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五十沢晃のその誕生について、語る必要はあまりない。両親の出会いについて語ることなど、彼女の半生に対しては何の意味も持たない。母はオリンピックメダリスト・五十沢すみれ。父は日本人としてNFLに最も近づいた男、日本人史上最強の身体能力を誇ると言われた存在、米代馬走。とりあえずはそれで十分だ。
ともかく、この二人が結婚し、子供が生まれた。それが五十沢晃だ。
五十沢晃は、幼児期からその天才の予感を発揮していた。平均よりはいはいが早い。立つのが早い。歩くのが早い。そういう些細なところから。その分話すのは遅かった。明らかに言葉を聞き、認識してるかのように見て動くのだが、自ら言葉を発するのは遅かった。まるで言葉など必要ない、自分は自分の体のことで忙しい、といった具合に。
二歳の時、体操を始めた。いや、始めたというのは正確ではないかもしれない。ともかく初めて「体操の動き」を行った。
晃が生まれた時点で既に母・すみれは競技から引退し指導者としての活動を始めていた。出産してから仕事への復帰も早かった。仕事中は晃をベビーシッターに預けていたが、すみれは可能な限り晃を体操の現場にいさせた。というより、ベビーシッターに晃と共に現場にいるようにさせた。無論、まだ立ち上がることもできない晃に体操というものを見せるために。人間の動きの極限の一つを、その網膜に刻み込ませるために。
ベビーシッターの証言では、晃はその最初の日からそれらを凝視していたという。泣きもせず、黙って、ただじっと目の前で行われている人間たちの乱舞を見つめていた。とはいえそれも別に不思議なことではない。赤子というものはとにかく何かをじっと見つめる。その小さな頭の中で何が起きているかは、誰にもわからないことだったが。
そうして晃は生まれて数ヶ月の頃から体操の動きが当たり前にある景色の中で生きてきた。だから立って歩いて動けるようになった頃、幼少期から見てきたそれらの動きを真似しだすのは当然のことであった。
そう、真似。遊び。ずっと見てきたそれらを、体の成長によって自分もようやく真似できる。何度となく頭の中で描いてきた動きを。
イメージの再現。その最初の一歩。
初めてでも、自分に何ができて何ができないかを把握していた。できることは当たり前のようにやってのけた。できないことは何度も繰り返し、体で探り、体に染み込ませた。そして自身の肉体ではまだ絶対に到達できないことには触れようとすらしなかった。わかっている。今の自分には無理。やったら体が壊れるかもしれない。そんなことはやらなくたって、見ればわかることだから。
そうして五十沢晃の日常に――否、彼女の肉体に「体操」というものが加わった。その吸収速度、上達速度は誰が見ても紛れもなく本物の天才のそれだった。あの五十沢すみれの娘なのだから不思議はない、と言えばそうなのだが、だからと言えこれはさすがに常軌を逸している。天才というものは本当に遺伝するものなのか、と誰もが思った。無論自分も同じ競技をしているからこそ、自身にそれほどの才能がないことを自覚しているからこそ、その幼くして強大な理不尽・不条理を前に己の中の何かが崩れる者もいただろう。しかしそれは無邪気に遊ぶ子供の晃にとっては、なんら関係のないことだった。
そう、すべてはただの遊びなのだから。
五十沢すみれに、驚きはない。体操のプロではない米代馬走にも、驚きはなかった。喜びもない。「そうか」と、それだけ。
そうかそうか、そうなっちゃったか。そう生まれちゃって、そう育っちゃったか。
そういうものなら、そうなるだけ。そうだから、しょうがないよね。
そうしてただにこやかに笑う。楽しそうで何よりと笑う。娘の類まれな天才を誇ることも吹聴することもない。
何故なら二人もまた「天才」だから。天才に生まれ、天才として育ち――そして自分以上の天才たちとともに戦ってきた人生。そこにあったのは「そうか」だけ。
そういうものだから。だから笑って、ひた走る。
この世界で自分は、どこまで行けるのか。何を見れるのか。君が見ているそこまで行きたい。ただそれだけの衝動。
体操からしばらくして晃にバレエを勧めたのはすみれだった。あれは多分楽しいよ、と。自分の体というものをもっとよく理解できるはずだよと。そうして踏み入ったバレエの世界でも、すぐさまその天才を発揮する。類まれな天才たる両親からもらったとしか思えない、類まれな身体能力。バランス、体幹、可動域。そしてイメージの再現。元からあったそれらは体操によってより研ぎ澄まされ始めていた。
「お母様! 晃ちゃんは百年に一人の天才です!」
五十沢すみれがそのセリフを初めて聞いたのはその時だった。無論、体操を始めた時だって同じような言葉は聞いた。けれどもそれらは少し違う。「指導者」は自分だったし、そういう言葉を投げかけてくる者達もたいてい身内。無論天才は絶対なのでお世辞なんかではないのだが、完全な初対面の外部の人間がこのように目を輝かせ興奮しぶつけてくる言葉とは違う。
「ええ、知ってます」
とはさすがに言わない。ただ笑みを浮かべ「そうですか、ありがとうございます」と返すだけ。娘が天才などということは百も承知。けれども、あぁ、初めてがいきなり百年に一度か。大仰にも程がある。何一つ正しくない。何もわかってない。百年に一人? そんなことはありえない。
この世の中には、晃ぐらいの天才はごまんといる。百年に一人? ヘソで茶が沸く。晃なんかまだせいぜい、一日に一人。この世界は、彼女以上の天才でひしめいている。
だからこそこの世界は、最高に楽しいんじゃないの。
五十沢すみれは知っている。世界の頂点で戦い続けてきた人間は、知っている。天才など別に珍しくない。世界は天才でひしめいている。それをその体で体感し続けてきた。
万年二位。三度のオリンピックで一つ足りとも金メダルを取れなかった者。表彰台のその頂に、ついぞ足をつけることができなかったもの。
そこには常に、自分以上の、本物の天才がいた。
五十沢すみれはそれを知っている。その喜びを、楽しさを知っている。世界に天才が自分一人じゃ、真に孤独でつまらない。
晃、あんたは天才。だから真の天才になりなさい。真の天才に、挑みなさい。
そうすれば、この世は最高に楽しいから。
*
バレエに続いて水泳も始めた。これに関しては「泳げたほうが得。いざというときに溺れない」というのもあったが、ともかくそれも幼稚園に入る前に初め、そして当たり前のようにすぐさま「泳ぐ」という行為を習得した。そしていつものように遊びの延長で様々な泳法を習得していく。見て、見て、真似る。イメージの再現。自分の肉体の追求、動きの追求。「晃ちゃんは天才です!」もすぐさま。そしてそれはその後もお決まりとなる。
小学校に入る頃には各種業界で既にその名を知られていた。上級生も余裕で打ち負かす。体操の延長でトランポリンも。
天才です。天才です。天才です。当の晃はそんな言葉には意を介さず、ただ淡々と己の動きを追求する。イメージを現実に。イメージの再現。そのための繰り返し。何度も何度も。それは遊び。ただ楽しいから。勝利や数字や得点など、その眼中にはありはしない。大会や勝負など興味もない。とりあえず出ることになってるからとりあえず出て、とりあえず勝つ。けれどもその頭の中にあるのは「あそこはこうだったな」という思いだけ。自分のルールの中だけで生きている。順位もタイムも得点も、そういう「誰が決めて誰かがつける誰かのルール」は、彼女にとっては一切関係ない。
勝とうが負けようが、欲しいものは自分が目指す動きだけ。
その「天才」エピソードは枚挙にいとまがない。
例えば飛込競技。水泳をしている時に見て面白そうだからと始めたもの。その時すでに跳ぶも回転も当たり前。空中の世界はもはや彼女の半生の大部分。三メートルだろうと恐怖心などあるわけもなく、躊躇なく最初から回転して跳ぶ。そして、当たり前のように飛沫を上げず、きれいな着水。しかしその程度はただの始まりにすぎない。
体操、トランポリン、飛込。共通するのは回転。そして回転において重要な要素として共通するのが、動体視力。
なにもそれだけに限らない。動体視力はあらゆるスポーツにおいて重要である。しかしこと体操やトランポリンなどでの「回転」においてそれは他競技の比較にならない。160キロの豪速球を打つ野球でも、打者の視点は基本動かない。ワイドレシーバーが全速力で縦横無尽に走り、妨害され視線がブレまくる中でジャンピングキャッチをしたとしても、天地がひっくり返るわけではない。
そう、天地がひっくり返る。左右、天地、斜めに捻り。二転三転。自分自身が、世界の光景が猛スピードでかき乱される。そしてその回転の最中も、当然体は重力に従い地へと落ちていく。あまりにも劇的な、絶え間ない運動の視界。それが己の体を高速で「回転」させる競技の世界であり、異次元の動体視力を不可欠とするものだった。
無論目だけに頼ってではないが、空中における高速の回転の最中であっても人は自分の居場所というものを認識する必要がある。自分がどれだけ回転したのか、今自分の体がどこにどのような形であるのか。それを認識する必要がある。でなければ頭から硬い地面の上に落ちてしまうかもしれない。それは当然、死にも直結する。
彼ら彼女らは高速の回転の最中においても、視覚によってある程度を認識している。見える景色によって自分の体が何回転したか、空中のどのへんにいるのか、それを認識できる。幼少期から絶えず「回転」してきた晃ににとって、その回転の世界はほとんど日常そのものだった。だから自ずと、動体視力も。
話は飛込である。高いところであれば十メートルの高さから飛び、高速で回転し着水する。無論小学生が最初からその高さから飛ぶということはないが、高さの恐怖も回転も難としない晃は早い時期からバンバン飛び込み、回転していた。そこには類まれな才能に対する指導者の過度な期待があったのは当然だ。
何故この幼さでここまで完璧な回転と着水ができるのか。体操経験や才能の遺伝があるとはいえ、その体はどのようになっているのか。
そこで指導者が遊びもかねて行ったのが飛込の最中における動体視力のテストだった。飛び込み台の対岸で、紙を出す。色や数字や文字が書かれた紙。それを飛込の回転の最中で視認できるか試すというものだ。無論高所からの飛込、着水という危険がある以上無理に見ることはさせない。あくまで「回転のついでに見えたら答える」程度のものとして、たまに遊び感覚で実践するもの。野球においてよくある「ボールに数字を書いて投げ、その数字を読み取る」のと同じもの。それを晃にも、試してみた。
結果は当然、全問的中。色も数字も文字もはっきりと視認する。彼女の場合は単純な視力もいいので「文字が小さすぎて読めない」ということもなく、試しに行った「二枚読み」も当然のように正解する。その事実が示すことは何か。
五十沢晃には見えている。その高速の回転の最中でも、世界がはっきり見えている。だから当然空中において、高速の回転とともにある高速の落下の最中においても三次元的に、否、そこに時間も足したいわば四次元的に、自分のいる場所をはっきりと視認していた。
何故この歳でそれほどまでに優れた動体視力を有しているのか。指導者はその解を探ろうと本人に直接聞いてみた。曰く、
「いつも見てるからじゃないですかね」
それだけであった。
「――いつも見てるって何を?」
と指導者は尋ねた。帰ってきた答えは、
「全部です。よく回ったりしてるんでその時も全部見てますけど、あとは電車とかじゃないですかね」
「電車?」
「はい。電車って速いじゃないですか。だからちゃんと見てますね。面白いから。あれも多分先生が言ってる動体視力とか言うのと同じですよね?」
「そうね……ちなみに電車をよく見るっていうのはさ、例えば近くを電車が通る時にじっくり見るとかそういうこと?」
「それもありますけど、中も外もどっちもですね。外からだとこう、一瞬で通りすぎるんで、その時に窓から見える中にいる人をこう、ちゃんと見ますね」
「……ちゃんとって?」
「いろんな人いるじゃないですか。男の人に女の人に、眼鏡してたり背が高かったり太ってたり。顔も細部までよく見ますね。服装も。あと何してるかとか。スマホいじってるとか本読んでるとか。本はできたらタイトルとか。タイトルはさすがに距離あると無理ですけど」
「え、ほんとにわかるの? その、走ってる電車の中にいる人が読んでる本のタイトルまでちゃんと視認っていうか、こう、目で見えてるの?」
「できる時は。ホームに入ってきた電車がスピード落としてる時なんかはいけますね。特急とかが遠くでとかは無理ですけど」
「……それをさ、電車見かけたらいつもやってるってこと?」
「はい」
「……それは、その、動体視力を鍛えるために?」
「面白いからやってるだけですよ」
その時も晃は平然と言い放った。
「電車の中からも同じですね。色々景色見えるんで、視点は固定してパパパって見てます。文字読んだり人の顔とか、小さいとことか見るようにしてますね。それやってると楽しいんですぐ駅つきますよ。そうじゃなくても動いてるものは何でも見ますけど。見るの面白いんで」
それは遊び。ただの暇つぶし。暇な時間を楽しむため。動けない退屈なその合間を、少しでも面白く過ごすため。
すべては遊び。すべては自然。すべては呼吸。別に意味など求めていない。目的があってしているわけではない。練習や努力など、ありはしない。
天才はそのようにして生まれ、生き、勝手にその才を開花させていく。そういうものであった。




