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ライブ・オブ・アイドル  作者: 涼木行
第八章 ドキッ! 女だらけのパジャマパーティー!! 野郎はなしよ!
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第九話 あ、ちょっとわかる




「おーっす。ただいまー」


 サングラスをかけた京手家末っ子、ディフューズのダブルセンターを務めるアイドル界のカリスマ中のカリスマ京手縁のいきなりの登場に、店内中の視線が一気に注がれる。


「おう! 来たか縁」


 と笑顔で迎えるは御年七十を超えてなおカウンターに立ち続ける縁の祖父。


「ういー。ただいまじーちゃん。お父さんもおひさー」


「うん。おかえり」


 とこちらも笑顔で迎えるメガネをかけた父。そんな家族はよそに店内の客は有名人の登場に一気にざわつく。それをよそに京手はカウンターの手前に座っていた一人の老人に笑顔で近づく。


「おー田中さんじゃん。久しぶり」


「おう縁ちゃん、久しぶりだなー。なんだよ大将、今日来るなら来るって教えてくれりゃいいのに」


「言うわけないだろあんたには」


 とカウンターの向こうから縁の祖父が笑顔で答える。


「ははは。田中さん今日も早いねー。まだ五時っしょ? もう出来上がってんじゃん」


「ジジイは寝るのも早いからな! 飲んで食って帰って風呂入ったらもう布団よ! 縁ちゃんも飲んでくか?」


「いやあたし車だし。だいたいまだ一九よ?」


「あれ、まだそんなだっけか? あと一年かー。それまで俺の寿命もつかな」


「何言ってんの楽勝っしょ。そんだけ早く寝てんならさ」


「そうだな! 起きる時間も早いしな! 夏はいいけど冬はまだ真っ暗なうちよ! そんで散歩にラジオ体操な」


「めっちゃ健康じゃん。こりゃ百まで生きるね。あたしがおばさんになってもピンピンでしょ」


「それが一番だな。縁ちゃんは一生老けなさそうだけどよ」


「歳相応に老けんのが一番よ。んじゃゆっくりしてってね」


 京手は笑顔でそう言い、奥へと進んでいく。そうして今度は座敷の家族連れ、その中の中学生くらいの女子に声をかける。


「ミワも久しぶり。いらっしゃい」


「久しぶりー。ゆかちゃん今日食べてくの?」


「いや、寿司取りに来ただけ。見ないうちにでかくなったなー。一六〇いった? ちょっと立ってみてよ」


 とミワと呼んだ少女を座敷の下に立たせ、背を比べる。


「ギリ抜かれたこれ? 中二になったんだっけ」


「うん。今度試合見に来てよ。三年も引退して私たちの代になったからさ」


「おーそうだな。今度日にち送ってよ。できる限り時間作って行くわ」


「ほんと? でも無理しないでね。すごく忙しそうだし。ちょっと一緒に練習できるだけでもいいから。今日これからは?」


「ちょっと時間ないかな。今度帰ってきた時うち来なよ。したら裏でやろうぜ」


「うんわかった。みんな待ってるからね。ゆかちゃん家出てってからみんな寂しがってるし」


「まだ四ヶ月じゃないの。うちのじーちゃんで我慢してよ」


「えーでもおじちゃんバスケできないし」


「おう舐めちゃ困るぜミワちゃん。じーちゃんだってこいつらが小さい時からバスケの相手してんだからよ」


 とカウンターから祖父も快活に笑って言う。


「実際ドリブルうめーよなじーちゃん。寿司屋は突き指まずいからパスとかは全然やんなかったけどさ。ちょこまか壁役やってくれたりな。んじゃゆっくりしてってな。お父さんお母さんもごゆっくり。お騒がせしてすみませんでした」


 京手はそう言って頭を下げ、また店の奥の方に向かう。


「お父さん寿司もうできてる?」


「ああ。場所なかったから家の方の冷蔵庫に入れてある」


「了解。お母さんまだ店?」


「そうだな。お前来るから時間あったら顔出す言ってたけど、この感じだとお客さんの対応してるかもな。ユウもいないよ」


 と父が答える。「ユウ」とは京手家の次男で縁の兄である優人のことである。


「あらそう。んじゃ二人だけか」


「しかしユウより先にお前が家出るとは思わなかったわな。あいつもまさか自分が最後まで家いるなんてとか言ってたぞ」


 と祖父が言う。


「まだ大学生なんだし一人暮らしされる方が困るっしょ。家から通えんだしさ」

「けどあいつも『俺も家出っかなー』とか言ってるな最近。一人で寂しいってのもあるかもしれないけど」


 と父も言う。


「けどユウ兄これから就活とかっしょ? ユウ兄もプロ行くのかはまだなんだろうけど。このタイミングで出んのはキツくね?」


「だろうね。まあ別に僕らもサポートするしね。あいつになりに焦りもあるんだろ。それこそ就活とかそういう時期なわけだし」


「なるほどね。んじゃちょっと家の方寄らせてもらうわ。っとその前に忘れてたわ。じーちゃんお父さん、こいつ黒須野十子」


 と京手が黒須野を紹介する。いきなりのことに黒須野は慌ててメガネを取り頭を下げる。


「は、初めまして、黒須野十子と申します! お邪魔させていただいております!」


「うちらの後輩のエアってアイドルグループのやつね。高一。今うちに泊まってるやつらよ。寿司頼む時に話したっしょ?」


「今夜のお客様だな。嬢ちゃんうちの寿司は初めてかい?」


 と祖父が尋ねる。


「はい、初めてです」


「そりゃよかった。縁たちのおごりで特上だからな。もう絶品よ。自信満々だから腰抜けるぞ」


「ははは、それはもう、楽しみです」


「んじゃ入っか。皆さんもお食事中にお騒がせして大変申し訳ありませんでした。うちの寿司ゆっくり楽しんでってね」


 と京手は最後に店内の客に深々と頭を下げ、店内から居住区へと続く扉を開けるのであった。



     *



 黒須野が初めて踏み入る京手縁の生家。そこは、少し古いがごく一般的な家庭の内装であった。


「さっきの客は常連の田中さんな。じーちゃんの友達。あたしが小さい頃からいつもカウンターで酒飲んでんだよね」


 と京手が説明する。


「女子の方はミワな。近所のバスケの後輩。つっても同じチームいたこととかはないけど。一応小学校は一年だけ一緒だったけどね。ミニバスの練習とかでよく会ってたな。しかし中二に身長抜かれちまったなー。バスケやる分には得だけどさ」


 と京手は台所の冷蔵庫を開ける。黒須野が眺めている居間は、やはりこれといった特徴のないごく一般的なもの。あえて言うなら家族が多いからかテーブルも大きい。多い時には七人が囲んでいた食卓。京手縁が毎日ごはんを食べ、大きくなったその食卓……


「あーどうしよ。寿司は帰りの方がいいもんな。十子、来たついでにあたしの部屋見てく?」


「え? ――え、実家の、縁さんがずっと使ってた部屋ですか?」


「そ。この春まで一五年くらい? ずっとあたしの自室だったとこ。一部荷物持ってった以外はそのまんまだからね。お母さんが定期的に風通してるし掃除もしてるから綺麗よ」


「……ほ、ほんとにいいんでしょうか」


「そりゃね。別にただの部屋見せるだけだし」


「み、見ます! ぜひお願いします!」


「オッケー。んじゃこっちな」


 京手は居間を出て二階へと向かう。木造の素朴な室内。そこは真夏でもどこか涼しさを感じるものであった。


「さて、ここがあたしの部屋だな。ちなみにそっちが上の兄貴と、下の兄貴の部屋。んじゃおーぷーん」


 京手はそう言い、ドアを開ける。黒須野は一度目を閉じ、小さく深呼吸をした。


 聖地巡礼。そこは紛れもなく自分にとって最も聖なる空間の一つ。大いなる意味を持つ空間の一つ。あの京手縁が、生まれ育った場所。自分にとって最も重要な人間が、この世で一番愛している人間が、長い間生活していた空間。子供から大人へと成長していった場所。それをずっと見守っていた部屋。


 京手縁が京手縁になった、そういう場所。


 それはメッカだしキリストが生まれたという羊小屋だ。少なくとも黒須野にとっては、宗教的聖地に近い意味合いを持つ場所。それはある意味自分が今の自分を目指したその始まりの場所でもある。断じてただの部屋なのではありえない。


 黒須野は意を決し、目を開けた。


 目に映る室内は、これといって特徴のない一般的な子供部屋。よくある学習机に、教科書と思しき本が少し。ディフューズの四人で暮らす家の新しいベッドと比べるとこじんまりとしたベッドに、小さな窓。そして壁に貼られた、クリーブランド・キャバリアーズ時代のレブロン・ジェームズの大きなポスター。それは少し色あせ、痛み、この部屋のその場所でずっと京手を見守ってきたことをその姿ではっきり伝えている。


 その部屋は別に特別ではない。どこまでもありふれた子供部屋。目に映る限りでは、特別など一切ない。けれどもそれは黒須野にとっては違う。目に映らないもの。時間や、想いや、積み重ねた努力。想像しなくとも手に取るようにわかるそれら。黒須野にとって、自分たちにとって、どこまでも特別な場所。


 その「聖地」を前に、不思議と涙は出なかった。


 この部屋で、京手縁は京手縁になった。それは事実。だからこの部屋は特別。それも事実。けれどもなにもこの部屋だけで彼女は成長したわけではない。大人になったわけではない。今この目に映っていない大量の何かの積み重ねで、彼女は京手縁になった。だからこの部屋はいわば象徴。象徴として、自分にとっても大きな意味を持つ。


 この部屋を見て改めて、すべては一朝一夕ではないと気づく。室内を見て第一に、不思議とそんなことを思った。今目に映っているこの「今」は、無数の「今」の積み重ねでしかない。これまでに、無数の「今」が積み重なっている。ただ部屋を見ただけでそんなことを思うのは自分でも不思議であったが、少なくとも黒須野にとってこの部屋はそういうものを象徴していた。そういうものを象徴しているように感じられた。


 ああ、がんばろう。がんばらなければ。がんばりたい。


 思うのはそれだけ。自分も自分のあの部屋で、私の自室が象徴する無数の「今」の積み重ねで、私が思う私になろう。理想を目指そう。この部屋は、私のあの部屋は、それを黙って見つめてくれている。見守り続けてくれている。多分誰よりも、自分と同じくらいそれをわかってくれている。自分がなんであるかを。努力の日々を。理想を。涙を。笑みを。興奮を。嗚咽と歓喜の名乗りの日々を。


 ただひたすらなる幸福を。



 黒須野は黙って歩み寄り、そっと指先でレブロンのポスターに触れる。それも象徴。この日々の象徴。無数の「今」という過去と現在と未来の象徴。


 ああ。ただ、ありがとう。


 そして私も、がんばるから。ちゃんと帰ってあの部屋に、自分の部屋に拳をついて見ててよねって伝えるから。


 帰ってくるたびに、自分がなんなのかちゃんとはっきり思い出すから。だからそれを思い出させてくれて、伝えてくれてありがとう。


 ここもまた私の今に続く場所。そういう意味で聖地は正しい。しかし巡礼する場ではなく、そこは帰ってくる故郷。永遠なる心の故郷。初めて見て、初めて訪れたけれど、そんなことは関係ない。ずっと知っていた、わかっていた。多分生まれる前から知っていた、私の魂の故郷の一つ。死んだそのあと私の魂が分かれて帰る場所の一つ。


 だからここも、あんたも、見ててよね。私が私になるところを。ちゃんと見せてあげるから。私の理想を。あの景色を。


 だからまたね。その時また。


 黒須野はゆっくり手を離す。そうして一つ息をつき、京手の方に振り返る。


「ここに連れて来てくれて、本当にありがとうございました」


「いいよ。あたしも嬉しいし。顔見りゃわかるよ。良かったな」


「はい。すごく、良かったです」


「よし。んじゃ帰るか。この部屋も、またな」


 京手はそう言い自室に向かって軽く手を振る。


「はい。――あ、帰る前にすみません」


 と黒須野が呼び止めた。


「あの――縁さんの枕、本当に酢飯の匂いするか確認してみてもいいですか?」



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