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山の駅の想いで  作者: 富幸
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職員の履歴

 第四章 職員の履歴


 私は、ベンチに腰を降ろしたまま線路を見つめながら、この駅で出会った人々の事を思い出していた。

 長い鉄道生活の中で一番長く勤務した駅の職員達、その人達の事を思い浮かべながら眼を閉じた。


 この駅に着任して、一番に思った事は、同僚の人達の年齢の高さだった。何しろ一番若い同僚が三十四歳程であり、その様な人達に混じって仕事をするのである。

 私の父親は、私が小学生の時に事故で亡くなっている。その思いが有るのか知れないが、父親の様な同僚に囲まれて仕事をする事に抵抗なく私は、一生懸命になった。

 なにしろ同僚の全員が教師であり父親や兄の様な存在なのだ。

 私は、日々の仕事を覚えるのに苦労は、しなかった。私の周りの同僚が、新米の私を指導するのに全力であたって呉れたからだ。

 穏やかでのんびりとして花に囲まれた静かな山の駅で、良し悪しは、別にして国鉄一家の見本みたいな駅なのだ。

 だが、そこに勤める人達は、二名が内地・後の三名が海外での戦争体験者だった。

 内地の二名は、予科練兵・海軍予備兵で、後三名は、中国や東南アジアに居たそうだ。

 私の見習いの先生は、美野志郎という一番若手の先輩だった。

 美野先輩に付いて、三回の見習い期間中に繰り返し教えて貰った事は、職員が晩酌をする。と言う事だった。

「勤務中に酒を飲む」

 という服務違反が常態化している事に驚くと共に、その事を美野先輩に尋ねた。

「でも、何故禁止されているのに飲むんでしょうね?」

「無理ないさ、うちの連中は、兵隊あがりで、兵隊で無いのは、俺だけだもの」

「美野先輩は、軍隊の経験は、無いのですか」

「あぁー、俺は、学徒だからな、当時は、まだその年齢に達していなかったのさ、しかし、うちの人達は、どれとて酒でも飲まなければ、やっていけない様な極限の経験をしているからなぁー」

「そうですか、でも戦後二十年ですよ」

「戦争が済んでも、まだ心の傷は癒えないし、日が落ちる頃になると心の傷が疼くのさ、俺ら戦争体験者でない者には、到底理解出来ない事だが、極限の体験をした者は、そこで時間が止まっているのさ」

「だから美野先輩は、全部の仕事をするのですか?」

「俺は、この駅しか知らないし、駅の仕事も好きだから、この駅にケチが付く様な事はしたくないし、させたくも無い。だからしているのさ、君も仕事に慣れれば判ると思う、山方君、君も心得てくれたまえ、当務が田原助役で出札が高野さんの時は、特に気をつけて仕事に落ちの無いように、さぁーもぅ寝よう」

 私は、美野先輩に教えられたとおり、がむしゃらに仕事を覚えると同時に駅を利用するお客様に親切丁寧な応対に心掛けた。

 それと同時に駅に出る別の楽しみもあった。それは夕食時の晩酌を済ませた先輩達の戦争体験を聞く事だった。


 原爆

 なにしろ体験者の語る言葉には、迫力と重みが有り書物を通して得る知識とは、何かが違うのだ。

 それは、一つの出来事を伝えるのに紙という媒体を介して読手に伝わる情報よりも、その出来事の体験者自身の言葉で伝える情報の方が心に深く刻み込まれるのだと思う

 ある日私は、高野先輩に

「先輩は、原爆に合われたと聞きましたが」

 と尋ねると

「それは、原爆の威力の事かね、原爆かぁーそうだなぁー通常の爆弾が線香花火なら原爆は、ダイナマイトの束だろうなぁー」

「そんなに違うのですか」

「そうだなぁーわしらが広島に集結し呉に向かう時に原爆に合ったのだけど、それから広島に取って返す道中は、被災者で、ごった返す道中だったが、暫く進むと急に視野が開けて、そこで立ち止まると其処から先は、何も無くて、遥か先に山並が見えた。わしは、今迄あんなに広く何もない場所を見た事は、無かった。それがたった一発の原爆のせいなのだ」

「へぇー爆弾と原爆は、まったく別物ですね」

「そうだよ、あれは、人が使える物ではない。悪魔の物だ」

「それで先輩達は、どうされたのですか」

「我々は、暫く其処に立ちすくんでいたが班長が、

 ここから先は、死者の町だ。たとえ生存者が居ても数名だろう、それより先程の場所に戻って被災者の救護に当たろう。

 と言って、引き返し救護に当たったのだよ」

「原爆とは、残酷な物なのですね」

「そうだ。あれは、絶対に使っては、ならないし、出来れば無くすべき物だ。科学者と言う奴は、とんでもない物を作るものだ。なにしろ人類の敵とも言うべきものを作ったのだからなぁー」

 と、吐き捨てる様に言ったまま黙りこんでしまった。私もそれ以上尋ねなかった。と言うより、これ以上問うては、ならないと思ったからだ。


 忘年会

 私が着任し、その年の師走半ばに忘年会が二日間で、駅長宿舎ですることになった。

 初日が非番の笠岡駅長・高野職員と私、それに公休の田原助役の四名である。駅長が

「皆さん本日は、ご苦労さんです。時間もたっぷり有りますから、おぉいに飲んでやって下さい」

 駅長の言葉を皮切りに、初めは、和気あいあいと飲んでいたが、酒が入るに従って高野職員が考え込む様に成ると田原助役が

「おい、高野さん、どうした酒が進まんぞ」

「助役、わしらぁーこの様に朝から酒を飲んでえぇのかなぁー」

「今日は、忘年会じゃがなぁー、嫌な事は、忘れてしまやぁえぇ―」

「それが忘れんけぇー困るんじゃぁー、酒を飲めば飲む程、原爆の被災者の群れが目の前に出て来て俺を見ては

「なぜ、お前だけ普通なのだ」

 と言う様に俺を見つめるんじぁーそのたびに、あれは昔の事だ。今は、戦争も終わって平和な世界だ。と思っても、被災者の群れは、消えてもくれないのじゃー」

「仕方ないよ、高野さん、わしだって今でも戦友の夢を時々みて大声を出し飛び起きるもの」

「助役さんは、南方でしたな」

「駅長は、どちらに」

「私は、満蒙です」

「よくソ連に抑留されなかったのですね」

「私達の隊長が気転の聞く人で、部下を連れて逃げたのです。そのおかげで、ここに居ますよ」

 と駅長は、杯を眺めながら寂しそう笑い

「私達は、引き上げ途中の開拓団にまみれて逃げたのだが、途中大勢の人々が祖国の土を踏まずに、亡くなったり、置き去りにされた。私達は、その様な人々を見殺しにして祖国に帰って来たのだよ」

 すると田原助役が

「駅長も大変な目に合っているのですね」

「まぁー私達の時代は、生き抜く事が一番でしたからね、戦争体験者なら人として心に幾つも傷を負って居るものですよ」

 この様な話から、忘年会が三人による戦争体験の会話に移って行った。

 私は、三人の心の悲哀を黙って酒を飲みながら聞いて居たが、ふと父親の事を思った。

 確か父も従軍していたはずだが、私が記憶している父は、戦争の話は、しなかったし聞いた覚えもない。

 父親もこの三人が経験した様な境遇に居たのだろうか、私は、酔えない酒を飲みながら父親の事を思い浮かべていると駅長が

「山方君、君まで考え込む事は、無いぞ、確かに忘年会には、相応しくない話題かも知れないが、君迄落ち込む事じゃーないから」

「いえ、駅長その様な事では、有りません。皆様の御話を聞いて居て、私の父親の事を思っていたのです」

「きみの、親父さんは、確か事故で亡くなったと聞いているが」

「そうです、皆様の話を聞いて居て、確か、父も従軍していたはずです、私は、父親も、皆様と同様な体験をしていたのだろうか、と思ったものですから」

「そうか、君の親父さんなら戦争に行っているだろうね」

「そうでしょ、でも私は、父親から戦争の話を聞いた覚えが無くて」

 私が、そう説明すると、駅長は、頬笑みながら手の杯を口にして一気に飲み干すと

「そりゃあ、当たり前だよ、可愛い我が子や家族に話せるものか、こればっかは、たとえ親兄弟にも話せる事では無い」

「何故でしょう」

「それはね、人、誰しも獣に成った時の事なぞ口に出せるものでは、無いからだよ」

「けもの???獣ってなんですか」

「考えてみたまえ、戦争とは、敵をやっける事だろう、詰まり、人が人を殺す事だ。一人対一人なら、喧嘩や殺人で処理出来るが、これが国や民族・宗教が、絡むと集団で殺し合う事になる、普段は、聖人君主でも一旦戦争となると先に立って、敵を殺せ、と指示をする。だれしも獣にでもならないと戦争は、遂行出来ないのだよ」

「だから私の父も戦争の話は、しなかったのですか」

「そうだと思うよ、誰しも自分が獣と同様な事をしてきたとは、云えないからね」

「うーん」

 私は、手にしていた杯を呷ると考え込んでしまった。自分の父親も同じ様な経験をしていたのか、と思うとせつない気持ちになったのだ。

 私の様子を見ていた駅長が

「山方君、そんなに心配する事は、無いよ、今は戦争も無い平和な時代だからね。今日此処に居る三人は、戦争という同じ経験をした者しか理解出来ない話をしているのだ、それから言えば、君は貴重な体験をしているのだよ、この三人の心の声を聞いているのだから」

 駅長の言葉を聞き、なる程と思った。それからも、三人は、杯と会話を交わす都度黙りこんでゆく、しかし私は、三人の会話に口を出すのが、はばかれた。

 と言うか私の様な若者が口を出しては、ならないと思えたからだ。

 三人の話は、人が体験する極限のものだが、中でも田原・高野先輩の話は、信じがたい体験話だった。

 田原助役は、南方戦線で何度も死線を越えながらも生き延びて来たが、運悪く傷を負い終戦間際に傷病兵として内地に戻った。しかし部隊は、すぐに玉砕したそうだ。

 田原助役が、その事を知ったのは、戦争が終わってからだったそうだ。

 高野先輩は、呉の部隊に合流するため向洋に居る時に原爆に合ったそうだ。

 それから広島に取って返したがその道中は、助けや水を求める多数の被災者の群れであり、その姿は、人とは、思えない姿形で、しかもどの被災者も水を求めて川にやって来ては、そのまま死んでいったそうだ。

「あの場に居た俺に出来る事は、川辺まで連れて行く事しか出来なかった。まさに地獄絵図に描かれている亡者の群れを見ている様だった。今思うとあの時、あの場所が地獄だったのかもしれない」

 私は、高野先輩に

「被災者は、どうして水を求めたのです」

「それは、炎天下で原爆を食らったのだよ、どの被災者も原爆の熱線と爆風を受けて火傷や血だらけで死ぬ一歩手前の人ばかりだった。だから川辺に行って水を飲むと、顔をあげて、アァーとかウゥーとか声にならない唸り声を上げて死んで逝った」

 と考え込む様に酒をあおった。

 この様な極限の体験を受けた心の傷は、生涯治らないのかもしれない。

 それが証拠に、昼間の時間帯は、どの人を取っても立派な人達ばかりなのに一旦お酒が入ると心の傷が疼くのか、それとも酒に依って心が解き放されるのか判らないが別人の様になるのだと思う。



 迎え人

 この忘年会がすみ、新しい年に変わった正月三日の日に、田原助役が出勤の為宿舎の玄関を出ると倒れてしまった。

 駅長の奥さんが駅に駆け付け

「大変よ、田原さんが倒れたの、手助けに行ってあげて」

 美野先輩と私が宿舎に行くと助役は、玄関を出た所で倒れていて側に奥さんが介抱していた。

 私達二人で部屋に連れ込み布団に寝せていると診療所の原田医師が来てくれたが、田原助役の意識が戻る事なく逝ってしまった。

 後日、宿舎の引越しの手伝いに行った私達に奥さんは、お茶を出しながら話出した。

「あの人は、私と結婚すると、すぐに兵隊に取られ、帰って来た時には、大怪我をしているし面倒ばかりかけて、傷が治り国鉄に就職したら仕事の話ばかりをして、挙句の果て週二~三回は、兵隊の夢を見ては、大声を出して飛び起きるし、駅長さん一つお聞きしますが、兵隊仲間って忘れられないものなのですか」

 答えを求められた駅長は、湯呑を口にしながら

「うーん、難しい質問ですね、これは、私の考えですが、老若男女・大人子供を問わず戦争体験者しか理解できない絆が生まれるものです。それは、異性、同性を問わず死線を一緒に越えた者同士に生まれるものだと思います」

 駅長の言葉に奥さんは

「それで、あの人最近まで、俺を置いて行かないでくれとか、俺も連れて行ってくれ、と叫んでいたのかしら」

「そうでしょうね、助役さんも心を南の島に残していたのだと思いますよ」

「だからでしょうか、私が台所に居る時に、あの人は、玄関を出る前に、私に、

「おい、行ってくるぞ」

「はーい、すぐに出ますから」

 と言って私が、返事をして台所から出て玄関に向かって居る時に、あの人は、玄関を開けると、異様に大きな声で

「おぉ、迎えに来たか御苦労」

 と言って玄関を出たので、私は、駅から誰か来たのかな、と思って玄関に出るとその場にあの人が崩れる様に倒れたの、駅長さん、あの人には、兵隊仲間の迎え人が見えていたのでしょうか」

「そうかも知れませんね、本人には、その時が現実で島を離れて今迄が仮の世界だったのかも知れませんね」

「まぁー、すると私は、仮の妻と言う事に成りますね」

「でも奥さんは、助役さんが兵隊に行く前に結婚したのでしょ、だったら仮の妻とは、云わないんじゃーないですか」

「それもそうね、私の方が先輩ね、それにあの人は、傷が治り、国鉄に就職してからも

「俺は、戦友に申し訳ない。俺だけ生き恥をかいて生きている。定年になったら必ず慰霊の旅に行きたい」

 と日頃から気にして居たから、あの人には、戦友が迎えに来てくれた。と思えたのでしょうね」

 と私達に寂しそうな顔をしながら私達に話してくれた。


 田原助役の後任も決まり駅は、何時も通り何事も無かった様に格別変わりはなかった。

 駅の中の職員という歯車を一つ交換しただけであった。

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