9話 旅の道連れクロとの出会い
それは少し肌寒い昼下がりのことだった。
太陽が高く昇り、その存在感を発揮するにつれ、村の中は活気で満ち溢れ人が増えていく。しかし、秋と冬の狭間の時期にある小さな寒さがさりげなく人の肌をくすぐっていた。不快と呼ぶにはあまりにも穏やかな涼しさだった。
いつもの村の酒場で、僕たちは杯を交わしていた。
朝、森の中で出会った黒髪の少女がにこにこと僕の対面の席に座っていた。
「そんじゃまぁ! あの森からの生還記念としてっ! かんぱーいっ!」
「乾杯」
木で出来た小さな樽のようなコップを彼女とぶつけ合う。そして、ぐいと喉を鳴らしながら口の中に流し込んだ。
「んっんっんっ……! っぷはあああぁぁぁっ! しみるねーっ!」
「……ただの麦茶だけどね?」
目の前の少女は仕事終わりの男性が酒を楽しむように、美味しそうに小樽の中身を一気に呷った。
麦茶だけどね? その中身、ただの麦茶だけどね?
目の前の少女はどう見ても12歳くらいだしね? 酒、飲めないでしょ、君。
「さて、改めて自己紹介しようかね?
うちの名前はクロ! いちおうクラスは魔術師ってなってるさ! よろしくぅっ!」
そう言ってびしっと親指を立てた。テンションの高い子である。
小柄な少女であった。大きな目をしたあどけない顔をしており、その黒髪は腰より長く伸びている。長い髪があちこち大胆に跳ねているため、だらしない印象を彼女に与えていた。
朝方、ニワトリに追いかけられている彼女を助けた形となっていた。
僕もまた、ニワトリに追いかけられていたわけではあるが。
さて、僕も自己紹介をしないと駄目だろう。
「えぇと、僕の名前はグ………」
僕の名前はグレイ。そう言いかけて、言葉を止めた。
大丈夫なのだろうか、本名を名乗って。
『グレイ』という名前は今、世界中に広く知れ渡っている。魔族と戦いを続ける者として語られており、不本意ではあるが『勇者』という称号も得ていた。
誰が言い出したのか、僕は勇者なんて柄じゃないのに。
ともあれ、世界で『グレイ』という名は特別な意味を持つ。
そして今、僕の力は急激に落ちている。
勇者『グレイ』名は味方だけでなく、敵をも呼び寄せる。僕を利用しようとしたり、罠に嵌めようとする者たちも現れる。普段ならそういう輩は自分の力で適当にあしらうのだが、僕自身が弱体化している今それも難しいかもしれない。
無用なトラブルは御免だ。
「グ……?」
間が開いてしまったのだろう、クロと名乗る少女が僕の顔を見ながら首をかしげていた。
「グ……グラドです……」
「そっかー! グラドかー! よろしくー!」
僕は偽名を名乗った。
《Skill Get『偽装』を会得しました》
青いガラス板さんが突然現れた。
なんだ、これ。なんか手に入れたけど、なんだ?『偽装』? 偽名を名乗ったからか?
青いガラス板さんはいつも説明不足である。
「いやー! それにしてもさっきは本当に助かったさ! もうダメかと思ったね! 死を覚悟したよ!」
僕たちは先程、森の中でニワトリと死の逃走劇を繰り広げた仲である。
「もうあれね! 死が迫ってくるってね! 比喩じゃないね! もうほんとダメかと思ったね!」
「ほんと、なんであんなに物凄いプレッシャーを放てるんだか……」
「小便ちびるかと思った!」
「女の子がそういうこと言わないの」
目の前のクロさんという子は明るく陽気だった。大げさに腕を振り、身振り手振りで自分の感情を伝えようとする。彼女のぼさぼさの髪が大きく揺れる。
それを見るのは少し楽しかった。
「魔物に殺されたら、その後悲惨だからね。逃げられて良かった」
「ん? 悲惨? そうなのかい、グラドさんや?」
「そりゃそうだよ、クロさん」
麦茶を軽く啜って、僕は言う。
「だってその後、グチャグチャにされながら食べられちゃうんだよ?」
「グロテスクッ!?」
クロさんは驚き飛び上がった。
「肉を啄まれ、骨を齧られ、そのまま肉片まき散らしながら野ざらしになってしまうんだよ」
「えぇっ!? 嘘っ!? えぐいっ! えぐすぎるっ!?」
彼女は目を真ん丸にしている。そして、震えながら言った。
「い、いや……、そんなことないって……。それは何かの間違いだって……。このゲーム、R指定入ってないはずだもん……」
ゲーム? R指定? 何のことだ?
「間違いなんてことはないよ。だって前に人が食われてるとこ見たことあるから」
「見たことあるのっ!?」
「うん、バラバラにされながら食べられてた」
「バラバラにぃ!?」
「運が悪いと生きたまま食べられちゃうからねぇ」
「生きたまま食べられるのぉっ!?」
「生きたまま巣に運ばれて、たくさんの魔物に囲まれながらその体が引き千切られて……」
「ぎゃーっ!? やめてやめて!? えぐいっ! えぐいわぁっ!? そんなの聞きたくないっしょー!?」
クロさんががっくしと項垂れた。「うそ……まじ……? そういうゲームだったの……?」と小さな声で呟いていた。
「……死んだことないから、知らなかった」
「そりゃ、誰だって死んだことはないでしょ」
クロさんは妙なことを言うもんだ。
「いや、でも……、えぇ……? グロ指定されてなかったと思うんだけどな……、この世界……。
えぇ……? 血が出たり生きたまま食われたりするの? このゲーム?」
「そりゃ、自然界ではそれが当然だと思うけど……?」
「うそぉ……」
クロさんはふらふらになり、自然界の摂理のその残酷さに打ちひしがれながら、ちびちびと麦茶を呷る。
当然であるはずのことに目を回し驚きながら、そして一言呟いた。
「うわぁ……。それ、生き返ったら辛いなぁ……」
「クロさん生き返るつもりなのっ!?」
クロさんがごく自然にとんでもないことを言いだした。
僕はぎょっとした。クロさん自体はきょとんとしている。
「え? そりゃ普通、生き返るっしょ?」
「いやいや! 生き返らないでしょ、当然!」
「でもこの村まで来れる人だったら、みんな何回かは死亡経験あるんじゃないの?」
「死亡経験っ!?」
慌てて周囲を見渡す。
まだ昼下がりの酒場の中、夜に比べて人は少ないが、それでも大勢の人がいる。
「えっ!? この人たちみんな何回かは死んでるの!?」
「そうじゃない? 普通に考えて」
「普通に考えて!?」
普通に考えるとそうなるの!?
「みんな、何回も生き返ってるの!?」
「何回だって生き返られるさ。所持金の20%失うけどさ」
「所持金の20%で生き返れるのっ!?」
代償軽すぎない!? 死霊術の代償軽すぎない!?
いやいやいや、そんなわけある筈ない……。蘇りの術なんて、今まで誰一人だって成功したことの無い術だ。それが金を払っただけで成功するはずがない。
それにしても安すぎない!? 所持金の20%って安すぎない!?
今度は僕が項垂れる番だった。顔をテーブルに突っ伏し、頭を抱える。
なんだ? この村? 色々とおかしいとは思っていたけど、さらに輪をかけておかしい。一体全体何なんだ、この村は。
アイテムボックスとかテレポートとかを使いこなすとんでもない住人が集まっていると思っていたが、死霊術まで平然と扱えるのか……。
「ま、なんにせよ生きて逃げ帰れて良かったさ。あまり死にたくないからねぇ」
「なんという……死の軽さ……」
「いやぁっ! 生きて帰ったビールはうまいっ!」
「それ麦茶だけどね」
やはりこの村は異常だ。
偶然凄い人たちが集まった村とかそういう感じじゃない。この村の背景に何か大きなものが潜んでいるのは間違いない。
場合によっては魔王よりも恐ろしい脅威になり得そうだ……。
「グラドはさぁ、死んだことないの?」
「……そりゃ、ないよ」
「ま、確かにねー。あんな風にシュババッと人を助けられる動きをする奴がそう簡単に死なないか。凄かったよー、うちを助けた時のアクロバットな動き! これまでの旅も余裕余裕のお茶の子さいさいだったんしょ?」
クロさんは腕や体を大きく振って、あの時の動きをジェスチャーする。衝動だけで行われているそのジェスチャーは、他の人が見たら全く伝わらないだろう。
苦笑した。
「いや、最近はよく死にかけてるね。ニワトリが厄介で厄介で……」
そう言うと、クロさんがきょとんとした顔になった。
「ん? なんで? だってニワトリなんか集まってくる前にさっさと倒せばいいんしょ? 楽勝じゃん? さっきまで追いかけられてたうちが言う事じゃないけど」
あのニワトリは仲間を集める習性がある。そのため、仲間が集まってくる前の、まだ1匹しかいないうちに素早く倒すのが、あのニワトリの正当な討伐法である。
でも今の僕には出来ない方法だった。
「僕の攻撃、全然効かないんだよ」
「え? 効かない……?」
「そう。HPってやつがさ、僕の攻撃で1しか減らなくて……」
「ダメージ1……?」
「そうそう……、何回斬っても斬れなくて……」
そこまで言って、僕はクロさんの変化に気が付いた。
きょとんとした顔から一転、その目は不審なものを見る目に変わっていた。それは異常者を見る目であり、僕に対して明らかな疑心を抱え始めていた。
……後で分かったことなのだが、この村に辿り着ける程の実力者ならば大体の人があのニワトリには負けないらしい。それまでの冒険で培った力をもって、あのニワトリを秒殺、仲間を呼ばれるまで戦闘が長引くことはあまりないようだ。
ましてや、ダメージを1しか与えられないプレイヤーなんて、まず誰もいないらしい。
そんなこと露知らず、あれ? 何か変なこと言ったかな? 程度に僕は戸惑っていた。
目の前の少女は訝しがって僕を見ていた。
「……ちょっと確認するよ、グラド。君はあのニワトリにダメージを1しか与えられないんだね? それはなんで?」
「な……、何でって言われても……」
「何か不正なツールとか使ってないよね? データ上のステータスを弄っているとか……」
「な……何を言っているか、分からない……」
「チートとかじゃないんだろうね、って聞いているんだよ」
「……ちーと…………?」
クロさんが何を言っているかわからない。
クロさんが詰問のように厳しい口調で質問を投げかけてくる。どうやら僕は何か致命的な失言をしてしまったようだ。しかし、その何かがわからない。
「いや……、自分を弱くするチートなんて使う人いないか……。
チートではない……。でも明らかな異常……。何か……理由が……?」
「ク……クロさん……?」
「……もしかして」
クロさんの目がすっと細くなり、顎に手を当てた。
「……もしかして……。もしかしてさ……。グラド、君のレベルって……1?」
「えっ?」
「もしかして……、気が付いたらあの森にいた、なんてことは?」
「……っ!」
僕の状況を言い当てられた。
そうだ。僕は魔王との戦いの後、気が付いたらあの森に飛ばされていた。
レベルというのが何なのか未だよくわかっていないが、確かに僕のレベルは1だ。僕の状況をしっかりと言い当てられている。
この人は一体……。
もしかして、僕が抱えている事情に心当たりがあるのだろうか。
体が強張る。ごくりと唾を飲む。
「やっぱし!」
僕の様子を見て、クロさんは手を顔に当て、天を仰いだ。
「バグか!」
「……え? ……な、なに?」
え? なに? 今なんて言った?
『ばぐ』? なにそれ、分からない。クロさんは僕の聞き慣れない言葉をよく使う。
「ん? もしかしてグラド、『バグ』って知らんのか?」
「う、うん……。へ、変かな……?」
「まー、珍しいかもしんないね。普段、ゲームとかパソコンとかやらんの?
まぁ、いいや。『バグ』って言うのはさ、コンピュータプログラム上で起こる設計者の意図しない挙動や誤動作のことを言うのさ。
本来このゲームの初回スタート地点はバドローン王国の首都イクリナってとこなんだけどさ、グラドはいきなりこの近くの森に転送されちゃったんだよね。明らかな不具合。『バグ』ってことさ」
「…………」
何言っているのか全然さっぱり訳わからない。
ごめんっ、クロさん。詳しく説明してもらったのは有難いんだけど、全然理解できない。単語分からない。言葉分からない。意思疎通できない。
外国語の単語が分からなかったから辞書で調べたら、その説明文の中に分からない単語が載ってあったような、今ちょうどそんな気分だ。分からなかった単語、辞書で調べたい。ディパング語難しい。
「へ……へー……。そうなんだー……。大変だなー……」
「そーだよなー、いきなりこんな場所に飛ばされて、どうしたらいいんだって話だよなー」
クロさんが分かった顔でうんうんと頷いていた。
クロさんは僕に同情し、憐れんでいるが、どうしよう、クロさんが何を言っているのか全然わからない。何を憐れまれているのかすら分からない。
「実はね、グラド……。うちもグラドと同じ状況なんだ……」
「え……?」
クロさんは僕に顔を寄せ、小さな声で喋り始めた。内緒話であった。
「同じ状況ってのは……」
「そ。うちもバグに巻き込まれてLv.1スタート! 参ったもんだよ! 気が付いたらあの森にいてさ!」
クロさんはけたけたと笑っていた。
「困ったもんさ! ほんと! ゲームのオープニングも無しにいきなりあの森スタート! なんかおかしーなーって思ってたら、いきなり出てくる敵がLv.22! うちはLv.1なのにさっ! どないせーっちゅーねん!
君もそうっしょ? グラド?」
僕に肩に腕をかけ、にやりと笑う。
クロさんの言葉には相変わらず意味がよく分からない単語が多く含まれている。しかし、それでも多少の事情は察することができる。
「つまり……僕たちは本来ありえない状況に巻き込まれたってことなのかい?」
「そ! バグ!」
クロさんはビシッと親指を立てる。
ふぅむ……。本来あり得ない状況……『ばぐ』か。
でも僕からすると、この村から来た時からありえない状況に出会いまくっている。無詠唱のアイテムボックスとか、死人が生き返るとか、この村の人たちが当たり前にやっていることが、既にあり得ない。
クロさんもまた、僕よりも数段この状況のことを理解しているから、全く同じ境遇という訳ではないように見えるのだが……。
「グラドさんや、運営には報告した?」
「え……な、なに……?」
クロさんからいきなり質問が飛んでくる。
運営? 何の運営……?
「その様子だとしてないよーだね? んじゃ、うちがしといたげる!」
「え? あー……。あぁ、うん……。お願いしてもいいかな?」
丸投げする。だって言ってることが分からない……。
クロさんはオッケーと、指で丸を作って返事をした。
「さて、じゃあうちらのやることは決まったかな!」
「やること?」
今後の方針について、か。
成程、クロさんは僕たちの置かれたこの状況についてかなりの理解を持っている。不審がられてはいけないから一から百まで全て質問することはできないが、クロさんは僕の行動の方向性を示してくれるかもしれない。
「やることってなんだい?」
「そうだなー、大人しく運営の連絡を待ってもいいんだけど、今忙しいだろうし、下手したら数日かかっちゃってβテスト期間が終わっちゃうかもしれんし。
ならばやっぱり『あれ』しかないだろうて!」
「その『あれ』とは?」
「そら、もう、うちらに残された道は『あれ』しかないさぁ!」
クロさんはびしっと人差し指を立てた。
「レベル上げさぁっ!」
「……ん?」
レベル上げ……? レベル上げって、なんだ……?
またレベル、か。レベルって……なんだ?
……やっぱり僕はクロさんの言っていることが分からなかった。
《Skill Get『知ったかぶり』を会得しました》
次話『10話 過酷なるレベル上げ計画』は明日 12/4 19時に投稿予定です。