第三話 だってそれしか見えないから
電話が鳴る。黒須野がスマートフォンのディスプレイを見ると、そこに表示されていたのは「人生二周目」江井友理愛の名前だった。
五月初めのアイドルコレクションの際に出会い連絡先を交換した後も二人のやり取りは続いていた。とはいえほとんどの場合江井からLINEがくるといった具合であり、黒須野から連絡をとることなど滅多になかった。彼女に用はなかったし、例え年下だろうと国内トップクラスのアイドルにペーペーの自分が用もないのに連絡するなどどこか恐れ多いという遠慮のようなものもあった。そうして江井から連絡が来たりなんだかんだ会うことになった際も、「この子は誰に対してもこうなんだろうか。それともほんとに私が謎に好かれているだけなのだろうか……」などと疑問に思いつつ、そのちょっとした思い上がりにいやいやと首を振ったりするのである。
そんな年下にして大先輩アイドルからの電話に、黒須野は少し身構える。LINEが来ることはあるがいきなり電話が来ることは珍しい。いい子ではあるけど未だに底が知れなすぎるからな、などという警戒心も抱きつつ、黒須野は着信をタップした。
「もしもし」
『もしもし。ご無沙汰してます江井です。今電話大丈夫でしたか?』
「うん、家だから」
『そうでしたか。さっき聞いたんで思わず電話しちゃいました。やりましたねLステ。こんな早く共演できて嬉しいです』
「え、今共演って言った?」
『はい。聞いてませんでした?』
「出演決まったのは聞いてたけど他の出演者はまだだったから……え、ほんとに江井さんも出るの? ていうか239。シブヤの方?」
『239ですね。うちの上位陣揃い踏みなんでよろしくです』
と無邪気に言う「八月の順位戦で中三にして一桁入り」が確実視されている江井に、「よろしくお願いするのはこっちの方なんですけど……」と黒須野は内心思う。
「239と共演か……でも江井さんいるのはすごい嬉しいかな。初めてだから知ってる人が一人いるだけでも全然違うし。こっちこそほんとよろしくね」
『任せて下さいよ。うちの「女王」にもちゃんと紹介しますから』
クイーン。ティーンズ239順位戦の覇者。言ってみれば「現役女性アイドルの頂点」に近しい存在。それ以外でも彼女が「上位陣揃い踏み」というのだから「四天王」も幾人か、下手すれば勢揃いなのだろう。アイドルとして仕事をしていく以上いつかはそういうこともあるとは思っていたが、こんなにも早く対面することになろうとは。しかもそれらと「共演」する。黒須野は思わず一人ベッドの上で身震いした。
「普通に一位までいるんだ……初めてだから比較対象っていうか同じアイドルいないほうが気楽だったかもしれないけど」
『何言ってんですか。闘争心薄れてますよ。そりゃ仕事はすごいですけどそれ以外じゃただの人なんですから「女王」っていっても。私だって来年にはなってるわけですし』
すごいなこいつ、普通にあと一年で一位になるって断言してるよ、と黒須野は引き笑いを浮かべる。
「さすが『人生二周目』はすごいっすね……江井さんってやっぱ『女王』になりたくて239に入ったの?」
『いえ、得意だからですね』
その予想外のあまりに簡潔な答えに「へ?」と黒須野は思わず聞き返す。
『得意だからです』
「得意って、ダンスとか?」
『それもありますけど全部ですね。歌にダンスに演技にコミュニケーションに、とにかく「アイドル」の全部ですね。気づいたら得意だったんですよ。最初からできてたっていうかやってみたらできたんで。それで「私アイドル得意だな」ってわかって』
と江井は平然と言ってのける。それはもはや「才能」などという地平ですら語られていない。単なる「得意」。言わば自己紹介の覧に「特技・アイドル」と書くようなもの。国内トップのアイドル集団において「人生二周目」、未来の一位は確実と言われる程のアイドルでありながら、己が「アイドル」をその地平でさらりと語る。それはひたすらの努力と奇跡的な幸運によって今を勝ち得た黒須野とは、あまりにも異なる地平であった。
「――つまり『アイドル』が得意だったから239入ったってこと?」
『ですね。239にしたのはサポートが充実してたからですけど。金銭面は当然として寮に学校に手厚いですからねうちは。地元でもオーディションやってくれてましたし、中学生でも受けれましたから』
「あー、なんかすごい現実的っていうか……でもアイドル好きだもんね」
『もちろん好きですよ。ただ、黒須野さんは得意と好きってどっちが先だと思います?』
「え? っと……」
質問の意味は、おそらくわかった。得意だから好きになるか、好きだから得意になるか、そのどちらか。そういう話のはずだ。
「子供なんかだと得意だから好きっていうほうが多いと思うかな。やっぱり子供なんかだとできることのほうが好きになるだろうし、できないことはあんまり好きになれないだろうし……でももちろん得意じゃなくても好きになることはあるだろうし、好きだからこそ練習して得意になることだってあるはずだからね」
『そうですか。じゃあ得意と好きってどっちが強いと思います?』
「――好きのほうが強い、であってほしいかな……願望だけど、最後には『好き』に勝ってほしいっていうか、やっぱり好きの方が積み重ねられるものが多いと思うし」
『んー、でも「好き」はなくなることもありますよね?』
と江井は言う。
『「得意」がなくなることってほぼないですけど、「好き」じゃなくなることって結構多いじゃないですか。人の心なんて割りと簡単に変わりますし』
「好き」がなくなる。今自分を支えている、アイドルとして走らせているその原動力。
それが、なくなるということ。
『あ、でもそれ言ったら得意もケガとかでなくなることはありますね。じゃあどっちも同じかな? 得意は体のケガでなくなって、好きは心のケガでなくなる。どっちもどっちでしたね』
江井はそう言い、電話越しに無邪気に笑う。
「じゃあ江井さんは得意だったから好きになったパターンなわけだ」
『んー、というのもちょっと違いますね。もちろん好きですけど、アイドルそのものが好きっていうよりは業界、っていうのもまたちょっと違うんですけど……実際239入ってからすごいよくわかりましたけどアイドルってほんと色んな人がいるじゃないですか。それこそ私がいうような得意だからなったって人から純粋に好きだからって人に、単純に仕事としてお金のためとか、とにかく有名になりたい承認欲求満たされたいみたいな人まで。そういう色んな人が自分たちの形で必死にアイドルやってるっていうのが好きなんですよね。だから黒須野さんのこともすごい好きですし』
唐突に、かつこうも真っ直ぐに「好き」という言葉を投げかけられると例え電話越しだろうと面食らう黒須野。
『だから結局アイドルが好きなんですよね私は。アイドルやることじゃなくてアイドルという存在、それを見るのが。アイドル見るには自分もやるのが一番近いですし。まあそれは始めてから思ったことなんで動機ではないですけど』
「そっか……でも単に得意だから239のオーディション受けるってのもすごい動機だよね。それで受かってしかもたった数年で上位にいるんだから」
『ですかね。でもたまたまアイドルが得意でそれに気づけたってだけですからね。もしパン作るのが得意だったら普通にパン作ってましたし。とにかく家出てお金稼げればそれでよかったんで』
「そ、そう?」
その言葉は、黒須野には到底深入りできぬものであった。
『はい。結構多いですよ家出るためお金のためアイドルやる人って。なんか不純に思われやすいですけどそこがアイドルのいい点だと思うんですよね。理由に関係なく誰でもできるしアイドルでありさえすればそれでいいって。物語のために好きとか動機って求められがちですけど、ただ単に得意だからやるっていうのももっと言ってっていいと思うんですよ。そういう選択もあるしそれでいいって背中押せるんで。その方が得意じゃなくてもやっていいってなれると思いますし。もっとアイドルの意味を広げてかないとですからね。みーんなアイドルの実現ですよ。プリパラの』
「プリパラ? って昔やってたアニメの?」
『はい。黒須野さんも見てました?』
「小学生の頃は見たりもしてたけど……」
『いいですよねプリパラ。みーんなアイドル。プリパラのアイドルの定義は私が私であるということですから。実現したいですよねプリパラ。でもプリパラは作れないんで現実をプリパラにしますねって話です』
「それは、なんていうかすごく壮大だね……」
『そうでもないですよ。要するに意識革命ですから。今は239でアイドルやってそういう流れにしようとしてますけど、もっと力手に入れたらガンガン広げてきたいですからね。誰でもアイドルになれる世界。どこに生まれようと誰の子供に生まれようと。それこそ男女関係なく。それがプリパラだしアイドルですから』
黒須野は、そう語る江井の顔を見たいと思った。どうして今電話越しなのだろうと思った。この「人生二周目」たる人間は、どのようにしてこのような言葉を語っているのか。
「――『国を作る』だね」
『あー、でも国ってなんか硬くて嫌ですね。やっぱプリパラですよプリパラ。音の響きもいいですよね。プリパラなら国とか関係ないですし』
「そっか……いや、ちょっと尾瀬さんの話思い出したから」
『尾瀬遥さんですか?』
「うん。尾瀬さんもちょっと似たようなことっていうか、『国を作る』って言ってたからさ」
『あー、あの人ならなんか言いそうですね。だからちょっとピリピリしてるんですかね』
「そう思う?」
『はい。いつも張り詰めてるっていうか、純粋に女優楽しんでる感じはあんまないですよね。まぁ私アイドル以外は専門外ですし興味もないんで全然ですけど』
「なるほどね……やっぱ江井さんも『見る目』すごいよね。なんか上からっぽい言い方だけど。京手さんたちも似たようなこと言ってたから」
『自信ありますからねー。京手さんたちもさすがですね。でも尾瀬さんに関してはやっぱり演技力すごいんでそこまでわかる人限られてると思いますよ。ほんとあの人プロなんで。まず視聴者には絶対勘づかせませんよね』
「私なんか言われても全然わからなかったからね……話して内容でさすがにちょっと違うぞってはわかったけど」
『ははは。いいんじゃないですかねー黒須野さんはそれで。だからこそ黒須野さんは勝てるんですし』
「勝てる?」
『はい。戦えるし勝てますよ。わからないからこそ厚顔無恥で突き進めるんじゃないですか。見えちゃってわかっちゃったら普通の人は足止まりますからね。黒須野さんはそれでも突き進めそうですけど』
「それは褒めてるの?」
『褒めてますよ。大絶賛です。好きで走る人間には必須だと思いますよ。自分の好き以外見ない見えないって能力は』
「そっか……まあゆーて私もぶれぶれだけどね。しょっちゅう足止まるし好きが見えなくなっちゃうし」
『それでもまた戻ってくればいいだけじゃないですかね。さっきの話ですけど、好きはなくなることもありますけど取り戻せることだってありますしね』
「……うん、そうだね。まあ私は未熟でたまに見失ったりするかもしれないけど、でも好きそのものが消えることはないってわかってるから」
『ははは、いいですね。じゃあ本番でお会いしましょうね。あのギンギラのヒルズで』
「うん。その時はよろしくね」
『こちらこそ。うちの女王たちの前でも辞書より分厚い面の皮でよろしくです』
「ははは。やってやりますよ厚顔無恥」
黒須野はそう言い、「じゃあまた」と通話を切る。顔を上げたその目には、自室の壁が映っている。その壁に貼られた、ディフューズのポスター。
見ない、見えない。239もその女王も、四天王に順位だって、見ようとしなければ存在しない。江井が言うとおりただの人。ヒルズだって高層ビルだってヒノテレ本社だって。そのスタジオ、照明だってこの目の中には入らない。
ディフューズ。乱反射。あの日みたあの光。追い求める、その景色。目に映るのはその光だけ。笑みに満ちた人々だけ。隣で一緒に笑っている二人に、袖で泣いている鷺林さんに永盛さん。そしていつも通りにしたり顔の木ノ崎さん。ああ、でも。いつかは木ノ崎さんも泣かせてみたいな。泣かせてやる。それが私の恩返し。あの日見つけてくれた、出会ってくれたことへの感謝の復讐。その手始めに。
さあ、いざ。あのスタジオへ。Lステへ。
ダイヤモンドの面の皮。辞書より厚い、銃弾だって貫けない面の皮。
私が私であるということを。アイドルであるということを、見せてやる。




