変化とは別の変化を準備する
「我の全財産なのじゃ、コレで許して欲しいのじゃ……」
だが、申し訳なさそうに小銭を置く辻先輩を見た雛は、机に置かれた小銭の額に小さく鼻で笑って見せた。
「47円……さっき辻先輩が一口で三つ食べたこのお菓子、一個幾らだと思います?」
無駄に格式張った高級そうな箱にはまるでジュエルボックスを彷彿とさせるチョコレートの様な洋菓子が丁寧に装飾されている。
見た目だけでただ事ではない雰囲気を醸し出していると分かるお菓子の値段の書かれている箱の裏側を辻先輩は恐る恐る裏返した。
「さっ、三〇〇〇円じゃと……そんな数も入っておらんお菓子が、三〇〇〇円……菓子が一箱で、そんな馬鹿な値段設定がある筈が……」
驚愕する辻先輩の前に雛は無慈悲な現実(三〇〇〇円)を見せ付ける。
お客さんが来た時に出すちょっといいお菓子、またはとっておきに大人が食べる部類に入るお菓子なのだろう。
むしろ三〇〇〇円という値段設定は安いほうなのかもしれない。
「見ての通り、このお菓子一箱十個入りで三〇〇〇円なんですけど。辻先輩はさっき三つも一気に食べちゃってたんで、あれだけでざっと九百円なんですけど〜。というか、47円じゃ一個分の値段にも満たないんですけど〜」
「我の、なけなしの全財産が……その小さな菓子一個分にも満たないじゃと……」
現実は厳しく、時に成す術もない自体に陥る事がある。
だがそんな時でも、金髪で碧眼でなおかつ超絶美少女であるなら、俺は仕方がないので手を貸そうと思える。
やはり、人との信頼など、目にも見えない物など宛にはならない。
目に入れても痛くない、そんな幼女が最も信頼に値する。
やはり世の中を回すは権利と金と少しの幼女だ。
「仕方ないな雛、その辻先輩に『九百円の貸しを作れる権利』とやら、一体幾らで俺に売ってくれるんだ?」
俺は、自身の財布に数千円が入っていた事を思いだしバックから探り当てる。
「アンタにだけは幾ら積まれても絶対に売らないわよ」
財布のフックをパチンと解いたにも拘らず、何と、非売品だったのか……
リボ払いでもなんでもして、今直ぐにでも金を作るつもりだったのに……
誠に残念だが、これで俺に打てる手はなくなった。
俺が諦めた手前取りつく島もない雛に何か策はないものかと頭を廻らせた辻先輩だったが、俺は後ろに控えた人影に全てを諦めた。
「今はないが、小遣い日が来れば金は必ず支払うのじゃ!じゃから、頼む!熊谷にはこの件を伏せて欲しいのじゃ!」
「熊谷に誰が何を伏せるって?」
その声に辻先輩の顔から血の気が引いて行く。
くぐもった低い声、死んだ魚の様な濁った瞳と、寝不足気味なのか目を縁取るクマがより一層この人の人相の悪さを際立たせる。
だが何より他を圧倒する体格と生えっぱなしになっている無精髭を見て、この人がまだ十八だというのが、俺には俄に信じられない。
そもそもこの人と夜の街を歩くと、如何わしいキャッチすら避けて通って行くのだから見た目上の柄の悪さは夜の繁華街も彼を受け入れないのであるからして推して知るべし言った所だろう。
「熊谷先輩、遅かったっすね。生徒会に顔出てたんですか?」
「まぁ、俺ぁ一応生徒会長だからなぁ……つうかよぅ、テメエらも一応生徒会だろうが、なんで来ねえんだよぅ」
俺と雛は、般若も逃げ出す視線から逃れるように視線を逸らす。
そう、俺も雛も一年次から生徒会に所属しているのだが、訳あって最近では殆ど顔を出していない。
「いや、だって……ねぇ」
言いづらそうに、それでも本題に触れない雛はある意味で賢明であるのだが、ハッキリしない態度に仕事を一人でこなして来た熊谷先輩は、顔すら出さずこんな所でサボっている俺と雛に眉根を寄せた。
「いや、だってもクソもねえだろ!書記、会計、あとはなんで来るのか分からねえマスコットも、新一年の入った初日も初日のクソ忙しい今日に限って誰も来やしねえ!テメエらの『責任感』は何処に消えちまったんだよぅ!」
責任感?一瞬、熊谷先輩が何を言っているのか分からなかったが、確かに辞書には『責任』という単語は載っているだろう。
そんなよくも知らない『責任感』を先輩直々に何処にやったかと聞かれれば、答えない訳にはいかないだろう。
「俺は、今朝トイレ入った時にケツ吹いた紙と間違って一緒に流しちゃいましたけど、雛お前は?」
「私も今朝、ゴミ出しの時に間違えて一緒に捨てました」
俺も雛も熊谷先輩とあまり目を合わせたくないために、俺は携帯でお泊まり疑惑アイドルを検索し、雛はずっと雑誌に目を落としている。
あぁ、確かに結構可愛いアイドルで辻先輩の弟が夢中になるのも納得だ。
「おいおい、一樹ぃ!トイレにテメエの『責任感』なんてもんを希釈もせずにトイレに流したら環境に影響が出ちまうだろうが。それから雛、今日はリサイクルゴミの日だ、テメエのそれを出すなら有害性資源ゴミの日だ!間違えんじゃねえよぅ」
雛の責任感には水銀かなにかが含有しているのだろうか?
というか、俺に関しての責任感は熊谷先輩にとって劇物指定薬品かなにということだろう。
ちなみにだが、生徒会書記は俺で、会計は雛、そしてマスコットと言っているのが辻先輩の事だろう。
「まぁいいや、とりあえず今日の仕事は全部終わらせて来たからよぅ、それより辻ぃテメエ……また小さくなったんじゃねのか?」
言われて辻先輩はビクリと肩を震わせる。
「きっ……気のせいなのじゃ、それから、そんなに我を見つめるでないわ……お前には副会長という嫁がすでにおるであろう?」
悔しい事に熊谷先輩は『ユーフォリア研究部』唯一の彼女持ちでもある。
それも生徒会内においての副会長と生徒会長間の恋愛でありその二人がイチャイチャしている空間に入り込める程、俺も雛も辻先輩もそこまで空気の読めない人間ではない。
しかし、話を誤魔化すにあたり、彼女の話しを持ち出すのは辻先輩も中々に策士である。
どうやら辻先輩の頭の中に詰まっているのがマシュマロでない事だけ知れたのは一安心だ。
「……いや、間違いねえ。俺の目は誤魔化せねえぞ、辻ぃ、テメエこの前より二センチ?いや、三センチか?おい、こりゃあどういうことだぁ?」
死神と同居していると専らの噂が立つ熊谷先輩の瞳に見据えられた辻先輩は助けを求めるように、俺と雛の方をチラチラ見ているが熊谷先輩を前にして俺や雛が嘘などつける筈もない。
「おい、辻ぃ俺の目を見て言えや、テメエは本当に身長縮んでねえんだよなぁ?」
熊谷先輩の『ユーフォリア』は『真実』つまり、熊谷先輩の前では隠し事が出来なくなる能力である。
ただ、熊谷先輩がユーフォリアを発動するまでの十秒間、相手と目を合わせなければならず、熊谷先輩は常時誰にも嘘をつく事が出来ないと言うデメリットを抱えている。
つまり、熊谷先輩はユーフォリアの関係上、これまでの人生において一度も嘘をついた事が無い希有な存在という事だ。
この学校において最も瞳が汚いにもかかわらず、生まれ持ったユーフォリア故に最も潔白に生きて来た熊谷先輩はとても嘘が嫌いである。
そして、十秒辻先輩は熊谷先輩の瞳を見つめ、熊谷先輩の瞳がユーフォリア発動の証である金色の輝きを宿す。