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変化とは別の変化を準備する

一日の終わり際の夕暮れを背に街灯の薄明かりに照らされた桜が侘しく散って行く様を見続けながら川沿いを歩き、ある一軒家の前で足を止めた。

新しく建て替えたであろう、新築同然の白壁はくすみ一つ受けつけてはおらず、表札には『辻』の一文字が彫り込まれていた。

「じゃ、行くからのう……準備はいいかのう?」

「俺は別にいつでも構わないですけど……なんで辻先輩は緊張してるんですか?」

「いや、のう……弟は我を許してくれるじゃろうかと、心配になってのう……」

事は数日前に遡る。

辻先輩は弟が愛してやまないアイドルの不祥事を知った弟の記憶を食った。

だが、食った記憶はごく僅かで、弟がアイドルの不祥事記事を知った瞬間の記憶のみを食ったのだ。

そうして、弟の中でアイドルお泊まり激写をユーフォリア使ってなかった事にしたはいいものの、上辺だけの書き換えはなんの意味も為さずwebニュース一覧を大いに騒がせたアイドル記事は、結局辻先輩の弟の目に触れる事となった。

そして、辻先輩が弟から食った記憶を返した事によって、記憶を勝手に食った事が弟にバレ、弟は一切辻先輩と言葉を交わしてくれなくなったらしい。

「アレ以来、弟は我と口もきいてくれんのじゃ……」

本気で落ち込んでいるのだろう、何時も張りのある金髪が今日は何処と無く萎んで見える。

ただ、辻先輩の心配も俺には分かる。

辻先輩は過去に一度、大いに世間を賑わせたことがある。

それは辻先輩が生まれて間もない、一歳頃だ。

彼女は自身の親の記憶を食った。

だが根こそぎではない、彼女は自身が『産まれた』という記憶を両親から食ってしまったのだ。

『産んだ筈のない子供が手元にいる』

しかし、過去の両親の中の記憶では愛おしくも得体の知れない赤ん坊を育てている。

両親は狂気に落ちる一歩手前だった筈だ。

記憶がない、それでもなお愛おしい。

辻先輩の両親は即座に病院に駆け込み検査を受けたが異常は見当たらず、次いでお産を担当した産婦人科でその子供が自身の子供で間違いない事を告げられる。

そして『人の記憶を食う赤ん坊』として最低最悪の形で最初のユーフォリアが発見された。

だからこそ、辻先輩は心配なのだろう。

お産の痛みを忘れさせようとした赤ん坊の頃の自身の善意と同様に、またしてもよからぬ方向へ行ってしまうのではないのかと。

「絶対に大丈夫……とは言えないですけど、まぁアイドルの不祥事なんて所詮大した事じゃないので、なんとかなるんじゃないですか?」

心配は分かるが、今回の件は弟にも責任の一端があるのは否めない。

蕎麦と七味

牛丼と紅ショウガ

カレーと福神漬け、あるいはラッキョウ

そして、アイドルと不祥事は付けわせレベルで相性が抜群なのである。

なんなら、アイドル類義語で検索したら、不祥事が出てるレベルだ。

そもそも、アイドルが不祥事を起こしたぐらいで不登校になるなど本当の意味でアイドルを楽しめていないのと同義である。

「本当にどうにもならなかったら俺がガツンと言ってやりますから」

「そうか……一樹がそう言うなら……よし!よかろう!分かったのじゃ!我も覚悟を決めるでのう!」

ユーフォリア保有者専用の端末で、家の鍵を開け辻先輩は恐る恐る家の中へと入っていく。

「た……ただいまなのじゃ」

部室内で雛と言い争いをしていた時とは比べ物にならない小さな声で玄関を抜ける辻先輩の後ろについて家に上がっていくと、キッチンスペースから顔を出した金髪美人と目が合った。

「あら?あららら?一樹くんじゃない!」

キッチンから俺を見つけて飛び出して来たのは、高身長のスラッと美人。

透き通る白い肌と、宝石のようにエメラルドの光彩を放つ瞳、大きくなった辻先輩と言えば分かり易いだろう。

だがそんな見た目が若々しいにも関わらず、齢40を過ぎているのだから驚きである。

「あっ……どうもお母さん、お久しぶりです」

一目して、その破壊力が衰えていない事を思い知る。

乳と乳……多分片方だけで雛を二十人圧倒出来る程の戦力だ。

弛まぬ努力を続ける雛と、もう目の前でタユンタユン揺れまくる辻母の母性は、悲しいかな……やはり努力では覆せない遺伝子の二重螺旋の檻があるのだろう。

「ちょっと、愛華!ちゃんと聞こえるようにただいまぐらい言いなさい!それからちゃんと靴を並べて!もう!一樹くんが来てるのに、ごめんなさいね」

「分かっておるわ!もうちょっとどっか行ってて欲しいのじゃが!」

ちなみに辻先輩の本名は『辻愛華』である。

愛らしく華がある。

何とも辻先輩らしい名前だ。

なぜ毎年の流行語大賞にならないのが俺は疑問で仕方がない。

「あっ!裕樹〜!一樹くんが来てくれたわよ!」

辻母は来客に異常なまでにテンションが上がっているのか家中に呼び掛けると、二階から激しい足音と共に一人のイケメンが降りて来た。

辻裕樹、つまり辻先輩の弟だが、コイツは男の俺からみても格好良い。

道行く十人の女性が振り返るであろう異国の王子と言っても不思議ではない整った容姿を持つ辻先輩の弟である。

そして件の熱狂的なアイドルオタクでもある。

「よう、裕樹久しぶり。元気だったか?」

「一樹さんじゃないっすか!元気も元気っすよ!一樹さんこそ!今日はどうしてっ……あぁ、なるほど。ウチの姉貴が、いつもすみません……」

何となく察しがついたのか、俺の後ろ縮こまっている自分の姉を見た裕樹は心底侮蔑を含んだ瞳を辻先輩へと向ける。

「おい、クソ姉貴。家族のゴタゴタに一樹さん巻き込むなって何度言わせりゃ気がすむんだよ!」

「じゃからって!裕樹は我と口もきいてくれなかったじゃろうに!じゃから仕方なく……」

「だからって、なんで一樹さんをわざわざ連れてくんだよ!普通に一樹さんの迷惑だろうが!」

「なにがじゃ!我は今日友人を家に呼んだだけじゃ!迷惑もなにもありはせんのじゃぞ!」

「この喧嘩してるタイミングで一樹さんを家に呼ぶ時点で、問題だらけなんだよ馬鹿姉貴!常識を考えろ!常識を!」

「我がいつ家に友人を呼ぼうが我の勝手じゃろうて!」

言い合いを始めた二人だが、どうやら辻先輩が頭を悩ませていた『口をきいてくれない』という問題は解決したらしい。

玄関先で言い合っている二人を置いて、俺は辻母に手招かれるままにリビングのソファーに腰掛ける。

「あの二人は放っておきましょう。ほら晩ご飯までここで待ってて、テーブルにあるお菓子は好きに食べてもいいけど、直ぐ晩ご飯だから食べ過ぎちゃダメよ」

正直俺はもう帰りたいのだが辻母からの善意をむげにするのも忍びない、大人しくソファーに腰掛ける。

「放っておいていいんですか?あの二人今にも取っ組み合いを始めそうな勢いですけど……」

「いいのよ。どうせ二人の事だから飽きて直ぐ終わるから二人の事は気にしないで寛いでいてね」

玄関先で尚も二人は言い合いを続けており、手持ち無沙汰を紛らわすためにガラス張りのテーブルに辻母が置いていったクッキーへと手を伸ばす。

手作りクッキーなのだろう、不揃いながらもバターの芳醇な香りがここまで漂って来る。

一つ、また一つと食べるごとにサクサクとこ気味良い食感と甘みが口いっぱいに広がって行く。

温かい部屋と、甘い香り。

時折、疼痛と共に知らぬ景色が頭に浮かぶ。

俺はこの時間を知っている。

だが、何を知っているのか思い出せない。

何かを思い出そうとして思い出せない喪失感を補うようにまた一つ甘いクッキーを口に運ぶ。

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