第四話 人間です
夕方。渋谷駅、ハチ公前。木ノ崎は腰掛けに体重を預け、ぼんやりと人の波を眺めていた。
平日の夕刻のスクランブルは隙間などないくらいに人で埋め尽くされている。常時世界屈指の人口密度を誇る空間。それを撮影する海外からの観光客の姿も目立つ。しかしそれだけの人の波の中においても、木ノ崎は長年の経験から高性能カメラのごとく瞬時に人々の顔を視認できる。顔だけではなく佇まいやファッション、スカウトをする上で必要な情報を。十年以上ほとんど毎日一日中行ってきたそれは半ば自動化されている。いくら身が入らずぼんやり眺めてるだけとはいえ、意志とは関係なく体はそのように動いていた。だから当然、彼女の姿も瞬時に視認できた。
五十沢晃、真の天才。その歩く姿は、この数ヶ月でより一層洗練されている。アイドル、ダンス、他者からの視線というのもそうだが、おそらく松舞うてなとの出会いが大きな影響を与えている。歩く動きの一つから、体のすべてはダンスであるという教え。
元々顔は際立っている。ただ整っているだけではない、オーラによる差異。頭の先から爪先まで、世界にくっきり浮かび上がらせるもの。例え彼女の存在を知らなくとも、この人混みの中において誰もがはっきり視認し「特別だ」と直感させるもの。
極まってきたね、と木ノ崎は思う。見ればわかるが、極まってきた。そこにはもはや動きすら必要ない。視線への意識など必要なく、体が勝手にそうなっている、と。
駅構内から出てきた五十沢は真っ直ぐ事務所の方へ向かおうとする。が、その途中でちらちと木ノ崎の方に視線をやり、そのまま真っ直ぐやってくる。
「おはようございます」
と五十沢はいつも通りの無表情で言う。
「おはよ。早いね」
「そうですかね。まっすぐ来たんで。仕事ですか?」
「一応ね」
「そうですか。面白い人いました?」
「声かけるレベルのはいなかったかな。五十沢さんとこって私服通学なんだっけ?」
と木ノ崎は五十沢の服を指差して言う。
「そうですね。式とかの時の制服はありますけど」
「へー。まあ私服の方がいいよね色々と。女子なんか特に。制服で電車通学だと色々大変だろうし。でも私服っていっても五十沢さんみたいな格好の人は少なそうだね」
「そうですね。あんまりいないです。みんなは服ってすごい大事なことみたいですからね」
「ははは。そうだね、みんなは」
木ノ崎はそう言って楽しそうに笑う。
「事務所行くとこだよね」
「そうですね。なんか面談って話ですけど。練習できませんかね?」
「どうだろ。部屋はとってないだろうけど、空きがあればできるかもね。でも今日は休みって予定でしょ」
「でも練習したいですからね。休みとかいりませんし」
「まーそう言わずにさ。大人らにも君らのこと預かってる責任があるしね。この四ヶ月ほとんど休みなしだったわけだし、結果的に黒須野さんの熱だってあったわけだしさ。お願いだからちょっと休んでねってことでね。スタッフのことも休ませてあげてよって」
「……わかりました」
「はは、ありがとね。まー時間なかった分みんなで遊んだりしなよ。こっちも全然そういう時間とってあげられてなかったからさ」
「遊びで一緒にダンスすればいいんじゃないですかね。そっちの方が意味ありますし」
「かもね。五十沢さんはさ、やっぱ喋るより一緒にダンスとかしたほうが分かり合えるって感じ?」
「というかダンスのことは一緒にダンスする以外にわかりようがないですよね。ライブのパフォーマンスも全部」
「だろうね。でもこう、動きとか体だけじゃなくてさ、心って呼ばれてるものを分かり合うとか、そういうの」
「それは別に必要だと思いませんからね。そもそも多分わかりませんし。先のことはわかりませんけど」
「そっか。まあ、君は君でそれでいいかもね。でも三人でやってて、相手がいることだからね。君自身がどれだけ必要ないって思ってても二人は違うかもしれないし。三人でやる以上はさ、相手に求められたら自分には必要なくても最低限応えるってのは必要かもね。君だって二人のことは好きでしょ?」
「そうですね」
「はは、なら良かった。まーレッスン室は使えないかもしれないけどさ、時間あったらみんなで君んちでも行けばいいしね。聞いたけどなんか地下にトレーニングルームがあるんだって?」
「はい。元は父のジムですね。色々できます」
「そりゃすごいねー。まーでも程々にね。君なんかはずっとアスリートだろうから慣れてるだろうけどさ、やっぱ二人は相当疲れ溜まってるだろうから」
「そうですね。木ノ崎さんも脳みそ相当疲れてそうですね」
「はは、わかる?」
「はい。やっぱり辞めます?」
その、あまりに唐突で遠慮など一切ない言葉に、木ノ崎は思わず苦笑する。
「優しいねぇ君は」
「そうですか?」
「そうだね。少なくとも今の僕にとっては。一応聞くけどさ、五十沢さんって悩んだことってある?」
「多分ないですね、覚えてる限りでは」
「だよね。ははは」
木ノ崎へらへら笑ってそう言い、一つ息をつく。
「ま、君にはさ、率直に聞くけど、君は僕に続けて欲しいと思う?」
「……正直に言いますけど私個人は何も思いませんね。どっちでもいいです。木ノ崎さんの好きにすればいいですし、他人の気持ちや選択に干渉しようとか思いませんので」
五十沢はどこまでも無表情、無感情にそう言う。
「ただそれとは別で、二人は木ノ崎さんに続けてほしそうですからね。だから二人のこと考えると、というよりエアのことですね、それ考えるといたほうがいいんだろうなとは思います」
「なるほどね……」
「はい。でも別にいなくても大丈夫だとは思いますよ。たいして変わりなく回ると思いますし。他のスタッフがそのままなら。別に死んでいなくなるわけでもないですしね。たまに遊びに来るくらいはするんですよね?」
「まーたまにね。お土産もって顔覗かせるくらいはさすがにね」
「じゃあ別に辞めても問題ないと思いますよ」
「……はは、ほんと助かるねぇ」
「助かるんですかこれで?」
「うん。助かるよ、ほんと」
「そうですか。まぁ木ノ崎さんも少数派ですもんね。思ってたより多数派でしたけど」
「はは、そうね。隠してるからねいつもは。僕も人間よ。困ったことに脳みそ持ちあわせた人間。やんなるよねぇ」
「そうですか。じゃあやっぱダンスやったほうがいいんじゃないですか? ダンスじゃなくても運動ならいいですけど。動き続けてれば脳みそなくなりますよ」
「でもそれじゃお仕事できないからねぇ。仕事できなきゃご飯食えないしさ」
「あぁ。大変ですね普通の仕事って」
「そうなのよほんと。みんなよくやってるよね。毎日毎日何時間も脳みそフル回転でさ」
木ノ崎はそう言い、腰を上げた。
「さて、長々引き止めちゃって悪かったね。ほんと助かったよ。ありがとね」
「じゃあどういたしまして」
「はは。んじゃ、事務所まで気をつけてね。僕も後から行くかもだけどさ」
木ノ崎はそう言ってひらひら手を振り、五十沢と別れ喫煙所へと向うのだった。




