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人を殺す依頼をする女と殺し屋の話

作者: 毒電波

 葉巻は良い。何が良いのか聞かれると困るけれど、心を豊かにしてくれる。……気がする。


 池袋には葉巻を用意しているBARはそこまで多くはない。

 東口になると一店しかない。いや、あったといった方が正しいだろう。今はない。表向きは閉店したことになっている。


 ところで君は、葉巻の吸い方を知っているだろうか? 葉巻は紙巻きたばこのように箱から取り出して、火をつけてすぐに吸えるというものではない。


 まずはシガーカッターで吸口をカットする。吸口のカットの仕方はいくつかの種類があるが、私はフラットカットが好きだ。そこまで技術がなくても簡単にカットできるからな。

 その次に、マッチかガスライターでフットと呼ばれる火を点火する部分を炙り炭化させる。このときオイルライターを使うと煙の味が落ちるので使わないようにしよう。


 フットがよい感じに炭化したら、火から少し離して葉巻に火をつけていく。慣れるまではうまくできないが、慣れてしまえば火がつくまでの時間も楽しくなる。美味しく葉巻を吸うための儀式だ。


 葉巻は煙を口内に溜めて味を楽しみ、煙を吐き出し、吐き出した煙の香りも楽しむ。


 葉巻は時間と余裕のある紳士の嗜みだ。私は淑女だけど。


 私が葉巻に煙を楽しんでいると、狭い店の奥で怒鳴り声が聞こえた。


「不動産投資に失敗したのよ!」


 私はチラリと店の奥へ視線を向けた。四人が座れるボックス席には、二人の女がいた。一人の女が立ち上がり怒鳴っていた。もう一人の女――アカリちゃんは困ったような顔をしていた。

 マスターと私の視線に気がついた女は、気まずそうな顔をして腰掛け、密談を再開した。


 私はピーナッツをひとつ手にとり、口へ放り込んだ。そして耳に付けているイヤホンに指をあてた。


「不動産投資に失敗したっておっしゃいますが、キャピタルゲインを狙わずにインカムゲインで堅実的に稼ぐ手段があるじゃないですか」


 アカリちゃんは言った。先ほど立ち上がった女は忌々しげに答える。

 インカム? キャピタ……私にわかるような単語で話してくれたまえよ君たち。


「インカムゲイン。つまり家賃収入だけじゃ、住宅ローンとトントンで利益が出ないの! 固定資産税を支払ったら赤字よ。赤字! インカムゲインが出ない物件なんて買うおバカいるかしら? だからキャピタルゲインも狙いにくいの!」


 イヤホンからキンキンする女の声が響き不快にな気分になる。先ほどから素知らぬふりをしているが、店の奥にいる二人の密談を私は盗聴している。盗聴というか、女の密談相手のアカリちゃんのスマホを通話モードにして二人の会話を聞いているのだ。


 趣味が悪い? 仕事でございますの。ごめんあそばせ。


「で、私は良いこと思いついたの!」

「団信の利用ですか?」

「……そのとおりよ。面白くない子ね!」


 ダンシン? ダンシンってなんだよアカリちゃん。私はコホンと咳払いをした。アカリちゃんの視線が一瞬こちらを向くが、私なんてまるで無視して、女へ視線を戻しやがった。

 まったくひどい女ですよ!


「事情は了解いたしました。掃除係を動かすためには、この程度の額が必要になりますが、支払えますか?」

「あら、思ったより安いわね。ベンツAクラスの購入を諦めれば十分にお支払いできるわ」


 べべべべべベンツ!? ベンツって超高級車じゃん。私でも知ってるぞ。え、今回はそんな代金取っちゃうの? ベンツってよく知らないけど、1000万円くらいするんじゃないの? ブラック・ジャックじゃん。いや、人を殺すからドクター・キリコか?


 つーか、ベンツが一括で買えるなら住宅ローンくらい支払よ。


「お支払いは10日以内に。キャンセルも10日以内にお願いいたします」

「キャンセルなんてしないわ」

「皆さん同じようなことをおっしゃいます。では、私はこれにてお暇をさせていただきます」


 アカリちゃんは立ち上がると、私のほうを一瞬見て目元に笑みを浮かべた。決定のようだ。

 私は葉巻を吸い、ふーっと紫煙を吐いて答える。


「あなた、学生のくせして殺し屋なんてやっているの?」


 少し小馬鹿にしたような、哀れみを含んだような声色だった。


「お金はあるに越したことはありません」


 アカリちゃんは、そう答えると、さっさとBARを出て行った。ひらひらと揺れるセーラー服のスカートを見送る。

 アカリちゃんの答えが気に入らなかったのか、女は舌打ちをして忌々しげに指を噛んだ。典型的な悪女ね。


 ところで君、葉巻の消し方知っているかい? 葉巻をタバコのように灰皿に押し付けて揉み消すのは、非常にマナーが悪いとされている。不快感をあらわす行動なのだ。葉巻は自然に火が消えるのを待つのさ。

 私は葉巻の火が自然に消えるまで待ち、ゆっくりと立ち上がる。



 アカリちゃんと待ち合わせをしたのは、ヤマダ電機近くの豚カツ屋だ。一階に蕎麦屋があり二階に豚カツ屋がある。

 アカリちゃんロースカツ定食食べていた。やけ食いチックだ。


 私はアカリちゃんの対面の席に腰掛ける。


「あの女、ムカつきません? 殺してやりたいくらい、ほんと腹立つ。死ねばいいのに。ていうか死ね!」


 アカリちゃんはお茶を煽ると怒鳴った。私は注文を聞きにきたおばあちゃんにビールを頼んだ。瓶ビールを要求する。ビールサーバーで注がれた生ビールも魅力的だが、あれは時間をかけて飲むときには不向きだ。おばあちゃんは面白くなさそうな顔をして、冷蔵庫から瓶ビールとグラスを取り出して持ってきた。


 栓抜きで瓶の蓋をとり、グラスにビールを注ぐ。


「ねぇ、聞いていますか? 杉浦さん」

「ん? ああ。聞いているよ」

「じゃあ、私がなんて言ったか答えてくださいよ」

「赤い彗星のシャーはロリコンでマザコンなんだろ?」

「そんな話、一言もしていません!」


 冗談なのに。


「もういいです。杉浦さんのバカ」

「で、今回はやるのかい?」

「はい。入金を確認しましたし、やりますよ」


 アカリちゃんは、ロースカツにこれでもかとマスタードを乗せながら答えた。アカリちゃんは大食らいだが、味音痴だったりする。メロンに蜂蜜をかけて食べて美味しいとのたまうくらいに味覚が残念だ。


「今回は団信目当の……」

「団信ってなんだ?」

「団体信用生命保険の略です。住宅ローンを組む際には、必ず加入しなければならない保険です。この保険は加入者死んだり、3大疾病にかかりして、住宅ローンの返済が不可能になった際に、住宅ローンが全額免除されますものです」


 アカリちゃんは、こんなの常識でしょ、と笑みを浮かべる。住宅ローンなんて組まないし……組む予定もないし……。


「あの女、住宅ローンを全額免除するために自分の夫を殺してくれって言っているのか?」

「そうですよ」

「でもさ、超高級車のベンツを一括購入できるんだぜ? わざわざ夫をぶっ殺さなくてもいいと思わないか?」

「ベンツにも色々と種類があります。下からA、B、C、E、Sといったクラスがあります。一般的にCクラス以上が高級車という認識です。Sクラスは最高級でしたが、今はベンツ・マイバッハが最高クラスでしょうか。ああ、オフロード車のGクラスもありますね」

「それでも高級だろ?」

「ベンツAクラスは中古で100万円ですよ。新車で300〜400万円」

「……いや高額だろ!」

「私はあまり車に詳しくないので、よく知りませんが、新車の価格ってこれくらいじゃありませんか?」


 どうなの? そうなの? 私、車興味ないからまったくわからないけど、そうなの? 普通なの? 若者は車から離れちゃうよ? 馬鹿なの? え、冗談でしょ?


「今回は結構ふっかけてやりましたよ。ふふ。遺体を処理する必要がありませんから、その分必要経費を抑えることができます」

「ああ、そうか。死体がなければいけないのか」

「そうです。心臓麻痺による暗殺が可能な特殊な毒針も手配しました。冷戦時代にソ連で開発されたもので、実戦でしようされています」


 アカリちゃんは、マスタードで黄色くなったロースカツほうばる。美味しそうに頬を緩めているところを見ると美味しいのだろうが、私の背筋は凍った。

 絶対辛いだろ。あれ、絶対に辛いやつだぜ! よく食えるな……信じられん。味覚が……死んでる? 嘘見たいだろ、激辛なんだぜ。


「どうかしましたか?」

「え、いや……豚カツは美味しい?」

「辛さがたりませんね」


 豚カツに辛さを求めてはいけない。戒め。豚カツの旨味を殺してる! なにこの子。怖い!


「さて、行動開始は10日後です。杉浦さんの魔弾。楽しみにしていますよ?」


 アカリちゃんは鉄砲を撃つ真似をした。私は曖昧に笑い頷いた。

 アカリちゃんは不思議そうな顔をして、ソースをドバドバと豚カツにかける。それって食べて大丈夫なの?

 醤油を1リットル飲むと死んじゃうらしいけど、ソースかけすぎちゃう? 味音痴ってレベルじゃねぇぞ!




最後まで読んじゃったの?

マジで?

続かないよ?



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