「滅ばない」は滅びない。~ニホンゴムズカシイネ!~
読み専だったけど、一度投稿してしまうと、抵抗なくなるよね。
ほとんど読んでる人がいないのも、むしろ気楽でありがたい感じ。ひっそりと垂れ流す所存。
ちょっと前に、とあるSSを読んでいて、その中で「滅ばない」という文言を見つけた。
一見して違和感を感じた。「滅びない」が正しいよなぁ、誤字だよなぁ、と思ったのだ。
ところがどっこい。
どうも誤字でも誤用でもなさそうなのだ。激しく違和感を感じるが、日本語として間違っているわけではないっぽい。
1981年発行の、我が家にある一番古い国語辞典で調べてみる。見出し語は【滅びる】だ。
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ほろ・びる【滅びる】(自上一) 潰滅的な打撃を受け、同類が地上から姿を消す。滅ぶ(五)。
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とある。
ん? と思ったのは、最後の「滅ぶ(五)。」の部分だ。
見出し語の次にある(自上一)は、自動詞の上一段活用であることを示している。そして、「(五)」は五段活用であることを示しているのだ。
上一段活用の【滅びる】とは別に、五段活用の【滅ぶ】があるのだ。だが、この古い国語辞典には、【滅ぶ】は見出し語としては載っていない。
別の、もう少し新しい辞典を調べてみよう。そちらにはどちらも載っていた。
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ほろ・びる【滅びる・亡びる】(動上一) なくなる。絶える。「国が――・びる」
ほろ・ぶ【滅ぶ・亡ぶ】(動五) 滅びる。
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五段活用の【滅ぶ】は、上一段活用の【滅びる】と同じ意味だとわかる。同じ意味の動詞に、二つの活用形があるのだ。ここに問題の原因がある。
上一段活用なら、未然形は「滅びない」だ。
しかし、五段活用なら、未然形は「滅ばない」になる。
「滅ばない」は【滅びる】の未然形ではなく、【滅ぶ】の未然形として正しいのだ。
……ええぇ~(困惑)。
なんでこんな、二つの活用が連立しているのだろうか。
こういう時は、ルーツを調べてみれば良い。つまり、古語ではどうだったか確認するのだ。古語辞典を調べてみよう。
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ほろ・ぶ【滅ぶ・亡ぶ】(動上二) 後略
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古語では終止形が【滅ぶ】の上二段活用だったことがわかる。そして、古語の上二段活用は、基本的に現代語では上一段活用になったはずだ。
例えば「落つ」は「落ちる」に。「過ぐ」は「過ぎる」に。
そして、「滅ぶ」は「滅びる」になったはずなのだ。
古い国語辞典には、現代語の【滅ぶ】は見出し語にはなっていない。ということは、本来の形は【滅びる】の方なのではないかという推測が成り立つ。
では、五段活用の【滅ぶ】はなんなのか。
おそらく、古語【滅ぶ】の終止形が生き残ったのではないかと思うのだ。
古語の上二段活用が現代語の上一段活用に変化すると、終止形が変わる。前述の通り「落つ」は「落ちる」になったし、「過ぐ」は「過ぎる」になった。
しかし、「滅ぶ」は滅びなかった。現代語としても、口語の形で生き残ったのだ。
そして、現代語で終止形がウ段なのは、五段活用しかない。必然、動詞の【滅ぶ】は現代語としては五段活用になったのであろう。
整理すると、こんな感じになる。
滅びる 滅ぶ 滅ぶ(古語)
上一段 五段 上二段
未然 滅・び-ない 滅・ば-ない 滅・び-ず
滅・び-よう 滅・ぼ-う
連用 滅・び-ます 滅・び-ます 滅・び-て
滅・び-た 滅・ん-だ
終止 滅・びる-。 滅・ぶ-。 滅・ぶ-。
連体 滅・びる-時 滅・ぶ-時 滅・ぶる-時
仮定 滅・びれ-ば 滅・べ-ば 滅・ぶれ-ば(已然)
命令 滅・びよ-! 滅・べ-! 滅・びよ-!
滅・びろ-!
新しい方の辞典の見出し語に五段活用の【滅ぶ】が載っているのだから、現代語として成立していると見なすべきで、つまり「滅ばない」は間違っていないのだ。
激しく違和感があるが、誤用ではないのだ。納得し難いが……。
調べてみると、古語での上二段活用が現代語での五段活用になった例は、いくつかあるようだ。ただし、古語の時点で四段活用を経ている。
たとえば【忍ぶ】は元は上二段活用だったが、四段活用の【偲ぶ】と混用され、平安時代にはすでに四段活用になっていた。古語の四段活用は現代語では五段活用になるので、【忍ぶ】は【忍びる】にはならず、五段活用の【忍ぶ】になった。
【恨む】も元は上二段活用だったが、やはり近世以降は四段活用されるようになった。現代語の【恨む】はもちろん五段活用だ。
これらは古語の上二段から古語の四段を経て、現代語の五段になった例である。
【綻ぶ】は微妙だ。【滅びる】と同様に、古い方の国語辞典には上一段活用の【綻びる】はあるが五段活用の【綻ぶ】はない。しかし新しい方の辞典には両方載っている。
そして、古語辞典には補足として、「四段活用する場合もある」とあるのだ。
感覚的に、【綻びる】は現代語としてもあまり使われず、【綻ぶ】の方が一般的な気がする。ならば【滅びる】も、いずれはあまり使われなくなるのかも知れない。現代はその過渡期なのかも知れないのだ。
そのうち、「滅ばない」に違和感を感じなくなる日が来るのかも知れない。つくづく言葉は生き物だなぁ、と思う次第である。
参考文献
「新明解国語辞典 第三版」 三省堂
「辞林21 第一刷」 三省堂
「例解古語辞典 第二版」 三省堂