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変化とは別の変化を準備する

「ねえ、一樹くんは何か困っている事はないかしら?」

食事が終わり、そんな言葉を切り出された時、差し出されたティーカップヘ近づけた指先を僅かに固まらせてしまった。

言葉に窮したのではない、場の空気に窮したのだ。

「……困ってる事ですか?今は特にないですね。強いて言うなら俺のクラスにちょっと厄介な同級生が転校して来たぐらいです」

どうにか違和感なく指先でティーカップを引っかけ、猫舌を虐め抜く程、熱い紅茶を喉の奥に流し込む。

「ほら、一樹くんは一人暮らしだろう?なにかと大変だと思う。食事ぐらい毎日ウチへ来てくれても構わないんだよ?」

優しげで温和で柔和な笑みは、本当に一樹を歓迎しているのだと分かるが、それでもこの空気は苦手だ。

嫌いではなく、苦手だ。

他人の家

他人の食卓

他人の両親……

どう取り繕ってもこの場で一樹ただ一人が、異物には変わりないのだから。

それに俺は辻先輩の両親も含めて、この場が少しだけ苦手なのだ。

「いやいや、それは流石に悪いですから……」

早く帰りたい……その一心で紅茶に手を付けるが、注がれて間もない紅茶は熱いまま、緩い湯気を上げ一向に冷めてはくれない。

「なにを言ってるんだい。一樹くんは僕たち家族の恩人だ。それに勝手ではあるが私は一樹くんを息子のように思っている。そんなキミを困っているままにしておく事なんか私達は出来ない、だから困っているなら私達を真っ先に頼って欲しい」

これ以上ないと言える有り難い申し出だ。

だがこんなに息苦しいのはきっと絶対に詰める事の出来ない距離がこの家にあるからだろう。

「そうよ、一樹くんが裕樹を助けてくれなかったら、私達家族は本当にバラバラになっていたかもしれないもの、いくら恩返ししても足りないぐらいだわ」

暖房の送風の音はこんなにも五月蝿かっただろうか?

外の車の通る音はこんなにも家の中に響いて来ただろうか?

ああ、違う。静けさがこんなにも気に障るのは、ここから続く話に見当がついているからだ。

そして、と言うべきか辻母が続けた話題は一樹にとって予想通りの内容だった。

「此処に引っ越して来る前、愛華も初めてのユーフォリア所有者として大々的に報道されて、すぐに私達の家は特定されたわ。私達の地域ではユーフォリアは悪魔みたいな考え方が流行っていたから、すぐ私達は引っ越しをしなくちゃいけなくなった」

昔を思い出すように、ソファーで横になっている辻先輩へ辻母は視線を飛ばす。

「それで逃げる様にして引っ越して来た日本で、私達は娘と同じユーフォリア保有者である『奇跡の子供』に助けられた。ほんとうに凄かった。世論が百八十度変わったみたいに、ユーフォリアを受け入れる方向へ変わって行った。当事者である私達ではなにもできなかったのに……だからこの平穏な生活も、私たち家族も、私達では何一つとして何も守れなかった。守ってくれたのは全部……一樹くんだったわ」

助けられたと言うには、痛ましく堪えた様に握られた手のひらは堅く閉ざされたまま、辻母のその先の言葉を詰まらせた

「だからね、一樹くんが困っていたら私達は全力で助けたいの。私達の前ぐらいでは声を上げて欲しい……」

この二人をここまで言わせてしまうのはきっと親愛や、愛情ではなく『一樹』に対する罪悪感だ。

だから、俺はこの空気に耐えられない。

この二人の前で助けの声をあげる事など出来る筈がない。

それではまるで、二人の罪悪感につけ込んでいるようじゃないか。

「本当に、お二人のお気持ちだけで大丈夫です。それに助けられてると言うならお互い様ですよ、俺も辻先輩にずっと助けられてますから」

だからいつも通り問題のない笑顔を貼付けて、決まった返しをして時計より正確に退室の時間を告げる手元の紅茶が冷めるのだ。

少しだけ大きな音でティ―カップのソーサーが音を立てると、寝ぼけ眼の辻先輩が申し訳なさそうに起き上がる。

「一樹、もう遅い。早々に帰り支度をするのじゃ!」

辻先輩の助け舟に乗る形で、脱いでいたブレザーを着込み、ソファーの横に置いていた鞄を取り、急かす辻先輩に連れられるまま玄関へ移動する。

暖房と隔絶された玄関は、薄ら寒く外の暗闇と解け合うように薄暗く、少しだけ安心してしまう。

「我は一樹を途中まで送るでの」

「晩ご飯とクッキーとても美味しかったです、お邪魔しました」

玄関まで見送りに来てくれた辻先輩の両親へ短く挨拶を交わし、辻先輩に続き家の外へ出れば、夜空には小さな星々が疎らにちりばめられていた。

夜桜が舞い散る川沿いで、前を歩いていた辻先輩はハタリと立ち止まる。

「我が呼び出しておいて、すまんかった一樹。我の両親はあれでかなり一樹を心配しとる。気を悪くせんでくれると嬉しいのじゃ」

申し訳なさそうに話す辻先輩だが、それは杞憂というものだ。

「心配されて嫌だなんて俺にとっては贅沢な悩みです。誰かに心配されるなんて有り難い以外に言葉が見つかりません」

差し出された、ご飯は舌を火傷するほど温かかった。

クッキーは甘くて咀嚼すれば、思わず口元が綻んだ。

誰も居ない家で晩のご飯を食べるより、ずっとあの場所は楽しかった。

「そうかのう……一樹が、気にしておらなんだらいいんじゃが……我が見た記憶のヌシを知っておる我からすれば、両親のあの言葉はいたたまれんのじゃ……」

金髪の前髪が視線を遮り、辻先輩がどんな表情をしてるのか窺い知る事は出来ないが、それでもその声を聞いただけで何かを言い淀んでいる事ぐらいは理解出来る。

「俺は別に誰かの幸せを見るのが嫌いなわけじゃありませんよ。むしろ幸せな光景は好きなぐらいです。ただ、同じ場所に居るのは、まだ少しだけ苦手なんです」

わざわざ自宅へ招いてくれた辻先輩にそんな顔をして欲しい訳じゃない。

俺自身がそんな顔をさせているのならなおさらだ。

「今日は辻先輩の家にお邪魔して楽しかったです。ご飯もおいしかったですし、裕樹の元気そうな姿も見られましたから」

逃げるように背を向けて、辻先輩の前へ出る。

「今日はここまででいいです。辻先輩は小さいんですから早く家に帰って両親を安心させてあげて下さい」

夜道が危ないのは俺よりもむしろ辻先輩の方だ。

そもそも幼女に夜道を送らせるというのもおかしな話だろう。

「じゃあ、今日はお疲れさまでした辻先輩、また来週部室で」

「うむ!了解じゃ。気を付けて帰るのじゃぞ一樹」

踵を返した辻先輩を見送り、

夜道を歩き、明かりのついていない家の前で立ち止まる。

家の玄関を開ければ、温かい会話も温度も在りはしない。

ただ帰る場所

ただ、寝る場所

住所として指定する場所

無機質と己自身で規程した場所で……

それでも遥か昔に口ずさんだ言葉を、今も往生際悪くも一樹は呟いてみる

「ただいま」と

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