第2話 不思議な剣
目が覚めたら、異世界にいた。
もしそんな状況になれば、君なら喜んで何をしようかと考えるかい? しかし、もし実際に起きたのならまず間違いなく混乱する。 状況を素早く飲み込むことなど不可能だろう。
それでも俺にとっては何度も繰り返してきたこと。
慣れたものであった。
そのはずだったのに……
「あの、大丈夫ですか?」
彼は俺に向かって、そう声をかけた。
「今朝森で血だらけで倒れていたのを、僕の姉と飼い犬が見つけまして。 うちまで連れてきて手当てしたんですけど」
「ああ、どうも」
残念ながら目の前の状況は変わってはいなかった。
俺は今度の転生で、痛み酷くを感じる体に。 そうでなかったとしても盲目で、馴染みの術は一つとして使えない。
ずいぶんとこの世界には歓迎されないなと感じながら、命の恩人であろう目の前の彼へのお礼の一言も、ぶっきらぼうなものになってしまう。
「あの……その目、見えてますか?」
ギィという音と共に、外の空気が気配を運ぶ。
(扉の開く音、か?)
「ただいまー」
「あぁ姉さん、お帰り」
「あら目が覚めたのね! 大丈夫?」
「また伝説の勇者がとか……言い出すのか?」
「「……はい?」」
◇◇◇◇◇
「申し訳ない」
「いや、別に謝る必要はないですよ……」
この時俺は、助けてもらったという恩も命の尊さも忘れ、混乱に脳を支配されていた。
いつもなら転生してすぐ”周囲”に自分が何者であるかを説明してもらえていた。
まともに言葉を喋れず、体もうまく動かず、自分の周りには男女が二人で笑いかけてくる。
……そんな状況ならば、きっと自分は生まれたばかりの赤ん坊である。
極端に視界が狭かったり、広かったり、あるいは視界とは別のものを感じたり。
……そんな状況ならば、きっと自分は人ならざる者である。
剣と鎧、杖とローブ。 そんなものを身に着けて、誰かとともに歩いている。
……そんな状況ならば、きっと自分は冒険者である。
そんな”いつもの転生”に慣れていたせいで、何もわからない。 自分は今度は「勇者」にでもなったのだろうかと。 「あぁ目覚めたぞ、魔王討伐にでも行けというのか?」 なんて考えてしまった。
(だめだ、思考がまとまらない……)
「じゃあ目が見えなくて、自分の名前すらも記憶がないのね」
「ああ」
「うーん。 どうしましょう、姉さん」
「何もわからないんじゃあ、しょうがないわよ」
姉と弟の二人と、自分が何者かすらわからない男が一人。
「えっと、私はアリア。 アリア・セーブです」
「弟のクロノです」
「アリアさんと、クロノさん、ね」
「アリアでいいですよ」
「僕もクロノでいいですよ」
「あぁ、うん。 ありがとう」
こんな状況、どうしたらいいのだろうか。
怪我人を拾って手当てしたら、記憶喪失の上盲目でした。
相当に非情な人間でもなければ、「治ったなら帰れ」とは言えない。
そもそも帰る場所がないであろう人間だ。
一方男のほうも困っていた。
今までの幾千幾万の転生とは違う、本当の死を目の前に感じたこと。 これまでの世界で使えた、これまでの世界のほとんどに共通して存在していた、スキルやステータスといった超常的な馴染みの力が使えなかったこと。 自分が何者かが毛ほどもわからない上に、かといって目的もない。
そして何より、盲目なこと。
彼をどうしたらいいのだろうか。
俺はどうしたらいいのだろうか。
お互い何もできぬまま、時間だけが流れる。
「あ、そうだ。 お兄さんの持ち物、だと思うんだけど。 これを」
「ん? 俺は何か持っていたのか?」
「ええ。 剣が一本と、鞄が。 血だらけですが」
「剣と鞄か。 なんだ、じゃあ俺は冒険者か何かだったのか?」
反射的に、自分の中での”常識”に照らし合わせてそう言ってしまう。
「まぁ確かに。 でも、ギルドカードとか持ってないみたいだし……あ、ごめんなさい。 勝手に中身覗いちゃって」
「いや、大丈夫」
俺の知る「ギルドカード」がそこにあれば、多少は身分を証明してくれようかと思ったが、ないのなら仕方がないと、少し落胆した。
(「ギルドカード」か)
聞き慣れてしまった言葉である。
「剣のほうは何か、情報になるようなものは……ないだろうけど」
「ちょっとこの剣お借りしても?」
「ああ、もちろん」
女性。 いや、まだ少女と呼ぶ人もいるだろうか。 幼さの残る姉のほうが、男の持っていた剣を小さな金属の擦れる音と共に鞘から引き抜く。
「これ……すごい!」
彼女は、俺の持っていたというその剣を見てそう言った。
「綺麗な刃ですね……! 傷だらけですが、王都のものでしょうかね?」
その剣は、彼女たちから見てそんな感想が出るような代物だったのだろう。
(「王都」か)
これまた、聞いただけでいろいろと想像できる言葉。 聞いただけでいろいろと思い出すような言葉。 そしてその思い出す記憶が、今の俺にとっては何の意味もない、言葉。
俺は、もう何者でもないのだろう。
「綺麗……ん? ねぇクロノ、これって」
「あっ」
傷だらけの剣の柄に刻まれた、かろうじて読める文字。
「これ、名前かな?」
「名前?」
「ア……ベル。 と剣の柄の部分に刻まれています」
何とか文字を読み取り、目の見えない俺に読み聞かせてくれるクロノ。
「アベル……アベルか。 確かに名前のようだね」
アベルか。 正直剣に自分の名前を刻むイメージはない。 おそらくその剣を作った職人の名前か、あるいは剣そのものにつけられた名なのではないかと思うが、名前がないと不便だしな。
しかし……
アリアも、クロノも。
今までの幾多の生涯で、何度も聞いた名前だ。
良く言えば慣れ親しんだ名前という感じで、抵抗はないが。
「なら俺のことは、アベルと呼んでくれ。 呼び名がないのは不便だしな」
「それは助かるわ。 私、なんて呼んだらいいのかずっと迷ってたし」
「ですね。 じゃあ、アベルさん」
「アベルでいいさ」
「そうですか、ではアベル」
お互いに、停滞していた状況の進展に喜びを感じていた。
「あなたの剣はおそらく、このあたりでは王都にでも行かねば手に入らない代物です。 ですから、王都に行けば何か――」
しかし。 ダンッ、と先ほどとは打って変わった大きな音を立てて扉が開かれ、クロノの言葉はさえぎられた。
「アリア! アリアはいるか!?」
また別の声が聞こえてきた。
そしてひどく焦っているように聞こえるその声の主は、こう続けた。
「おおいたか、アリア! 大変だ、ゴブリンが集団で襲ってきたんだ!」
「なんですって!?」
……何やらヤバそうな状況らしいが、俺にとってはこんな状況は何度も体験してきた。 日常茶飯事というやつだ。
「村のみんなは!?」
「今戦えないやつらを避難させている! それより、もうすぐそこに!」
「ゴブリン」などといううんざりするほど聞き慣れた単語も。 そしてここが、彼らの言う「村」であることも。 わざわざ今の声の主が「アリアはいるか」と呼んでここに来たことも。 俺にとっては、さっきとは打って変わって、人々がいつものようにご丁寧に”この世界”を説明してくれ始めたように感じた。
聞こえてくる、誰かの悲鳴に、バキバキと木々がなぎ倒されるような音。
……そして、明らかにこちらに接近してくる、殺気と気配。
「ガハ……ッ!」
「!?」
「ゲャァーーッ!!」
明らかに人のそれとは異なる声。
「クロノっ! アベル連れて先逃げて!」
「了解ッ!」
――怒涛の展開であるが、俺は残念ながら盲目。 何も見えていない。 ガッ、と腕をつかまれ走り出す。
しかし、クロノに腕をつかまれ逃げ出そうとするその瞬間。
「見えた」のだ。
大急ぎで扉を開こうとする瞬間の「景色」が、そこに。
「えっ」
「姉さん、任せたよ!」
「ええ、任せなさい!」
「グァァァッ!!」
ゴブリンが、少女に飛びかかる。
「たぁーッ!!」
一閃。
少女は自分に飛びかかってきたソレを空中で叩き切り、ソレを一瞬で骸にした。
(……)
アリアに危機を知らせに来たこの男。
致命傷であろう。 背後から襲われ、出血多量。
意識も、もうない。
「あっ! やっば、アベルの剣勝手に使っちゃった……」
(でもすごい切れ味……この剣なら、もしかして)
しかし、状況はアリアに思考の猶予を許さない。
「うわぁーっ 助けてくれーっ!!」
「……! まだ外にいる!」
外から聞こえた助けを求める声に、たまらず少女は部屋を飛び出す。
瞬間、少女の目に飛び込んできた景色に……
「なっ、多すぎ……!」
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