38話 暗くて狭い部屋での再会
「あ……、どうも。自分……怪しい者じゃないっす」
取り敢えず、目の前の女性に対し絞り出せたのはこの言葉だった。
家で留守番をしていたら世界的に有名な大企業『ネクストワールド』の社長ヴィルク・イニーガンのそっくりさんに襲われた、と思ったら宇宙に投げ飛ばされて、今、見知らぬ場所に俺はいた。
現状を整理したが、自分でも何を言っているのか分からない。
「は、はぁ……」
目の前の金髪の女性も困ったように生返事をする。
分かる。凄くよく分かる。俺だって困っている。俺だってよく分からんのだ。
目の前の金髪の女性はとても綺麗だ。なんていうか……めっちゃ綺麗だ。美人さんだった。
語彙力が少ない自分に悲しくなる。
2人困ったままだったが、俺は辺りを見渡す。
ここはどうやら何らかの建物の屋上のようだった。空は広く、青々と広がっていて視線が高い。そして足元には石造りの床が広がっている。しゃがみ込んでいるのでよく分からないけど、眼下には家などの建物が並んだ街並みが見える。
現代日本のような街並みではなく、欧米の様なレンガ造りであった。
「あー、とりあえず、お怪我治しましょうか?」
「え……? あ、あざっす……」
金髪の人が俺に近づき、しゃがみ込む。
俺の太ももからは血が垂れており、背中の脇腹からはまだ氷の棘が生えている。色々訳分からないことがあり過ぎて麻痺しかけていたが、めっちゃ痛い。失神しそうだ。
金髪の美人さんは英語を喋っていた。外国人さんかな?
俺の幼馴染の1人がアメリカ生まれだったので、俺も英語がある程度分かる。
金髪の美人さんは俺の脇腹に手を当てた。お怪我治してくれるらしいけど、彼女は包帯とか持ってるのだろうか? 氷の棘抜かないでね? 多分失血死するから。
「ウォーデ・ドム・ケティアス……」
「……え?」
とか考えていると、なにか……金髪さんが英語でもない何かを呟いた。
彼女の手が淡く青色に光りだし、俺の脇腹の傷にも同じ色の光が纏い始めた。刺さっている氷の棘はぱらぱらと崩れ出し、しかし脇腹の傷口からは血が溢れ出すことはない。
まだ脇腹の傷は残っている。しかし少なくとも血は止まり、痛みも急激に引いた。太ももの傷の血も止まる。
「はい、これで大丈夫です」
「え……、え? ……あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
金髪の美人さんは軽やかに微笑んだ。思わずドキッとしてしまうような笑顔だった。
しかし……今のはなんだ? まるで魔法の様に傷が治って……手品か、あるいは物凄い医療技術なのか?
「それで……貴方はどうやってここに?」
美人さんは小首を傾げながら聞く。
「あー……俺は怪しい者じゃねぇんすけど……」
「とても怪しい者だと思うのですが……?」
「いやぁ、俺もそう思うっすけど……」
「私思うんですけど、怪しくない者は自分の事を怪しい者ではないとは紹介しないと思うんですよね……」
「それについてはめっちゃ同感っす」
少しとんちんかんな会話が為される。お互いがこの状況に戸惑っていて、つまり俺はどう足掻いても怪しい者なのだ。
さて……どう説明したらいいものか。困ったことに、俺も今の現状を把握しきれていないからどう説明したらいいものか見当もつかない。
一番困っているのは恐らく俺なのだ。
どういう風に説明をしたら怪しくない者になれるのか、そう考えていた時の事だった。
この屋上の扉がばんと音を立て開き、そこから1人の女性が姿を現した。
「姉様……アリシア姉様……あ、ここにいた」
「あら……」
新たに現れた女性がふんと鼻を鳴らし、こちらに近づいてくる。
「姉様、先程の書類の件ですが……って、なに? こいつ? 誰?」
「ど、どうも……」
屋上にやって来た女性が俺に目を向け、怪訝な顔をする。敵意のこもっている視線を向けてきた。
その女性は透き通るような淡い銀色の髪をサイドテールに纏めており、目付きは鋭く眉は吊り上がっていて、見るからに気の強そうな顔をしていた。口はきつく締まり、目の前の金髪の美人さんと同じ月と星を模した綺麗な髪留めを使用していた。
年は俺よりも1つか2つ下だろうか?
「じ、自分……怪しい者じゃないっす……」
「え? 誰、こいつ。お城でこんなやつ見たこと無いんだけど……あんた、名前は?」
「た、橘龍之介っす」
「タチバナリュウノスケ? 知らない名前ね……」
銀髪の子が顎に手を当てて首を捻った。訝しがりながら俺を見る目がふいと外れ、その子は金髪の女性の方を見た。
「アリシア姉様、この男は?」
銀髪の女性は金髪の女性に問いかける。この金髪の美人さんはアリシアさんと言って、この子のお姉さんなのだろう。確かにどことなく似ている感じがあった。
アリシアさんはにこっと微笑み、嫋やかな口調で言った。
「怪しい者です」
「…………」
「…………」
俺と銀髪の子はぴたりと固まった。屋上にひゅうと風が吹く。数瞬の沈黙が流れた後、銀髪の子が俺とアリシアさんを何度か見渡す。
そして、何かを納得したかのように大きく息を吸い込んで、叫んだ。
「衛兵ーっ! 衛兵ーっ!」
「あぁっ! ちょっと待てっ!」
「衛兵ーっ! 衛兵ーっ! ここに怪しい者がーっ……!」
そこからの流れはスムーズなものだった。
屋上にどかどかと金属製の装備を着た兵士のような人たちが入って来て、俺を縄で縛り、担がれ、運ばれ、地下へと移動され、牢屋の様な鉄格子の扉を開け、俺をその中に放り込み、扉の鍵を閉められた。
牢屋の様な……というか、ここは牢屋だった。どう見ても牢屋だった。
「ちくしょおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ……!」
俺は流れるような作業で捕まったのだった。
* * * * *
状況を整理する。牢屋の冷たい部屋の中で。
さっきまで俺は家にいた。家で留守番をしていた。
そうしたら大会社『ネクストワールド』の社長さんのそっくりさんが俺に襲い掛かってきて、窓から逃げようとしたら宇宙の様な空にいて、そうだと思ったら俺はあの屋上にいたのだ。
「…………」
……くっそ! 全く意味が分からん! 理解が出来んっ!
例えば俺が誰かからこんな説明を受けたとしたら、まずその誰かさんの頭の中身を疑う。まず確実にラリってる事を疑うだろう。こんなことを必死に力説したのだとしたら、取り敢えず警察を呼んで後をお任せするだろう。
……ほんと、一体何が起こってんの?
と、とりあえず落ち着いて冷静に考える。
まずここはどこか。それについては少し手掛かりがある。
まずあの金髪の美人さん……アリシアと呼ばれていたか、その人は英語を話していた。そしてあの屋上の下には街並みが広がっており、それは欧州ようなレンガ造りの街並みであった。
……となると、ここはイギリス? フランス? いや、日本のドイツ村で英語を話す人に声を掛けられた、という可能性もあるのか。
あと、俺は屋上にいただけで不審者として衛兵さんに捕まった。
ここが公共の場所ではなく、私有地であるということだ。私有地であるのに叫んだだけで衛兵さんがすぐに来るという事は、衛兵を雇っておけるだけの財力があるところだということだろう。
あの銀髪の女の子は俺の事を「お城でこんなやつ見たこと無い」と言っていた。
なるほど、お城に住まう大金持ちならば護衛も雇えるし、地下に牢屋もあるだろう。……ちょっと時代感覚が中世ヨーロッパになってしまうけれど。
「いやいや、待て待て……。まだ冷静じゃないぞ、俺……」
俺はさっきまで家にいたのだ。それからほとんど時間は経っていない。それなのに、イギリス? とか考えるようでは全然ダメだろう。それではワープをしていることになる。
ここは家の周囲である。それが時間と距離を考えた上で一番現実的な考え方だ。
「でもなぁ……」
家の周りにこんな地下牢を備え付けている大きな施設なんかない。全く意味が分からない。あの時俺は気絶していて、捕まって、長時間移動させられたのだとしても……そうすると俺は失血死で死んでいるだろう。
どういうことだ?
時間と距離の関係なく、今全く別の場所にいる……。
それはまるで……、
「……VRゲーム」
そう自分で呟いてから、何かが繋がるものがあった。
VR空間。確かにVR空間を利用すれば、時間に縛られずあらゆる場所の体験ができる。やっぱり俺は意識を失い捕まっていて、どこか手頃な場所でVR体験をさせられている。
そう考えると色々なことが説明できてくる。
そして更に考えは進む。
VR空間、誘拐……これらの単語を繋ぎ合わせた時、ある凶悪な大事件を連想させる。
「世界的集団大失踪事件……」
たった4日前に起こった世界的大事件。VR空間を利用する人たちが世界の各地で突然姿を消してしまった、という事件だ。
その時の事件の状況と俺のあの時の状況は一致しないけれど、少し繋がりを感じる。
俺は今、あの集団大失踪事件に巻き込まれているのではないか?
……そういえば、先程アリシアさんが俺の怪我を不思議な力で治してくれた。まるで魔法の様であり、その直前に呪文の様な言葉を呟いていた。
確か、「ウォーデ・ドム・ケティアス」。
その呪文を俺は知っていた。いや、VRゲームをやる人ならば誰だって知っている。
VRゲームでよく使われる簡単な回復魔法だ。
意識をパソコンに落とし込む完全ダイブ式のVRゲーム全体には、よく使われる呪文の言語というのがある。
それはVRゲーム最初期の作品『勇者グレイの伝説』で使われる呪文であった。『勇者グレイの伝説』で使われる呪文と同じ呪文の言葉がたくさんのゲームで使われているのだ。
株式会社『ネクストワールド』が完全ダイブ式VR機器を売り出した時、そのVR機器を使うゲームを開発する際に必要なプログラムやソフトも有償で多く公開した。
というのも、当時『ネクストワールド』はVR技術に於いて、どこよりも頭2つ3つ抜きんでていたからだ。
技術の独占は多大な利益を生み得るが、しかし、当時それをやってしまっていたら『ネクストワールド』で開発された完全ダイブ式VR機器のゲームは『ネクストワールド』の会社でしか作り出せなくなってしまっていただろう。
ゲームを開発する際に必要なプログラムも有償で多く公開するという行為は結果として、『ネクストワールド』の売り出した新世代VR機器を爆発的に世に広め、大袈裟ではなく世界的な社会現象となった。
その広く公開されたプログラムの中に高性能音声認識プログラム『魔法詠唱』もあったのだ。そのため、『勇者グレイの伝説』で使われていた呪文は完全ダイブ式のVRゲームの中で広く浸透していた。
先程、アリシアさんが唱えた呪文は確かにVRゲーム内でよく使われる呪文と一致していた。じゃあ、やはりここはVR空間の中なのだろうか?
……いや、でも待て。そうだとしても、俺の家であの社長のそっくりさんが放った氷の棘が説明できない。あそこは確かに現実であって、仮想空間ではなかった。なのにあの社長もどきは魔法を放った。
「ぐむむむむ……」
分からない。変なことが起こり過ぎて現状が把握できない。
一体俺はどうなってしまったというのか……。
あと、この牢屋から俺は出られるのだろうか……。
……そういえば、アリシアさんって名前、『勇者グレイの伝説』のヒロインの『アリシア』と一緒だな。
いや、関係ないだろうけどさ。
「……お困りのようだねぇ、お兄さん」
俺が頭を抱えていると、ふとそんな声が聞こえてくる。
俺は顔を上げる。声が聞こえてきたのは廊下を挟んで向かい側にある牢屋の中からだった。
向かいの牢屋の中にあるベットがもぞもぞと揺れた。布団の中に誰かがいるようだ。
声は小さな女の子のそれであり、揺れる布団の膨らみ具合からしても小さな子の大きさであった。
……そして、どこかで聞き覚えのある声であった。
「うちはお兄さんの秘密を知ってるよ? お困りでしょう? お兄さん?」
少女がベットの中から体を起こす。
そして俺は驚く。そして俺は思い出す。
「君、は……」
「はは、ほらやっぱり日本語が通じる。お兄さん、ここの国の人じゃないでしょ」
「……あ、あぁ」
「ほらね、顔の作りがここの人たちとは違うと思った」
少女は一本取ってやったいうかのように自慢げに笑う。
でも少女は俺のことに気が付かない。
「しかしお互い妙な状況に巻き込まれちゃったもんだよねぇ? お兄さん、名前は?」
「……橘 龍之介」
「ほうほう、強そうないい名前だねぇ。龍がついているよ」
名乗っても少女は俺のことに気が付かない。当然だ。俺たちが出会った世界では顔も名前も違かったのだ。
少女はベットの上でうんと体を伸ばす。
「うちの名前はね……」
「いや、いい……。君の名前は聞くまでもない」
「え?」
俺の言葉に少女は目を丸くする。俺はその彼女の大きな瞳を見た。
「そうだろう、クロ?」
「……え?」
少女の眼が大きく見開かれる。
この子の容姿は見間違えようになかった。
12才くらいの幼い体躯。まん丸い目。腰まで伸びたぼさぼさの黒い髪。髪質なのか、たくさんの毛があちらこちらに跳ねている。
少女の名を冠する様な黒く輝く髪。
彼女はVRゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』の中で出会った『クロ』というアバターの姿そのものだった。
「……どうしてうちの事、知ってるの?」
クロが訝しい男を見るかのように俺を睨む。
いくつかの世界が交わって絡み合う、そんな感じがした。
次話『39話 ここは異世界? んなバカな』は5日後 1/20 19時に投稿予定です。




