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ライブ・オブ・アイドル  作者: 涼木行
第六章 まことの夢
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第八話 誰にも知られることなく海に降る雨


 

 目的地の湘南の海岸付近についた。雨は、まだ降り止まない。


「おはようございまーす! 初めまして!」


 と今回のCMの担当者、広告代理店の女性が挨拶にやって来る。


「初めまして、今日はよろしくお願いします」


 と永盛が言い、三人で頭を下げる。


「こちらこそよろしくお願いします。いやー雨ですねー。雨雲の動き見てる限りじゃろそろ雨雲切れそうなんですけどねー。安積さんって晴れ女雨女どっちです?」


「んー、じゃあ晴らす女で」


「ははは! いやーいいなー。それ絶対業界で重宝されますよ。まー晴らす前に雨降ってるの前提になっちゃいますけどね!」


 と広告代理店特有の明るさ、有り余るエネルギー全開に笑うのだった。その後今回の撮影者に次々に挨拶をしていく。


「どうも初めましてね。で早速で悪いんだけどさ、すぐ用意してもらって可能であれば雨のシーンも撮るっていうの考えてるんだけどどう?」


 と言うのは今回のCMの監督である。


「まー晴れのシーンの予定だったけどさ、折角雨降ってるから雨のシーンも撮って、雨止んですっかり晴れ渡って、っていうのもいいんじゃないかってことで一応ね。上手く編集できればそっち採用って感じで両方撮ってみてさ。まーその分負担増やしちゃうことになるけど」


「私は大丈夫ですよ。こちらも色々試せて勉強になるので」


「そっか。んじゃ来てすぐで悪いんだけど準備入ってもらっていいかな」


「わかりました。じゃあ行こっか」


 と永盛が安積に言う。


「うん。木ノ崎さんは何してる?」


「適当にタバコ吸ったり散歩でもしてるよ」


「そっか。じゃ、またね」


 安積そう言ってふっと微笑み、軽く手を上げ永盛とともにスタイリングへと向かうのだった。


「いやー安積さん、実物はもっとヤバいですね」


 と木ノ崎に話しかけるのは一緒にいた広告代理店の女性。


「私個人的に安積さんのファンだったんで一度は絶対起用したいと思ってたんですよー。まさかこんな早く一緒に仕事できるとはねー。ほんとすごいですね彼女」


「はは、そうですね。彼女もいずれうちの看板背負いますよ」


 と木ノ崎は答えへらへら笑う。


「ですよねー。アイドルとはいえゆくゆくは女優・モデル路線でポスト尾瀬遥もいけるってオーラですもんね。ほんと実物はオーラがやばすぎるなぁ……やっぱり木ノ崎さんがスカウトされたんですか? さっき頂いた名刺に新人開発部ってあったんで」


「そうですね、私のスカウトです」


「ていうことは当然木ノ崎さんはスカウトの方なんですよね。マネージメントも担当されてたりするんですか?」


「いえ、そちらは一切。ほんとスカウト一本ですよ私の場合は」


「へー。だと今日はどうして来られたんですか? スカウトの方がタレントの撮影の現場まで来るなんてほとんどありえないですよね」


「そうですねぇ……まあスカウトしたよしみといえばそうなんですけど、なんか今日の撮影はどうしても見せたかったみたいでね、頼まれまして。内容は秘密ってことでまだ何の撮影か聞かされてないんですよ」


「あら、そうだったんですか。へー。安積さんってCMの撮影は今回が初めてでしたよね確か」


「そうですね、そのはずです」


「じゃあそういうことなのかもしれませんね。何かスカウトした時に言ったんじゃないですか? 君ならCM女王になれる! みたいなの。それで恩人に最初の撮影は見せてあげたいなーとか。いやースカウト冥利に尽きますねー」


 と女性は言い、快活に笑う。


「ですかねぇ。何話したかなんて全然覚えてないからわからないんですよね。まー実際撮影見て思い出せればいいんですけど。というか思い出せないとヤバいんですけどね」


「そうですねー。信頼への裏切りですもんね。失礼ですけど木ノ崎さんはスカウトはどれくらいですか?」


「EYESに入ってからはほぼ十年ですね」


「へー。今までどういった方スカウトされてこられました? もしかしたら私がお仕事ご一緒した方もおられるかもしれないんで」


「いやー、ちょっと自慢みたいになるからあんまり言いたくないんですよねぇ」


「はは、自慢って。それこそ尾瀬遥さんレベルとかだったり」


「……まさにですね」


「え、マジですか? 尾瀬遥スカウトしたの木ノ崎さんなんですか?」


 その大げさな反応に、周囲の者も否応なしに反応して木ノ崎の方を見る。


「ええまぁ、一応は」


「へー、すごすぎですね! てか尾瀬さんって確か一五の時に芸能界だから丁度十年前ですよね。事務所入ってそっこー尾瀬さんスカウトですか?」


「そういうことになりますね」


「めっちゃすごいじゃないですか! え、他にはどなたスカウトされました?」


「いやー、まぁ言いますけど、まず上登藍(あがとあい)さん、京手縁さん、石住美澄さんに、あと静潟星夏(しずかたせいか)さんとかですね。安積さんと同じエアの二人も一応私のスカウトです」


「……え、木ノ崎さんってバケモンスカウトですか?」


「いやー、どうですかね。厳選してるんでそりゃどうしたって有名どころばっかりになりますからねぇ」


「いやいやいや、その面子考えたらどう考えたってEYESのスーパーエースじゃないですか。え、てかここ十年のEYESの大物ほとんど全部木ノ崎さんですかじゃあ?」


「そんなことはないですよ。他の方も素晴らしい仕事されてますし。私の場合は数はそう多くないですからね。事務所にとっては質も量もどちらも大事ですから」


「いやーそれにしたってそれにしたってですよ。見る目半端ないですねー。それで安積さんもですもんねー……あの、間違ってたら申し訳ないんですけど、もしかして以前尾瀬さんと飲んでるとこ写真撮られたりしてました? ていうかそうですよね? あの時の男の方」


「あー、なんか一般人が盗撮してネットに上げてたみたいですね」


「それですね。やっぱそうですよね」


「ですね。まー感謝祭、先月ゴールデンウィークにうちが感謝祭っていう自社フェスやったのはご存知ですかね」


「ええもちろん」


「その打ち合わせといいますか、交渉ですね。一回目なんだからスカウトしたお前がなんとかして尾瀬さん口説いてこいとか言われまして。まー無茶だろって感じですけど結局尾瀬さんにも出ていただいたんでほんとありがたい限りですね」


「あー、そういう感じだったんですね。いやーでもそういう話聞いてるとますます安積さんのポスト尾瀬、ゆくゆくはEYESの顔ってのがはっきり想像できますねー。もう約束された勝利って感じですよねもはや! EYESのスーパーエーススカウトのお墨つきじゃ」


「はは、だといいんですけどね。まあうちは一人じゃなくてみんなの力でやっていく事務所ですからね。安積さんだってそういうみんなの一人ですよ」


 木ノ崎はそう言い、へらへらと笑うのであった。



     *



 木ノ崎は暫くの間、雨の中傘をさし一人海を眺めていた。海に降る前。それはすなわち、故郷へ帰るべく降り注ぐ水たち。


 口に咥えているのはタバコではなく安積からもらったチュッパチャップス。タバコを吸いたくて指がずっとトントンと動いているが、その衝動をなんとか押しとどめようとしている。


 最近、本気で禁煙を考えていた。一八の頃から吸い始め、約一四年。その間吸わなかった日などおそらく一度もない。毎日一箱は吸うほどのヘビースモーカー。起きている間は三十分に一度は必ず。その肺はおそらく臓器の区別もつかぬほど真っ黒に汚れているだろう。


 今更、とも思う。別に何かが変わるわけではない。今更やめたところで、健康に影響などあるものか。そもそも健康などずっとどうでもよかった。どうでもいい、はずだった。天涯孤独。父は生まれた時からおらず、母はもう十年以上顔も見ていない。生きているかもわからない。兄弟はなく、友と呼べる友もいない。本当に、今もなお自分の過去から地続きでいる者など「先生」くらいのものである。途中で一応鴫山が、尾瀬遥が――そして「彼女」が入ってきたとはいえ、その途中参加はまったく異なる。別に彼女たちのために生きているわけではない。彼女たちのために生きるつもりもない、はずだった。


 別にいつ死んでもいいと思っていた。死ぬ気はないけど、生にそこまで執着もない。どこまでも、自分一人の命。でも、それが、変わってきてしまった。


 先がほしいと思っている。見届けたいと、思っている。何年かかるかわからない。いや、そもそもそれに終りがあるのかもわからない。もしかすると望む終わりは天寿の全う以外にないのかもしれない。


 ともかく、先がほしい。タバコがその妨げとなるのならば、こんなもの――


 もちろん理由はそれだけではない。まだ子供の、若い彼女たちのその健康に、ほんの僅かでも害を与えぬため。受動喫煙、煙を吸わせないのは当然として、その残り香たる物質も。自分のこの毒を、少しだって、彼女たちに拭きかけてはいけない。どれだけ些細だろうと、僅かだろうと、リスクがあるのならば、それらすべてを消し去るべきだ。


 木ノ崎は海を見る。海に降る雨。誰にも知られることなく、独り海に降る雨……


 それは内面だった。心と呼ばれるもの。木ノ崎の胸の中で、誰にも知られることなく雨が降る。シトシトと、時には激しく音をたて。それまでは雨などない凪の海だったのに。


 誰にも知られることなどない、真っ暗な極夜の海だったというのに。


 ――タバコ、本気でやめようかね……


 木ノ崎は大きく、溜め息を吐いた。そうして撮影現場へと戻っていく。


 戻ると、そこにはスタイリングを終えた安積がいた。


「あら、制服なんだ」


「うん、制服」


 と答え安積は頭を下げ自分の服装を見る。


「へー、なんとなくわかってきたかな、内容」


「そう?」


「うん。まー二択だね。どっちか。けどいつもと違う制服だとやっぱ印象違うねー」


「そうなんだ」


「まー僕から見たらね。たまにしか見てないけどこれなんだから普段から見てる人ならかなりかもね。同級生とか。まー想像だけどね」


 と木ノ崎は「中卒」であるが故に言う。


「へー。あ、じゃあ記念に写真撮っとこっか。二人とか友達にも見せたいし」


「あーいいかもね。特に黒須野さんにはいい刺激でしょ」


「はは、無自覚の煽りだね。晃ちゃんお得意の」


「ははは。発破よ発破。彼女にとっては必要な刺激じゃない。じゃあ僕撮るからスマホ預かるよ」


「木ノ崎さんも一緒だよ」


「え?」


「木ノ崎さんと永盛さん。三人で撮らないと」


「いいのそれで? 二人はともかくあの日和田さんたちにも送るんでしょ?」


「うん。いいじゃん、おもしろくて」


「そう。君がそういうならそれでいいけど。じゃあ撮ってもらおうか」


 木ノ崎はそう言い、永盛とともに安積を挟むようにして立ち、安積のスマートフォンで他の関係者に写真を撮ってもらう。


「――ははは、なんだか入学式の写真みたいだね」


 と木ノ崎は撮ってもらった写真を見て言う。


「両親が娘挟んで校門の前で撮ってるのと同じ構図じゃない」


「はは。でもこんな歳近い両親いないよ」


「じゃあ歳の離れた兄弟でいいんじゃない? 両親がなくなってて社会人の兄と姉が歳の離れた妹を育ててみたいな設定。よくあるよねぇ」


「ありそうだね。全然似てない兄弟だけど」


「そうだねぇ。ていうかそれだと永盛さん僕の妹になっちゃうね。かわいそうに、ごめんねこんな兄で」


「いや、なんですかこんな兄って。そもそも私妹じゃないですし」


「ははは、だよねー。さすがに設定でも嫌だよねー」


 と木ノ崎は言い、へらへらと笑う。


「あ、そうだ。安積さん、僕タバコやめるから」


「――そっか。急だね」


「まあ一応前から考えてたことではあるけどね。こういうのはちゃんと宣言してさ、約束しとかないと。ただでさえ意志が弱い人間だからね」


「そっか……なんでそうしようと思ったの?」


「ま、チュッパチャップスのおいしさに目覚めたからかな」


「はは、じゃあよかった」


「ほんとね。そういうことだからもし吸ってたらひっぱたいて止めてね永盛さん。妹の役目ってことでよろしく」


「いや、ひっぱたきませんし。というか妹でもないですし。なんなんですかそれ?」


「ははは、なんなんだろうねぇ」


 木ノ崎はそう言い、ポケットからチュッパチャップスを取り出すと、指でくるくると回して遊ぶのであった。


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