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山の駅の想いで  作者: 富幸
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運転取扱

 第三章 運転取扱


 昔、勤務していた駅の後地のベンチに座り五月晴の爽やかな風に抱かれながら、ぼんやりと線路を眺めて居ると、この駅で経験した運転に関する諸々の出来事を鮮やかに思い出す。

 中には、肝を冷やす様な出来事や人が経験出来ない様な事もあり、五十年以上も経った今でも身震いがする思いや、思い出すたびに笑みがこぼれる出来事もあった。

 鉄道員にとって安全で正確な列車の運行は、至上命令である。

 それなのに取り扱う資格のない若い職員が、その業務を内緒でしていたと言う事に気が咎めるのかも知れない。

 私は、眼を閉じてその出来事を様々と思い出していた。


 歪んだ通票

 私が着任し駅長から出番の職員の紹介を受け次々に挨拶をしたが、その日の出番の、どの人も四、五十代の年寄りであった。

 後で聞いたのだが、この駅の定員は、七名で一番若い人が三十七歳であった。

 その様な職場に二十歳の職員が配属されたのだ。

 当然一番若い私は、仕事を覚えるのに先輩達の指導を受ける事に成る。

 当時の国鉄では、列車の運転は、着発時刻から三十秒以上の遅れを出すと事故として報告しなければならなかった。

 先輩達も運転取扱いについては、基本作業や基本動作・指差し確認の大切さを教えていただいたが、反面何事も経験する様にと取扱う資格の無い私にも取扱いをさせていただいた。

 当時の駅間の列車の保安方式は、通票閉塞方式が採用されていて、当時は、通票をキャリアケースに入れたものをタブレットと呼び、キャリアケースから取り出した通票は、通称、玉と呼んで区別していた。

 当時の信号機も腕木式信号機であり、キャリアに入れたタブレットも駅と運転士の間の受け渡し業務は、手渡しであった。

 まだ腕木式信号機の場内信号機しか設置されていない、この駅で通過する列車が幾本か有りタブレットの受け渡しも職員がしていたのである。

 私が初めての見習いの時には、通過列車に対する通票の受け渡しは、職員が右手で通過の手信号を出し左手で通過する列車からタブレットを受け取って居たのである。

 私は、美野先輩から

「いいか山方君通過列車は、構内では、有る程度速度を落とすが、けど決して油断してはいけないよ、人が見える以上に列車は、早いからね」

「はい、この様にすれば良いですね」

 と私は、右手に緑色旗を表示し握った左手を高く掲げた。

 暫くすると下りの急行列車が場内信号機を超えてホームの端に掛って来る。

 列車は、思ったより速度が出ていたが機関助手が身を乗り出しながらもタブレットを持っているのが眼に入った。

 機関助手は、私の構えている左手にタブレットを投げる様に放した。

 私は、その衝撃の大きさに吃驚したが列車が通過した後に左腕を見ると赤く腫れていた。

 これを見た美野先輩が

「山方君、タブレットを受けたら身体を捻じって力をかわさないと今日の様な受け方をすると左腕が痣だらけになるよ」

「はい、これからは、上手くやります」

 確かに通過列車の受け渡しは、大変だったが、私が着任した年の九月頃から始まった保安装置の改良工事により通過信号機を増設し、それに伴い通票受渡機がホームの端に設置され、その年の十二月半ばから稼働しだした。

 通票受渡機が設置されて間もない頃、私は、上りの貨物列車の通過受けに上りホームの受渡機の側で列車監視をしていた。

 貨物列車が場内信号機を過ぎポイント部分で線路が大きく曲線を描いている。

 私は迫りくる列車を見ながら

「あれ、機関助手の奴出遅れたな」

 と思った。何時もならポイントに掛る前にタブレットを持ちながら機関助手が身を乗り出しているのだ。

 通過列車が直線区間に入ると通票受渡機は、すぐである。

 機関助手は、慌てて身を乗り出しタブレットを投げたが受渡機の先端にはじかれタブレットは、ホームで一回転しながら貨物列車が通過している線路に落ちて行った。

 私は

「チェッ、機関助手の奴失敗しやがって、タブレットを持って行かにゃー良いが」

 と思いながら受渡機を所定の位置に納めると線路に降りてタブレットを捜した。

 幸いにもタブレットは、ホームの中央付近の壁際に落ちていたが通票を入れてあるキャリアのバッグ部分が大きく裂け、環が轢断されて居た。

 事務室に帰り通票を閉塞機に納めようとしたが機械が受け付けなかった。

 通票が貨物列車にひかれた際に軽く歪んでいて閉塞機に納める事が出来ないのだ。私が

「当務さん如何しましょう、玉が歪んで閉塞機に入りません」

「本当か」

「はい皮袋が裂けていましたから列車に轢かれたのだと思います。このままだと閉塞が解除出来ませんが」

 私と当務の話を聞いて居た出札の高野さんが

「歪んでいるのならストーブで焼いて線路で叩けば元に戻るだろうが」

 私と当務の山北さんは、顔を見合わせながら

「それも、そうだ」

 とばかりに私は、ストーブに石炭を入れストーブの胴体が真っ赤に成る程焼けた所にタブレットを投げ込んだ。

 三人が注視する中でストーブの中の通票は、真っ赤に焼けていった。

「もうこのくらい焼けば良いだろう」

「当務さん、それでは取り出しますから」

 といって私は、火箸を取りストーブの中から真っ赤に焼けたタブレットを取り出した。

 出札の高野先輩は、ハンマーを持って線路に降り待機している。

 私は、焼けた通票を掴むと慌てて線路に飛び降り通票を火箸で掴んだまま線路に置くと高野先輩が力一杯通票を叩いた。

 二度三度叩いたが見た目に変化は、無かった。私は、予めホームに用意していたバケツの中に焼けた通票を入れた。

 通票は、大きな音をたてながら黒色に変色して行った。

 少し、してバケツから取り出した通票を台所にある磨き粉をかけて磨くと元の黄金色に変わったがその表面には、黒色のひび割れが五本付いて居て幾度洗っても取れなかった。

 綺麗にした通票を閉塞機に納めようとしたが通票の歪みの為閉塞機に入らない。

「当務さん、駄目です、まだ入りません」

「弱ったね、これ以上叩くと玉が割れるかも知れないしね」

「そうですね、わしも玉がこれほど堅いとは、思わなかった」

「仕方が無い信号通信区の松田さんに来てもらうか」

 と当務の山北さんは、非常呼出簿を取り出し信号通信区に勤務している松田さんに電話を入れた。

「山方君、大丈夫だよ、松田さんが三十分程で来てくれるそうだ」

 三十分すぎに松田さんが来て

「連絡を受けて来ました。列車が通票を轢いたそうですね」

 私が歪んだ通票を渡すと、一目みるなり

「慌てたのですなぁー、焼いて叩きましたか、延びないでしょう通票は」

 すると当務の山北さんが

「通票は、どういう成分で作られているのです。真っ赤に焼いて叩いたのですが治りませんでした」

 「そうでしょうなぁー私も成分までは良く知りませんが、聞いた話では、通票は、大砲と同じ金属で作られているそうで私達は、通票は砲金で作られる、と言いますけど」

 私は、通票を松田さんに渡しながら

「この通票は、どうするのですか」

「この通票は、広島に送り、代わりに新しい通票が送られてきます」

「でもこの通票には、番号を振っていますよ」

「大丈夫番号も同じ番号が帰ってきますから、帰りましたら持って来ますから」

 と言いながら松田さんは、閉塞機を開けて調整すると

「それでは、閉塞機の調節が付きました。この通票は、頂いて帰りますから」

 と言いながら松田さんは、帰って行った。十日程して昼過ぎに松田さんが事務室に入って来て駅長に

「この間預りました通票が帰って来ましたので、持ってきました」

 と言いカバンから桐の箱を取り出した。その箱の上には、通票と焼き印が押してあった。

 私は、駅長机の上の箱を見ながら

「松田さん、箱を開けても宜しいか」

「あぁどうぞ、どうぞ」

 私は、箱を手に持ちきっちりと閉じている箱を開けると其処には、黄金色の汚れも傷もない新品の通票が入って居た。

 私は、それを見た瞬間

「うわぁー凄い。これ通票ですか」

 と私が、思わず声を上げると、笠岡駅長も高野さんも

「どれ、どれ」

 とばかりに全員が新品の通票を見ながら

「凄い。凄いまるで純金で作られているみたいだ」

 と驚いた。新品の通票を手に持った高野さんが

「駅長、この通票を使うのは、もったいない金庫に大切に保管しておけば、この駅の宝になりますよ」

 高野さんの言葉に駅長は

「そうだなぁー松田さんが堪えてくれないだろうね」

 と笑いながら松田さんの方を見た。松田さんは、笑顔で全員を見ながら得意げに

「凄いでしょう、この様な代物を見れるのは、まれですよ、新品の通票なぞ私達でも滅多と見る事は有りませんからね、でも通票は、通票です使ってなんぼですよ、あの閉塞機に入れてある通票もこれと一緒ですよ」

 普段私達は、傷だらけで汚れた通票を見なれているせいか、今手にしている通票は、まったく別物の様に思えた。


 出発合図

 三回の見習い期間も済み初めての泊まりの夕食時に美野先輩が

「この駅では、夕食時に一杯やる者がいるから注意する様に」

「美野先輩、それは駅で酒を飲むと言う事ですか?」

「そうだ、この駅で晩酌をしないのは、俺だけだから」

「あのーう、酒を飲んでいたら、私に注意せよと」

 すると美野先輩は、私を見て笑いながら

「君に、そんな事頼んでも出来ないだろ、私の言うのは、早く仕事を覚えて落ちの無い様にする事だ。お酒が入ると抜ける事が多いからね」

 美野先輩の言う通り、当務駅長の助役も宿舎で夕食を済ませて来ると、明らかに酒を飲んで居るのが判るのだ。

 美野先輩は、列車の合間に横に成っている当務に代わり通票閉塞機や信号操作、又、当務の事務迄も、していたが、列車の到着時間が来ると横になっている当務を

「助役さん、時間ですよ、起きて下さいよ」

 と当務駅長を起こし列車受けに出した。私は、就寝時間の時、美野先輩に

「美野先輩、助役さんは、何時もあの様に?」

「そうだなあー、何時もと言う事では、ないが、君も注意して落ちのないように、必ず基本動作と指差し確認は、絶対怠っては、ならない。これを怠ると事故の元だ。この駅では、事故の無い様にしてほしいのさ」

 私は、この教えを厳守しなかった。単線区間で列車速度も遅い。若い私には、基本動作や指差し確認が一手間だと思い。これを軽んじていたのかも知れない。

 私は、美野先輩に尋ねた。

「何故其処までするのですか」

「俺は、この駅しか知らないし、駅の仕事も好きだから、この駅にケチが付く様な事はしたくないし、させたくも無い。だからしているのさ、君も仕事に慣れれば判ると思う、山方君、君も心得てくれたまえ、当務が田原助役で出札が高野さんの時は、特に気をつけて仕事に落ちの無いように、何回も言うようだけど基本動作と指差し確認は、必ずする様に、さぁーもう寝よう」

 私は、先輩達から日頃指摘されているにも関わらず形だけの動作ですましていた。

 この駅に赴任して八ケ月経った。師走のある日に、その指差確認を怠った付けが起きた。

 それは、正月が間近い、ある日の事、勤務に出ると出札が美野さんから高野さんに変更されていた。

 私は、田原助役に

「あれ、今日は、美野先輩じゃー無かったんですか」

 すると田原助役が

「うん、昨日美野君の親戚に不幸があって急遽高野君に出て貰ったのだよ」

 私は、今日は気をつけなくては、と心の中で身構えた。

 夕食時までは、何事も無く穏やかな日であった。

 夕食を取りながら、後、四本列車を扱えば済むと思った。

 田原助役が食事を済ませて来ると宿直室で飲んでいた高野職員が

「助役さん、こちらに、こられぇー」

 と声を掛けると田原助役は、宿直室に腰を掛け、注がれたコップの酒を飲み出した。

 私は、こうなる事を恐れていたので当日の小荷物と貨物の締め切りを早めに済ませ、まだ当務の助役がしゃんとしている内に出札の締め切りを済ませた。

 それから二本の上下列車は、曲りなりにでも助役に受けさせたが最終の上下二本の列車が残っている。

 私は、一時間程余裕があるので出札や貨物・小荷物の現金を集め当務の仕事である。収支総計日報を締め切り現金を金庫に納め鎖錠した。

 これで事務的な仕事は、片がついた。後は、上下の最終列車と荷物の受け渡しをすれば終わりと思ったが甘かった。

 最終の下り列車の閉塞を承認し場内信号機を取り扱い荷物を受けるリヤカーを用意して宿直室で横になっている助役を起こしたが起きない。

 何度も揺すったが駄目であった。その内下り最終列車が場内信号を確認した汽笛が聞こえて来たが二人は、起きそうもない。

 私は、意を決して助役の赤帽を眼深に被り入駅した列車に柱の陰から合図した。

 列車が入ると私は、自分の帽子に被り換えるとタブレットを持ちホームを過ぎて止まっている機関車に駆け寄り機関士に

「○○駅と□□駅間通票△角」

 と大声で機関士に渡すと機関士も

「○○駅と□□駅間通票□角」

 とタブレットを渡してくれた。私は、タブレットを交換すると

「通票□角確認よし」

 と大声で復唱すると荷物の受け渡しに急いだ。列車の発車時刻が来ている。

 私は、荷物をリヤカーに積みこむと慌てて事務室の前に帰り帽子を赤帽に被り直すと柱の陰から合図燈で出発合図をした。

 しかし何度青の合図を出しても機関車は出てくれない。

 私は、あせって舌打ちをしながら、又帽子を被り直すと機関車の元に急いだ。

 機関車の下に行くと私は、大声で咎める様に

「機関士さん、出発合図をしているのに何故出てくれないのです」

 すると窓から半身をだしていた機関士がすまなさそうに前を指差し

「俺も出てやりたいのは、やまやまだけどあれでは、出る訳にいかんのでなぁー」

 私は、機関士の指さす方を見ると出発信号機が赤である。

 私は、思わず

「アッ―、すみません」

 と大声を上げ機関士に頭を下げた。機関士の後ろにいた若い機関助士がニヤニヤと笑って居た。

 すぐに信号扱い所に帰ると出発信号機を扱い進行の青信号を指差差し確認すると事務室前に取って返し帽子を交換して柱の陰から発車合図をすると列車は

「ボォォ―」

 とまるで私を嘲笑う様に、間の抜けた音を出しながら、ゆっくりと動きだした。

 列車が出発信号機を過ぎると私は、抜ける様な脱力感に襲われた。

 長い鉄道人生で在来線から新幹線まで幾多の列車の出発合図をしたのか知れないが、歳を重ねた今でも心に残る出来事であった。

 当時の心情は、多分に服務や規律違反と言う違法行為をしていると言う罪悪感でいっぱいだったと思う

 私は、下りの最終列車が出るとホームに置いて居るリヤカーの荷物を整理しタブレットを閉塞機に置くと宿直室で寝ている助役を起こしに掛った。

 上りの最終列車までに起こさねば、下り列車と違い上りホームは、隠れる事が出来ない。

 私は、必死になって助役を起こすと宿直室から当務のイスに座らせて、湯呑に熱い番茶を入れると

「ハイ助役さん、熱いから気をつけて飲んで下さいよ」

 助役は、黙ってお茶をすすっていた。時間が来ると私は、助役にタブレットと合図灯を持たせ脇に手を入れると

「助役さん少し早いけど向こうホームに行きましょう」

 と言って助役を上りホームに連れて行きベンチに座らせると上りの列車を待った。

 少し待つと構内の端に在る踏切の警報機が鳴り出した。私は、ベンチに首を投げて座って居る助役に

「さぁー間もなく上りが入ります。しっかりして下さい」

 と声を掛けながら腕を引いて、立ち上がらせたが、足元がおぼつかない。

 一人で立たせると、万一線路にでも落ちたら大変な事に成る。

 私は、助役と二人で立ち後ろ手で助役のバンドを左手で握ると列車受けをした。

 列車が停車すると、助役をベンチに座らせタブレットを持つと機関士の所に急いで行きタブレットを交換し機関車の前を掛け足で回ると駅舎の横にある信号扱い所に行き上り出発信号機に進行の青信号を表示すると、又駆けって機関車の前を回った時に窓から半身を出していた機関士と眼が合った。機関士は、私に

「おい、お前も大変だなぁー」

 私は、機関士の言葉に苦笑いをしながら

「すぐに合図をしますから宜しくお願いします」

 と言って頭を下げると機関士は、了解したとばかりに手を上げた。

 私は、ベンチに座って居る助役に声をかけ、つきそうと列車の前後を確認の上出発合図を行った。

 今度は、機関車も、まともに泣いて出て行った。私と助役は、事務室に帰り、助役をイスに座らせ私は、宿直室に寝ている高野先輩を布団に入れ後片付けをすると駅舎の戸締りをした。

 隣駅から閉塞機に開通表示が来ると。私は、イスでうたた寝をしている助役を起こすと宿舎まで送り届けた。

 宿舎から帰りのホームで夜空を見上げながら

「やれやれ、本日も無事済んだ」

 と感動を伴は無い奇妙な充実感や満足感に浸りながら見上げた夜空には、満天の星が特別綺麗だった。

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