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ライブ・オブ・アイドル  作者: 涼木行
第十章 星の海、月の道
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第九話 成功を願う想いが胸のドキドキ




 出入りも減り少し落ち着きが出始めてきた頃、安積も挨拶回りへと出向かう。完全な不審者な上に(挨拶周りともなればさすがにサングラスもマスクも外したが)、でかくて余分な人間がついて行っては邪魔でしかないと木ノ崎は居残りで安積と永盛の二人であった。


 他の共演者への挨拶もあるが、やはり一番は安積が今日着るブランド、ならびに化粧品メーカーなどへの挨拶である。特に今回の安積の出演は洋服のブランドの後押しによるものが大きい。あちらとしても「今後大注目の新人モデルに唾つけといて」という思惑もある。その他にはすでに何度も仕事をしてきた雑誌「ハイティーン」の編集部の人々。無論、このハイティーン編集部がいなければ安積のティーンズコレクション出演も叶わなかっただろう。他にも様々なファッション誌や各種メディアに広告代理店など、バックステージは挨拶すべき「業界関係者」で埋め尽くされている。無論各ブランドのデザイナー、スタイリストやメイクアップアーティストへの挨拶もあるのだが、彼ら彼女らは本番前の嵐のような忙しさの渦中でまさに鬼の形相であり、とてもじゃないが面と向かって自己紹介しあう、などということはできなかった。


 一方の木ノ崎はというと、自由になったのをいいことにふらつき、警備員に止められ、パスを提示し装備を外し、また付けてふらつき、また止められ、などということを繰り返していた。そういう中で邪魔にならぬよう歩き、立ち止まり、様々な人間をチェックする。それはある種仕事と遊びの両立でもある。モデルの顔を見て「あの人は確か、どこそこの〇〇さんだったかな……ビンゴ」などと記憶力ゲームやら、佇まいを見て職業やら肩書当て。視力が良いのをいいことにパスを覗き込んで「またビンゴ」などという遊びに興じている。


 一応表にも出て動き始めた長蛇の列、入場口にやってくる若い観客たちにも目をやる。そうしていると自分の同業者の姿もちらほら目につく。知った顔もあったが、単純に立ち姿や位置、視線や服装などでなんとなくわかってくるものだ。そうでなくとも若い女性だらけの中で大人の男がいるというだけで多少目立つ。場が場なので殆どの者はちゃんとスーツを着ていたり、カジュアルであっても清潔感のある洒落た服装をしているが、やはり素人が見ても「なんか違う。怪しい」という者もいた。そういう中で木ノ崎はぷらぷらと客に目を配るのだが、それだけの数の中でも目ぼしい人間は見当たらない。「そもそもこういうとこに来る人自体僕が選ぶタイプじゃないんだよねえ」などと思いつつ、戻れなくなったらやばいかな、と早めにバックステージへと戻っていく。



     *



 会場の準備が進んだことで、今度はモデルの準備が慌ただしくなる。いたるところでメイク、スタイリングが行われ、両手に服を抱えた人間が右へ左へと走ってゆく。道の角では着た服の最後の調整をされながら、デザイナーやティーンズコレクションの演出プランナーなどとの最後の打ち合わせ。紙やタブレット片手に話し込む。その表情は当然真剣そのもの。観客にとっては祭だが、関係者にとっては真剣そのものプロの仕事。例えランウェイで笑っていても、そこにはプロの仕事と意地がある。矜持がある。優雅に泳ぐ白鳥も、その水中では必死に足をバタつかせている。まさにそういう表現そのものな舞台裏。


 木ノ崎は安積たちのところに戻るべく探していると、始まってすぐ出番のある静潟星夏がスタンバイしているところに遭遇する。彼女もまた関係者らと最後の打ち合わせ。周囲には同じようなトップモデルたちがたくさんいる。静潟はティーンズコレクションの目玉の一人であり、当然出番は多く、他のトップモデルたちともに最初も最後も飾ることとなっている。そうした人々はやはり本番を前にした集中みなぎる眼差しであった。


 木ノ崎は邪魔にならぬよう声をかけずに離れて歩くが、ふと視線を上げた静潟と目が合ってしまう。静潟は少しだけパッと笑顔を花開かせて軽く手を振る。木ノ崎もそれに応え軽く手を上げるが、静潟はすぐに視線を切り、また打ち合わせの会話の中へと戻る。その表情も、一瞬ではるかに大人びた真剣の極みへ。こういうとこはほんとにプロ中のプロだよねぇ、と木ノ崎は感心する。


 初めて見た時からそうであったが、サーフィンで波に乗る時の彼女には幸福と興奮と喜びが溢れてるのは間違いなかったが、それ以上に恐るべき真剣と集中があった。波に対し、海に対し、自然に対しどこまでも真面目であった。真摯に対峙していた。それは波というものが不安定で人間の期待や予測など平気で裏切るからであるが、そもそもそういう人間本位の被害妄想も受け付けぬゆえに「自然」である。だからただ自然に身を委ねる。自然に対し、受け答えする。それは波の細かな一つ一つに対しても極限まで集中し、どこまでも真面目に向き合わなければできないこと。なによりもそこは、一歩間違えれば波に飲み込まれ永遠に帰ってこれぬ場所だから。


 そうした真剣と集中の中に、静潟は幼少期の頃からずっといた。二本足で歩き始めた頃から、そうした波と戯れていた。危険な目に遭いその経験で真なる真剣とそれゆえの興奮も知ることができた。それらはすべてランウェイの上でも活きている。命飲まれぬランウェイの上だろうと、その真剣と集中は変わらなかった。それこそが木ノ崎が一目で「絶対」と思ったゆえんの一つである。


 木ノ崎は安積たちのところに戻ってくる。永盛から特に非難されぬ以上、いたところで別に何の役にも立たなかったのだろう。安積も準備は始まっていたが、出番はまだ先なので余裕はある。そうした中でモニターやスピーカー越しに開演が迫っていることが知らされる。会場はとっくに人でいっぱい。今か今かと待ち構えている。


 そうしてカウントダウンが始まるが、しかし表と違い裏側では呑気に一緒にカウントダウン、などということはない。みな時間に追われ仕事に追われ、慌ただしく動いている。始まるということは、始まってしまうということ。自分の仕事がやってくるということ。こなしてこなして、間に合わせなければいけないという濁流の放出がいよいよ始まってしまうということ。だからぶっちゃけ、全部終わって安心するまで始まらない方がいいというのが正直な気持ち。


 しかしそんなこと言えるわけもなく、またそんな個々の気持ちなどこの巨大な祭りの前ではミジンコ以下に小さく無価値で無意味である。始まったからには、始めなければいけないのだ。そうして終わらせなければいけないのだ。それが仕事で、それがすべて。急げ急げ、けれども完璧に。ミス一つなく。それ以上に、最上の仕事を。だからカウントダウンは仕事ではない。そこに意味はない。意味があるのは終わりの方のカウントダウンで、それにしたって後片付けまでして帰ることを考えるとやはりたいした意味はない。


 会場の熱狂とカウントダウン。きらびやかで豪華な演出。その裏で必死にバタつかせる白鳥の足が如き人々。


 いよいよ、ティーンズコレクションが始まった。



     *



 黒須野にとって初めてのティーンズコレクションは、休む暇のないものであった。演出、ファッション、ウォーキングに視線の配り方から手の振り方、笑顔まで。全部ものにしてやるとメモ帳片手の凝視。ランウェイやステージからはそれなりに遠かったのでオペラグラスも総動員(もちろん念のため五十沢の分も持ってきてある)。そうして一挙手一投足爪の先まで逃さぬよう凝視する。


 やば、うま。何あの足の流れ。うわー、あのヒールの高さでか。はー。腕のふり一つにしても、なるほど服がちゃんと見えるように計算して調整してるんだなー……この客席への笑顔とか手の振りがティーンズコレクションだよね。お高いバリバリの高級ブランドのファッションショーなんかじゃ絶対ありえないけど。距離感、それこそTOKYOっていう街中での距離感の演出でもあるんだろうな。「あなたもこれが着れるんだよ。こうなれるんだよ。これができるんだよ」ってメッセージをひしひしを感じるもんね。いやー、てかオペラグラスにメモ帳にペンって手が三本ないと間に合わないじゃん。誰だよ二本に設計したやつ、などと心のなかで神にすら悪態をつく始末。


 演出、ステージ全体も見とかないとね……あらゆる角度からってのもライブも同じだし応用効くし。まあそこはほとんど自分たちは関わらない部分だけど、でもほんとに売れて人気出たらそういう部分まで自分たちで演出とかやってみたいもんね。あ、静潟さん。早いなーほんと。思いっきりメイン扱いだったもんね。んー、やっぱうま……肌の色も映えるよねー。服とお互いを活かしあっててさ。脚がほんとキレイだなー。魅せ方もうまいし、きっと何かあるんだろうな技術が。もっとちゃんと聞いときゃよかった。てかあの人に会ったんだよね。目の前でウォーキングやって、直接指導までしてもらっちゃって……やば、考えてみるとほんとすごいな。けど当たり前だけど普段とランウェイの上じゃ違いすぎるよね。ファッションリーダー、カリスマ……それが「キイチロー!」だもんな……あれを見れて良かったのか悪かったのか。まあ別に幻想とかはなかったけど、というか木ノ崎さんのタジタジ具合見れたほうがでかかったもんね……などと黒須野はマスクの下の鼻で笑う。


 ティーンズコレクションは十代って年齢制限もあるから一九歳が卒業の意味も込めてトップバッターとかメイン務めるけど、来年は一九でラストの静潟さんなのは間違いないよね。この笑顔と、視線。手を振るにせよ伸ばすにせよ、ほんと仕草の一つまで完璧で「届いてる」ってのがこの距離でもわかるもんなあ……そういう意味では全然ライブと同じだもんね。どこをどう見てるか、何を見てるかとか今度聞きたいなあ。木ノ崎さん連絡先教えてくれないかな……


 といった調子で凝視し、一瞬の休憩、また集中と繰り返していると、今度はディフューズの二人が出てくる。京手縁に石住美澄。この二人も一九歳なので今年「卒業」。そうした者たちへのはなむけの出番。黒須野は思わず鼻息を荒くしオペラグラスにかじりつく。


 キター! あーもう、最高。かっこよすぎ。ほんとにこの視線、ライブまんまじゃん。歌ってなくても踊ってなくても関係なくて。スタイリストもわかってんねー、くーっ! 完全に京手縁を天上に押し上げるスタイルじゃん。この笑み、この視線、この指差し! これなんだよねーこれ。「お前がそこにいるのちゃんとわかってるよ」って、全員にそう錯覚させるやつ。だって私さっきから目合いまくってるもんね。これ縁さんも気づいてんじゃね? 思い込みだしそう錯覚させる演出なのはわかってるけどさ、それでも「目が合った」って物語の方に沈むほうが断然幸せだもんねー……この技術だよね。何万人相手でもその目をすかさず捉えてさ、ちゃんと視線を交差させる……やっぱ練習かな。駅のホームとかであっちのホームの人の目をパパっと捉えたり、歩いてすれ違いざまにとか、でもそんなんしてたら完全不審者だしなんか難癖つけられそう……


 ていうか考えてみたらこうやって「こっち側」から見るのもかなり久しぶりだもんね。ディフューズは当然にしてもライブとかフェスとか、他の人のステージ見るにしたって常にあっち側から、舞台袖とかモニターでだったから、こうやって客席からってのは多分一年以上ぶりで、アイドルになってステージに立つようになってからは初めてか。だから視線とかも気づけることも多いのかも。まあ「今ゆかりんと目合った!」なんてただのファンやってた頃と何にも変わらないけどさ……などと黒須野はマスクの下で自嘲気味に笑う。


 っとそんなこと考えてないでちゃんと見ないと! ゆかりん下がっちゃうぞ! あ、あー、あー……終わった……あ、てかみすみんのこと全然見てないじゃん! 誰だよゆかりんと一緒に出させたやつ! ちゃんと見れるよう普通別々だろって思ったけどダブルセンターが一緒なのは当然じゃんグッジョブ!


 と嵐が如く思考で幕が上がった黒須野のティーンズコレクションなのであった。



     *



 そうして小休憩がやってくると、疲労もどっと黒須野の全身に押し寄せてくる。主に目と肩。スマホの明かりでメモを確認するが、自分でも解読できない文字がチラホラある。


「やっぱオペラグラスで見ながらだとキツイな……自分で書いた文字だからわかるだろうけど。これはちゃんと映像イチから確認してメモと一緒に見直さなきゃなー。現場で見るのは全然違うだろうからファーストインプレッションのメモは必要だし。見直すけど映像の全編はまた別個で高いんだよねー。晃どうだった? 感想とか」


 と黒須野は隣で終始黙っていた五十沢に尋ねる。


「面白いですね。最初の方に出てた人たちが上手い人って認識でいいんですよね? 単純にウォーキングうまいですしその中で各々に合わせたアレンジがあって。戦略と即興どちらもなんでしょうけど、そういうライブ感はダンスと同じでしたね。ただ見せるのがダンスじゃなくて洋服と、あとは自分自身って違いですかね」


「はー、やっぱ参考になるわ……貸したオペラグラス全然使ってなかったけど大丈夫だった?」


「はい。視力いいんで」


「ですよねー……ちなみにどっちも2.0とか?」


「学校ではそうですけど、親と一緒にもっとちゃんとしたので測った時はどっちも三以上はありましたね」


「マサイ族かよ……アフリカでもやってけんじゃんあんた」


「マサイ族は六以上とかじゃないですかね。さすがにそんなにはないと思いますよ」


「出たマジレス。でもあんた勉強だって結構やってるわけじゃん? ゲームとかは全然にしてもさ。よくそんな視力維持できるね」


「維持しようとしてますからね。勉強してる時も視点の固定は避けてますね」


「というと?」


「距離ですね。勉強してると視点の距離が長時間一定に固定されるじゃないですか。それで網膜とか筋とかも固定されて視力の低下に繋がるとかですね。要するに目も動かしてないと動かなくなるって話です。なので勉強してる時は少しやったら遠く見て近く見て右見て左見てとか動かしますね」


「ほんとすべてにおいて意識が違うな……そういうのって親に教わったりしたの?」


「それもありますね。目は重要なんで。そうでなくても常に色々見てますけど」


「へー。でも勉強中にそんなキョロキョロしてたら集中途切れない?」


「ないですね、まったく」


「集中力もお構いなしに何にでも発揮されんのね……今もずっとすごかったもんね。ほとんど動かないでさ。メモとかも全然してないし」


「書かなくても覚えられますからね。視覚情報は特に」


 こいつ、ほんとにどこまで得なんだ……そりゃ勉強だってできるわな、視覚情報そんなぽんぽん暗記できりゃ、と黒須野はやさぐれそうになる。


「これ映像って後で全部見れるんですよね」


「うん。全部見るには買わないといけないけどさ」


「そうですか。色んな角度で見れるようになってるといいんですけど」


「確かにそれはでかいね。んじゃ一緒に買おうよ。あれ結構高いからさ」


「いいです。見たい時に見れるよう自分で持っときたいんで」


 こいつ、ほんとに自分のペースは絶対に崩してこねえな……と黒須野は一人歯ぎしりをする。


「真もそろそろかな。いやーなんかこっちまで緊張してきちゃった。仲間の誰かが一人でステージ立つの見るなんて初めてだもんね」


「そうですけどなんで十子ちゃんが緊張するんですか?」


「……成功を願ってるからなんじゃない?」


 黒須野はそう言い、再び明かりがともったステージの方に視線を戻した。



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