(33)
亜夢は思い切ってバックスクリーンから飛び降りた。
非科学的潜在力でアシストして、ゆっくりと音を立てないように着地する。
『止まれ! ヒカジョの小娘。動いたら人質を一人ずつグランドに飛び込ませるぞ』
やはりこちらの行動は監視されている。亜夢は、もう一度SATのリーダーに問いかける。
『テレビ中継室からの外部送信を遮断してください。出来たら、はい、と思ってください』
はい、とも、いいえ、とも取れない複雑な思念だけが返される。
SATのリーダーには非科学的潜在力がない。こちらの思念波は伝わっても、相手は返せない。
何を言いたいのかわからず、もどかしさだけが残る。
亜夢が何か行動をして、それが敵にバレているのであれば、SATの試みは失敗していて、なんらかの形で監視が続けられているのだ、そう考えるしかない。
つまり、亜夢は行動し続けるしかないのだ。
一歩進むと、首に当てたナイフが首に近づく。
「なんで? どこからこのちいさな動きが確認出来るの?」
亜夢は声に出しながら、どこから見ているのかを必死に探した。
人質一人ひとりの精神を乗っ取って、見ているのだろうか。
同時に複数の人間の思考が流れ込んだら、どうなってしまうのだろう、と亜夢は考えた。
やどかりの視神経を乗っ取った時でさえ、頭のなかで処理できなくなることもあったのに。
亜夢は意識を広げて、思念波世界を確認した。
『ここで……』
人質の動きと、思念波世界での動きを相互に確認し、どの人が、どの思念なのかを推測していく。
『一人ひとりアクセスして、マスターとか呼ばせているテロの首謀者を探し当ててやる』
亜夢は思念波世界で、誰に向けてではなくそう言った。
今ここにある世界が次第にわかってくる。
『やめろ』
人質を特定しようとした寸前、真っ黒いフードをかぶった人物が世界を覆った。
黒い布が広がり、海のように波打ち、広がっている。
果てしないその布の真ん中に、目と目の周りだけが見えている。
亜夢はその海に正対して立っている。いや、亜夢の正面に、垂直の海が広がっている、というべきか。
どちらに重力が働いているわけではない。それぞれの世界に下が存在している。
『あなたこそ人質を返しなさい』
『お前が守っている人間たちは、非科学的潜在力を持つ者を差別している。私は非科学的潜在力を持つ者を解放するために戦っている。私に従え』
黒い布の海が、声に反応して振動して波を打つ。
『従わない。人質の自由を奪っているのに、解放もなにもない』
亜夢の声は、小さく世界に吸収されて行ってしまうようだ。
『この国の者どもが、非科学的潜在力を持つ者の自由を奪っていることは許せない』
『あなたの非情な態度が許せない。必ず見つけ出して倒す』
『ならば、いまこの場で決着をつけてやる』
亜夢の思念波世界に広がっていた黒い布の海が消えた。
慌てて現実世界の目を開いた。
人質の真ん中に立っていた、美優が亜夢の方に振り返った。
のどに突き立てていたナイフを亜夢の方に向けて構える。
「このナイフは避けれない」
「美優! 目を覚まして」
精神制御されている美優が一歩一歩近づいてくる。
手を伸ばして押し戻すようにしながら、亜夢が言う。
「やめて、美優、止まって」
美優と亜夢が互いに手を伸ばせば触れることが出来るまで近づいた時、亜夢の方を向けていたナイフが、突然美優ののどの方を向く。
「まさか!」
一瞬のことで何が起こったか分からなかった。
亜夢の手には美優の握ったナイフが握られていた。
亜夢が手を離せば、ナイフが美優ののどへ刺さってしまう。
亜夢の手から、血が流れ落ちる。
「一瞬だけ、手の硬化が遅れた……」
『まったく、どうして肝心な時に躊躇するのじゃ』
金髪の少女が、美優の肩越しに見えた。
『ナイフを押さえるだけに力を使うな、ここを使え』
ハツエは頭を指さした。
「!」
亜夢はそのままナイフを握りつぶした。
そして、美優の手からナイフを奪い取ると、グランドへ投げ捨てた。
「ならば」
突然、美優の両手が亜夢の首に当てられた。
亜夢も必死に美優の手を外そうとする。
今度はナイフではない。素手だ。何かすれば美優が怪我をしてしまう。
亜夢は我慢して非科学的潜在力を抑えていた。
『進歩がないのう……』
そうか。亜夢は思った。接触しているなら、美優の思念波世界にダイブできる。
小さな陸地。
亜夢はそこに静かに降り立った。
自分の足をついたら、他に踏み出せる場所がないような狭い陸地。
残りはすべて海。波打つ黒い布でできた海。水平線まで真っ黒だった。
空は真っ白で、すべてがうっすらと光っていた。
『美優!』
言った声は届かない。海に飲まれてしまう。
『美優っ!』
さらに大きい声を出すが、独り言のような声に聞こえる。音が吸い込まれるようだった。
『この布だ』
そうだ、ついさっきも見た。
この布は、敵のマスターが着ていた服だ。このどこかにあのフードがあり、その中から見ているはずだ。
『……』
ここに飛び込む。どんな世界になっているのか。布に見えて、液体のようにふるまうかもしれない。亜夢は足を着けてみようとして、その足をひっこめた。
手で触ってみよう。亜夢は膝を曲げて姿勢を低くする。手が海に届く、と思った時に、海面が遠ざかった。
『……』
急に、ぐらぐらと陸地が揺れると、水平線の端が高く上がった。
『まさか……』
持ち上がった黒い布が、こちらに迫ってくる。
高さが認識できるほど近くなり、亜夢は慌てた。
布の波の高さが、亜夢の背を何倍も超えている。
亜夢は布の波の反対を振り向く。
『えっ……』
反対側も、布が上がっている。高い波。この陸地は、布に挟まれてしまう。
波が近づいて逃げ場がない、と思った瞬間、亜夢は布の波を飛び越えた。
黒い布の、高い波の向こう側は、布の端があって、世界が切れていた。
亜夢は黒い布の波を超えてから、切れた先へ飛び込んだ。
そこは黒い布の海で隠されていた、海底にあたる部分だった。
空間を進みながら、亜夢は匂いを感じていた。
大通りに、ハイブランドが並ぶ中、ガラス張りの店の中にいる美少女。
『美優!』
亜夢が必死に進むと、ガラスが割れ、そのまま美優の姿が消えてしまった。
『美優!』
目の前に壁が現れる。
壁についたバーにつかまり、足を高く上げてる女の子。バレエのレッスンが始まったのだ。
並んでいる娘たちを追っていくと、亜夢の目を引く娘が一人。
『美優!』
亜夢はその壁に近づき、美優にしがみつく。
美優は淡々とレッスンを続け、亜夢がよりつよく抱きしめると、美優は光の粉のように散って、消えて行った。
『どこなの?』
次に見えてきたのは、坂だった。




