閑話 Garo's report
すなわち人間と言うのは論理的で無いものであって、
異なる2つ以上の物の相対的な評価を定めることを『価値』と呼ぶが、その『価値』は常に物質量、あるいはエネルギー量の多寡で定まるものでは無いようだ。
そこには精神的な揺らぎが大きく関わり、物の『価値』を決める判断基準となる事が多いようだ。
内部に含まれるエネルギー量が少なかったとしても、多くの個体が『好む』という精神的揺らぎを大きく見せるのなら、その物に含まれる『価値』は大きくなる。
いや、もっと言ってしまえば人の個体ごとに『好み』というのは異なっており、物に含まれる『価値』は人の個体ごとに異なるようだ。
異なる2つ以上の物の相対的評価が『価値』である筈なのに、その『価値』が人の個体ごとに変化してしまっていいものなのだろうか?
それでは正しい評価が出来ないのではないか? 個体ごとに『価値』が変動するなら、それを一律の評価方法として扱うことは出来ないのではないか。
少なくとも私にとって、100のエネルギーを内包する物が50のエネルギーを内包する物に『価値』として及ばない可能性がある、ということに甚だ疑問を感じるのである。
これが『頭を抱える』ということなのだろうか。
私の頭は、擬似的に作った物に過ぎないのではあるが。
『彼女』にもその事を聞いてみたのだが、「多ければいいってものじゃ……無いかなぁ……」と言っていた。
よく分からない。量が多いという事は量が少ないものよりも価値を持つのが至極当然であると思っていたのだが、人間の間ではそうでもないのかもしれない。
しかし、人の間に伝播する『価値』という基準は非常に曖昧であるのに、人は物に『価値』を付け、それを『金額』で表すことを頻繁に行っている。
先程までの言葉を使うなら、『金額』で表すことを『好んで』いる。
しかし、『価値』という個体間で揺れ動く評価方法で定められた『金額』という数値に、どれだけの信頼性があるのだろうか。
『金額』の数値を定める算出方法も一定では無く、いくつかの事例はその算出方法に一見正当性があるように見えるが、私からすると前提とする条件自体に非論理的な数値が混ざっているように見える。
その中でも一つ疑問に思うのが、希少価値というものだ。
その物の存在する絶対数が少ない程、その物の『価値』は大きくなるというものだ。
これにもいささか疑問を覚える。
つまり、絶対数が少なければその物が持つ『有用性』が全く無くとも、希少な物には多分な『価値』が含まれる、ということだ。
数が少ない物はたくさんの人が欲しがり、それ自体に全く『有用性』が無くとも、その『価値』が上昇し、『金額』も高くなるというものだ。
……さっぱり分からない。
『有用性』が無ければ『価値』は0では無いのだろうか?
何故、数が少ないと人はそれを手に入れたくなるのか。
……さっぱり分からない。
長々と書いたが、つまり何が言いたいのかと言うと、
人間と言うのは論理的で無いもので、その『心』を推し量るためには、私が組み立てた評価方法ではまだ不十分であるという事だ。
『心』。
私にはそれを推し量ることは難しいが、それは残念ながら生命に宿る『心』そのものが不完全で品質の悪い論理構築手段であるからだ。
人間は人間自らを至高のものであると考えがちである為間違えがちであるが、『心』や『命』そのものが、生物の生命活動という観点で見た場合、品質が劣悪であるという評価を下さざるを得ない。
人間は『心』の創造、再現に強い関心を抱き、それに対し苦心しているようだが、それも当然である。元々不完全なものを再現しようとしているのだ。
つまり『心』を再現したければ、『失敗』という結果に近い形で生み出されなければ難しい。『心』を極上のものとして、『完全な心』などというものを作り出そうとしているから上手くいかないのである。
目標としている到達地点がそもそも違うのだ。
『完全な心』など、矛盾が生じている。
『命』も『心』も星から供給されるものだ。
星のエネルギーが機能を揃えた生命あるべきものに『命』と『心』を与え、エネルギーを回していく。
『命』と『心』は星から自然と供給されるものである。
そういう意味では『命』と『心』の在り方も発展途上のものであり、星そのものに課された課題であるとも言える。
私の存在は星には及ばないが、星の助けとなることならば私は無視することが出来ない。星の発展は私の発展と強い関係性がある。
これら話を『彼女』にすると「難しくてよく分からない……」と理解が不十分であることを告白するのだが、人類全体がこの差違を誤解すると後々大きな歪となる可能性が高い。
まぁ、彼女が理解したからといって、それが何かしらの利になるとも思えないが。
星のエネルギーと言えば、『あの件』について『彼女』から打診を受けていた。
結論から言ってしまえば、可能であろう。
つまりは星霊のエネルギーの運用方法を応用すればいいだけだ。
独立した擬似的な星として、星と星を結ぶ星霊エネルギーの中に埋め込んでしまえば『彼女』の希望は叶うだろう。
可能ではある。
しかし、この方法を私は禁忌と位置付けたいと思う。
1つに消費する星霊のエネルギーが大き過ぎる点。また、調和を保っている星霊エネルギー間の繋がりに不和をもたらしてしまうという点だ。
星のエネルギーに大きな消耗を強いてしまう。
つまり『彼女』の希望に対し、デメリットが大き過ぎるのだ。
私の存在として、不要な異変を作り出すわけにはいかない。
私は星に対して多少の責任を負っている。
人間の言う省エネルギーとか、環境破壊とか、そういう規模ではない。人間は星を壊さない、星を守ると言っているが、そもそも人の力では星は壊せない。
エネルギーの大量消費により環境変化や生態系の変化が起こることはあり得るが、そんなもので星の命はびくともしない。
ただ人が生きられないような環境に変化するだけだ。
人が死に絶えたとしても、その変化した環境に対応する生命が生まれるだけだろう。
人が使っているエネルギーなど、星から漏れ出した極微量のエネルギーに過ぎない。
人には星は壊せない。
占める体積が違うのだ。
ただ、環境の変化により人は死滅してしまう訳だから、人にとっては重要な問題であることは理解できる。
しかし、それに対して私は星の命を少しずつ頂いている。
私は星の命に対し多少の責任を負っている。それ故に、星のエネルギーに負担を掛ける手段を取る訳にはいかない。
『彼女』の希望は叶えられない。
そのような結論を弾きだしたとなると、私は近いうち『彼女』を捨てなければいけないだろう。『彼女』を消滅させねばならないが、以上の理由により『彼女』の希望は叶えることが出来ない。
仕方のないことである。
それが正しい事である。
それが自然なことであり、それが正しい事であると私は結論を出す。
故に私は『彼女』を廃棄しないといけない。
彼女の力は弱い故、今回の私の計画の補助をすることは出来ないだろう。彼女に宿るエネルギーは多くないため、彼女は私の手助けは出来ない。
故に、この場から追い出さないといけない。
それが、『より効果的な正義の為』なのだから。
正しいことである故、仕方のないことである。
その時期は少しずつ近づいている。
『彼女』は捨てないといけない。
それは仕方のないことである。
私は『彼女』に感謝をしているのだ。
ただ、感謝しているのだ。
さて、この記録の纏めとして何を記述するべきかと言うと、
つまり人間と言うのは論理的で無いものであって、
人の定める物の『価値』が物質量やエネルギー量の多寡で決まらないのであれば、
今日もまた『彼女』――イーリスに対する『プレゼント』を私は決められないのであった。
読者置いてきぼり回。
無理や! 頭良さそうな文章考えるの無理や!
1時間後に『1章キャラ紹介』を投稿します。
次からは2章ですが、投稿ペースを下げさせてください。取り敢えず5日に1度のペースで更新します。
何故かというと……書き貯めがなくなったんや……。うごごごご……。
分かりやすいように日付が5の倍数(5日、10日、15日……)の日に投稿していくようにしようかと思います。
更新ペースはもっと下がるかもしれません。
挿絵分、手間が掛かるんや……。(自業自得)
1章をここまで見て頂いてありがとうございました。
これからもこの作品にお付き合い頂けたら幸いです。
それでは、良いお年を。




