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ライブ・オブ・アイドル  作者: 涼木行
第二章 死ぬほど好きだから
16/324

第五話 死ぬほど



 その日は、東京でも雪が降るという予報だった。


「お疲れー。いやー今日は寒いねー」


 コートを羽織った木ノ崎が鼻をすすりながらレッスン室に入ってくる。


「お疲れ。木ノ崎さんも風邪気をつけてね」


 と安積が言う。


「そうだね、大事な時期だし。君らこそ気をつけなよ、無理しないで」


「木ノ崎さんもダンスやったら温まるんじゃないですか?」


と五十沢が言う。


「ははは、かえって汗冷えて風邪ひきそうだね僕の場合。着替えもタオルもないし。だいたい僕のダンスなんて見るもんじゃないよ。夢に出るほど酷いんじゃないかな」


「あー、それは嫌ですね。イメージ上書きされると困るんで」


「五十沢さんが木ノ崎さんのダンス真似するのも面白そうだね。改めてすごいってなりそうだし」


 と安積は言って笑う。


「木ノ崎さん、黒須野さん今日だよね確か」


「あー推薦の発表ね。だったはずだけど」


「連絡あった?」


「ないよ。あの子のことだからどっちにせよ直接言うんじゃない? どうせレッスン来るんだし。まー大丈夫でしょ彼女なら。というかそうじゃないとスケジュール的にさすがに困るし」


「そっか。もう予定決まってる感じ?」


「希望であって確定ではないけどね」


 そこへ丁度、勢い良く黒須野が飛び込んできた。走ってきた様子で、息が切れている。


「――ハァ、ハァ……す、すいません、遅れました」


「大丈夫よ、まだ始まってないし。僕も今来たとこだから」


「そ、そうですか……」


 黒須野はそう言うとひとまず荷物を置き、飲み物を取り出して口に含む。


「――っはぁ……みなさん、受かりました……」


 黒須野はそう言い、顔を上げると満面の笑みを浮かべた。


「推薦合格です!」


そう言い、勝利のVサイン。


「おーそりゃよかった、おめでと」


「おめでと。やったね」


「良かったですね。これでもっと練習時間とれますね」


 木ノ崎、安積に続いて五十沢も言う。


「ははは、いきなりそれか……まぁ五十沢さんらしいけど、ほんとその通り。これで憂いなくレッスンに集中できます。みなさん今まで配慮していただいてありがとうございました。おかげ様で合格できました」


 黒須野はそう言い、ペコリと頭を下げる。


「うん、お礼なんかいいよ。受験なんだから当然だし。黒須野さんレッスンも勉強も、どっちもすごく頑張ってたしね」


 と安積が言う。


「はい。絶対どっちもとってやるって思ってたんで。それでその、長らくおまたせしてしまった感じにはなるんですけど会合というか、三人での話し合いといいますか」


「あー、そうだね。黒須野さんのお祝いも兼ねてどっか行こっか」


「はい、是非。詳しくは後からで大丈夫です。部屋使える時間はレッスンに集中したほうがいいですしね」


 黒須野はそう言い、解放された様子で伸びをする。


「じゃあバリバリやって今までの分取り返すから、よろしくね五十沢さん!」


「なにがですか?」


「いや、まぁ、とにかく遅れ取り戻してさっさと追いついてやるから待ってろって話!」


「あぁ、それはいいですけど待ちはしませんよ」


「知ってるし! ほんと話が……まぁいいや。とにかく今までの鬱憤やっと晴らせるなー」


 黒須野は言い、喜々として更衣室に向かっていった。



     *



 レッスンの休憩中。黒須野は一息つき、飲み物を口に運ぶ。


「イキイキしてるねぇ」


 と木ノ崎が声をかける。


「そりゃまぁ、解放感すごいですからね。プレッシャーはありましたし、時間も制限されてましたし、これで心置きなくこっちに全振りできるんで」


「はは、そりゃいいけどいきなり無茶するとケガのもとだからね。徐々に慣らしてったほうがいいんじゃない?」


「そうですね。いやでも、ほんと良かったです。安堵感っていうか、ほんっと肩の荷降りた感じで。木ノ崎さんも同じだったんじゃないですか? 受験の時」


「いや、僕受験してないからね。高校行ってないし」


「えっ」


 と黒須野が漏らしたところで、レッスン室のドアが勢い良く開いた。



「ういーっす! 遊びに来たぜキイさん!」


 そう言って手をぶんぶんと振るのは――EYESが誇る「日本一」のアイドルグループ『ディフューズ』の顔、京手縁(きょうでゆかり)だった。



――は? え、は? ゆ、ゆかりん?



 ディフューズのダブルセンターの一角、京手縁の突然の登場に、黒須野は木ノ崎の言葉などすっかり忘れ、眼と口をかっぴらいて愕然とする。しかしそれだけで終わらない。


「私もいるよーん」


 後ろから現れたのはダブルセンターのもう一人、石住美澄(いしずみみすみ)


(みみ、みすみん……)


 黒須野の開いた口は、完全に塞がる隙を見失った。更に続いて、


「どうも」


 どこかうんざりした様子で入室するはディフューズ最年少、三穂田要(みほたかなめ)。そして最後に、


「なんかほんと申し訳ありません、いきなり」


 と申し訳なさを全面に出す苦労人、リーダー新殿舞(にいどのまい)。つまり、


(――は? え、ディフューズの四人、揃い踏み……は? ――は?)



 黒須野の思考は、フリーズした。



「ははは、クソ寒い中元気だねぇ。どったのよいきなり」


 と木ノ崎は笑って出迎える。


「いやーようやく三人揃ったって聞いたからさ、見に来た」


 京手はそう言い、黒須野たちの方を見る。


「お、(あきら)じゃん。おっすー」


「はぁ、どうも」


「ノリ! 先輩がわざわざ顔見に来てやったんだぞ! 要、手本! 後輩のなんたるかを見せてやれ!」


「いや、意味わかんないんですけど」


「カナちゃんおっすー!」


 と石住は手を差し出し三穂田にハイタッチを促す。それに対し三穂田は、心底面倒くさそう表情でハイタッチを返した。


「おっすー……」


「いえーい。これだよこれ! わかる?」


 と言う京手に対し五十沢も、


「おっすー」


 と素直に、しかし無表情に返す。


「オッケー! テンション低いが許す!」


 京手はそう言って高らかに笑った。


 一方黒須野は、目の前に広がっている光景がわからない。いきなりディフューズが全員来て、すげーハイテンションで、ていうかなんか晃のやつ知り合いみたいだし、なんかもう全部追いつかない……と。


「今レッスン?」


 ディフューズの格好を見て木ノ崎が尋ねる。


「そ。休憩中ー」


 と石住が答える。


「なんか木ノ崎チームが近くでやってるって聞いて休憩がてらね。それよかキイさんさっさと紹介してよ」


 京手はそう言い、三人の方を見る。


「この三人で決定、だよね」


「そ。五十沢さんは会ってるもんね。センター。で、彼女が安積真さん。今高一。安積さん、彼女たちディフューズだけど知ってる?」


「うん、友達も好きだから。曲とかMVも見たことあるし」


 安積はそう言い、ディフューズに向き直る。


「初めまして、安積です。よろしくお願いします」


「よろしくー」


 と石住は返す。


「しくよろー。彼女木ノ崎組?」


 と京手は木ノ崎に尋ねる。


「まーね。僕のスカウト。四ヶ月前くらいかな」


「へー。いかにもキイさんの好きな感じ」


「はは、語弊があるねぇ。僕好き嫌いで選ばないよ」


「なんだっていいよめんどくさい。ここが震えりゃ全部好きでいいでしょ」


 京手はそう言い、自分の左胸をどんと叩く。


「しかしまぁ、ほんとまたすごいの連れてくるよなぁキイさん。スミ、お前よか上だぞ彼女」


「顔だけならねー」


 と石住はヘラヘラ笑って言う。


「私が最強なのは顔だけじゃなくて全部ひっくるめてだから、まだまだ全然足元にもっすよー」


「その自信が一番つええよほんと。いやー、でもいいねー。強いねー。物理で殴るじゃん」


 京手はそう言って笑い、木ノ崎を見る。


「見ればわかるは絶対だからね」


「そりゃ正しくキイさんのユニットだな。んで最後が」


 京手はそう言い、黒須野の前に立つ。瞬間、黒須野の心臓が早鐘を打つ。


「最後の一人。黒須野十子さん。中三だね」


 木ノ崎がそう、紹介する。黒須野は、どうすればいいのかわからない。



 ファンだ。憧れだ。昔から、大好きだ。死ぬほど聴いた。死ぬほど見た。死ぬほど踊った。彼女たちのようになりたいと。彼女たちが見ている景色が見たい、と。


 オーディションの時に言ったことは、嘘ではない。ファンではない。けれどもそれは事実ではない。宣言、誓い、自分に課したルールのようなもの。大好きだし、ファンだけど、でももうこれからは、ただのファンではいられない。ただのファンではあってならない。だってこれから、私は同じ場所へ向かうのだから。同じ場所に立つのだから。同じ景色を、それ以上のものを、見るのだから。だからそれは、自分への誓い。


 とはいえ、現実は違う。何の脈絡もなく、憧れが、画面の向こうの存在が、いきなり目の前に現れた。触れる距離に現れた。しかも受験に合格したその日という、緩みきった状態のところへ。


 加えて、トドメは。今、目の前に、京手縁……



 推しである。基本は箱推しとはいえ、人である以上どうしてもそこに差が生じる。


 推しだ。ディフューズで、全てのアイドルの中で、いや、全人類の中で、最も、憧れる、その存在。一目見た時、最初から、ずっと憧れてきた、自分の理想。目標。


 好きだ。ただひたすらに、彼女が好きだ。その全てが好きだ。



 ――私はただ、あなたのようになりたくてここにいるんです。



 触れたい。抱きつきたい。ただ愛を叫びたい。伝えたい。けれども、それは、絶対できない。やってはいけない。


 誓いがある。誓っただろ、自分自身に。


 私は、私が思う私になるんだ。理想に近づくんだ。


 だから。




 しばしの沈黙。目の前の京手を真っ直ぐに見つめるその目には、涙が浮かんでいる。一方でその顔は、砕けんばかりに歯を食いしばり、震えている。その顔を、京手は黙ってまっすぐに見つめている。狂喜に似た笑みを湛えて。


 ――黒須野は、一瞬うつむく。そうして、自分の頬を両手で思い切り叩いた。バチン、という乾いた音が、レッスン室の中に響く。


「――今日、高校、推薦合格しました……」


「そりゃおめでと」


「はい、ありがとうございます」


 黒須野はそう言い、顔を上げる。


 その目にはもう、炎しかなかった。


「これで今日から、これに全部注げます」


 黒須野はそう言い、息をつく。


「私は!」


 黒須野はそう言い、ディフューズの四人を見た。


「私は、あなた達四人が見たものを、見ているものを見るために、ここに来ました。あなた達四人が見ている、それ以上のものをいつか、見るために、私は今ここにいます」


「――そっか。で?」


「だから、今は、お礼だけ言います。ありがとうございます。私をこっちに、引きずり込んでくれて。おかげでそこを、目指せます」


 黒須野はそう言い、キッと、真っ直ぐに京手を見る。


 その視線に、京手は、笑って返した。


「はは、そりゃ違うね。礼言われる筋合いなんてないよ。あたしたちは何もしてない。あんたが勝手にこっち来ただけ。楽しそうで仕方なかったんでしょ? こっち側が」


「……はい」


「ならこれからもっと毎日毎秒楽しいよ。うちらがいるとこ目指すならなおさらね。死ぬほど楽しい事しかないからさ。良かったね」


「……はい、良かったです」


「うん。それと、それこそ礼を言うならキイさんよ。あと晃と安積さんもだな。あんた運いいよ。運も必然だけど、その必然に感謝だね。それがなくたってあんたはこっち側に来てただろうけどさ、いるべき場所にいられるのは、別だから」


 京手が言うことは、なんとなく、理解できた。


「ま、うちらはどんどん先行くからね。全速力で走り続けな」


「――はなからそうするつもりです」


「そりゃ楽しみだ」


 京手はそう言い、ニッと笑った。


「あはは。キーちんほんと持ってるよねー。引き強すぎー」


 木ノ崎の隣で石住も笑って言う。


「はは、まぁただのタイミングよ全部」


「それねー。私とゆかりんの時もそうだったし。タイミングって面白いよねー」


「ほんとほんと。いやー予想以上に面白そうじゃん! すげー楽しみよあたし」


 木ノ崎の元へ戻ってきた京手もそう言い、ぐっと親指を立てる。


「そりゃなによりだよ。まーいつでも遊び来ていいからさ。レッスンとかも好きにやってくれて構わないし。先輩の役よろしくね」


「あー、でも後輩はカナちゃん一人で十分だよねー」


「要は後輩百人分くらいの働きっすっからなー。ほんとプロの後輩だよ」


「いや、意味わかんないんですけど」


 と三穂田要がいつも通りにつっこむ。


「後輩オブ後輩ってことっすよー。まー面白そうだから気が向いたら遊び来るねー。キーちんの顔もたまに見とかないと忘れちゃうし」


 と石住はふわふわ笑って言う。


「そりゃどうもね。あーそれでさ、丁度いいからついでなんだけど新殿さん。あれの話ってもう聞いてる?」


「はい? あれってなんですか?」


 急に話しかけられ驚きつつも新殿は返す。


「あれっていうかこれなんだけどさ。三月の」


 木ノ崎はそう言い、黒須野ら三人を指す。


「あー、あれですか。一応話だけは。というよりそのせいでここ来た感じなんで」


「あーやっぱそうなの。てことは一応みんな聞いてるのね。どんな感じだった?」


「んー、まぁ、鴫山さんが無理やりぶち込んでくるだろうから仕方ないけどそのつもりでいろ、みたいな感じでしたね、田島さんは」


「なるほどね。君らに決定権ある?」


「そうですね……正直押せば普通に通ると思います」


「そっか。んじゃ京手さんどう思う?」


「そんなんやる一択でしょ」


 と京手は答える。


「なんも見てないけどその判断でいいの?」


「今見たって仕上がってないんだから意味ないでしょ。それよか立つ前提でやらせたほうがこれからの時間面白くなるしさ、使うべきように使えるでしょ、時間」


「そだねー。私も絶対やらせる派ー。そっちの方が面白いしそういうルートで進ませたほうが断然楽しいじゃん?」


 と石住も答える。


「三穂田さんは、二人がやるって言ってる時点で自分には選択権ないんで、とかかな」


「そうやってまた人の頭ん中覗くのやめてもらえませんか……?」


 と三穂田は嫌悪感を顕にして言う。それに対し木ノ崎は珍しく心底嬉しそうな笑みを浮かべながら返す。


「別に覗いちゃいないよ。三穂田さんならそう言うだろうなーって思ってさ。で、どう?」


「……まんま木ノ崎さんが言った通りですよ。この二人がやるって言ってる以上私には選択権ないんで」


「んなことねーだろ要! 人のせいにしないで自分で選べちゃんと!」


 と京手が言う。


「えぇ……先輩たち一度でも私に自由に選ばせたことあります?」


「ある?」


「ないかもねー」


「じゃあ今選ばせてやっからどうぞ」


 と京手と石住は言う。


「……じゃあ、まあ正直賛成でも反対でもないっていうか、私は別にどっちでもいいですけど、ただまぁ、最初からそれっていうのはさすがに同情しますね」


「はははー、なにそれ。どこ目線ー?」


 と石住。


「先輩たちみたいなネジ外れた異常者じゃない普通の凡人目線です」


「ライブになっと豹変するステージ中毒が何言ってんだお前」


 と京手。


「ははは、相変わらず仲いいねー。で、新殿さんはどう?」


「まぁ正直、上が決めればそれに従うだけですからね。現状縁と美澄がノリ気である以上はほぼ確実でしょうし。ただまぁ、私個人としては当然それにふさわしいものじゃないと立たせるわけにはいかない、ですね。それに関しては私個人の納得の話になるとおもいますけど」


「いや、そんなことないよ。すごい重要なことだからね。だいたい君ら四人全員が了承してないんじゃこっちもやるわけにはいかないし。ってことでさ、実際見て決めるってことにしない?」


「彼女たちのパフォーマンスを、ってことですよね」


「そ。まー可能であれば一ヶ月前までにはだね。じゃないと色々間に合わないだろうし。ざっとこれから一ヶ月か。それで見て決めてよ」


「私は構いませんよ。あんたらは?」


「右に同じー」「同じー」「同じでいいですよ」


 と三人も答える。


「だそうです。鴫山さんはどうします?」


「まー僕から話しとくよ。多分大丈夫でしょ。そっちにはとりあえず君から言っといてよ。こっちも後で直接挨拶しないとだけどさ」


「わかりました。けどすごい自信というか、勝算あるってことですよね」


「はは、まぁね。見えてるから」


 木ノ崎はそう言い、自分の目を指差す。


「見ればわかる、よ」


「――相変わらず怖いですね、木ノ崎さんは」


「んなことないよ。んじゃ決定ね」


 木ノ崎はヘラヘラ笑い、今度は黒須野ら三人に向き直る。


「突然だけどお知らせ。君らのお披露目デビューライブ、三月二〇日予定ね」


「え?」


 あまりにもいきなりの言葉に、黒須野は目をひん剥く。


「場所はディフューズのツアー初日の前座。ざっと三千人近いハコ。一曲だけやってはいさよならのつもりだから」


「――は?」


 いや、は? ディフューズの、ツアーの、初日の、前座? 三千人?



 ――聞き間違い?



「で、まーそういう予定は立ててたんだけどさ、やっぱそれに相応しくないとやらせられないよねーってことでね、今からだいたい一ヶ月後にテストライブします。それを四人、あとディフューズのスタッフにもかな、見てもらって、これならやってもいいよってお墨付きをもらいましょう、って話なんでそういう感じでこれからはレッスンやろうね」


「――はい?」


「もっかい言ったほうがいい?」


「いや、え、大丈夫ですけど……え、冗談抜きでですか?」


「そりゃマジのマジよ」


 木ノ崎はそう言い、楽しそうにへらへら笑う。


「……お披露目、っていうか、一発目の、お客さんの前でのライブが、ディフューズのツアー初日の前座ですか……? 三千人の前で?」


「そうよ。いいでしょ? これ以上ないって演出だよね」


「そりゃ、実現したらすごいですけど……」


「ピッチャービビってるー」


「へいへいへい♪」


 京手、石住が合いの手を入れる。


「いや、ビビってるというか……」


 というかあの二人は、と思い黒須野は安積と五十沢を見る。


 無風。凪。何一つ、揺れていない。あまりにも、どこまでもいつも通り。


(この人たち、もしかして何もわかってない……?)


「えっと、あの、安積さんはどう思います?」


「どうって?」


「いや、全体的にというか、全部ですけど……」


「んー……まぁ、正直三千とか言われてもさ、そんな人数の前に立ったことないからわからないかな。みんな彼女たち四人のファンだってことはすごいアウェイなんだろうなーとは思うけど、でもそれ他でも一緒だから」


「……一緒って?」


「私たち、ファンとか一人もいないじゃん。デビュー前だから当然だけど。ならどこでやってもは同じだよなって」


 そりゃ、そうだけど……


「あとはまぁ、木ノ崎さんがそこがいいって思ったんなら、そこが一番いいはずだからね。どうせなら一番いい場所でやった方がいいし、だったら私たちもその一番いい場所で一番いいライブすればいいだけじゃないかな、って」


 ――ああ、この人も、思考がちょっとおかしいんだった。


「一応聞くけど、五十沢さんは? とりあえずなんでもいいから思ったこと言って」


「そうですね……二ヶ月後って遠すぎじゃないですか?」


「むしろ近すぎ!」


「そうですか? そうなんですかね……」


 五十沢はそう言い、首を傾げる。その様子に、思わずため息が出る。


「他には何かある? 何もないならいいけど」


「んー、まぁ何もないですけど――十子ちゃんはやりたくないんですか?」


 その、あまりにも真っ直ぐな問いが、彼女の胸に突き刺さる。


 やりたくない? んなわけないでしょ。やりたいに決まってる。やりたくないわけなんかない。だってあの、ディフューズだ。ディフューズの前でできるんだ。ディフューズのファンの前で、できるんだ。三千人。たった二ヶ月後。こんな、こんなチャンス、ありえるわけがない。普通なら、そこまで行くのにどれだけの時間がかかることか。幸運、なんてものじゃない。絶対に逃しちゃいけない、そういうもの。


 でも、現実的に考えて、そんなことができるのか。していいのか。許されるのか。見合うのか。たった一ヶ月で彼女たちに認めさせて、たった二ヶ月でステージに立つ。ただのステージじゃない。ディフューズのライブを今か今かと心待ちにしている三千ものファンの前でのステージだ。適当なことはできない。最上の、さらにその上のものでなければ許されない。そもそも資格という意味で、何者でもない自分たちにそんなものなどないのだから、必然要求されるものは上がる。というより、じゃないと自分が許せない。


 あのディフューズの前でやるのだ。その看板を、背負ってやるのだ。


 まだ始まってすらいないような自分たちに――いや、自分に、果たしてそれができるのだろうか?


 嫌になる。想像するだけで怯えがくることも、そうして怯えている自分も。


 なにより、やらない理由を探している自分が。



 二人には、やらないなんて選択肢はない。晃は、わかる。天才だ。本物の天才。思考回路がおかしい以前に、当たり前にそこに立てるだけの才能、実力を持っていて、あらゆるもので勝利をおさめてきたのだから、怯える理由などどこにもない。今までの延長。日常の続き。たとえ三千クラスのステージでも、彼女にとってそれは変わらない。面白そうならやる。つまらなそうならやらない。わからないならとりあえずやる。実にシンプル。子供の思考。


 安積さんは、正直わからない。ただ、言ってることは全く正しい。誰も知らない、ファンなどいない、そういう場所なら、どこでも一緒だ。相手が何人にようと変わらない。この人は、多分他人の視線がどうでもいい。関係ない。一切ぶれない。絶対的な芯を持つ。ピンと来ないのも事実だろうが、ピンと来たところで変わらない。思考はシンプル。やるべきことをやる。一番いいことを、やる。


 そして、木ノ崎さんが見ている方へ、進んでいく。


 この人の、木ノ崎さんへの謎の信頼。それが信頼なのかもわからない。それが正しいのかも、まだ自分には判断がつかない。


 ただ、わかるのは、それが突拍子もないということ。そしてなにより、実現したら一番面白いだろうということ。


 そう、一番面白い方向。一番面白い景色。木ノ崎さんが見ているものは、多分それ。


 ならば、答えは簡単なのだ。面白いものと、面白くないもの、どっちがいい?


 一番と、一番じゃないほう、どっちがいい?


 忘れるな。思い出せ。自分の初志を。あの景色を。ディフューズのライブ。あの曲。リフレクション。乱反射。私の目に映った、この目に映したいと願った、あの光を。


 そうだ。それさえあれば、他の全てはどうでもいいんだ。


 目の前にいる。すぐそこにいる。私の指針。でもそれは、そこにいなくてもここにある。目を閉じればはっきり見える。いつだって私の胸の中に。


 だから、ありがとうディフューズ。ありがとう、京手縁。


 黒須野は巨大な、溜め息を吐いた。



「はーーーーーっ………………五十沢さん、わかってると思うけど、はっきり言っておく。


 わっっっっっっっっっっっったしが一番やりたいに決まってんでしょうが!」


 黒須野は、吠えた。


「あんたの! あんたらの! 他の誰よりも! 比べ物にならないくらいにね! 私が! この世で一番! それがやりたい人間なの!」


 黒須野はそう吠え、息を乱す。


「――十子ちゃん情緒不安定ですね」


「うっさい! あんたが常時安定すぎんの! いい? とにかくそういうことだから! 何がなんでもそこでやるから! 今すぐ死ぬほど練習するから! 私が一番下手なんだから! だからよろしくお願いします!」


 黒須野はそう叫び頭を下げるとばっとディフューズに向き直る。


「そういうことなので! 申し訳ありませんが今すぐ練習に集中したいので今日のところはこれでお引き取りお願いします!」


 そう言い、再びお辞儀。


「一ヶ月後! よろしくお願いします!」


「――うん、こちらこそよろしくね」


 リーダー新殿はそう言い、ニッと微笑んだ。


「はい! それと、私事ですが、ディフューズのみなさん。それとなにより、京手さん」


 黒須野はそう言い、真っ直ぐに京手を見る。


「――死ぬほど好きなので、いつか追い越します」


 その言葉に、京手縁はニッと微笑んだ。また、狂喜を湛えて。


「――ぜひ、そうしてよ。したらようやく、私も誰かを追えるからさ」


 誰の背中も前にない、先駆者の退屈な乾き。


 待ちはしない。やれるもんなら、やってみてよ。


 そしたらここが、もっと面白いって思えるから。



「じゃ、退散たいさーん。先輩が後輩の邪魔してちゃ示しつかないしねー」


 と言ってへらへら笑う石住を、三穂田が「は?」と凝視する。


「ん? なーにカナちゃん」


「どの口で言ってんすかそれ」


「このかわいいおくち―」


「はぁ……」


「何が『はぁ』だこいつ! 口臭くらわすぞこら!」


 と京手が三穂田の肩に腕を回し外へ引きずっていく。


「マジでやめてください。先輩の口臭いんで」


「それが生きてる証なの! 人間なの!」


「私のは天然フローラルだけどねー」


 と石住。


「どこがだよ。だいたいフローラルの意味わかって言ってんのそれ?」


「洗剤のコマーシャル?」


「大体合ってるな」


「合ってねえよ! いいからお前らさっさと外出ろ邪魔だ!」


 流石にキレた新殿が三人を外に蹴りだした。


「いや、ほんとすいませんでした……」


 新殿はそう言い、頭を下げる。


「ははは、相変わらず子守が大変そうだねー。可哀想に」


「半分くらいは拾ってきた木ノ崎さんのせいですからね」


「いやー僕は拾ってきただけだから。あてがったのはシギさんじゃない。恨むならあっちにしてよ」


 木ノ崎はそう言いつつ、新殿と共に廊下に出た。



「まーみんなお疲れ。今日は来てくれてありがとね。今度機会あったら差し入れ持ってくよ」


「さすが、気が利くねーキイさんは。しかしほんとおもしろい面子揃えたね。てかあの子私の事好き過ぎでしょ」


 京手はそう言い、子供じみた笑みを浮かべニッと笑う。


「自意識過剰すぎ~」


 と石住が茶化す。


「はあ? 本人が言ってただろ? つか見たろあれ。涙浮かべながらめっちゃ歯ぁ食いしばってさ。いやーもう揺れてたね、盛大に」


「結果ふられちゃってたけどねー」


「ふられたって言わねえよああいうのは。しかしまぁ、堪んないわな。ああいうバカみてぇに強すぎる感情。いいよねー純粋で。要もあんな頃に戻って欲しいもんだよ」


「いや、そもそもあんな頃がなかったですけど」


「よく言うー。カナちゃんあの子にゆかりん大好きで負けてるんじゃないー?」


「いや、そもそも私先輩のこと好きじゃないんで」


「よく言うー! 素直になれよいい子いい子してやるからさー」


 京手はそう言って三穂田の頭をわしわしと撫でる。


「いらないっす。ていうかそれ言ったら美澄さんこそ縁さんに負けてたじゃないですか。あの子の好きの対象」


「あー、でも別にいいかなー。私好かれるより畏怖される方がいいしー」


「こわっ、魔王じゃん。けどまぁ、いいよね十子。あれが鍵でしょこのユニット。ほんと完璧なの引いてくるよ。そもそも五十沢さんのあとどうなったらああなったの?」


 と京手は木ノ崎に聞く。


「まぁ、五十沢さんの時点で三人ってことでね、彼女に釣り合うのは手持ちじゃ安積さんだけだったから声かけてさ。安積さんはその二ヶ月前くらいにスカウトしてたんだけどね、まー二人並んだらヤバいじゃない。ってことで残り一人は必然的にああいう子が必要だったんだけど中々見つからなくてね、シギさんに連れてかれたオーディションに仕方なしに行ったら黒須野さんがいてさ。そりゃ即捕まえるよね」


「はーん、オーディション組か。なんの?」


「アイグラ」


「あー要のか。やっぱ似てるだけあってルートも一緒だな」


「え、似てますかあの子?」


 と三穂田が言う。


「方向性は一緒でしょ。役割やらポジションも。ま、お前並みに伸びるよありゃ。上にいんのがあの二人だしね」


「……先輩二人のほうがすごいっすよ」


「そりゃそうよ。だから必然的にお前のほうがすごい。だろ?」


 その言葉に、要は黙って頷く。


「それだけはカナちゃん誰にも負けないからねー。それこそ死んでも」


 石住もそう言い、笑みを向ける。


「私たちもじゃんじゃん薪焚べてあげるしね」


「んじゃあたしはガソリンぶっかける」


 と京手も言う。


「あーそれ反則~。なら私は火薬かけるねー」


「んなふりかけみたいに気軽に爆発させられてらんないんすけど」


 と三穂田も慣れた様子で冷静につっこむ。


「ははは。まーとにかくさ、オーディション組にはたまにバカみてぇな闘争心の塊いるしね。ほんといいタイミングで来てくれたって感じだ」


 と京手は木ノ崎に言う。


「そこは君らのおかげでもあるからさ、ありがとね」


「あー、そりゃうちら好きならうち受けるか」


「そ。オーディションの時さ、彼女君らのことなんて言ったと思う?」


「んー、敵」


「ははは、さすがにそこまで好戦的じゃないよ。スタートライン、だってさ。目標というより最低限そこにたどり着かないと始まらないっていう。君らのファンだった、っていう過去形の後でね」


「はーん、それであれか。死ぬ気で歯ぁ食いしばったんだろうね。口で言うのは簡単だけど、いきなり実物が目の前に来ちゃ話は別だし」


「そだね。まぁでも、あれこそが彼女よ。涙浮かべてでも、歯ぁ食いしばってでも、大好きな人が目の前にいてでも、自分が目指す道を選ぶっていうね。どうよ? うちの起爆剤。彼女がいれば二年で追いつけるでしょ?」


「ははは。ま、夢を見るのは勝手だよ。ほんとにそれをしたいなら、死ぬ気で走らせ続けないとね」


 京手はそう言い、ニッと笑う。


「じゃ、一ヶ月後。楽しませてね」


 それだけ言い、四人は去っていった。木ノ崎は一つ息を吐き、レッスン室に戻る。




 鬼気迫る顔で、練習を続ける黒須野。その隣で、いつもと何ら変わらない二人。ただ、その額に流れる汗は、普段より少しだけ多かった。


(色々狙って来てくれたのか……いや、どうせあの二人のことだし完全にただの気まぐれだね。残りの二人はいつも通りに振り回されて。まーでも、気まぐれだろうと来てくれたおかげでこれだからね)


 木ノ崎は満足気に口角を上げ、腕を組み、黒須野を見る。



 燃えろ。もっと燃えろ。君自身が炎になんなよ。それが君の役目だから。炎に追われりゃどんな動物も走りだす。ケツに火がつきゃ、走る以外に道はない。


 すました顔の天才二人のそのケツに火ぃつけてさ、てめぇらも所詮動物だって思いださせてあげなよ、黒須野さん。



 それはとっても面白いじゃない?



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