3話 旅の終わりの始まり(3)
光が迸った。
魔王は勇者の剣で胸を突かれ、最後の命の光を迸らせた。
魔王の胸から白い光の柱が天高く立ち上る。
その光は魔王と勇者の二人を飲み込んだ。
「ア、アリシア君! 離れるんだっ!」
「な、なんなんですかっ!? あれっ!?」
光が広がっていく。
幅も長さも何十メートルとある謁見の間の大半を、魔王の白い光が飲み込んでいく。
グレイの仲間たちは部屋の端へと逃げ、光から逃れた。
白い光の中から僅かな声が漏れた。
「グレイ……いつもいつも、迷惑かけて……すまないな……。死に、巻き込んで……すまないな……」
「……別にいいさ」
その声の後、白い光が一層強く輝いた。
皆はその眩しさに目を閉じた。
数秒目を閉じていただろうか。
瞼を開くと、そこにはもう光の柱は無かった。
謁見の間の床が半分抉れていた。光のあった場所の床が消え去っていた。光は天高く立ち上っていたためか、天井も削れ、空が見えていた。階下も削れており、一階まで大きな穴が空いている。
光が何もかも飲み込んでしまったようだった。
「…………あれ?」
アリシアが呟く。
「……グレイ君?」
彼女の小さな呟きの返答はどこからも返ってこなかった。
* * * * *
あれから数ヶ月がたった。
魔王が勇者によって討ち滅ぼされたというニュースは瞬く間に世界全土に広がっていった。世界は狂喜乱舞した。平和な世の中が来た!平和な世の中が来た!世界中でそう騒いでいた。
しかし、私は泣いていた。自室のベットの上で涙を零していた。
グレイ君は見つからなかった。
あれからずっと魔王城の捜索は続いていた。瓦礫が散乱し、城は半壊していた。崩れないよう土魔術で補強しながらの捜索が続いていた。
しかし、捜索は昨日で打ち切られた。
いくら探しても魔王はおろか、グレイ君の姿さえ見つからなかった。遺品のように、グレイ君の使っていた剣がぽつんと落ちていただけだった。
あの光によって、魔王も勇者も欠片も残さず消し飛んでしまった。
そう結論付けられた。
涙が止まらなかった。
体の半分がもがれたような気持ちになった。
世界が色褪せて見えた。
涙が止まらなかった。
なんでだろう。なんでこうなってしまったのだろう。
なぜ世界で一番頑張った人が、死ななくてはならなかったのだろう。
ぐるぐると、ぐるぐると心の中を哀しみが巡っていた。
そして、後悔が押し寄せた。
自分のせいだ。
自分のせいだと思った。ちゃんと彼のことを見ていなかったから。だからグレイ君は死んでしまった。
そう考えていた。
本当はあの時、私も何かが出来ていたんじゃないだろうか。
グレイ君と魔王の戦いをただ見守るだけでなく、何かをしなければいけなかったんじゃないだろうか。
みんなみんな、もう限界だった。魔王の側近による激しい妨害によって、仲間の皆は体力も魔力も切らしてしまっていた。
グレイ君と魔王の戦いをただ見守るしかなかった。
でも、どうだろうか。
彼らの戦いを見て、私はどう考えていただろうか。
こう考えていた。
後は勝つだけ。グレイ君が魔王に勝利するだけ。
私はそれが当然の、自然本来の流れであるとでもいうように、自分の考えに一片の疑いを持つことは無かった。
信頼をし過ぎた。
私の力なんて必要ない、そう考えていた。
彼は一人で勝つだろう、そう思っていたのだ。
死ぬなんて、思っても見なかった。
そうだ、死ぬなんて思っていなかった。
私は彼を無敵の超人、不死の大英雄と、そう考えていた。
見えていなかった。彼もまた、一人の人間であることが見えていなかった。
「……馬鹿だっ!」
人は死ぬ。
しかしそれはグレイ君には当てはまらない。
彼はどんな敵をも打ち倒し、悠々とした足取りで帰ってくる最強の超人だって、そう思っていた。
見えていなかった。
私は彼のことを幻想で包みこみ、幻影を追っていた。
彼は死なない。必ず勝ち、負けることは無い。絶対に死なない勇者。
私は彼のことを、世界で一番理解していなかったのだ。
怠ったのだ。
自分で作りだした幻想に溺れ、自分に出来ることを怠ったのだ。
もし、あと少し私が頑張れたなら、あともう少し体力を温存できていたならば、結果は違うものになっていたかもしれない。
私はグレイ君に救われた。
それは彼が私よりも強かったから。
強さという孤独から救ってくれた。
じゃあ、グレイ君は?
私が感じていた孤独をグレイ君は感じていたのだろうか。彼は笑っていたから、穏やかだったから、苦しんでいないものだと思っていた。苦しみとは無縁の人だと思っていた。
彼は本当に強かったから。
私は彼をもっと見るべきだった。
彼の弱さを探すべきだった。
そして、その弱さを支えるべきだった。
弱さの見つからない最強の勇者。それでも私は頑張って、なんとかして、どうやってでも、彼を支える方法を探すべきだったのだ。
最強の勇者。彼は孤独だった。
その強さ故、誰にも理解されなかったのだ。人であることを理解されなかったのだ。
誰かが、何か、少しでも、彼の助けになれば結果は変わっていたかもしれない。
その誰かに、私はなるべきだったのだ。
ただただ涙が止まらなかった。
* * * * *
帝都が祭りによって大騒ぎとなっていた。
平和を祝う宴、魔王討伐の成功を祝う宴、帝都全体が湧きあがっていた。
帝都は民の笑顔で溢れかえっていた。
至る所で出店が出回り、催し物が行われた。
喜びに沸き上がる帝都の様子を、アリシアは自室の窓から、茫然と眺めていた。
「……姉様、少し、外に出られてはどうですか?」
彼女の妹であるサラが遠慮がちにそう言った。
「……少し、一人にしておいて下さい」
「……分かりました」
そう言って部屋から出ていった。
アリシアは小さな溜息をついた。
「やあやあ! アリシア君! 元気かい!? 元気じゃなさそうだね!? どうだい!? みんなで一緒に祭りに出かけないかい!?」
バンと扉を乱暴に開け、アリシアの部屋に騒がしく入ってくる男がいた。
共に冒険の旅をした仲間、エルフの大魔術師のエジーディオだ。外見は20代後半であるのだが、実年齢は400歳以上だった。旅の仲間の中で一番年長の長髪の男だった。
「……一人にして下さい」
アリシアは振り向きもせず、素っ気なく言った。
「いやいや! ダメさ! こんな風に部屋に引き籠っちゃあ、体にも心にも悪い! うん! これじゃあダメだ! よし! 一緒に皆で祭りに出かけようじゃ……、
ぐばあああああぁぁぁぁっ……!」
腹パンしておいた。
「ぐっ……、いいパンチだ……。このパンチなら……世界を狙えるぞ……ガクッ……」
「世界ならもう獲りました」
アリシアはこの足で世界を歩き回ったのだ。
それまでのしんみりとした空気がエジーディオのせいでわけの分からない空気になってしまった。アリシアは、今度は大きな気怠そうな溜息をついた。
「いいや! アリシア君は世界を獲ってないね! 全然獲ってないね!
何故なら、自分の帝都で何の出店が出回っているかも知りやしない! という訳で! みんなで出店を回って食べ歩きしようじゃないか!」
エジーディオはすぐさま立ち上がり、アリシアを担いで肩に乗せた。
アリシアは勘弁してほしく、彼を風魔法で八つ裂きにしてしまおうかと考えたが、それすらも億劫だった。また溜息をついた。
半ば無理矢理、自室から出された。
自室の扉が開く。
その扉の向こうには旅の仲間が揃っていた。アリシアの弟達も揃っていた。
「あれ……みなさん……?」
仲間の皆はアリシアの顔を見るとホッとした表情を浮かべた。ホッとした後、少し照れ臭そうにする者、そのまま心配そうな顔をする者、フンと鼻を鳴らす者、皆様々だった。
「アリシア君、彼らがいつから部屋の前で君のことを心配していたか知っているかい?」
エジーディオは軽い口調で喋った。
「ほら、君はまだまだ世界を獲れていないようだ」
エジーディオはにかっと笑った。
アリシアはばつが悪くなって、頬を染め、顔を俯かせた。
「親父ぃ! 串焼きを、そうだなぁ! たくさんだ! とにかくたくさんおくれよ!」
「へいらっしゃ……だ、大魔導師様っ!? わ、わかりやしたぁっ!」
アリシア達は人で溢れかえり騒がしい帝都の祭りへ繰り出していた。アリシアの旅の仲間、弟達、彼らの一行は結構な人数になっていたのだが、帝都の人たちは彼らが世界の英雄だと悟ると、驚き喜んで道を譲った。
エジーディオがどんどんどんどん食べ物を購入し、皆に分け与える。すぐに皆の両手が出店の料理で一杯になった。
「ほら! 今日は僕のおごりだ! みんな! どんどん食べなよ! 特にアリシア君! 君は一番食べな! 気が滅入った時はとにかくたくさん食べることさ!」
そう言ってエジーディオはどんどんアリシアに料理を手渡してくる。
「ほら、飲みな飲みな。お酒だよ。飲みな」
お酒を手渡される。アリシアはそれを見て、少し考え込んだ。
アリシアは今丁度15歳だ。帝国の法律では15歳で成人、酒も許されるようになる。
11歳の頃、初めて酒を飲んだ年から4年が経っていたのだ。遠い遠い昔のようだった。
くいっと、一気に酒を呷った。
「……確かに、外に出て良かったかもしれませんね」
部屋の中にいる時よりも、少しだけ、ほんの少しだけ気分が軽くなる。街の賑わい、仲間の顔、家族の姿、全てがアリシアの気を紛らわせていた。
「あ……あのっ! アリシア様っ……!」
後ろから声を掛けられる。聞いたことが無い声。アリシアは振り返った。
帝都の民の一人が、アリシアに声を掛けていた。
「お……お元気、出してくださいねっ……!」
そう声を上げた。その声につられて、様々な場所から声が上がっていく。
「ア、アリシア様っ! 自分も、応援していますっ! 元気出してくださいっ!」
「辛いことがあっても、元気になってくださいねっ! アリシア様っ!」
「魔王討伐、感謝していますっ! く、挫けないで下さいねっ!」
至る所から励ましの声が上がった。
勇者グレイが死に、皇帝アリシアが悲しみに暮れていることを帝都の皆は知っていた。だから帝都を上げて魔王討伐の祭りを企画した。賑やかな雰囲気を作って、少しでも皇帝の気が紛れれば、そういう思いもあったのだ。
その企みが上手くいっていたかどうかは知らないが、ただ、確かにアリシアは今、目を丸くして驚いていた。
自分が励まされていることに驚いた。
アリシアにとって、国の民とは守るべきものであって、守られるものでは無い。その考えは小さい頃に培われたもので、今もまだ心の底に燻っている考えだった。
しかしアリシアは今、自分の国の民に励まされている。
支えられている。自分よりも圧倒的に弱い立場の者に守られている。
アリシアは自分の身が震えていることに気が付く。
涙を流さないよう堪えることで精一杯となった。
ただ、その胸に打つ強い衝撃に、ただ震えていた。
* * * * *
祭りの最終日、皇帝からのスピーチが予定されてあった。
アリシアはそんなこと前日まで知らなかった。誰かが勝手に企画したことなのだろう、しかし確かに5年も帝都を放っておいていたのだ。帰還の報告でもしなければ納まりがつかないだろう、そう思って引き受けた。
弟のウィガードが1ヶ月かかって作ったスピーチの内容をアリシアはぽいと放り捨てた。自分の言葉で語ります、と言うと、ウィガードは怒るかと思っていたが、アリシアの予想に反してウィガードはほっとしていた。
あまり自信のない内容でした、そう言うウィガードの頭を軽く叩いておいた。
アリシアは帝都を一望できる皇帝の城のテラスに立ち、拡声魔法によって自分の声を帝都中に響かせた。帝都中が英雄の言葉を熱心に聞いた。
アリシアは冒険のことを語った。訪れた国のこと、出会った人のこと、美しいことも、醜いものも、悲しいことも、嬉しいことも、旅によって出会ったものをじっくりと時間を掛けて語った。
それは冒険譚であり、退屈しない話であった。広い世界のことを語る皇帝の話を民衆は聞き入った。
ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
アリシアははっとそれに気付く。演説を締めくくる時が来ていた。
「魔王の時代が終わりました」
雨は少しずつ強くなっているようだった。
「そして勇者の時代も終わりました。
たくさんの犠牲の上に、両雄は消え、平和な時代がやってきました。私達はこれから、二人の強者の居ない時代を歩んでいかなくてはいけません。
傍観者である時代が終わりました。勇者に頼る時代も、全てを魔王のせいにする時代も終わり、私達は自分の足で隣の者と支え合いながら新たな時代を切り開くべきなのです。
……私はまだ、人に支えて貰うという事を、よく理解できていませんし……あまり慣れてもいません。皆さん、どうか私に、これからゆっくりと、人と支え合うという事の意味を教えて下さい。お願い致します」
アリシアは民衆に頭を下げた。
「これからの時代は、これまでの犠牲の上に成り立つことを忘れないで下さい。
たくさんの死の上に立っていることを、世界の礎となった人たちのことを忘れてはいけません。
ただ、感謝し、祈ってください」
アリシアはポケットから一輪の花を取り出した。
「感謝し、祈り、前を向いて生きていきましょう」
そうだ、前を向くんだ。
もう涙を流すのは今日で最後にしよう。
彼への思いを胸に、思い出を心に刻んで、前を向くんだ。
彼が作ってくれた新しい時代を生きていく。世界の礎に彼の心を感じながら、前を向いて歩いていく。
もう泣かない。
アリシアはそう決めた。
雨が強くなってきた。
それにも関わらず、帝都の民は外にいたまま祈りを捧げている。これまでの犠牲に、亡くなった勇者に祈りを捧げている。
祈り、感謝をしていた。
アリシアは手に持った一輪の花を空に放る。
魔法で風を操ると、花は何処までも高く、高く、空の彼方へ飛んで行った。
果て無き空に花は飛び上がっていった。
両手を組み、祈る。
アリシアはその花が空の彼方へ消えていくまで、ただ祈っていた。
ただ、祈り、感謝をしていた。
旅は終わり、勇者と魔王の時代が終わりを告げた。
* * * * *
「『あなたの手で、足で、体で冒険をしませんか?』
本作品『ティルズウィルアドヴェンチャー』は、VRMMO「仮想現実大規模多人数オンライン」の形式を採用しています。
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たくさんの街、多くのダンジョン、数知れぬモンスターがあなたを待っています。
あなただけの冒険を、あなただけのプレイスタイルで切り開いてみませんか?
世界があなたを待っています。 株式会社 アナザー・ワン」
むせ返る草木の匂いが周囲を満たしている。
月の光とは違う乱暴で力強い太陽の光が、木々の隙間から差し込んでいる。
苔は生し、木の根が入り組むように地を這う。生命の息吹が躍動していた。
しかし、この光景は現実のものでは無い。
コンピューターによって作りだされた仮想の森に過ぎなかった。
バーチャルリアリティ。それはコンピューターによって作成された情報や空間を、人の五感を持って、あたかも現実のように体験できる技術である。略してVR技術と呼ばれるものである。
近年、VR技術は急速に発展した。ゴーグルを用いた視覚のみのVR体験が主流だった時代から脱却し、脳波を感知してコンピューターの情報を直接脳に届けるVR体験が出来る技術が普及した。
あたかもコンピューターの中に意識を潜り込ませることが出来るような感覚だった。
さて、この森は『ティルズウィルアドヴェンチャー』というVR技術を用いたネットゲームの舞台の一部である森である。
この森を構成する一つ一つがただのコンピューター内の情報であり、虚構そのものである。
レベルを上げてステータスを鍛え、剣や魔法で魔物を打ち倒していく、所謂オーソドックスなRPGのゲームである。
その森で一人の少年が眠っていた。
灰色の髪を後ろで束ねた少年である。
男前というよりも女顔の彼はあどけない寝顔をさらし、森の中で横たわっていた。17歳ほどの人の良さそうな少年であった。
「ん……、んん…………」
少年は目を覚ました。
上体を上げ、ぼーっとする頭で周囲をキョロキョロと見渡す。周囲は一面の森である。
「んー…………、あれ……?」
寝ぼけた頭でも、今自分が置かれた異常な状態に気が付く。
灰色の目を丸くし、前後左右を忙しなく見渡した。
「ここ……どこ……?」
少年は呟いた。その返答は何処からも返ってこず、デジタルデータで再現された風の音のみが周囲に響いていた。
『グレイ;Lv.1 HP 19/19』
異世界の勇者がゲームの世界に転移してきた。
地球のゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』に、異世界の英雄が紛れ込んでしまったのだ。
彼の冒険は、ゲームの世界の中でまだ続いていた。
最弱の、Lv.1となって。
次話『1章 4話 勇者、ニワトリにコケコッコーッ!』は明日 12/1 19時から投稿予定です。
明日は1時間おきに3話分投稿します。