに」
「賑やかか……知らないなぁ」
「ははは! 別にちょっとずつでいいんじゃないですかね。人によってペースやタイミングはありますし、試してみて違うならやめればいいだけですし。ま、すみれさんも言ってたじゃないですか。オリンピック終わった後の会見で、多分何も変わらないって」
「よく覚えてますね」
「そりゃね。僕はあなた達のファンですから。ファンはちょっと違うな……ロールモデル、ってほど全部が全部ではないんですけど、でも確かに自分の理想とか、目指すものはあなた達の中にありますんで。ま、リスペクトですよ。こうなりたいっていう」
「そうですか……それなら私も馬走さんのようになりたいって部分はありますよ」
「へえ、そりゃ光栄だ。どこですか?」
「その笑顔」
「はは! こりゃまあ、子供の頃からボコボコにしてボコボコにされてると自然とこんな笑みになりましてね。それを四六時中ずっとやってたから張り付いちゃったんですよ。もちろんボコボコってのはケンカじゃなくてスポーツですけど。ほんと楽しくって仕方なかったですからねー……でもすみれさんだってよく笑ってらっしゃるじゃないですか」
「私のはよく怖いって言われるんで」
「ははは! いやー、わかってないなーそういう人たちは。それがいいんじゃないですか。あのセリーナさんを見上げるちょっと怖い笑顔がねえ。あんなので見られたらたまらないでしょう。ほんとこんな笑みを向けられたらどんなもんだろうって羨ましくって仕方ありませんでしたもん」
馬走はそう言って大口を開けて笑う。
「そうですか……馬走さんも中々変な方ですね」
すみれとはそう言い、ふっと薄く笑う。
「じゃあセリーナに聞いてみればいいんじゃないですか? どんなもんなのかって」
「いやあ、それはダメですよ。悔しいじゃないですか、自分の力じゃないと。だいたい言葉で説明できるもんじゃないでしょうし。体験以外じゃわからない、絶対共有できないもので。だからま、自分でなんとかがんばりますよ」
「そうですか。じゃあがんばってみてください」
そうしてすみれが向ける薄い笑みの中にある本意など、おそらく誰にもわからぬものであった。




