31話 赤色の意味
「おーい! お前らー! 回復薬しこたま持ってきたぞーい!」
そこは何十体もの狂魔に囲まれた『天に昇る塔』の中層階だった。
今も尚、文字通り命がけの死闘が繰り広げられている戦場の中で、気の抜けたクロの明るい声が部屋に響いた。
彼女はアイテムボックスから大量の回復アイテムを取り出し、ダンジョン攻略組に分け与えていた。
「……っ! すまねぇっ! 助かるっ!」
「ありがとうっ! ありがとぅっ……!」
彼らはもう回復アイテムが尽き始めていたのだ。
1つ1つの回復薬が金より重い価値を持っていた。クロは返す気のない金を借り、回復薬を大量に仕入れていた。
一縷の希望が繋がった彼らは必死の形相で回復薬にありつく。
「……ギ……、ギギギ……」
「でやああああぁぁぁっ……!」
一方で京子は手に握る銀色の刀を思う存分に振り回し、次々と狂魔を斬り裂き、葬っていった。
狂魔は彼女を危険視しているようで、たくさんの数の狂魔が同時に彼女に襲い掛かるが、それをなんとか躱し、1体ずつ斬り裂いていくだけの技量が京子にはあった。
グラドには敵わなかった彼女だが、それでも十分に『化け物』の領域にいることは確かだった。
VRゲームの一般的な設定として、各モンスターごとに設定された急所を攻撃することができれば、与えるダメージ量ははね上がるというクリティカルシステムがある。
京子はその圧倒的な剣術のセンスを用いて、『狂魔』の急所を的確に捉えていく。『狂魔』は人型の黒い鉄の人形であり、人と同じ急所を持っていた。
急所に鋭い斬撃を浴びせかけ、確実に2撃で敵を沈めていった。
敵の心臓を抉り、首を刎ね、体を切り刻んでいく。
彼女の目は見開かれ、血走り、まさしく鬼の形相で戦い抜いて行った。
鬼気迫るとはこのことだった。圧倒的なプレッシャーを放ちながら敵を蹂躙していく。
確実に、この場の流れを支配しているのは京子だった。
「ぜあああああああああっ!」
共に闘っていたプレイヤーたちはそれまで面識のあったキョウの豹変に驚いていた。
「あの子……、キョウちゃんだよな……」
「そんな……そんな馬鹿な……」
「なんなんだ……。あの子……」
このゲームの高レベルプレイヤーにとって、キョウとはガスロンたち強者について回る金魚の糞みたいなものであった。お世辞にもいい印象を感じてはいなかった。
しかし、その力の凄まじさにこのゲームの上級者たちも圧倒されていく。
次第に味方のうちにも恐怖が伝染していく。
「柊……」
「……京子……」
雄樹と万葉の二人は最早碌な言葉も紡げなかった。
「ほらほら! みんな! ぼさっとしないよ……! ウォーデ・アルス・バルイン! 『ウォーターボール』!」
クロの水の球が敵を襲い、重力魔法で重くしていく。村での戦いと同じ、敵の行動の自由を奪う連携魔法だった。
「みんな! 連携をとっていくよ! バラバラで戦っても駄目さ! 力を合わせて戦うんだ!」
「……っ! ああっ!」
クロの指示は具体性のない曖昧なもので、指揮としてはお粗末なものだったが、クロの持つ賑やかさが全体の士気を高めた。
クロはただ、前の戦いのグラドの真似をしたかっただけかもしれないのだが。
その間にも京子は縦横無尽に走り回り、次々と敵の首を刎ねていった。
* * * * *
京子とクロが来てから数十分。
私――万葉はショックを受けていた。
それまでどうしようもない形勢だったのに、京子とクロが来てからそれが引っくり返ったのだ。
回復薬の補充や人数の変化なども要因の1つではあるのだが、やはり2人自身の持つ力によるものだろう。
クロはその持前の明るさから仲間の士気を大きく上げた。
そして、その魔法の使い方の上手さが私達の戦闘を大変楽にしていた。
クロは本当にすごいと思う。
クロのLv.は低いから、2撃ほどまともに攻撃を喰らったら死は免れない。そのプレッシャーに耐えながら次々と魔法を放っていく。
疲労困憊になりながら挫けずに戦っていた。
初めの印象はややうるさいガキんちょって感じだったのだが、いま私はクロのことを心から尊敬した。
そして何より京子の強さだった。
その姿には覇気があった。
京子にはその場を全て支配するだけの強さがあった。
複数の敵に襲われても、京子は力を込めて剣を大きく横に振り払い、一度に全ての敵を吹き飛ばす。そしてそのうちの1体に追い縋り、組み付き、首を刎ねる。あるいは真っ二つにする。
その戦う姿はまるで鬼だった。
まるで悪魔だった。
私達20人近くで倒した敵の数以上の量を彼女1人で葬っていた。
もう敵の数は30体近くまで減っている。勝利が見えだしたのだ。
それでも京子は一切手を緩めない。
鬼気迫る勢いで敵を蹂躙していく。
狂気が宿っているようにしか見えない目を光らせて、鉄の戦士を死体に変えていった。
怖かった。
恐ろしかった。
いつもの弱々しい京子とはまるで違う。
でも確かにその姿には見覚えがあった。
……ああ、やっぱり京子は『化け物』だったのだ。
………………。
…………。
……え?
「やっぱり」って何?
……「やっぱり」って何?
私は何を考えているの? 今、何を考えていたの?
「やっぱり」って、
私はずっとそう考えていたの?
……そんなことはない、そんなことはない。
私は京子が大切だった。
私は京子を守ろうと思っていたんだ。
あの日から、弱くなってしまった京子を見て……。
私は京子を見た。
次々と敵を切り裂いていく京子の姿があの日の彼女と重なった。
今の京子は血に濡れてはいなかったけど、私にはなぜか真っ赤に染まっているように見えた。
……恐い。
京子が次から次へと敵を斬り刻んでいく。弾けるように高速で移動して、自ら敵へ襲い掛かっていく。
被害者はそれまで私たちを苦しめてきた鉄の戦士たちだ。鉄が斬られる高い音が何度も響き、それが不気味な敵の断末魔の代わりとなっている。
……恐い。
京子は鬼気迫る顔で敵に襲い掛かる。銀色に光る美しい刀が今は死神の持つ凶器よりも恐ろしく見える。次から次へと狂魔達の首が飛んでいく。
京子は恐ろしい殺気を放ちながらこの部屋を跳ね回り、どんどん敵を虐殺していった。
…………恐い。
……恐い。
恐い。
剣を振るう京子の姿が『死神』に見える。慈悲なく敵の命を奪う心無い『殺人鬼』に見える。
5年前のあの事件の時のような『化け物』に見える……
あぁ、そうか……。
やっと分かった……。
私は自分を騙していたんだ。自分に嘘をついていたんだ。
私は……いや、私たちはどうしようもない程……、
―――京子の事が恐かったんだ。
そんな目で彼女の事をずっと見続けていたんだ。
私たちは……。
その時だった。
京子の足が急に止まった。
敵の剣が迫っているのに、京子がバランスを崩しその場から動けなくなった。
「……えっ?」
床に這い蹲っていた狂魔が京子の足を掴んだのだ。
京子に斬られ死んだふりをして、床に転がって機会を伺っていたのだ。
「くっ……!」
死んだふりから、敵の足を掴むという単純な動作。しかし、その単純な動作は絶大な効果を発揮してしまい、京子は敵の攻撃を躱すことが出来ない状態になってしまった。
凶刃が京子に襲いかかる。
足を掴まれ、バランスを崩した京子は回避行動が取れず、なす術無く袈裟を斬られた。たった一瞬の計算違いのせいで、敵の黒い剣が京子の体に深い傷を付けた。
彼女から赤い血が飛び散った。
「キョウ……!」
「……京子っ!」
「柊っ……!」
敵の黒い剣が京子の細い体を斬り裂き、彼女の体に深い傷を付けた。
浅い傷では決してない。思いっきり振りかぶった狂魔の渾身の1撃により、HPの防御の壁を越えて、京子は大量の血を体からまき散らした。
どばどばと血が垂れ、床を赤く濡らす。体からだけではなく、口からも血を吐いている。
京子の体がよろける。
致命傷なのだろうか、京子の意識はまだあるのだろうか……。京子の体が横に傾き、地に倒れそうになる。
もう駄目だ。
自分の顔が真っ青になるのが分かる。
それが京子の事を心配してなのか、彼女のいなくなった後の自分の身を心配してなのか、自分でも分からない。
ただ、血を吹き出し、崩れ落ちようとしている京子を見て、ただただ心臓を掴まれるような恐怖が体を駆け巡った。
……だけど、
「う、ぐ、ぐぅ、ガアアアアアアアアッ……!」
京子はよろめき、血を噴き出しながらも、大きな咆哮を上げ自らを奮い立たせる。
その目は死んでおらず、より殺意に満ちていた。
凶悪な気配が京子から溢れ出していた。
彼女は力強く、両の足を踏ん張り態勢を保っていた。
まず、自分の足を掴んでいた敵を上から刺し殺す。
そして自分の体に深い傷を入れた敵にまるで復讐をするかのように襲い掛かり、その狂魔の剣を叩き折って、鉄の体をバラバラに刻んだ。
自分を命の危機に立たせた2体の敵を、素早く無情に始末した。
そして獣のように走り回り、残りの敵を全て殲滅する。
周囲に散った残り少ない残党に真っすぐ襲い掛かり、その命を刈り取っていく。流れ出る赤い血が彼女の軌跡となって宙を舞う。
高速で走り回る黒い影が銀の剣閃を輝かせる度に、狂魔が崩れ落ちていく。
京子は敵の全てを斬り裂いた。
最後はあっけなく、敵は全滅した。
結果として、彼女は100体以上の狂魔の命を1人で刈り取った。
京子は体の傷が痛むのか、青白い顔の2つの目が力強く赤く血走っていた。
戦いは終わった。
「…………」
私達は立ち尽くしていた。
恐怖で立ち尽くしていた。
もう敵は1人もいないのに、死の恐怖におびえている。
京子は血を垂らしながら、ただ佇んでいた。
京子の周囲には敵の死体が嫌という程転がっており、彼女の回りに生きた人間はいなかった。私たちは自然と京子から距離を取っていた。
彼女は死に囲まれていた。
私達は立ち竦んでいた。
京子の周りだけ世界が違うようだった。
私達は京子に近づけなかった。
血走った目が、体から流れ出す赤い血が、未だ冷めぬ殺気が、皆に恐怖を与えていた。
ただ恐かった。
皆は京子が恐かった。
その立ち姿だけで私達は京子に近づけなかった。
「キョウ!」
動けたのはクロだけだった。
クロは京子に駆け寄って、傷の具合を見る。京子も体に力が入らなくなっているのか、ゆらゆらと力なく体を揺らしていた。
クロは自分のステータスバーを表示させ何かを探しているようだったが、すぐに慌てはじめた。
「誰か……! 回復薬余ってない!?」
クロは振り返り私達に請う。
しかし、私達と京子の距離は遠かった。きっと、見た目の距離よりずっとずっと遠かった。
誰も動けなかった。
「な、なにさ……、1つもないってことないでしょっ! 早くしろよ……! このままじゃキョウ死んじゃうよ!」
クロが焦りの大声を出すが誰も動かない。怖さで誰も動けない。
分かる。分かってしまう。
恐怖に怯えた目。鬼か悪魔を見るようなくすみきった目。皆が青白い顔で京子に視線を向けていた。
この人たちは私なんだ。あの日の私達なんだ。
そうか、あの日の私達はこんな怯えた目をしていたんだ。あの日、血に塗れた京子をこんな酷い目で見ていたんだ。
京子は辛そうに青い顔になりながら、寂しそうに笑っていた。
京子にあんな顔をさせているのは誰……?
私たちは恐怖で身動きが取れなくなっている。
でも、本当に苦しんでいるのは私たちではなかった。それに気づかないほど、私たちは馬鹿だった。
多分、立ち竦んでいた時間はそんなに長くなかった。
早く京子の元に行って、回復薬を届けないと。そう思って、震える足をなんとかして動かそうとした時の事だった。
「……え?」
京子の体がゆっくりと倒れていく。
膝から崩れ落ち、尻もちをつき、まるで見えない手で上から押し付けられるように床に倒れ横になった。ゆっくりとゆっくりと、彼女の頭の位置が下がっていき、床に転がり動かなくなった。
「え?」
「……え?」
京子が床に倒れ、動かなくなる。
私たちの方を睨むように見ていたクロが京子の方に振り向き、叫び声をあげる。
動かない京子とは反対に、彼女から流れ出る赤い血はゆっくりと床に広がっていく。残酷な水たまりが床を汚し、京子の体の中の液体が彼女の体を離れていく。
鮮明で鮮烈な赤色が広がり、京子の体が青く白く色をなくしていった。
「キョウッ……!」
クロは叫ぶ。
「キョウ! しっかりしてっ! しっかりするんだ……! キョウッ! 死んじゃ駄目だっ……!」
……え?
嘘だ。そんなことがある筈ない。
京子が……、
「……死ぬ?」
……嘘だ。そんなの嘘だ。
有り得ない。人が死ぬなんて有り得ない。安全が守られている現代の日本でそんな簡単に人が死ぬはずがない。私の身の回りの友人に『死』が訪れるはずがない。
だって、日本は安全で……そんな、『死』なんて……、実感が持てる筈なんてなくて……。
でも、京子の体からゆっくりと赤い血が流れだしていて……。
死ぬ?
京子が死ぬ……?
そんなの有り得ない。そんなの有り得ていい筈がない。
そんなの……、
「嘘だっ……!」
私は駆けだしていた。無我夢中で京子の元に駆け寄る。恐怖で固まっていた体が別の恐怖によって突き動かされていた。
「京子っ……!」
「柊っ……!」
すぐ隣には雄樹の姿もあった。彼も京子の傍に駆け寄っていた。でもそんなことはどうでもいい。横たわっている京子の体を抱え、体の向きを入れ替えた。
「―――ッ!」
「京子っ!」
剣の傷はとんでもなく大きかった。
袈裟を裂かれた傷は想像よりもずっと大きく、そこから血が次から次へと溢れ出していた。
信じられない。信じられるはずがない。こんな傷を受けて戦える筈がない。動き回れるはずがない。
こんな傷で生きていられる筈がない。
「嘘よ……、嘘よ……」
私と雄樹は1個ずつ余った回復薬をアイテムボックスから取り出し、京子の傷口に掛ける。
ゲームなら一瞬で体力が回復するはずの回復薬はゆっくりとした速度でしか京子の傷口を癒さなかった。傷口から溢れ出す血の量は少なくなっていくが、血は完全には止まらない。
「嘘よ……。こんなの……、嘘よ……」
目の前の光景が信じられない。
京子が死ぬ。瞑った眼は開かない。
有り得ないことが起こる。
死ぬ。
京子が死ぬ。
「…………」
赤くない血が私の目から零れ落ちた。
「ごめん……なさい……」
涙が次から次へと零れ落ちていく。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
力ない言葉が無意識に自分の口から溢れ出していく。雄樹もまた泣いていた。
瓶の中の回復薬が無くなり、これ以上手当の施しようがなくなる。私たちは1個しか回復薬を持っていなかった。
京子はもう……動かないのだろうか……。
「嫌だ……」
バカだ。
いつも気が付くのが遅いんだ。
私なんて大バカだ。
自分が京子の事を強く恐れているということに気が付いたのはさっきだ。
きっと5年間、ずっと彼女に恐怖していた。
でも、死んで欲しいなんて死んでも思ったことは無い。
友達なんだ……。友達なんだ……。
でも私はくだらない恐怖に振り回されて、彼女を助けるのが遅れてしまった。
あの事件の日と同じように、京子の体はまた赤く濡れている。でも今度の赤色は意味が全然違った。
これは京子の傷の色だ。京子の苦しみの色だ。
この傷は何?
私にはただの剣の傷には見えなくなっていた。
これは私達が付けた傷ではないだろうか。5年間ずっとずっと付けてきた傷ではないだろうか。
5年間私達はずっと京子を恐怖の目で刺し続けてきたんじゃないだろうか。
この赤色の傷は、私たちが彼女を刺し続けてきた傷なのだ。
「ごめんなさい……。京子、ごめんなさい……」
「柊……。ごめん……、ごめんなさい……」
涙が止まらない。声の震えを抑えることが出来ない。
時が止まったかのように感じる永遠の中、壁に空いた穴から入り込んでくる風がとても冷たく、残酷だった。
「……ふふ……、ふふふ……」
――その時、小さな笑い声が聞こえた。
「万葉ちゃんと……雄樹君はバカだなぁ……」
そんな声が聞こえた。
「え?」
「……え?」
口角が小さく上がっている。熱い吐息と共に、軽い笑い声が聞こえてくる。
驚く。
京子の目がゆっくりと開かれていった。
「……私が、こんな小さな傷で、死ぬわけ、ないんだよ……」
ニヤリと笑いながら、ゆっくりと強気な言葉を零していた。
「だって……私は、強いんだから……」
京子はゆっくりとそう呟いていたが、その強い言葉に反して吐く息は弱々しかった。
こんな小さな傷でと言いながら、体中が青白く、唇は震え、顔は脂汗で一杯になっている。
「私が、そんな簡単に、死ぬ訳ないんだから。だって私は、『化け物』のように強いのだから…………」
それでも小さく、そして力強く京子は笑っていた。
奇跡を見ているようだった。
京子は死んでいなかった。
「……だから、ごめんね? 安心して?」
その笑みはとてもとても温かいものだった。
私たちの愛するお姉ちゃんのものだった。
「うぅ……」
「ううぅっ……」
「ううううぅぅっ……!」
涙が零れる。震える口をぎゅっと噤むけれど、その代わり目から涙が零れた。
そして、私と雄樹は京子の体に抱き着いた。
「ごめんっ……! ごめんねっ、京子……!」
「…………」
自分たちの泣き顔を隠すようにして、床に横たわる京子に抱き着いた。
私たちに抱き着かれて京子は困ったように力なく笑っている。
良かった。良かった。
そればっかりが頭の中で駆け巡っていた。
「ごめんっ……! 柊っ! ごめんっ……! 俺……、ごめんっ……! ごめんなさいっ……!」
「……私の方こそ、ごめんね?」
京子に謝られることなんて何1つない。ただ私たちは壊れたラジオのように謝罪の言葉を繰り返し続けた。
背中に手が回される。京子が私たちの事を抱きしめてくれた。
力が入らないくせに、本当は今でも傷が痛むくせに、それでも彼女は強く私たちを抱きしめてくれて、その腕はとてもとても温かかった。
「ごめんなさいっ……!」
死んで欲しくなかった。
怖いとか、恐ろしいとか、そんなのどうでもいいから死んで欲しくなかった。
自分を偽り続けてきた5年間の冷たい視線を越えても、彼女は私たちを暖かく抱きしめてくれた。こんなにもバカな私たちを強く抱きしめてくれる。
温かい抱擁だった。姉の胸の中にいた。彼女の優しい温かさが、そのまま直に私たちの心に染み込んできた。
「ごめんっ! ごめんっ……!」
「ごめんなさいっ……!」
「ごめんね……? 私のほうこそ、ずっと、ずっと……ごめんね……?」
叫ぶように泣きながら、私たちはずっとずっと謝り続けていた。
それでも彼女は私たちの事を抱きしめてくる。それがただただ嬉しかった。
泣きながら、ずっとずっと謝っていた。
この人を守りたい。
そう思った。
今度は本当に心の底からそう思った。
そう思えることが出来た。
* * * * *
あの日からずっと続いていた赤い霧はやっと晴れ、今日、やっと大切な人の手を握ることができた。
まだ側から離れてしまった友人は多くいる。
でもきっと大丈夫だ。
強くなろうと思った。敵を倒す強さとか、何かを成し遂げる強さじゃなくて……、
友の側にいる強さ。力に頼らない強さ。
そんな強さを私は持とう。
そう誓おう。
大切な友の温もりをずっとずっと感じていられるように……。
女性の体にいきなり抱き着くなんて、雄樹はセクハラ。
次話『32話 魔王の刻印』は明日 12/26 19時に投稿予定です。




