深夜の病院でスタッフは何を思う
それを聞いたその一瞬は、不思議と何も思わなかった。
「わんこ王子、いつ結婚するか知っている?」
言葉の意味がわからなかった。
結婚って私と? 付き合ってもいないのに? あら、やだ。
幸せな妄想が頭を満たす。
「その感じやと、知ってるね」
その言葉に妙な引っかかりを覚え、曖昧に笑う。
「いや、知らないです」
婚約している彼女がいたんだ。
そんなことを言い始めた上司は、私の反応に飽きたのか、パソのんに目を移して仕事を再開している。
上司の目が離れた隙に、他の部署に向かう。
「あれ? 堀さんは?」
目当ての男がいないことにがっかりするも、知っていそうな、しかも聞き出せそうな女子がいることに安堵する。
「堀さんは外出中。しばらく戻らないよ」
「そうなの?」
そう答えつつ、彼女の隣に腰を下ろす。
「わんこ王子、いつ結婚するか知っている? って聞かれて、分からんから聞きにきてん」
「いや、もう入籍したんじゃない? ずっと付き合っている彼女がおって。そういう話なら、私より姫の方が知ってるよ」
遠い昔、とても美人なMRさんと付き合っているっていう話を聞いた。
点と点が繋がりはじめる。
「私も興味ないからあんまり知らない」
「ずっと一緒にいるじゃん」
「この間の飲み会で、誰かがめっちゃ聞き出してたけど、興味ないから聞いてなかった。どんなプロポーズをしたの? とか」
「うわ、それめっちゃ知りたい」
「私も知りたいです」
そんなやりとりにちょいちょい嘴を挟みつつ、落胆する。
告白することすら適わなかった。
消化不良の行き場のない感情が渦めく。
それからも、他愛もない会話を繰り広げ、自分の部署に戻る。
戻っても、不思議と涙は出なかった。
出ないことが不思議だった。
薄々、予感はしていた。
一人暮らしではなくなった可能性が高いことも、知っていた。
知っていたんだ。
「やっと、諦められる」
もう連絡が来なくてモヤモヤすることもない。
誰と一緒に住んでいるのかなって考えることもない。
最近不眠に悩んでいることも、最近便秘に悩んでいることも、最近ニキビに悩んでいることも、全部忘れよう。
プライベートが上手くいってないんじゃないか、なんて、心配に見せかけた淡い期待をするのは、もうやめる。
「おめでとうって言わなきゃね」
そう心に決めて、仮眠をとることに決めた。