42話 魔王討伐記念祭
「おおおっ!? なんじゃこりゃぁっ!?」
クジラが浮いていた。
クロは叫び、その指さした方向を見上げると、水でできた大きなクジラが悠々と空に浮かんでいる。
家が丸々数件入ってしまいそうなほど大きな水のクジラが尻尾を振りながら俺たちの上空をゆらゆら飛んでいる。
有り得べからざる光景だった。
なんの容器にも入っていない大量の水が宙に浮かぶことなんてあり得ないし、それが尾をゆらゆらと動かしながらクジラの様に空を漂う動きなんて作れるはずがない。
ただの映像なんかではない、現代科学では再現できない凄まじい何かを見ていた。
「おぉ、これは立派なマジモニュね」
「中々の使い手がいるものですね」
こんなあり得ない情景が目の前に広がっているのに、周りのみんなは全く驚かず、ただ感心するばかりであった。驚いているのは俺とクロだけである。
「……『マジモニュ』ってなんですか?」
「あぁ、リュウノスケ様。『マジックモニュメント』、つまりは魔法で作る彫像みたいなものですね。炎や水で作られる『マジックモニュメント』は迫力があるので人気が高いですね」
魔法の彫像。それは俺達の世界『地球』では決して見られないものだった。
ここは城の外の城下町。熱過ぎる程の人の熱気と歓声で賑わっている場所であり、初めて訪れる推定異世界の街であった。
ただ、この騒がしい程の熱気は普段の城下町の様子とはかけ離れているらしい。今は人も街も特別な活気に包まれている。
魔王が倒された日から3周年、世界に平和が訪れた記念日を祝うお祭り『魔王討伐記念祭』が今まさに行われており、ここはその活気が溢れ返っていた。
右を見ても左を見ても出店が所狭しと立ち並び、垂れ幕、国旗、店の看板などがあらゆる場所に掲げられ、人の視線を集めていく。
飲めや歌えや、陽気で騒がしい人達でこの街は埋め尽くされていた。
「じゃあ、あの水で出来た宙に浮かぶクジラは誰かの魔法なんすか?」
「そーなのです、リューノスケ様。お祭り用に拵えた魔法を用意している人はたくさんいて、今、あの水クジラをどこかで誰かが操っているなのです」
俺達のお供であり、監視であるメイドのピコがそう説明してくれた。
水魔法のクジラは陽気に尻尾を振りながら空を徘徊している。どこから声を出しているのか時々ブオオオと低く唸り、潮を噴き出している。
「これは……科学には出来ねーな……」
この祭りを見ていると、魔法というのは視覚的に華やかだということが分かる。風と雷を操りながら曲芸を行うピエロ、絵画を売る仕事をする動く絵画、体が炎で出来た踊り子のダンス。
科学と魔法のどちらが優れているという訳ではないが、魔法の文化が発達した世界の奇妙な片鱗を垣間見た気がする。
でも1つ思うところがあるとすれば、ある町の広場に1つの噴水があり、それが水を噴き上げ綺麗なアートとなっていたのだが、その噴水の傍にはずっと1人の男がいて、びしょ濡れになりながら噴水に手をかざし、ずっと水の魔法を使い続けていたのだ。
なんつーか、こう、綺麗な噴水の近くに必死な形相で魔法を使うびしょ濡れのおっさんがいて、ちょっと台無しな気分になった。
噴水の自動化とか出来なかったのか?
「どこ行きます、リュウノスケ様? 私個人的には武闘大会見に行きたいんですけど。出来れば鎧とか被って正体不明の謎の戦士として乱入したいです」
「リュウノスケ! 異世界の知識とか使って祭りで一儲け出来ないの? なんか楽しい出し物あんたも出しなさいよっ!」
「ていうか……」
俺は傍にいた2人の帽子を被った女性を見る。少し、失礼ながらも、面倒くさいものを見る目で見てしまっていたかもしれない。
でも許してほしい。
「……なんでいるんです?」
「私達もお忍びでお祭りを楽しみたかったからに決まってんじゃない! リュウノスケ、あんたバカね!」
「…………」
傍にいるのはこの国で最も大きな権力を持つ2人の女性。2人の皇族様だ。
アリシア様とサラ様だ。
2人はある程度の変装をしている。
大きめの帽子を被ったり、度の入っていない眼鏡を掛けたりしている。さっきまでは付けていなかった髪留めを使い髪型を変えていたり、マフラーを付けていたりするが、それでも気づいてしまう人は気づけてしまいそうな程簡単な変装だった。
「……大丈夫なんすか? お2人の正体がバレたら大変だと思うんすけど」
「あ、これらの衣装や小物、認識阻害の魔法が掛けられてあるので大丈夫です」
アリシア様が言うに、これらの衣装を身に着けていれば個人の特定を強く妨げることが出来るのだという。更に魔法に長けているお2人は魔法道具の魔力を調整し、その効果が及ばない人物を指定できるのだという。
なるほど、なら問題はないのだろうが……。
「えぇいっ! ごちゃごちゃと小言を言わない! 私達が怪しい自称異世界人を直接監視する為にお祭りに参加することにおかしい事など一切ないわっ! 異世界人はみんなリュウノスケのようにケツの穴が小さいのっ!?」
「違いますー! 異世界人全員のケツの穴が小さいんじゃありませんーっ! 俺のケツの穴が普通より小さいんですー!」
「自慢になってないわよっ!?」
地球人の名誉のために反論しておいた。
「とりあえず、本名はあれなので私の事はシアとお呼びください。妹の事はシュシュと」
「偽名ですか?」
「はい、いつも使っている偽名ですので」
アリシア様の事をシアさんと、サラ様の事をシュシュさんと呼べばいいのか。
「じゃあ龍之介は『りゅう吉』って呼べばいいんかね?」
「いや、なんでだよ」
俺は別に偽名とか要らないし? 多分、VRゲームのアバター名の『亀吉』からとってるのだと思うけど。
「じゃあクロは『クロすけ』な」
「いや、なんでさ」
特に意味は無い。
「さて、では武闘大会へと乱入いたしましょうか。リュウノスケ様もご一緒にいかがですか?」
「ちょっと待って?」
そういえばさっき、アリシア様が鎧とか被って正体不明の戦士として乱入したいって言ってたけど……正気か?
「1つ言っておくわ、リュウノスケ」
「なんです?」
「シア姉様は……脳が筋肉で出来ているわ……」
「うっそだろ……」
思わずアリシア様の方を見る。
そこにはつぶらな瞳をし、煌びやかな金髪をなびかせている嫋やかなお嬢様がいる。
この人が脳筋……? そんなバカな……。
「見た目に騙されないで、リュウノスケ。シア姉様はまずパワー、次にパワー、それを補うものとしてパワー。力こそパワーなお人なのよ。とりあえず立ち塞がる物はぶっとばしてから考えろっていう主義を持った皇帝よっ」
「そんなバカな……」
「いやぁ……」
ここまで言われておきながら、アリシア様は照れ臭そうに頭をぽりぽり掻くだけで、一切否定しようとしない。怒る気配すらない。
「たった11歳にして、武勲と自身の力とその恐怖を帝国全土に広め、弱っていた帝国の威信を回復させた人よ」
「そういえば、俺達の周りに護衛らしき人がいないんだけど……」
「姉様より強い護衛なんて存在しないわ」
「やべぇ……、やべぇよ……」
護衛に何の意味を持たなくする皇帝。目の前にいるのは世界最強の皇帝陛下なのである。
「こ、ここまで言われても怒らないんですか? シアさん? 大丈夫っすか……? 俺たち皇帝の逆鱗に触れてませんか……?」
「いえいえ、大丈夫、大丈夫ですよ? 自分で言うのもなんですが、私は気の長い方ですから」
「大丈夫よ、リュウノスケ。姉様は胸がぺったんこな事に触らなければ滅多な事で怒らないわ!」
「シュシュ……? 後で私の部屋に来なさい?」
「ごめんなさいっ! 姉様っ……!」
高飛車なサラ様が即座に頭を下げていた。
俺はついアリシア様の胸の方に視線が行きそうになるのをぐっと堪える。多分、視線を向けたら俺にも怒りは飛び火する。そうしたら俺の目は潰される。あるいは、首を捻じ切られる……。
なるほど、つまりアリシア様は恐ろしい、と……。
「じゃあ闘技場の方へ足を運びますか」
「とりあえずそれは却下という事で」
「えー……」
皇帝様のじとっとした目が俺に向けられていた。
この帝都は都市と言う割に、その敷地の面積は膨大だ。
まず帝都の中心に帝国の貴族が住んでいる古くから存在する中心街がある。そしてその周囲を囲う様に新市街が広く存在している。その新市街は主に魔王との戦争で街や国を燃やされ、助けを求めてきた亡命者が住む場所なのだという。
貴族たちの住む中心街が元々の帝都であり、亡命者たちの住む新市街はここ数年で出来たものであるらしい。
大量の亡命者の食料、働き口を確保するために、アリシア様はとにかく帝都の周囲を開墾し、畑を作ることを推奨した。その為帝都の中心から離れたところには、大量の田畑が延々と広がっているのだという。
だから帝都は最近、大田園都市と呼ばれているとかなんとか。
「代々、帝都は神聖で不可侵であるべきとして、元々の帝都は高い外壁で覆われ、周囲には何もない開けた土地が広がっていました。なので開拓は容易でした」
そうアリシア様は語る。
「あれ? でもそうなると貴族の方達から強い反発があったんじゃないんすか? 昔からの伝統を皇帝自らが捨てようとしたんでしょ?」
「反対意見は全て黙らせました」
「…………」
にこにこと語るアリシア様が怖えと思った。
故に帝都は都市そのものが膨大に広いせいか、区域ごとに様々な顔を持つ。いや持ってしまったというべきか、勝手に育ったと評するべきか。
俺たちがさっきまでいた所は老若男女が生活する大通りに面した場所であったが、今いる場所は血気盛んな若者が集まる遊び易い土地である。
新築の小綺麗な建物にドクロが描かれてあったり、大量のペンキで落書きがなされていたりしており、異種族の若者も他の場所より多く集まっている。
サングラスをかけた露出の多いエルフや、赤と黄で構成された派手な服を着たリザードマン、蓄えに蓄えたひげを編み込みに編み込んだドワーフ、髪を青に染めヤンチャしているコロポックルなどがいた。
その変わったコロポックルをじっと眺めていたら「ナンダテメー、ヤンノカコノヤロー」と、とても高く可愛い声で絡まれてしまった。
お詫びに屋台で買った飴玉をあげると、コロポックルは悪態をつきながら嬉しそうに去っていった。可愛い。
しかし、こう、多種多様な異種族が普通に暮らしているのを見ると、ここが本当に異世界であるのだという実感が湧いてくる。
なんていうか、こう……VR世界にはなかったリアリティが目の前に広がっていた。
緑が多く広々とした、恐らく当初は閑静な公園として計画されたのであろうその場所は、喧騒と怒号の飛び交うストリートダンスの会場となっており、魔法で土台を少し盛り上げて、周りを骸骨などの禍々しいオブジェで囲っただけの簡単な舞台があった。
このストリートダンスは帝都の祭りの見所の1つであったが、ガラが悪いためかアリシア様は行くのを止められていたようだ。
私が危ない目に合うような場所は魔王城のダンスパーティー以外にありませんのに……と、アリシア様は口を尖らせて言っていた。
ていうか、やっぱ治安の悪い場所に行くのは止められてんじゃないんすか。
熱気と歓声が会場を包む。
流石は祭りの見所の1つ。炎と共に舞う踊り子や、5m近いゴーレムを複数軽やかに操る奇術師など、目を見張る演目が次々と行われる。やはり、視覚的な娯楽においては化学よりも魔法のほうが相性がいいのかもしれない。
……などと考えていて、俺は油断をしていたのだろう。
クロすけが勝手に、さりげなく、俺の飛び込み参加にエントリーしていたらしい。
安全な観客側にいた筈が、音声拡張魔法によって自分の名が呼ばれるという寝耳に水な事態に陥ってしまった。
嫌だ嫌だと拒む俺の腕を笑いながら引っ張っているクロすけと俺を見て、周囲は非情にもクロすけの味方をした。俺は数人に抱き上げられ無理やりステージの上に立たされた。
ひでえ、ひでえよとパニックになって頭の中が真っ白になる俺、爆笑するクロすけ、笑いながら野次を飛ばしてくる観客。
俺は小学校4年生の時に踊ったソーラン節を大声で歌いながら踊った。
割と受けた。クレイジーという歓声が上がる。ソーラン節などという文化がないためか、意外と好評であった。
のたうち回りながら笑うクロすけは取り敢えず腕十字固めをかけておいた。
顔を真っ赤にしながらストリートダンスの会場を離れる。なんとも要らぬ恥をかいてしまった。
ここから離れる途中、サラ様が俺を指さしゲラゲラと笑い、メイドのピコは尻尾を振りながら笑っている。アリシア様までもが申し訳なさそうにくすくす笑っていた。
……穴があったら入りたい。
逃げるように歩いていると、大きな通りに出た。通りの両脇にたくさんの屋台が並んでいる。
そんな時に声を掛けられた。
「なぁなぁ嬢ちゃん! マンドラゴラ焼きを食べていかないかい!?」
「うん? うち?」
屋台からクロすけを呼び止める威勢のいい声がした。クロすけは小首を傾げ屋台を見て、足を止めた。
「マンドラゴラ人形焼ってなんだい? おっちゃん?」
「え? 知らない? そりゃ当然、マンドラゴラの形をした焼き菓子のことさ」
そう言いながらおっちゃんは鉄板の型に生地を流し込んだ。
マンドラゴラ。地球では実在の植物よりも架空の生物として語られている魔法の植物という話が有名である。
根が人に似た形をしており、引き抜かれるとマンドラゴラが悲鳴を上げ、それを聞いた人間は死んでしまうという伝説だ。
そして人形焼というのは人形の形をした焼き饅頭のことだ。中にあんこが入っている。
つまりはマンドラゴラ人形焼とはマンドラゴラの形をした焼き饅頭のことだ。あんこは地球の日本の食品なので、中に入っているものは違うかもしれないが。
なんでマンドラゴラなんだよ。なんでマンドラゴラの形で焼き菓子を作ろうとしたよ。
俺の疑問を他所に、おっちゃんはマンドラゴラ焼きをクロすけに手渡し、クロすけはそれをぱくりと口に入れ……、
「キェエエエエェェェェェェッ!」
突如、奇声が聞こえた。
「…………え?」
「…………」
俺とクロ、2人、唖然とする。
クロは再度、確かめるように焼き菓子を咥えた。
「キェエェェ、キェエ、キェエエエエエェェェェェェェェェェッ!」
焼き菓子が断末魔の様な叫び声を上げていた。
「なんだ!? これっ!?」
「なにこれっ!?」
俺とクロは狼狽した。焼き菓子が食われることに悲鳴を上げていた。
「マンドラゴラ焼きですか。やっぱり祭りと言ったらこれですね」
「祭りの定番ね」
「ご主人様! ご主人様! あたしもマンドラゴラ焼き欲しいのっ!」
「はいはい、分かりました、ピコ。親父さん、私達にも一袋いいですか?」
「まいどっ!」
しかし現地人たちは特に何の疑問を覚えることもなく、奇々怪々な焼き菓子を購入していく。
……え? 驚いているの、俺達だけ?
「あの……シアさん……? このお菓子は一体……?」
「えっ!? リュウノスケ様達の世界にはマンドラゴラ焼きないんですかっ!?」
驚かれる。ねえよ、悲鳴を上げるお菓子なんて。
「……じゃあ、あんたたちの世界では祭りで何のお菓子食べるのよ」
「ちょっと待って?」
俺はこれ以外のお菓子なら何でもいいと思う。
「こ、これはマンドラゴラ焼きですね……。食べるとマンドラゴラの様に絶叫を上げるんです。この悲鳴聞くと祭りだなぁ、って感じがする定番のお菓子ですね」
「いやっすよ、そんな祭りの風物詩」
マンドラゴラ人形焼、それは食事過程でマンドラゴラのような悲鳴を発する聴覚、視覚、味覚共に遊び心に溢れたみんな大好き祭りの人気商品であったようだ。
「りゅう吉、りゅう吉……」
「ん? なんだ、クロすけ……」
「慣れてくると楽しいし、うまいっ!」
そう言ってクロは楽しそうにマンドラゴラ焼きを噛みちぎり、マンドラゴラの頭と胴体が離れる。
クロは新しい文化に即応していた。
「キェエエエエエェェェェェェェェェェッ!」
焼き菓子は身を引き千切られ悲鳴を上げる。痛々しい断末魔が周囲に響き渡り、それを幼い頃から慣れ親しんだ情景として、街の人たちは穏やかな視線をその饅頭に向けていた。
俺は思った。
文化の違いって恐ぇ、って……。
アリシアのツインテールが長すぎて、サラの体が隠れた……。
次話は5日後 2/10 19時に投稿予定です。




