4話 勇者、ニワトリにコケコッコーッ!
「『あなたの手で、足で、体で冒険をしませんか?』
本作品『ティルズウィルアドヴェンチャー』は、VRMMO「仮想現実大規模多人数オンライン」の形式を採用しています。
作成された仮想現実空間に、あなたの意識を入り込ませ、まるで現実のような感覚でまだ見ぬ未知の世界を冒険することができます。
たくさんの街、多くのダンジョン、数知れぬモンスターがあなたを待っています。
あなただけの冒険を、あなただけのプレイスタイルで切り開いてみませんか?
世界があなたを待っています。 株式会社 アナザー・ワン」
* * * * *
頭がぼーっとする。
少しわざとらしいまでの草木の青々しい匂いが森の中に充満しており、むせ返りそうになる。
木の葉の隙間を縫って差し込む日の光が眩しい。
虫のさざめく声や、動物の足音があちこちから聞こえてくる。しかし、その音にもどこか妙な違和感があり、鳴き声は一定のリズムを保ち、決まった音が繰り返されている。まるで周囲の生き物が演技をしているかのようだった。
少し寒い空気が肌にしみこむ。
妙な違和感を覚える森に、僕――グレイは倒れ込んでいた。
「……あれ?」
おかしい。何で僕はこんな森の中にいるんだっけ?
上半身だけを起こし、周囲を確認する。
森にいることは分かるのだが、どういう経緯で森の中にいるのかが思い出せない。
「えぇっと……確か……、魔王と戦っていて……」
僕は魔王の胸を剣で串刺しにした。
そうしたら魔王から噴出する光の柱に飲み込まれて、どうしようもなくなったのだ。
最後に少しだけ会話をしたのを覚えている。
巻き込んですまない。死を覚悟した、最期の会話だった。
……でも今、見知らぬ森にいる。
魔王城ではない、絶対にない。その周辺の草原でもない。
「……あれー?」
混乱するというより呆然としていた。
「アリシアー? アリシアのいたずらなのかなー?」
目を白黒させて振り返った。返事はなく、木々のざわめきしか聞こえない。でもその音が、僕には木々がゲラゲラ笑う声にしか聞こえなかった。
ちょっと涙目になる。
なんだろう。これは一体どういうことだろう。
ま……まず、現状確認からいこうか。
慌てたって仕方がない。分かるところから調べていこう。
まず体に違和感がないか調べる。
目立った傷はないし、四肢もちゃんとついている。どこか骨折しているわけでもないし、体全体もしっかり動く。
……しかし、何だろう。体中に妙な違和感がある。いつも通りではない。何が違うかと言われると即答できないのだが、やはり何かが違う。
ちょっと注意しておこう。一瞬の体の動きの鈍りは死に直結する。
身に着けているものもちょっと違っている。
エルフの村の妖精が紡ぐ糸で作られた薄地の、しかし素晴らしいまでの耐久を誇る肌着が変わっており、ただ単に薄いだけのボロボロの服を身に纏っている。ズボンもお下がりで何年も使い続けたような穴の開いたお粗末なものである。
これでは冒険初心者だ。予算のないぼろぼろな感じがむしろ初々しさを感じさせる。
昔の自分を思い出す服装だ。
でも愛用の灰色の外套はそのままであった。
良かった。この服が無いと腕の『あれ』が隠し辛い。
しかし、なによりショックだったのは聖剣ラルカリバーがなくなってしまったことだ。腰に今までとは別の剣が付けられている。
長くにわたり苦楽を共にしてきた聖剣ラルカリバー……。
実はその聖剣とは、適当な市場で売っていた200$の安物である……。
まだ勇者と認められていなかった頃、持っていた剣に光魔法で適当に輝かせて「これが聖剣です!」とやって周囲を騙し……、もとい協力を貰っていた。
戦いの中この剣が折れた時、あ、しまった程度の気持ちしか抱いていなかったのだが、何も知らない仲間が大慌て。
世界一のドワーフの職人を死の孤島から探し出し、直してもらったものだ。
ドワーフさんは終始首をかしげていた。出来の悪い刃にしか見えん、そう言って何度も首を傾げていた。ごめんなさい、ドワーフさん。
さて、もう一つ以前と変わった部分がある。
右手の人差し指に青いクリスタルのついた指輪が付いている。
「……指輪なんか付けてなかったんだけどな」
とりあえず外そうと僕は指輪に力を込めて……、
「……ん?」
力を込める。指輪を外すという簡単な作業のために、強い力を込める。
「んんんん……!?」
あ、あれ……!? なんだこれ!? ……はずっ! 外れないっ!?
なっ、なんだ!? これ!? びくともしないっ!? ぴくりとも動かないっ!?
「んぎぎぎぎぎぎぎぎっ……!」
全力で力を込めても、指輪は全く外れなかった。
「はぁ……はぁ……。ダメだ……、うっそでしょ……」
力負けした……。
指輪に力負けした……。
割と真剣に、力勝負で負けたのは初めてかもしれない……。
剛腕の魔将ゴウゼルにも打ち勝ったこの力が、指輪に負けた……。
地味にショックだ……。
「いっ、一体何なんだ? この指輪は……?」
青いクリスタルをこつこつと叩く。
ただ少し不満を持って、恨みがましく青いクリスタルを軽く叩いただけだった。
それだけのつもりだったのに、異変が起こった。
「いっ……?」
青色の板が空中に現れた。
それは板と言っていいのだろうか? 青色の板は極めて薄く、向こう側が透けて見えている。色をつけた硝子細工のようにその板自体が透き通っているのだ。
でもこの板にほとんど厚みはない。ガラスでは無いことは明らかだ。
しかも宙に浮いている。なんの魔法もかけていないのに、ひとりでに浮いている。
「なっ、なんだ……? この板……?」
その板には文字が書いてあった。
『名前; グレイ Lv. 1
クラス;『旅人;Lv. 1』
HP; 19/19 MP; 8/8
攻撃力; 5 防御力; 4 魔法攻撃力; 3 魔法防御力; 4
属性能力値; 3 幸運; 1
スキル;なし
アビリティ;なし
リザルト;なし 』
「んー……?」
なんだ? これは一体……なんなんだ? 一体何を言っているんだ?
取りあえず、分かったことは一つ。
この板に書かれている言語はディパング語によく似通っている。ディパング語は世界の東に住む民族によって使われている言語だ。つまり少なくともここはディパング国に近い場所であるのだろう。
アリシアの居たフィルディル帝国で使われている言語はイグリッシュ語である。それは世界で主に使われている言語であるため僕もイグリッシュ語の方が慣れているが、ディパング語も出来なくはない。
うん、大丈夫。言葉は分かる。
言葉が分かるのなら、この地域でもなんとかやっていけるだろう。
ほんのりと安心感が胸を撫でる。
で、
でだ、
「……『Lv.』ってなんだ?」
改めて、青い板に書いてある事に注目してみる。
『Lv.』ってなんだ?『Lv.1』ってなんなんだ?
攻撃力は分かる。防御力も魔法攻撃力も魔法防御力も分かる。まぁ、どうやって僕の強さを数値化しているのかは分からないが。
属性能力値も分かる。
これは例えば、毒による攻撃を受けた時、どのくらい毒と言う属性に対し抵抗が出来るか、とかそういう指標である。石化属性に対する抵抗、弱体化属性魔法に対する抵抗、炎属性に対する抵抗。それらを総じて属性抵抗能力という。
反対に攻撃に対しても使う。毒属性の攻撃が強い人、痺れ属性の攻撃が強い人、精神攻撃属性が強い人。それらの能力を属性攻撃能力という。
属性抵抗能力と属性攻撃能力を合わせて属性能力と言う。この青い板ではそれを数値化して扱っている様だ。
本当は、属性能力はそれぞれの属性によって強さが違う。炎属性に強くて氷属性に弱い人とか、毒攻撃は得意だけど石化攻撃は苦手な人、とか。『属性能力』と一括して一つの数値には表現できない筈だけど、そこら辺はどうなっているのだろうか?
全部合計して一緒くたに表しているのだろうか?
まぁ、いい。そこら辺は分からないが、まあいい。
もっと分からないのがすぐ傍にあるのだ。
「……『Lv.』ってなんだぁ?」
いや、もっと言ってしまえば『HP』と『MP』も分からない。イグリッシュ語で書かれている略語が意味不明だ。スキルとかアビリティとかは『なし』って書いてあるから後回し。
『Lv.』って、なんだぁ?
一番上の段に書かれているってことは大切な指標なのだろうことは推測できるが、何を指しているかはさっぱり分からない。
どうやら僕の『Lv.』は1らしいのだが、これがいいのかどうかすら分からない。一番低い数字ではあるが、『Lv.』が低いと何かいけないことでもあるのだろうか?
あるいはNo.1を表す1なのかもしれない。何が1番なのか分からないが。
あるいはStep.1とか、そういった状態を表す数字かもしれない。
あるいは僕は『Lv.』を1しか持っていなくて、『Lv.』を使ってしまうと、これが0になっちゃうかもしれない。
……だめだ、さっぱり分からない。憶測だけならいくらでも出てくる。
青色の透ける板にはこれだけでは無く、その『アイテム』とか『装備』とかいろいろな項目が小さな枠に囲まれて右側に並んでいる。しかし、それだけしか書いていない。
これ以上分からないことが増えても混乱するだけなんだけど……。
あと、攻撃力が5とか防御力が4とか書いてあるが、そう言えばこれは何を指標にして5としてあるのだろうか? 高いのか低いのかもわからない。
まぁ、自分でこう言うのもなんだが、僕は世界で1,2を争う程に強い。攻撃力や防御力の数値が低いという事も無いだろう。5段階評価で5なのかもしれない。
駄目だ、分からないことだらけだ。これ以上考えてもドツボに嵌るだけだ。
そろそろ周囲を見回って散策を始めるとしよう。ここがどこだとか、周囲に村はあるのかとか、調べなきゃいけないことは山ほどある。途中で『Lv.』についても分かるかもしれない。
そう思い、足を動かそうとした時だった。
「……うん?」
気配がする。
何かがこっちに近づいてくる。魔物の気配だ。淡い気配がどんどん大きくなり、草を踏む足音や草むらを押し分け進む音までもが聞こえてくる。
剣を抜き、構えた。
魔物は草むらから踊りだし、叫び声を上げた。
「コケコッコーーー!!!」
ニワトリが現れた。
……ん? ニワトリ? こんな森の中に?
あ、いや、違うや。これ魔物だ。とさかが青い。ニワトリによく似た魔物なんだ。
僕はとさかが緑のコルタリオという魔物を知っている。目の前の魔物もその派生形なのだろう。
少なくとも僕の敵では無い。
《Skill Get『鑑定』を会得しました》
「ん?」
突然、僕の視界の右下に先程の青いガラス板が現れた。
『Skill Get』?『鑑定』?なんのこっちゃ?
ニワトリの動向を伺いながら、首を捻っていると、もう一つまた青いガラス板が現れた。
《グレイ;Skill『鑑定』》
『名前; コルコット Lv; 22 』
「……なんだ、こりゃ?」
……これは敵の名前なのかな?
なんかよく分からないが、『鑑定』とかいうものを手に入れたら敵の名前とLv.が表示された。
『鑑定』……敵を鑑定したってことなのかな……?
というよりもまた『Lv.』って出てきた。さっきから一体なんなんだ、『Lv.』って。
偉いのか?『Lv.22』って偉いのか?僕よりも『21』偉いのか?
……もういい、さっさと仕留めてしまおう。
「ふぅ……」
少し体の力を抜く。
必要以上に緊張していないか、逆に必要以上に気を緩めていないか。体の状態はどうか。剣を構える体の内部の些細な音を聞き、戦う前に今の自分の精神状況、体調を探る。
若干、体に違和感を覚える。
あぁ、でもこれはさっきも感じた違和感だ。とりあえずはこのまま戦うしかないか。それでもこの位の相手だったら魔力で体を強化しなくても十分だろう。
目の前のニワトリに殺気を向ける。
「コケーーッ!」
僕の殺気に呼応するように、ニワトリは叫びながら突進してきた。
ぬるい動き、単純な動き、愚直な動き。ニワトリは少し跳ね、僕の腹に飛び蹴りをかまそうとしている。動きの全てが見えた。
半歩身をずらす。それだけで十分に躱せる。
突進をしてくるニワトリとのすれ違いざま、僕は剣を四回振った。
高速四連撃によるカウンター。ニワトリは何が起こったかも分からないだろう。一瞬のうちに四つの斬撃を浴びせかけた。
ニワトリは突進の勢いのまま、僕の後方へと過ぎ去っていく。ずざざと、ニワトリの体が地面を滑る音がした。
……うん、体の調子も思ったよりいい感じだ。
僕は八つにちぎれたニワトリの死体を確認しようと、後ろを向いて……、
「コケッーー!」
「えぇっ!?」
背後から死んだはずのニワトリが襲い掛かってきていた!
え!? 殺しきれていなかったのか!? あのニワトリを!? 僕の斬撃で殺しきれなかった……!?
身を捩って何とかニワトリの突進を躱す。僕は地面に転がりながら、なんとかニワトリの攻撃を回避した。
《グレイ;Skill『鑑定』》
『名前; コルコット Lv; 22
HP 183/187(-4)』
驚きながらニワトリの方を見ると、『鑑定』のスキルが発動したようだ。
ん? HPって項目の値が減っている?
4減っている? 4回攻撃したから?
「コケーーッ!」
ニワトリは翼をばさばさ振りながら雄たけびを上げている。
その体は両断はおろか傷一つついていない。
なんで!? こう言うのもなんだけど、僕の攻撃をただのニワトリが防げるとは思えない! このニワトリは一体何なんだ!?
「こいつ……まさか……、魔族より強いのか……!?」
世界を混乱に陥れた魔王。その眷族が魔族。
魔物と魔族は同じものでは無い。生まれ方、存在の在り方が全く違う。
一概には言えないが、魔族の方が厄介である。
しかし、このニワトリ、僕の四連撃を受けて平然としているとは……ただの魔族よりもずっと厄介だ。
「どうやら、僕にも油断があったのかな……?」
本気でいこう。
目の前のニワトリは強者だ。見た目に騙されてはいけない。体長が20m以上あった南の沼地の覇者、キングバジリスクよりも強いと見ていこう。
全身に活力をみなぎらせる。
神経を極限まで尖らせ、完全な集中状態に入る。しかしそれでいて気張らず、冷静な、最高の精神状態を作り上げる。
そして魔力を全身に巡らせ、身体を強化する。身体を強化…….強化……。
「あれ……?」
違和感を覚える。
体が強化されない。魔力が全身に漲らない。しょぼしょぼと、弱々しい魔力だけが自分の体の中でゆっくり行きかっている。
体が強化されない。体に力が漲らない。
「……魔力が無くなってる!?」
あれっ!? どういうこと……!? おかしいぞ!?
体の魔力がほとんどないっ!
体の中にあった膨大な魔力がほとんど感じられないっ!? 僕の魔力どこいった!?
「コケーーッ!」
「ちょっ、ちょっと待って!」
混乱しているところにニワトリが飛び込んできた。混乱から一瞬で立て直し、迎撃態勢に入る。
相変わらずニワトリの攻撃は遅い。
おっそい、おっそい。何でこんな遅い敵が僕の攻撃を耐えられるのか分からない。また半歩避けるだけで躱せるだろう。
しかし、もう油断はしない。
全身全霊の攻撃を喰らえっ!
「これが! 僕の! 全力全開だああああぁぁぁぁっ!」
魂の十二連撃。一撃一撃が全力、即死の威力を持った斬撃。山さえも斬り崩す攻撃。それを相手の体に雨のように叩きこむ。ニワトリは僕の攻撃に完全に対応できていない。防御も出来ず、僕の剣がニワトリを斬り刻んでいく。
技の終わり際、上から肘打ちを叩きこみ、地面に叩きつける。ニワトリは地面に勢いよくぶつかり、反動で少し跳ねた。
そこに足を入れ、ニワトリを蹴り上げる。
ニワトリの体が宙に浮く。
くそっ……! 空高く飛ばすつもりだったのに、10mくらいしか上がっていない!
あいつの体は鉄ででもできているのかっ!?
落ちてくるニワトリを待ち構える。剣先を天高く向け、迎撃に入る。
体を捻る。体の回転によって最高の攻撃力を生み出すために。
ニワトリが近づいてくる。
溜め込んだ力を一気に解放した。
「空さえも貫けええぇっ!」
高速の突きを天に向かって放つ。魂の二十二連撃が全てニワトリの体に刺さっていく。
本来ならば相手は肉片残さず消し飛ぶだろう。速すぎて、普通の人にはただの一筋の光に見えるかもしれない。出来得る限りの高速の二十二連撃を放った。
僕の全身全霊を、この剣に込めた。
「いっけええええぇぇっ!」
『名前; コルコット Lv; 22
HP 147/187(-36)』
「コケーーーッ!」
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
ニワトリが僕の突きを平然と耐え抜き、カウンターを放ってきた。
あまりの驚愕に体が固まってしまった。僕の全力を耐え抜いて、びくともせず、尚且つカウンターを放ってくるなんて……!
驚きで固まった体では、ニワトリの蹴りを剣で受けるのが精いっぱいだった。
「え……!?」
重い。重すぎる。剣から伝わってくるニワトリの攻撃が重くて仕方がない。
……踏ん張りが効かないっ! 吹き飛ばされるっ……!?
「う、うわあああああっ!?」
僕の体はニワトリの蹴りによって吹っ飛ばされた。何度も地面をバウンドし、木の幹に体を打ち付ける。
ふらつきながら立ち上がり、顔を上げる。
「コッコケーーーー!!!!」
ニワトリは力を鼓舞するように羽を羽ばたかせる。
何が起こったんだ……? いや、わかっている。単純なことだ。
力負けだ。目の前の魔物は恐るべき攻撃力を持っているのだ。
なんかの拍子で指輪に付いている青いクリスタルでも触ってしまったのだろうか、青い透けるガラス板が出てくる。
『グレイ Lv; 1 HP 2/19(-17)』
あれ?
HPが減っている? 何をしたから?
決まっている、ダメージを受けたからだ。
そういえば、さっきニワトリに4連撃を当てたらニワトリのHPが4減っていた。
その後、合計36回攻撃を入れたらHPが36減っていた。
ダメージを受けたら減っていくもの……。
これって、0になったらまずいんじゃ……。
「コケーーーッ!」
またニワトリが突進してくる。僕はそれを回避し、ニワトリとは反対の方向に逃げた。
僕は悟った。逃げるしかない! とてもこのニワトリには敵わない!
全力で森の中を駆け出した。
しかし何故だ?
後ろから追ってくるニワトリは、それこそ僕の知っているニワトリの魔物とそう実力は変わらないと思う。迫力も、動きも、普通の魔物と変わりはしない。
それでも、無様なほどに力負けした。あの魔物と根本的な基礎力に大きな隔たりを感じる。
そうだ……。
違和感は初めからあったのだ。
どこか調子の悪いように感じる体。ほとんど感じなくなった体内の魔力。当てても入らないダメージ。
そうだ……、
僕が……、
僕が弱くなったのだ……。
愕然としながら森の中を駆け抜けた。
「コケコッコーーー!」
突如目の前にニワトリが現れる。
回り込まれたっ!?
いや、さっきのニワトリはちゃんと後ろから迫ってきている。新たなニワトリが草むらから躍り出てきたのだ。
二匹目のニワトリが僕に突っ込んでくる。
単純に相手するわけにはいかない!
ニワトリの突進の力を利用する。急激な速度で迫る魔物の体に剣をそっと当て、相手の力の流れを完全に支配する。体を半歩ずらし、相手の突進の力を誘導、そのまま後方に受け流す。
最後にニワトリを後ろから蹴り、力を上乗せする。受け流しが完璧に決まった。
このニワトリは後ろから迫っていた一匹目のニワトリと衝突。僕の前方ががら空きになる。
僕はこの隙に駆け出した。
よし! 技術が衰えたわけじゃない!
僕が希望を取り戻した瞬間、
「コッコケーーーッ!」
また前方に3匹目のニワトリが現れる。
「うへぇ!?」
変な声をだし、たじろいでしまう。
後ろからは2匹の魔物が迫ってくる。
前と後ろが駄目なら横方向に逃げる。3匹同時なんて相手してられない!
「コケーーーッ!」
「うひゃあ!」
4匹目のニワトリが草葉の陰から飛び出し、突進してきた。
僕は反射的に前方に飛んだ。僕の頭があった場所にニワトリの蹴りが通過する。
「なんなんだよ! もうっ!」
僕は即座に立ち上がり、駆け出す。
止まったら、死あるのみ! こんなところいられるか! 僕は逃げるぞっ!
「コケコッコーーーーッ!」
「コケーーーーーッ!」
「コッコケーーーーーッ!」
「コケコーーーーーーッ!」
「コケッ!!! コケッッ!」
新たに5匹のニワトリが木の上から降ってくる。悪夢のような光景だった。
「もう嫌だあ゛あ゛あ゛あああぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁっ!」
僕は叫びながら、死のバージンロードを駆け抜けた。
* * * * *
30分ほど走っただろうか。
まだニワトリとのランデヴーは続いている。
というより、数が増えた。今は後ろに30匹くらいついてきている。
全力疾走だ。全力疾走なのだ。
突進して飛び出してくるニワトリをほとんど勘で躱す。当然背後から襲い掛かってくるため、とても避けづらい。音と気配と勘と運と気合で躱す。
背後から代る代る飛び出してくるニワトリをその都度勘で躱していく。
……たぶん今、魔王戦より神経使っている。
後ろから来るプレッシャーが半端ない。
地鳴りを起こし、凄い雄叫びをあげながら迫ってくるのだ。正直、地獄の番犬ケルベロスや邪竜オスカーンに追われた時よりプレッシャーを感じる。
恐い、恐いっ!
チラと振り返ると、鬼の形相で追いかけてくるニワトリたちが見える。
ほんと恐いっ!
「誰か助けてぇ! アリシアァッ! みんなぁっ! 魔王っ! もう魔王でもいいっ! 誰か助けてえ゛え゛え゛え゛えええぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇぇぇっ!?」
ああ、帰りたい。
心の底からそう思った。
さらに20分程走り続け、ニワトリを回避しまくった後、やっと希望の光が見えてきた。
前方に村を発見したのだ。
「やった、やった!」
歓喜の声を上げていた。あの村に逃げ込めば、後ろのニワトリもついて来られなくなるだろう。
村には人が多い。戦える大人も数多くいるだろう。
多分ニワトリの魔物はそこまで強く無い。僕が単に弱くなっただけなんだと思う。だから村の大人ならこのニワトリの大軍を倒してくれるだろう。
頭の中で祝福のエールが鳴り響く。
この地獄からやっと解放される!さっきよりもニワトリはさらに10匹増えているのだ!
僕は……僕は助かるんだっ!
「飛べえええええぇぇぇっ!」
渾身の力で開いていた村の門の内側に滑り込む。
石で出来た塀に、丸太で出来た門。すぐ近くには門番の方がいた。
「助けて下さいっ! 魔物に追われてるんですっ!」
震える体を奮い立たせて、近くにいた門番の方に叫ぶ。
後ろを振り返りながら、ニワトリたちに指を指す。ほら!あんなに大勢の魔物がすぐ傍まで……、
「……あれ?」
ニワトリたちは追って来ていなかった。村から少し離れた場所で、ニワトリの大軍がたむろしていたのだ。
……なるほど、賢いニワトリたちだ。村に近づいてはたちまち駆除される。そういう知識があるのだろう。村から一定の距離を取って、ニワトリたちは警戒心を強めていた。
僕は息を整え、最も近くにいた人、この村の門番だろう、その人に話しかけた。
「すみません、お騒がせしました」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
「ありがとうございます」
僕は汗だらけの顔に笑顔をつくる。
「少し質問してもいいですか? 実は僕、ここの地理が全然わからなくて……。ここがなんて国なのかも知らないんです。ここはなんて国で、この村はどこの方にあるのですか?」
とりあえず一番最初に知りたいのは今ここがどこなのかということだ。
現在地さえわかれば帰る道もすぐに分かる。
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
「へっ?」
なに、その返事。
「いや、その、ここの国の名前を教えてもらえたらなー、って思って……」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
いや、だから。
「じ、実はフィルディル帝国に行きたくて! 帝都イスガディアの場所って分かりますか?」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
「さっきのニワトリ、強かったですねっ! あなたはよくあの魔物と戦うんですかっ?」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
「そ、そうだっ! 地図! 地図ありませんか!?」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
僕は地面に手と膝をつく。項垂れる。
どういうことだ……? 会話がなりたたない……。
……この人なんなのだろう、呪いにでもかかっているのだろうか。
通り過ぎる人から奇異な目で見られる。
あの人どうしたんだ、NPCにずっと話しかけてるぞ。やめなって、きっと罰ゲームかなんかなんだよ。公然で羞恥プレイとか、勇者乙。
そんな声が周囲から聞こえてくる。
NPCってなんのことだ? 聞き慣れない単語が耳に入る。
しかし、どういうことだろう。その奇妙なものを見る目は門番の人では無く、どうやら僕に向けられている様だ。
……もしかして、おかしいのは僕の方なのか……?
「……ここの村って……何て名前なんですか……?」
『ようこそっ!
ここはバルディンの村ですっ!』
心なしか嬉しそうに聞こえる。
きっと勘違いだろう。
大変なことになった。
謎の弱体化をした。『Lv.』という謎の概念に出会った。現在地は分からない。話の通じない人に出会った。
勇者として世界中を旅してまわった僕でもこの環境には戸惑うばかり。
1からのスタートだ。文字通り1からのスタートかもしれない。
帰り道は分からない。知識も無い。力も無い。全然高揚しない、始まってほしくない旅が今始まろうとしていた。
「……いい天気ですね」
『ようこそ!
ここはバルディンの村です!』
僕は大きくため息をついた。
次話『5話 この村はどこかおかしいっ!』は1時間後に投稿予定です。
今日は3話分投稿予定です。