36話 旅の始まりは終わらない(1)
11月1日、日本時間で午後14時、世界に突如、衝撃的な事件が起こった。
謎の集団失踪事件。
世界の各地で大量の人が突然、前触れもなく消えてしまうという事件が発生した。
世界中の人間が神隠しの様に、ふと、雲がふわりと消えるかのようにその姿を暗ましてしまった。誰もが自分の目と頭を疑いたくなるような事件だった。
世界の至る場所で、合計数十万人もの人が失踪してしまったのだ。
世界に起こった突然の大異変。
たくさんの人がまるでこの世界から消え去るように失踪してしまった。
世界中で大混乱が起こっている。
理由も原因も解決法も不明。
あらゆる科学的な検証を行っても、この大異変の片鱗すら掴むことが出来ない。誰もが目を覆いたくなるような突拍子もない出来事が起こっていた。
消え去った人たちには一つの共通点がある。
それは失踪事件が起こった時刻、何かしらのVR空間にアクセスしていたということだ。消え去った人達の部屋のパソコンやテレビの画面には『ログイン』の文字が怪しく光っていたのであった。
勿論、この失踪事件との因果関係は不明。
科学的に証明できない以上、現代の世界においては大異変の原因は不明と結論付けるしかない。
集団催眠とか、世界的詐欺とか、新兵器とか、そういったなんかしらの方法で何者かがこの事件を引き起こした事件なのだと現実的にはそう考えるしかない。
しかし、皆分かっている。
非論理的である。非論理的で突拍子も無くただの妄想に近いことだけれど、消えた人たちがどこに行ってしまったか想像がつく。
『仮想現実の世界に連れていかれた』
馬鹿らしい考えだが、それが最もしっくり来ていた。
勿論、VR技術に関わる企業、団体はそれを否定している。科学的には因果関係は無いと意見を発し、実際彼らも事件の原因が分かっておらず、酷く戸惑っているのが分かる。
だけど、大衆の怒りがそれで収まるはずがない。
科学的根拠はない。手段も理由も不明。分かっていることは1つも無い。
それでも疑いは疑いを呼び、噂は噂を掻き立て、怒りはさらなる怒りを生んだ。
根拠も何もない、暴走のような怒りだった。
仕方がなかった。
突如として人が消え、もう帰って来ないかもしれない。そういった事件が世界中で同時に発生した。怒るな、という方が無理なのである。
誰か、悪役が欲しかった。罵声を投げつけられる人が欲しかった。
家族とか、友人とか、仲間とか、そういった人たちが意味も分からず行方不明になったのだ。怒りに証拠は必要なかった。
突如として世界から人が消え、世界が麻痺をする。
世界の動きが鈍くなっている。勿論数十万人失踪したとはいえ、それは世界人口の0.001%程度なのだから世界の重要な機関の運営が成り立たなくなるなんてことはないのだが、先進国に住む人が多く失踪したこともあり、大混乱は暫く収まる様子はない。
「もう既に治安が悪くなってるようだから、お前たち気を付けろよ?」
と父ちゃんが言う。今は事件が起こってから3日目のことだった。
世界的な事件であり、様々な活動は自粛されテレビは連日連夜同じニュースを報道している。学校は臨時休校だ。
「戦争とか……起こっちまうのかなぁ?」
と、俺が言うと、新聞を読みながら父ちゃんが「いや……」と呟いた。
「どうやらそうでもないみたいだな、龍之介。今、世界中が慎重になって動くに動けない感じみたいだ。下手に動いて世界の悪役にされちまったら目も当てられない、って様子らしいぞ」
ほら、と父ちゃんは新聞を俺の方に投げる。受け取り、読む。
「そうか……。『ヒャッハー! 今がチャンスだぜー!』って軍事活動する国があったら、『あいつの国、怪しい動きしてるぞ!』『そうか! あの国が犯人だったんだ!』『袋叩きにしちまえ!』……みたいな流れになるのか」
「今はとにかく、世界中で犯人を捜しているんだな。悪役、と言い換えてもいい。証拠なんてなくてもいい。怪しい動きをする国を指さし、皆で力を合わせてそれをボコボコにして、正義を叫ぶ。……今は、誰もが、どの国もが自分が犯人にされない様、慎重に息を潜めて行動しているみたいだな」
何が起きているのか分からない、というのは最大の恐怖だ。人だろうが国だろうが、今は下手に動けない状況みたいだった。
「硬直状態って感じだな」
ぼそりと弟の蓮が呟く。
「そうだな。ただ、報道されていることがすべて正しいとも限らない。何が起こるか分からねえから、色んなことに気を付けるんだぞ?」
「色んな事って? 父ちゃん?」
「そりゃ……色んな事は色んな事だよ」
父ちゃんは肩を竦めて、コーヒーを啜る。この家の中は平和である。
集団失踪事件が起きてからまだ3日。
この事件の怖ろしい所は、恐らく世界中の誰も、この事件の真相を知らないという事だ。
* * * * *
その中でも特に槍玉に挙げられ、世界中から非難を受けている団体がある。
VR技術に関わる企業、団体だ。
それらの企業、団体が何かをしたという証拠は一切ない。しかし消え去った人たちには、その時にVR機器を使用していたという共通点がある。それゆえに連日連夜、大量の誹謗、中傷の声が届く。
『勇者グレイの伝説』というゲームを出し、VRRPGのジャンルを開拓した『ネクストワールド』という会社も強い批判に晒されている。VRゲームを世に浸透させたきっかけのような作品であったからだ。
そして俺――橘龍之介がバイトをしている『アナザーワン』という会社にも容赦ない意見が襲い掛かってきている。俺が仕事を手伝っていた『ティルズウィルアドヴェンチャー』で遊んでいた人たちも行方不明になったらしい。
勿論、VR技術に関わる企業は世界中で総じて警察の調査の対象となり、企業内の情報を全て提出するよう求められている。それでも世界的集団失踪事件に繋がる手掛かりなんて一切出てこないし、出てくる事なんてあり得ないのだ。
だってVR技術で人を消せるなんてこと、あり得ないのだから。
有り得ない……有り得ない事だと皆分かっているのに、人はVR技術を扱う団体に罵声を浴びせかける。
朝、父ちゃんが言ってたことを思い出す。
人は悪役を求めている。皆でそれを叩き、正義を叫びたがっているのだ、と。
勿論、怒りを叫ぶ人たちの気持ちも分かる。だってその人たちは家族とか、友達とか、恋人とか、大切な人が消えてしまったのだ。怒りの気持ちはよく分かるつもりだ。
でも……でもだ……。
この会社の人たちも苦しんでいる。この会社の社員さんだって何人も消えてしまったし、身近な人が消え苦しんでいる社員さんだっている。
俺の知り合いだってたくさんいなくなった。友達も消えたし、幼馴染も消えた。この会社の社長も消えたし、社長の息子で俺と同級生の奴もいなくなった。
仮想の世界に連れていかれてしまったのだろうか。
もちろん、俺たちはこの事件について何も分からない。上司や役員、プログラマー、誰に聞いても分からない。
上層部の人たちも涙を流し、必死に部下に説明をしていた。本当に何も分からない、本当に何も知らないんだと、ボロボロと泣いていた。いつも鬼のように厳つい人が涙を流していた。
悔しかったんだと思う。
本当に悔しかったんだと思う。
でもそれは世間には効果はなかった。
知らないわけないでしょ、知らないで済まされることじゃないだろ。物を投げつけられている上司は嫌な顔一つしないで口を結び、ただひたすらにそれに耐えていた。
ただ、物を投げつけ怒っている人たちも泣いていた。どの会社の記者会見も同じような光景だった。
悔しかった。
そんなことしか出来ないことがみんなみんな悔しかった。消えてしまった人たちに対し出来ることは何もなかった。
うちの会社の捜索のため、何度も何度も警察がここを訪れていた。社内のデータを全て押さえ、会社の資料も端から端まで全て調べられている。
それでも会社としてやらなきゃいけないことは死ぬほどある。責任まで消えてしまったわけじゃない。この事件の解決のために出来ることは何もないと知りつつ、それでも今やるべきことをやる。
何か少しでも、小さなことでもこの大異変の解決の役に立てることは無いか、そう思って俺はバイトとして働いていた。
「ん?」
そう思いながら、夜、会社のオフィスの中、頼まれたデータ整理をやっていた途中、パソコンの中に奇妙なファイルがあるのを見つけた。
「なんだ、これ?」
ファイルの奥の奥に見知らぬファイルを発見した。社内のデータ管理のルールに則ればここが最下層のファイルの筈なのに、さらにその奥にファイルが入っている。
こんな場所に新しいファイルなんてあっただろうか。俺は首を傾げながらそのファイルをじっと見ていた。
『アルヴェリア』
そのファイルにはそう書かれていた。
首を捻る。
うちの会社からそんなタイトルのゲームは出ていない。なにか、営業部とか、上層部にしか伝わらない用語みたいなものだろうか。それともこれから作られようとしていたゲームの初期プロット?
……まさか誰かが勝手に保存したイヤン、ムフンなファイル?
い、いや、まさか……確かに俺も家のパソコンでは『そういうもの』のファイルの名前を意味のない文字の羅列にしたりしてるけど……。
素直に『エロ』なんて書けないから適当な名前入れて誤魔化したりしてるけど……。
まるでファイルの奥の奥の方に隠れるようにひっそりと作られたファイルで、意味不明な文字列の記載されたファイル……。
……い、いや、そんな訳ないか。
会社のパソコンにそんなファイル入れる訳ないしな。あり得ないしな、そんなこと。
大体、ここのパソコンの中のデータは全部警察がコピーして持って行っているのだ。そんなデータの中に艶めかしいファイルが入っているはずがない。
………………
…………
……大丈夫だろうか?
確認した方がいいだろうか?
このファイルを確認しなければならないだろう。
この事件の解決のため、俺は正体不明のファイルを開かなければならない。事件の解決のため、使命感が沸き上がってきた。
……べ、別にそういう画像を見れるのを期待しているわけじゃないんだからねっ!
俺はそんな馬鹿なことを考えながら、そわそわした手でそのファイルを開いた。
瞬間、世界が反転した。
「え?」
星空が広がっていく。
宇宙に身が放り出される。
上下左右、自分の周りの360度が星明りで満たされる。
「な……んだ、これ……?」
今の今まで会社のオフィスにいた筈なのに、床も天井もない空間にゆらりゆらりと浮いている。見渡す限りの星空。広大な宇宙の中にぽつりと身1つ漂っていた。
混乱する。
はっ、と気が付くと世界の光景が全て変化して、周囲一面星の光に囲われた宇宙の景色となっていた。
「な、なんだ、なんだこれは……なんなんだ!?」
何が起こっているのか把握するため、慌てながら首を振り周囲を見渡す。意味が分からない、状況が分からない、何が起こっているのか理解できない。
……しかし、すぐに動揺がなくなる。
不安が宇宙の海に溶け出していくかのようだった。
「……綺麗だ」
見惚れてしまっていた。
燦然と輝く星明りは手を伸ばせば届きそうだった。本当に届いてしまいそうだった。
ここは星に近かった。
もう星の見えない東京の夜空とはまるで違い、ここは星に溢れていた。
星の光が近かった。
俺は思わず手を伸ばした。
《偽造聖剣プログラム起動》
「え?」
システムメッセージだ。
ゲーム中に出てくる青い半透明のシステムウインドウが俺の目の前に現れた。
「なんだ……? 偽造聖剣プログラム……? なんだ、それは……?」
《『tank』発動;Magic Skill『星渡り』
異世界『アルヴェリア』への航路を検索しています……》
「え? 魔法……? なんで……?」
また妙なシステムメッセージが浮かび上がってくる。
Magic Skill? 魔法? 魔法なのか? ここはゲームの中なのか? 俺はさっきまで現実にいたんじゃないのか? 『星渡り』なんて魔法スキル、どのゲームでも聞いたこともないぞ?
異世界? 異世界の航路? なんだ? なんなんだ?
《Error;魔術の行使に失敗しました》
《Error;魔術の行使に失敗しました》
《Error;魔術の行使に失敗しました》
なんだ、これは。一体何なんだ?
一体何が起こっているんだ?
目の前でただ星がくるくると回っていた。
《Error;魔術の行使に失敗しました》
「龍之介君…………龍之介君っ!」
声が聞こえてはっとした。誰かが俺の肩を揺すっていた。
「龍之介君、なんだかぼおっとしてるけど、大丈夫かい?」
「…………江古田さん」
振り向くと、そこには俺の上司の江古田さんがいた。有名なゲームを何本も企画、開発している凄い人だ。世界的にも有名であるクリエイターだった。優しいお爺さんだった。
そんな江古田さんが俺の肩を揺すり、声をかけてきている。
気が付くと、俺は会社のオフィスに戻ってきていた。
星空も宇宙もない、ただ普通の仕事場に戻ってきており、俺は普通にパソコンの前に座っていた。
夢、か……?
「……あー、すみません。少しうたた寝してたみたいっす」
「こっちこそ、君がこんな時間まで残っているのに気づかなくてごめんね。今日はもう帰って休みなよ。ごめんね、アルバイトなのにこんな時間まで残らせちゃって」
「い、いえいえ。大丈夫っす、このぐらい。まだまだ働けるっすよ」
「ダメだよ、今日はもう帰りなさい。明日は休みにするから、ゆっくり体を休めなよ」
そう言って江古田さんは俺の肩を叩き、自分の机へと向かっていった。俺を帰宅させるあの人はまだまだ働くのだろう。
その丸まった後ろ姿に敬意を覚えながら、俺は会社を後にした。思わず小さくお辞儀をしていた。
帰り道、夜空を見上げた。
星1つ無い真っ暗な空が、ビルに挟まれ窮屈そうに佇んでいた。
* * * * *
翌日。午前9時に起きる。
ここ数日学校が休みで怠惰に堕ち始めている高校生としては割と頑張った時間に起きられた方だと思う。
両親は仕事、弟は用事があると昨日言っていた。家の中には俺1人。キッチンにあった目玉焼きに醤油をかけてご飯と一緒に食べる。
という訳で暇だ。今日は何もすることが無かった。
醬油味の半熟目玉焼きとご飯を口の中でもぐもぐと頬張りながら今日は一日何をしようかと考えていた。
そんな時に家のチャイムが鳴った。
ピーンポーンと何度聞いても気が抜けるような音がし、来訪者の存在を告げる。
なんだろう? 宅配便かな? と思いながら口の中の飯を素早くよく噛み、ごくんと飲み込む。はいはーい、と独り言を呟きながらインターホンに近づく。
インターホンの画面にはスーツ姿の外国人の男性が映し出されていた。
「…………」
一瞬、通話のボタンを押す手が止まる。画面に出ている男性の顔に見覚えがあったからだ。
……でもそんな筈はないと思い、インターホンの通話ボタンを押した。
「はい、どなたでしょうか?」
『……その声、橘龍之介か? 話がある。開けて貰おう』
「…………?」
高圧的な声が聞こえてくる。じんわりとした恐怖が体を纏う。
「……失礼ですが、どちら様でしょうか?」
『……私の名を聞いているのか?』
モニターの向こうのオールバックの金髪の男は呆れたように眉を顰めている。
……その顔は知っている。雑誌やテレビで何度も見ている顔だ。
でもそんな筈はない。
なんで俺の名前を知っているのかは知らないが、そんな世界的に有名な男がうちの家を訪ねてくる訳が無い。
『私の名前はヴィルク・イニーガン』
その男は世界的に有名な会社の社長だった。
『……株式会社「ネクストワールド」の社長だ』
VR技術を大きく飛躍させ、『勇者グレイの伝説』を生み出した会社の社長が、何故か俺を尋ねてきた。
男しか出ねえと絵を描く気力が湧かねえっ!!!
次話『37話 旅の始まりは終わらない(2)』は5日後 1/10 19時に投稿予定です。




