第九話 鏡で鑑
ステージが終わり、「民族大移動」のごとく客の移動が起きる。次のステージを前方で見るためにそのまま待機する者を除き、別のステージへと移動する者、手洗いへ向かう者、各々のベースキャンプに戻る者や売店へ向かう者。木ノ崎のように喫煙所に向かう者も。エアの三人が、いよいよそれを迎え撃つ。
黒須野にとって緊張という意味では、ステージとさほど変わらなかった。むしろステージより不安や緊張は大きいかもしれない。ステージ、ライブは、練習したものを見せる場だ。練習しているからこそ知っているし自信も持てる。それに基本は一方通行。こちらがやりたいことをやって、見せるだけ。なんて楽なんだろうとも思う。
しかしこういった一対一の「ファンサービス」、コミュニケーションは全く異なる。アイドルをやるので当然に一応の練習をしてはいるが、歌やダンスのパフォーマンスと比べれば圧倒的に量は少ない。練習相手も身内でしかないので、ある意味練習にすらなっていない。おまけに一方通行でないが故に、決まった正解というのも存在しない。
黒須野は隣の二人を見る。やはりというか、当然のごとくいつも通り。二人の様子には「これから何かが起きる」といった予兆はどこにもない。完全な凪。ステージだろうとコミュニケーションだろうと関係ない。二人の世界に、緊張や不安などという概念は存在しない。改めて「果たして自分はこの二人と世界を共有しているのだろうか」と思えてくる。否、ことは自分の側ではない。
この二人は、果たして世界と何かを共有しているのだろうか。
次元が違う。誰も彼もが簡単に使う言葉だ。けれども目の前のこの共有のなさにこそ次元の違いを感じる。この世界は三次元か四次元か、詳しくは知らないが、ともかくそれとは別の次元。だからこの次元の法則を、彼女達は共有していない。
――ま、そう思うのは簡単よ。勝手に大きく見て、違うものだって決めつけて。そう思われるのは正しく偶像たるアイドルにとっちゃ大切なのかもしれないけれど、私がそれを思うのは違う。所詮人間。所詮猿。天才だろうとオーラがやばかろうと、住んでる次元が違かろうと、ケツに火つけりゃバケの皮だって剥がれるもの。第一私が一番知っている。私が一番近くで見ている。この二人が人間だって。愛すべき、私の仲間で友達だって。
「――さて、んじゃ、アイドル見せたげるから」
黒須野は二人を見、ニッと笑う。
「なんでいきなりドヤってるんですか?」
と五十沢が無表情で返す。
「ドヤってるって、ドヤるでしょそりゃ! あんたら二人なんてアイドルに関しちゃほとんどポンコツなんだから、珍しく私が手本見せてあげるっての」
「はは、うん、お願い」
と安積も笑って言う。
「十子ちゃんはさ、それが一番いいよね。自信満々で笑ってるの」
「――うん、知ってる」
知ってる。ありがとう。やっぱりこれで間違いない。
さあ来い、勝負だ。こちとらアイドルだ。一戦一戦、一人一人が真剣勝負だ。全部が最初で最後なんだ。
心に京手縁を飼え。いついかなる時も京手縁のようであれ。あの太陽の笑みを湛えろ。私の鏡で、そして鑑。そうであるかで、自分を見ろ。そこに映る自分が、そうであるか。
「いらっしゃいませ!」
黒須野は最初の客を迎え入れる。本日一本目の勝負、どんと来い。
*
売り子を終え楽屋スペースに戻った黒須野は、机に突っ伏していた。
「なにがあってこうなってんの?」
と京手が黒須野を指差して聞く。
「がんばりすぎてじゃないですかね」
と五十沢が答える。
「がんばりすぎてか。ほんと極端だなーお前。まーなんか失敗して落ち込んでるとかじゃないならいいけど。で、どうだったのよ。何したの?」
「客呼んで、私達のグッズなんてCDしかないんでそれめっちゃ宣伝して、サインとか握手とか、あと挨拶して、相手の目バチバチに見て、これでもかって笑顔ぶつけて、お礼言って、って感じです……さすがにめっちゃ疲れましたね、慣れないことしたんで。慣れないとなんですけど」
と黒須野は顔を上げて答える。
「へー。で、本人の感触は?」
「そうですね……まぁ、当然といえば当然かもしれないですけど、お客さんはみんないい人ばっかりって言うんでしょうか、なのでこう、感触で言えば良さしかなかった感がありますね。完全にそれに甘えてる感もありますけど。いい反応っていうか、かけてくれるのは優しい言葉だけですし」
「そりゃまー新人だしな。ファンとかいなかったの?」
「あーはい、いました。私達のファンだっていう人も。それで来てくれた人もいましたしね。もうCD持ってるけどサイン欲しいから二枚目って買ってくれましたし。
なんかこう、ほんと不思議な気持ちになりますよね。こっちはその人のこと全く知らないのにあっちは知ってるっていう。当たり前ではあるんですけど。でも、だからこそやっぱりやって良かったって思いましたね。地続きっていうか、自分たちだけでやってるわけじゃないってはっきり体で実感持ってわかることができたんで」
「いいねー、わかってんじゃん。まーこれからそういう機会も増えるだろうしね。晃はどうだった?」
と京手は五十沢に聞く。
「別にどうとかはないですね。普通です」
「……どうだったのよ」
と今度は黒須野に聞く。
「まぁ、このまんまです。マジでいつも通り。変なこととか失礼なこととかは言ってないですけど、下手すりゃ塩対応って叩かれるくらいで」
「ははは。まーいいんじゃない? どうせすぐにそれが晃だってみんなわかるでしょ。今日のステージでもなんかMCあんでしょ? そこでも同じなら『あー五十沢晃は常にこうなんだな』ってなるでしょ。したらんなの誰も求めないようになるしさ」
「そうかもしれないですけど、いいんですかねそれで?」
「いいでしょ別に。いいんだよ、自分は自分って認めさせりゃ。晃にはそれだけの力もあんでしょ。真は、まー上出来でしょどうせ」
「はは。まぁ、どうですかね」
と安積はふわっと微笑んで返す。
「真はもうなにもしなくたってオールオッケーですからね。マジでオーラだけで乗り切ってましたよこの人」
と黒須野は言う。
「はは。目に浮かぶねー。その目と顔で視線合わせたら思考奪うからなー。そればっかはうちにもいないからね。スミだけはやろうと思えばいけっか?」
「まあねー。でも私はもう普段の様子散々見られてるから初対面じゃないとさすがにきついんじゃない? 思考奪うならゆかりんも方向性違うけどかますよねー。特に女の子相手に。人たらしだよねーほんと」
「しゃあないっしょ。王の目よ」
京手はそう言いけらけらと笑う。
「さーて、いい風吹いてきたね。夕も近いぜ。万事うちらのために整ってきたじゃない、空も」
京手はそう言い、伸びをして空を見上げる。
「あんたらもそろそろ準備だね」
「そう、ですね」
黒須野はそう言い、時計を見る。
「うちらん時まで冷めないくらいに温めとけよ。夕日に風車背負って最強のライブ見せてやっからさ。ま、袖から見んなら見えないだろうけど」
京手はそう言って笑う。
そうだ、この前とは違う、と黒須野は思う。ディフューズにとっては少なすぎる三千人とは比較にならぬ、その十倍。人の海。自分がかつて見たアリーナすら凌駕する。縦の空間もない。ステージ前、平面にいっぱいの、地平線を覆い隠すくらいの人。それを、この目で、見られる。初めてこの目で、生で見られる。屋外の、フェスでの、ディフューズ。
でも。というか、その前に。
やるのだ。自分も、今から。あと少ししたら。もちろん大トリのディフューズと違い、フェスに来ているほぼ全員が見るわけではない。時間も一部は別のステージのトリとも被っている。それでもおそらく東京アイドルコレクションの時よりも多い人を前に。壁も天上もなく、先は海という解放感の中で。そして大トリのディフューズのための場所取りをしているであろう人々の前で。
それは一体、どのような景色だろうか。
「そろそろ着替えに移ったほうが良さそうだね。フェスも初めてだし余裕持って行動した方がいいでしょ。君らもなんかあったら経験者のみんなに今のうち聞いときなよ」
と木ノ崎はディフューズを指差す。
「おう。要先輩が手取り足取り教えてくれるぜー」
と京手も言う。
「なんで私なんですか」
「かなちゃんが年下と話してるとこ見るの面白いからねー」
と石住も言う。
「何がおもしろいんですか」
「なんかこう、恐る恐るなとこ?」
「……まぁ、この人らはシカトして何かあるなら舞さんに聞きなよ」
と三穂田は溜息をついて言うのであった。




