変化とは別の変化を準備する
始業式一日目だというのに教師陣はテを抜く事なく授業はつつがなく行われ、休みぼけしている頭には手一杯の情報量を流し込まれ、何時も以上の疲労を感じている中で、ただ一人澄まし顔をしているのは転校生である柊真琴ただ一人だけだった。
彼女は最初の自己紹介での望んだ通り、全ての時間を通して一人きりだった。
まぁ、最近では二人一組になる授業など選択科目である美術と班分けが行われる家庭科ぐらいのものだ、始業初日の今日にそんな科目がある筈もない。
ただ、授業間の中休み、昼食の為の昼休み、最終ホームール終了に至るまで、彼女はただ一人背筋を伸ばして文庫本を読んでいた。
彼女の絶対に揺るがない体幹を誉め称えるべきなのか、はたまた読書家である彼女の飽くなき知識欲を褒めるべきなのか分からずじまいだが、ただ一つ分かった事は、彼女が本気で誰とも関わりたくないという一点のみだ。
今も、隣の席に座っていた気の弱そうな女子生徒が意を決して柊へ話かけてみたものの、早朝の沢城と全く同じ返しをされて半泣きで退散して行った。
いたたまれない空気の中退散していく女子生徒を眺めつつ、少し以外だったのは、断りを入れる柊真琴もまた同じ様に悲しそうな顔をしていた事だろう。
ただ、彼女に直接『なんで悲しそうなんですか〜』なんて聞いた日には、俺も返す言葉の刃でバッサリ切り裂かれかねない。
そんな事になった日には、さっきの女子生徒と沢城を集めて被害者の会を結成してしまうかもしれない。
兎にも角にも、君子危うきに近寄らず。
柊のようなデレのないツンを寄せ集めた人はただの情緒不安定な人でしかないのだ。
俺はホームルームが終わると同時に柊の事で回す思考を取りやめ、鞄を手に教室を出る。
グラウンドに面した窓ガラスから西日が差し込み、16時だというのにもう夕暮れの気配が辺りを満たしている渡り廊下を渡り、旧校舎へと向かう。
少し埃っぽい匂いが充満する旧校舎の階段を上がり、部活棟のある三階へ上がっていくと二つ飛ばした扉の向こうには早くも蛍光灯の灯りがついていた。
「失礼しま〜す」
「おうおうおう!来たんかぁ一樹!遅いのう!」
妖精かな?違う、これは俺が唯一信じる神にも劣らぬ……いや神に唯一勝てるであろう神々しさを秘めた幼女
厚顔不遜の仁王立ちを机の上で決めた行儀の悪い辻先輩がそこに居た。
俺は毎度の事ながら面倒そうなテンションに辟易して、後ろ手に扉を閉める。
「……来ましたよ、いつも以上に五月蝿いっすね辻先輩。それから汚いので机の上には乗らないで下さい」
「先輩に向かって五月蝿いとはなにごとじゃ!それに先輩のやる事に口答えなんぞ片腹痛いわ!」
時々話題に上がる辻先輩だが、全校生徒から『おっさん幼女』と呼ばれ親しまれていたりする。
そして、『おっさん幼女』と呼ばれるだけあり、まず誰に対しても口が悪い。
だがそれ以上に『おっさん幼女』こと、辻先輩の人気を高めているのが、辻先輩の容姿だろう。
齢十八にして幼女とは?と思うかもしれないが、彼女はれっきとした十八で幼女を名乗るに相応しい容姿を持っている。
むしろ、辻先輩の良い所は容姿しかないと言っても過言ではない。
透き通る様な白い肌に、鮮やかな海を思わせるエメラルドグリーンの瞳は吸込まれそうな程美しいし、整った顔立ちは勿論だが、色づいた小麦畑のような金色の髪色が学校中で衆目を集めるのは言うまでもない。
隠れファンクラブがあるぐらいの人気ぶりに中学時代から関わって来た俺も雛も若干引きつつあり、異常なまでの熱気に若干引きつつあるが、それは辻先輩のせいじゃないだろう。
「はいはい、そうですね。……というか辻先輩、なんかこの前会った時よりまた小さくなってません?」
「ハハッ!気のせいじゃ!そんな事より私のためにアッポジュースは買って来たかの?」
前見た時より更に制服の裾辺りがぶかぶかになっている辻先輩だが、身体は縮んでも態度だけは膨張を続けている辺り、彼女は宇宙と関わりが近い存在なのかもしれない。
というか、アップルジュースを頼まれた記憶がない。
「先輩、ジュースはそもそも頼まれていないので自分で買って来て下さい」
「なに!我はアップルジュースの置かれているラインには最早手が届かん!なので一樹に買ってもらわねば我はこの一生涯、赤き果実の搾り滓で喉を潤す事は叶わんのじゃ!」
気のせいかな?と思っていたが、やはりそうだ。
「やっぱり辻先輩!小ちゃくなってるじゃないっすか!また誰かにユーフォリア使ったんですか!あれだけ、もう使うなって言ってあったのに!」
前回までの辻先輩ならつま先立ちをしてギリギリで届いていた自販機のアップルジュースのラインに手が届かなくなっているという事は、辻先輩は記憶改ざんのユーフォリアをこの休み中誰かに使ったという事だ。
「しっ……仕方ないのじゃ!我は弟の失恋の記憶を取り払ってやらねばならんのだから!」
「辻先輩の弟もう中学二年ですよね!辻先輩の方が弟より若くなってどうするんですか!」
記憶改ざんのユーフォリアとは言うが、辻先輩は部分的に人の記憶を喰う事が出来る反面、喰った時間の分だけ辻先輩の肉体が若返る。
歳が若返るなんて素敵!
なんて思う人も居るかもしれないが、記憶を喰った分だけ若返り続ける辻先輩は、自力で自販機のアップルジュースを買えない程縮んでしまっている。
今の辻先輩の歳の頃は六歳から七歳ぐらいだろう。
「うぅ……自販機の下段にはコーヒか、小さいサイズの水しかないのじゃぞ!カフェラテなんぞこの身体で飲めば明日の朝まで寝られなくなってしまうではないか!」
「なんで辻先輩がキレ気味なんですか!そもそも自業自得ですから!身長が伸びるまで毎日朝昼晩コーヒーのローテーションで我慢してください!」
鞄を定位置に置きつつ辻先輩を机の上から下ろそうと手を伸ばしたがスルリとその手を搔い潜る。
「そもそもじゃ!一樹!お前からは先輩に対する敬いが感じられないのじゃ!なんじゃ!我はこれでも年上なんじゃぞ!もっと敬え!崇めろ!そして我をお前の持てる全力で甘やかすんじゃ!」
全ての調和を持つ辻先輩の願いであるなら
俺としても何でも願いをかなえてやりたいと……そうしたいのは山々だが、いかんせんユーフォリアを使うのは話が別だ。
「それより、早く喰った弟の記憶を吐き出してくださいよ!」
ちなみに、辻先輩は記憶を吐き出すと吐き出した分の記憶の時間分歳を取る事が出来るのだが……
「嫌じゃ嫌じゃ!弟は苦しんどるんじゃあ!大好きだったBNK48の可憐ちゃんのお泊まり疑惑で学校にも行きたがらなくなったんじゃ!憎い!文集砲が憎いのじゃ!」
「辻先輩!弟の失恋って言っておいて、ただのアイドルのスキャンダルじゃないですか!そんなの失恋でもなんでもないですよ!」
「なにぃ!弟の可憐ちゃんへの愛は本物の愛なのじゃ!いくら一樹と言えどそれを疑う事は許されんのじゃぞ!」
「何が本物の愛ですか!辻先輩の弟のそれは、異存と性欲と、あとなんかドロドロした感情を煮詰めた気持ちの悪い何かですから!ああもう!いいですから!そんな気持ち悪い記憶全部吐き出してください!」
金髪碧眼幼女をどうにか取り押さえ、羽交い締めにするが、それでも往生際が悪くジタバタを暴れだした。