(31)
亜夢とアキナの間には四五メートルほど間がある。そこの壁、床、天井はまだ例の干渉波を発している。亜夢から飛び込めば、またマスターと呼んでいる人物からの洗脳を受けてしまう。
アキナはこの干渉波を抜けてこちらに来れるというのか。
いや…… 違う。アキナはこの通路を超えたのだ。もう洗脳されている。だから、これ以上干渉波を受けても問題がないのだ。
「ねぇ、アキナ、聞こえる? 私達は戦わないわ」
アキナなら、自身の力で精神制御を破れる。亜夢はそう考えた。
「アキナ? ねぇアキナ?」
「私がアキナだ」
何かきっかけを与えれば、きっと自分を取り戻せるはず。亜夢は考えた。
「違う。ねぇ、いつものアキナはどこに行ったの?」
「私がアキナだと言っている。マスターは教えてくれた。敵は亜夢なのだと。マスターは敵を倒すまで戦えと言った」
「マスターがどんなやつか知らないけど…… 私はそいつを許さない」
そのマスターとやらが宮下や三崎にした仕打ちは、亜夢にとってひつとして許されるものではなかった。
「亜夢、今のは矛盾してる。しらないのに許さないという……」
とっさに亜夢はひらめいた。
「出てきてアキナ。今のはマスターが言わせた言葉よ。アキナは矛盾なんて言葉使わないわ」
「……」
「ねぇアキナ。アキナは『矛盾』なんて意味も知らないんでしょ?」
固まったように動かなくなったアキナは、構えを崩し、膝をついてしまった。
うつむいた顔が少しだけ上がる。
顔にかかった髪を後ろに流す。
「亜夢…… 私だって『矛盾』ぐらい知ってるし、使うわよ」
「アキナ! アキナよね? 戻ってきたのね!」
亜夢はアキナに駆け寄りたかったが、寸前で干渉波の装置が作動していることを思い出す。
「アキナ、残りの人質はどこ?」
「分からない。ここを通った時に頭がおかしくなって」
「そう…… とりあえず、ここを抜け出そう」
「床が壊れれば、装置は止まるのね。それなら…… 」
アキナが拳を床に叩きつけた。
さすがに床部部のパネルはビクともしなかった。アキナは続けて足を振り上げて、踵を振り降ろす。
「ヤァ!」
アキナの踵が突き刺さるように床に付くと、ドン、と鈍い音がした。
手応えあった、という表情のアキナは、床を手で引っ張って左右に割った。
「す、すごい」
そう言って亜夢は手を合わせた。
「さあ、行こう」
「どこに?」
アキナは亜夢が来た方の道を示す。
「戻るの?」
「うん。たしか、私が最初に行った大型搬入路。SATの人たちも、一緒にいるはず」
亜夢はうなずいて通路を戻る。
そして大型搬入路の方へ入る。
「……」
万一敵がいた場合を考えて、声は出さなかった。
しかし、見る限り誰もいない。
非科学的潜在力を駆使しても何も感じ取れない。
亜夢は床や壁を触って、そこから思念波世界を探索する。
「……」
アキナが亜夢に無言で問いかける。
亜夢は首を横に振る。
何も感じ取れない。亜夢はここがバックスクリーン裏だと推測し、階段を上り始めた。
「(亜夢、どこにいくの)」
小さい声でアキナがたずねる。
「(直観、だけどこの上、スタジアムのバックスクリーンなの。確かめておきたくて)」
二人は階段を上り始める。壁沿いにジグザグに上っていく。
登り切ったところは暗い空間だったが、少しだけ光が差し込んでいる扉があった。
「(出てみる?)」
亜夢は扉の取っ手を掴む時、一瞬、躊躇した。
そして開けると、眼下に広がるのはスタジアムだった。
「うわっ!」
足場は何もなく、そのまま客席になっていた。後ろから押してくるアキナを腕で受け止めた。
「なっ!」
「アキナ、危ない! 落ちたら……」
どうやらここはバックスクリーンのすぐ横にある作業用の扉のようだった。下に足場はない。
「亜夢、あれっ!」
アキナが何を見つけたのか、亜夢もすぐに気が付いた。
このバックスクリーンの下に、人質と思われる人々が一直線に並んでいた。
そこは搬入口の門になっている場所で、落ちたら大けがでは済まない高さだった。
その端ギリギリに、人質が立っている。
「なんだろう、みんな同じポーズしてる?」
亜夢が言うと、その扉の左に広がる大きなスクリーンに映像が映し出された。
「えっ?」
『ヒカジョの小娘に、SATの諸君。見ているだろうか』
スタジアムのいたるところにあるスピーカーから音声が流れた。
音声は個人が特定できないように合成音声で流しているようだ。
『何人か解放していい気になっているようだが、まだ人質はいる。多くても少なくても人の命は同じなのだろう?』
亜夢バックネット側にもある小さなスクリーンで人質の様子を見た。
「ナイフ。人質全員ナイフを自分の首に突き立てているんだわ」
『私が指示すればすぐに首にナイフを突き立て、落ちるぞ』
「卑怯な!」
亜夢は間髪入れずに反応した。
宮下への仕打ちといい、敵は全く容赦しないことを思い出す。
「亜夢、あれ、美優じゃない?」
慌てて落ちそうになるアキナを腕で押さえる。
並んで立っている人質の、ちょうど真ん中あたりに見覚えのある黒髪の少女が立っている。
「美優!」
叫んでも反応はない。亜夢は思念波世界をのぞき込み、美優が首に何かを突き立ていることを感じ取る。
「アキナの言う通りあそこにいるの、美優よ……」
体を出して、下まで飛び降りようとする。
『止まれ! ヒカジョの小娘』
亜夢は扉を強く握って、降りるのをこらえた。
「(アキナ、敵には見えているってこと?)」
「(それしか考えられない)」
アキナと顔を見合わせる。アキナが必死に回りを探る。
美優の精神制御をしてそこから情報を得ているなら、前を向いている美優には亜夢の行動は見えない。別の方法で見ているか、本人がどこかにいる。亜夢はそう考えた。
「スタンドも、ベンチも、ここから見えるところに人はいないよ」
「スタジアムのテレビ中継室にいるのかも……」
亜夢は自分で言って、SATの連中と確認済みであることを思い出していた。
テレビ中継室には誰もいないのに、映像だけ確認することって……
「まさか、ネットで」
亜夢はそう言うと、SATのリーダーに思念波を送る。
『テレビ中継室。外部のネットワークから接続出来ませんか?』
相手の頭は混乱していた。さっきまで亜夢から|思念波を送っていなかったのに、突然送り込まれてどうしていいのかわからなくなっているのだ。
亜夢は伝わるようにもう一度問いかける。
『テレビ中継室へは外部ネットワークから接続されていませんか? それが敵のリーダーかも。理解できたら、はい、と思ってください』




