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何度も言うが面倒を招くな、幸運を招け 3


 午後は、搾りカスから搾り取れるだけとった情報を領主であるコーカスに報告に行く予定だったのだが、それはすでにメシューガが午前中の間に終わらせてくれていたらしい。

 そこでバッカスは、ルナサとマーナを連れて、治療院へと向かうことにした。


「邪魔するぜ」

「あら、バッカスさんじゃない」


 バッカスだけでなく、何でも屋(ショルディナー)の多くが世話になっている治療院だ。

 よく受付にいるおぼちゃんも気さくで世話焼きなのもあって、何でも屋のオカン扱いされている。


 だが、そのおばちゃんの正体はこの治療院の院長ソアン・サンジェンだ。

 こう見えて、この町では指折りの医術師であるのだが――受付のおばちゃんのイメージが強すぎたりもする。


「おばちゃん、実は相談があってきた」

「ルルコチュア先生じゃなくていいのかい?」

「個人的なコトならノルタでもいいんだが……今日の相談はむしろおばちゃんがいい」


 告げると、後ろにいるマーナとルナサを見、少し考えてから声のトーンを落として真顔になった。


「ちゃんと認知はするんだよ?」

「最悪の誤解してんじゃねーよ!」


 かぶせるようにツッコミを入れてから、バッカスは小さく息を吐く。


「貴族やってる友人の嫁さんなんだが……まぁここを頼りたいと言う時点で察してくれ」

「厄介事をもってきてくれたワケだね。高くつくよ」

「物事が金で解決するうちは安いモンだ――って、飲み仲間のおっちゃんが言ってたな」

「それを口にするだなんて、どんな厄ネタを持ってきたんだい……」


 遠い目をして笑うバッカスに、ソアンはうめく。

 だが、それもすぐに真顔になった。気を取り直したソアンは受付の椅子から立ち上がって、背後のドアを開けて声を掛ける。


「悪いんだけど、おばちゃんのお客さんが来たんだよ。

 時間にはまだ早いんだけど、誰か受付変わってくれるかい?」


 中から女性の明るい返事が聞こえてきて、ソアンはそれに小さくうなずいた。


「悪いがよろしく頼むよ」


 それから改めてバッカスたちへと向き直る。


「さてバッカスさんに、後ろのお二人。ちょいと奥に来て貰えるかい?」


 ソアンの手招きに導かれて、三人は治療院の奥へと向かうのだった。




 案内された部屋は、診察室のようだった。

 ただ、バッカスが知ってる診察室とは異なり、少しばかり広くて、棚などが多い。


「普段は余り使ってない、院長専用の診察室だよ。

 応接間のような気の利いた部屋はないから、ここで勘弁しておくれよ」


 そう言って、患者用の椅子を二人分用意するソアン。

 それがマーナとルナサの分であると判断したバッカスは、すぐそばのベッドに腰を掛ける。

 ソアンはソアンで、机の前にある自分の椅子に腰を掛けると三人を見回した。


「さて、バッカスさんの一番の目的はこちらの女性の妊娠に関していいんだよね」

「ああ。正直なところとっとと王都に送り返したいんだが、さすがに今からはマズいだろうってな」

「正解だね。ご自宅が王都だって言うのであれば、この町で出産してからの方が母子ともに安全だよ」


 ここまでは、バッカスとルナサもすでに想定しているところだ。

 改めて専門家から言質が取れたというのは大きい。


 ソアンはバッカスに答えを返したあとで、マーナの方へと向いた。


「私はここの院長をしているソアン・サンジェンという、見ての通りのおばちゃんさ。よろしく頼むよ」


 人好きする笑みを浮かべながら名乗り、それから少し真面目な顔をしてマーナに訊ねる。


「さて、お嬢さん。名前を伺っても?」

「マーナといいます」

「うん。よろしくねマーナさん。それで今回の旅行――これは妊娠しているのを自覚しての旅行かい?」

「……はい」

「そうかい。旦那さんは知ってるのかい?」

「……ええ」

「貴族で、妊娠してて、それでいてお忍びの旅行……住まいは王都」


 はぁ――と、ソアンは盛大に息を吐いた。

 それから、バッカスへと向き直るとソアンは鋭く告げる。


「他の患者を襲うような馬鹿を出すんじゃないよ」

「確約はできねぇが、その馬鹿が治療院に迷惑にかけないようには立ち回るさ」


 バッカスの言葉にソアンは小さくうなずいて、それからルナサへと視線を向けた。


「それで、そっちのおちびさんは、何の用だい?」

「えーっと、あたしは……」


 答えようとして、ルナサは詰まる。

 考えてみたら、今この瞬間の自分はどういう立場なのだろう――と。


 そんなルナサの内面を読み取ったバッカスは、苦笑交じりに説明を口にした。


「そいつは何でも屋期待の若手ルナサ。この町でお忍び散策してる時のマーナの護衛兼町の案内人だよ。毎度依頼は出されてるが、ほぼほぼ専属みたいになってるところだ。

 そこそこ腕は立つし機転も利く。町にも詳しい。俺やストレイ、ロックやクリスあたりにもツテがある。悪くないだろ?」

「バッカスさんがそう言うなら悪い子じゃあないんだろうね。こっちのお嬢さんの妊娠には気づいてたのかい?」

「気づいたのは昨日です。バッカスに相談したかったけど、会えなくて……それで今日、今さっきマーナさんを連れてバッカスの工房へ」

「うん。気づいて即座に相談しに行ったんだね。よくやったよ」


 わりと本心からそう口にして、視線をマーナとバッカスの二人に向けた。


「バッカスさん。わざわざ貴族用の治療院や助産師ではなく、うちに連れてきたってコトは――そこらの相手を信用できないってコトでいいんだね?」

「ああ。悪友の家は、今ンとこお家騒動真っ最中。派閥や世継ぎのあれやこれやもあってな。そこに、悪友とその嫁であるマーナの間に待望のお世継ぎ誕生ってワケだ。想像つくだろ?」

「くだらないね。そんな理由で生まれてくる命を粗末にしようとするなんて。そして医術を身につけながら、その意味を理解できない連中が存在しているとか吐き気がする」


 常にニコニコとした朗らかなおばちゃんであるソアンらしからぬ、嫌悪に満ちた顔でそう吐き捨てる。


「だが、やるからには本気でやるよ。母子ともに五体満足が最低条件だ。私がそれを口にする意味を分かってるんだよね、バッカスさん?」

「もちろん。頼りにしてるぜ、戦場の天使サマ」

「その二つ名やめておくれよ。戦場での死者を半減させた程度で仰々しい」


 本当に嫌そうにそう口にするソアンに、ルナサは首を傾げた。

 戦場を知らぬ小娘なりに、それでもすごいことであると思ったのだ。


「でも戦場の死者を半減ってすごいコトじゃないですか」

「そうですよ。謙遜も行き過ぎるのは良くありませんよ、サンジェン先生?」


 ルナサとマーナはそう口にするが、ソアンは困ったように顔を顰める。


「天使ってのは、白き神の使いのコトだろう? そんな大層なモンに例えられても困るのさ。

 だって私は――半減させるコトしか出来なかった。それはつまり、半分は五彩の環へと還しちまったって話だろう?」


 バッカスは、ソアンの若い頃の逸話を知っている。知っている上で、戦場の天使なのは間違いないと思っている。


 戦場における野営地や、野戦病棟などにおいて、衛生や掃除などによる環境改善や、上層部から予算増額をぶんどったりと、前世でいうところのクリミナの天使のごときことを彼女はやってのけているのだ。


 だが、ソアン本人はそれを微塵も偉業と思っていないし、褒められるほどのことではないと、本気で思っている。


 なぜならば――


「救えなかったのが半分もいたんだよ? 死者がゼロじゃない時点で、生を司る白き神の御使いたる天使と呼ばれる資格なんてありゃしないのさ。

 同じ神の使いでも、呼ばれるのであれば死を司る黒き神の御使いたる送魂者(そうこんしゃ)の方がマシってもんだ」


 ――彼女は戦場における死者をゼロにできなかったことを悔やんでいるからだ。


 軽い口調でソアンは口にしているのだが、それが決して軽い気持ちで口にしている言葉ではないことは、ルナサとマーナも雰囲気から察した。


「まぁおばちゃんの昔話なんてどうでもいいのさ。

 とりあえずマーナさん。少し触診とかさせておくれ。マーナさんが許可するなら、ルナサちゃんも後学の為に見ていってもいい。でもバッカスさんはダメ。男子禁制だよ」

「へーへー。

 ま、ちょうど良いから俺は出かけるわ。ルナサ、おばちゃんの診察が終わったらマーナをお屋敷へ連れていってくれ。そのあとでギルドに報告しとくように。そいつのワガママに付き合って日暮れにならないようにな」

「わかってる」

「バッカスくん、私……」


 ルナサに指示を出し終えたバッカスに、マーナは何とも言えない顔を向ける。

 それに対して、バッカスはいつもの皮肉げな笑みを幾分か柔らかくしたものを浮かべた。


「細かいコトは気にすんなよ、マーナ。

 今、おたくが気にするべきは自分と腹の中のガキのコトだけでいいんだよ。

 王都にいては降りかかる火の粉が多すぎると判断した悪友が、お前をこっちに寄越したんだ。

 そしてこっちで降りかかる火の粉を払うのは俺の役目ってワケだな」


 バッカスは腰を掛けていたベッドから立ち上がり、両手をポケットに突っ込みながら続ける。


「おたくの旦那と、俺――二人とも、そんな顔したくなるほど頼りないか?」


 ゆっくりと首を横にふるマーナ。

 それに、分かってるじゃねーかとバッカスは笑う。


「なら、お前さんが気にするべきは、さっきも言ったが――自分の腹の中のガキのコトでいいんだよ。

 あとは、これから母親となる女の心得ってやつを、おばちゃんにでも教わっておけばいい」


 言うだけ言うと、バッカスは三人に背を向けて診察室の扉を開けた。


「んじゃあ、おばちゃん、ルナサ。あとよろしく」


 後ろ手に手を振って、バッカスは診察室をあとにする。


 そんなバッカスを見送ったルナサが思わず、言葉を漏らす。


「バッカスがマジになってるなんて、珍しいわね」

「そうだねぇ……でも、それだけ悪友さんと、その奥さんが大事だってコトだろう?」


 呑兵衛魔剣技師についてよく知っている二人は、しみじみとそう口にする。


「バッカスくん……妊娠を伏せてたコトを叱りとばすかと思ってたんだけど……」

「叱って欲しかったのかい?」


 マーナが小さく呟いた言葉を耳にしたソアンが訊ねる。

 それにマーナは少しだけ悩んでから、わずか首を横に振った。


「まだ出会って間もない彼に……旦那さまの友人でしかない彼に、こんな風に心配して貰えるなんて思ってもみなかったから……それに……」

「それに?」

「ちょっとだけ……なんだけど、バッカスくんが旦那さまそっくりの顔をしてたから、安心したというか嬉しかったというか……」


 思わず口元に手を当ててしまうマーナ。

 変なニヤニヤが外に漏れてしまいそうなのだ。


「これは完全に好奇心というか興味があるだけなんですけど……旦那さんのどんな時の顔と似てたのか聞いてもいいですか?」


 ルナサの問いに、マーナはとても嬉しそうな顔でうなずく。


「旦那さまが敵対者への対応を考えながら悪友について語ってる時の顔とそっくりだったの」


 楽しそうそう語るマーナを見て、この人の旦那さんはまさにバッカスの悪友だな――と、ルナサもソアンも胸中で苦笑するのだった。



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