鈴之助剣客始末 〜窮奇乃剣〜
街道筋、と云っても少し外れて仕舞えば山中と変わりは無い。
と或る武家の下女であるまつは、主人に他家への言伝を頼まれ、其の手紙を持って街道を下っていた。途中、飢渇して飲んだ生水が良く無かったのか、歩を進めている内に腹痛が酷く成っていた。懐中に丸薬等は携帯して居らず、次の水茶屋迄は保ちそうに無い。
まつは、観念をして辺りを見廻すと急いで街道脇へと入って行った。
「ああ、生水など飲むものではない」
充分街道から離れた所で用を足し、街道へ戻ろうとした所である。浪人風の男が三人程その行く手を阻んで居た。
男どもに囲われた事より用便を視られたのでは無いかと云う羞恥から、まつは早足で男どもの間を摺り抜けようとした。
「ごめんくださりましょう…」
男の内、比較的短躯な浪人が横を過ぎて往くまつの肩を掴んだ。
「其方、具合が悪そうじゃ。我等が診て進ぜよう」
くくく、と笑い乍ら肩を掴んだ儘である。慇懃な口振りであったが、此の連中がどの様な者共であるかは問われる迄も無い。
「おゆるしくださりませ」
「許すも何も…ふふふ。我等は其方を案じておるだけよ」
追って長身の男が言った。
こうなると街道からも隔て、人影も無い場所である。遠からずまつの前途は定まったも同然であった。
「ど、誰方か、お助けを」
まつは男の手を振り払うと、悲鳴を上げ忘我して逃げ出した。
「ははは、待て待て小娘」
男どもは戯れ合う様に、次第にまつを街道から離れる様に追い詰めていった。まつが疲労困憊の様子で遂に跪いて仕舞った其の時である。
「待て」
大声で咎める声が在った。少年の声である。その声に、まつを始め全員が驚嘆した。元より此処に潜んで居るのでも無い限り、此の遠く隔たった草深い場所での声が往還殷賑な街道から聴こえた事になる。少年の声の在った方角に男どもが振り向くと、其の少年は既に直ぐ傍まで駆け寄って居た。一番体躯の良い、連中の頭領と思われる男が有無を言わさず少年に斬り掛った。少年は難なく其の一撃を掻い潜ると、恐怖で蹲ったまつを背後に庇う様に一瞬で移動し、抜刀した。
「鋭っ」
しかしその剣は飽く迄相手を怯ます為であり、殺気は無かった。斯様に観ると男は渾身の力で剣を少年に振り下ろした。
「箭合っ」
少年はその渾身の一撃も難なく躱したと思うと、又もや殺気の無い剣で牽制した。
「闘っ」
其のぬらりくらりとした剣に苛立った男は、怒気を帯びて少年に叫んだ。
「猪口才な、小童。名を、名を名乗れい」
其の少年は道場帰りと見え、道着を着込み、防具を着けて居た。其の胴は朱く、燃える様であった。
「北辰一刀流、金野鈴之助である。賊ども、神妙にせよ」
何処からとも無く太鼓が打ち鳴らされ、響き渡る。
どんかかどん、どんかかかどんか、どんかかどん、どんかかかどんか。
「剣を執りて日乃本一に、宿望甚大、剣客童子。孤子で或ろうと破顔一笑、甲斐無き民には加勢する」
「応」
「鼓舞せよ、恃み入る、我等が傍輩」
詠う様に口上を述べる鈴之助。
「此奴、玄武館の『赤胴』じゃ」
短躯の男が言うと、長身の男が驚いた様に叫ぶ。
「げえ、赤胴鈴之助」
相手が『赤胴』鈴之助と知れると、忽ちに二人とも遁げ出した。
「貴殿は遁げぬのか」
「戯けるな、小童。貴様こそ覚悟せい」
男は言うや否や切っ先を鈴之助の喉に向け、一直線に突いた。突いた様に思った。その刹那、鈴之助は男の肩を峰で打ち付けていた。
「ぐお」
肩を砕かれ、男は其の場に崩れ落ちた。息も出来ぬ様で藻掻く其の男には興味が無い様に背を向け、鈴之助はまつに声を掛けた。男は気を失ったのか動かなく成って居た。
「お女中、大事無いか」
「ありがとうござります。お蔭様にて助かりましてございます」
「重畳じゃ。然し遁走した輩が意趣返しに戻って来ぬとも限らぬ。良ければ道中相伴いたそう」
斯様にして又人助けをした鈴之助であったが、其の剣の道は未だ半ばであった。
了