第十一話 炎
それは作曲者の赤宇木歌名が「君に作った」という曲であった。
「君にだけは言っておく。これは君に作った君の曲だ。今までの君を見て、聞いて、それで出てきて作った曲だ。曲も歌詞も、出どころは君だ」
と、彼女は黒須野に語った。
「私にとって炎とはピンク・フロイドの炎とレイモンド・カーヴァーのファイアズだが、別にそれを元に作ったというわけではない。すべては偶然の出会いの化学反応の産物だ。人生の出会いのほとんどは偶然でしかないが、そこで出会った物たちを自分の中で組み合わせるとき、そこには偶然を超えた必然の自分というものが生じるはずだ。偶然は偶然でしかないが、その偶然の出会いを何に使いどう組み合わせるかの中に個というものが生まれるはずだ。ひいてはそれが私という個の人生になる。
だからこれは、私がこれまで出会ってきた『炎』というものの組み合わせで、その炎の中には君もいて、炎同士が絡み合い別の一個の炎となった、そういう曲だ。だからさっき言った出どころは君というのは正確ではない。色んな物の出会いの結果だ。なんにせよ、そのピースの一つが君で、君がいなければこの世に生まれることもなかった曲だろう。それだけは君も知っておくべきだと思って」
「そうですか……それは、すごくありがたいです。ありがとうございます。――けどなんでそんな話し方なんですか?」
「これは、曲について話すときはなんかこういう口調じゃないと説明できないんだよね……書くときもこうというか、私は書きながら考えるから話す時も頭の中で書きながら考えてるというか、書くように話すからさ。そのせいもあってこう、曲についてちゃんと口頭で説明する時とかは普段と違ってもっと書き言葉風というか、小説っぽくきっちり形を作らないと話せない部分があってさ。なんかごめんね、いきなり気持ち悪くて」
「いえ、全然そんなことはないですよ。すごくわかりやすかったですし。なんかより天才キャラって感じでかっこよかったです。なんかちょっと若手のマッドサイエンティストって感じで。いつもそんな感じなんですか?」
「いや、曲とか相手によって変わるね。ヘイ・ユーみたいな時もあるし」
「ははは……」
などというやりとりを、黒須野は思い出していた。思い出して、何か運命めいたものを感じていた。
ファイアズ。この燃えるような暑さの中で。内なる炎を見失って、消えかかって。でもこのライブというものの中には、今という炎しかなくて。決して消えぬ種火。炎。手をつなぎ燃えるピンク・フロイドの「炎」のジャケット。あなたがここにいてほしい。ファンに、観客に、エアに、真に、晃に、みんな。鷺林さんに、永盛さんに、木ノ崎さん。父に、母に、みんなの家族。
そしてその曲は、やはり運命を知っていたかのように黒須野の歌唱パートが多いものになっていた。今までで一番、ダンスより歌に比重を置いている。黒須野の歌に比重を置いている。黒須野がこの舞台でブレイクスルーを果たすという運命を知っていたかのように。まさにおあつらえ向き。すべては、運命の如く整っていた。これが最後のキー。最後のトリガー。黒須野が、その歌の完全なるブレイクスルーを果たすための、最後の一手。
存在のすべてを、ただこの声と歌に乗せて。
*
やはりEDM調のその曲は、燃えて揺らめき火柱をあげる外なる炎ではなかった。そうではなく、内なる炎。秘めた炎。熱。蒸気。命が燃える、その実感。
普遍的。万国共通。言語にも文化にも環境にも左右されない、人が人であるかぎり抱える内なる炎。それを表現する曲と歌詞。空間も時間も超えるだけの胆力を備えたもの。それに黒須野が、命を吹き込む。歌われなければ歌は歌ではない。歌われなければ歌詞は意味を持たない。その言葉の効力を発揮しない。そして当然、その魔力の強さは歌う者によって大きく左右される。
黒須野は、込めた。すべてを込めた。今の自分のすべてを。内なる炎を。声に乗せ、歌詞に乗せ、すべて内側から吐き出した。声は、限界を超えていく。徐々に限界の超え方がわかってくる。体の使い方がわかってくる。体に導かれ、それに従う。付き従い、なぞっていく。こう、こう、こう。ここで、こう。練習してきたものの、その本当の意味がここにきて初めてわかる。そうか、こうだったのか、本当の意味は。自分は何もわかっていなかった。わかることができて、心底楽しい。
そしてこの未知を知る楽しみは、まだまだ永久に尽きぬのだろう。
黒須野の声が、歌が、歌詞と曲を捉える。明確に掴み、捉え、離さない。完璧に一体となる。この声と歌以外に他はあり得ぬと。生まれた時からの三位一体と化す。それは作曲者赤宇木の望みでもあった。その段階までいくことで、ようやく曲は正しくその姿を取り戻すこととなる。とはいえ、これはまだ始まりにすぎない。何故ならエアは三人だから。その歌を歌うのは、エアの三人みなだから。
要求は高い。目指す理想はまだまだ遠い。そうでなければ面白くない。旅が終わってしまってはつまらない。終わりなき旅。神は運動の中に住まう。だから。
今回は私が珍しく先に行って、こっちだよって手招きするから。みんなを呼んで一緒に進むから。だから私の声を頼りに来て。こっちに来て。一緒に行くよ。
先へ、先へ、もっと先へ。
あの、天から降りる光の梯子を上り、その先の遥か天上までこの歌を届かせるんだ。
黒須野はすべてを振り絞った。もうこれ以上何も出ないというくらいに、これまで経験したことがないくらいに、体の全てからエネルギーを総動員させ、すべてを音に変換させ外に弾きだした。存在を、魂を、すべて持ってけコンチクショウ。くれてやる。わけてやる。降り注いでやる。どんだけやったってこの炎は消えなくて、また内からすべてを生み出すから。
だから燃えろ。その心臓よ燃えろ。お前のその心臓よ。みんなのその心臓よ。遠慮なく、目一杯、生きてる実感を噛みしめて燃えろ。
すべての火種に点火する。内なる火種に、その心臓に、点火する。放火魔たる黒須野十子のクロスファイア。
黒須野は、最後の一フレーズを一人で歌いきった。そのまま拳を握り、満願といった具合に天を見つめる。濃く、青く、広がる空。絵の具を塗り重ねたような存在感の雲。暑さは、もはや感じない。ただすべてが満たされている。
ふっと崩れ落ちかけたその体を、安積と五十沢の二人が支える。黒須野は二人の顔をみて微笑み、その肩を借りてしっかりと立ち、客席に向かって手を振る。大丈夫、心配かけてごめんね、と。そうして心臓を拳で叩き、客席を指差す。
「愛してるぜ」
の呟きは、きっと誰もの胸に届いただろう。
*
エアのステージが終わった。黒須野は二人に抱えられながら舞台袖へと降りる。
「大丈夫!? 救急車は必要!?」
と鷺林が血相変えて飛んで来る。その手には氷や飲み物やタオルが握られていた。
「大丈夫です。熱中症とかそういう感じではないんで。別に吐き気とかもないですし。ただもうほんと全部出し尽くして疲れたのと酸欠で」
「だとしてもちゃんと念を押して気をつけなきゃね。とにかく座って」
と扇風機の前まで移動させ、パイプ椅子を持ってきて座らせる。その頭や首に冷たい氷を当てさせ、口元には酸素ボンベ。みなで必死にうちわで風も送る。酸素が終わればスポーツドリンクもじゃんじゃん飲ませる。そうしてある程度落ち着いたら、出演者・運営用の救護室へと連れて行きそこに寝かせる。ハンガーノック状態でもあるのでエナジーゼリーや比較的食べやすいエナジーバー。至れり尽くせりで、黒須野も徐々に回復し上体を起こす。
「無理しないでね。もう終わったんだから寝てていいんだよ」
と永盛が黒須野の頭に氷を乗せ心配そうに言う。
「大丈夫ですほんと。カロリーとって動けるようにもなってきたんで。体もしっかり冷えてきましたし」
「どうする? 大事をとって病院行っとこうか。このまま宿に行ってもいいし。そっちのほうが休めるだろうからさ」
と鷺林も言う。
「いえ、ほんと大丈夫ですよ。別に強がりとかじゃないんで。ほんともう少し休んでちゃんと水と酸素とカロリーとれば平気です。それに角煮食べずに帰れませんから」
「はは。この状態で角煮食べる食欲あるなら大丈夫そうだね」
と木ノ崎も笑って言う。
「いや、でも角煮って大丈夫なんですかね? 消化とかよくわからないですけど」
と鷺林。
「どうなんだろうね。まあ煮てるなら油は減ってそうだけど。いざとなったら持ち帰ってレンジでチンすればいいじゃない」
「それはさすがにもったいないですね。というか豚肉は疲労回復にいいからむしろ運動のあとには食べるべきなんですよ。てことで食べましょう! もう腹減って動けませんし!」
と黒須野はベッドの上で拳を握る。
「みんなにもせっかくだからできたて、かはわかりませんけど暖かい角煮食べて欲しいですしね。私のせいで食べれなかったら死んでも死にきれませんよ」
「ははは。んじゃみんなの分も取ってこようか。一応男手はあった方がいいし、なるべく大人はいた方がいいし、んじゃ安積さんか五十沢さん一緒取り行こうか」
「じゃあ私行くよ」
と安積が言う。
「あ、ちょっと待って下さい。その前に木ノ崎さん」
と黒須野が呼び止める。
「ありがとうございました」
そうして己の胸を、トントンと叩いた。
「別に僕は何もしてないよ。京手さんの受け売りだしね。だから礼ならそっちにね」
「だとしてもです。それと真、ありがとうもごめんも、多分正しくはないけどさ」
と黒須野が言う。
「私は多分、というか絶対、色々やって間違えて、失敗してってのを繰り返してかないとわからないっていうか、知ることもできないタイプだから。だから今までも色々あったし今日もあんなんなっちゃったし、多分これからもまたなんか思ってもみなかったようなことが色々あるんだろうけど――というか多分あるからさ、これからも今日と同じ感じでよろしくね」
「――うん、わかった」
「うん。私もみんなを助けるし、助け合いだし、必要なときは必要な言葉をちゃんとぶつけるから。だからあえて言うならさ、遠慮しないでくれてありがとう。私を信じてくれて」
「うん、もちろん。どういたしまして。こっちもさ、十子ちゃんがちゃんと自分を信じてステージに立ってくれてありがとう、っていうのもちょっとおかしいけど、でもすごい嬉しかったから」
「そりゃこっちも真のこと信じてるからね」
黒須野はそう言い、ニッと笑う。
「ふふ、ありがと。嬉しいね」
と安積も笑う。ただ一人で「嬉しい」のではない。二人で、みんなでだからの嬉しい「ね」。
「あ、それと十子ちゃんの歌、『炎』さ、ちょっと本当にすごすぎて、ここがすごいギュッとなって」と安積は心臓のあたりを掴む。「だからさ、私もそこに行けるよう、がんばるね」
「はは、らっしゃいらっしゃい。私が先に行って待ってるなんて初めてだからね。追いつかれないよう必死こいて逃げますよ」
「十子ちゃんまた子供みたいなこと言ってますね」
と五十沢。
「うっさい! 少しは先行く楽しみ味わわせてよ。てかあんたも追ってくんだからね?」
「私は別に十子ちゃんは追わないですね。アプローチが違うんで」
「こいつ……いいからあんたも角煮でもなんでも取ってこい! どうせあんたも腹減ってんでしょ。ライブ後に寿司二十皿以上平気で食うやつなんだから」
「そうですね。じゃあ十子ちゃんの分もいかにんじんとか取ってきます」
「あ、それは正直パス。なんかちょっとゲテモノくさいし」
「はは。福島の人に聞かれたらもうここ来れなくなっちゃうね」
と呑気に笑う安積であった。




