27話 強襲(2)
「いやっ……! 誰かっ……! 誰か助けてっ……!」
村が突如現れた謎のモンスターたちに襲われていた。
ステータスウインドウに表示される名前は『狂魔』。誰も見たことも聞いたこともない黒い鉄の人間だった。
村は悲鳴で溢れていた。
ここはただのゲームのはず。なのにプレイヤーが血を吹き出し、死んでいく。
本物の『死』がそこにあった。ゲームをログアウトすることも出来ず、皆逃げ惑って苦しんでいた。
「逃げろっ! 逃げろぉぉぉっ……!」
「助けて……! 誰かっ! 助けてぇっ……!」
そんな中、1人の女性に死が襲い掛かろうとしていた。
地に転び、身動きが取れなくなったところに狂魔が襲い掛かってきた。魔の黒い剣が光る。
誰もが目を背けた。自分には余裕がないから、助けに行けば自分も危ないかもしれないから。そう考えが頭をよぎると体は動かなくなり、その女性の悲鳴に対し耳を閉じ、目を瞑った。
だが、瞑らなかった者もいた。
その禍々しい黒い剣の前に身を躍らせる者がいた。
「超すごいぱーーーーんちっ!」
「あれ……? え……?」
灰色の髪の男が狂魔を殴り飛ばしていた。
死を呼び込む黒い剣を気軽に楽々といなし、狂気の敵を殴り飛ばしている。まるで、人を死から守ることが日常であるかのように、脅威である敵の前に身を踊りだしていた。
死は彼にとって日常だった。
彼は呆けている女性を抱え飛び退き、そして檄を飛ばした。
「逃げては駄目だっ!」
信じられないほど大きな声がその場を支配する。
先程まで呑気な空気を発していた男の大声に当てられて、逃げ惑う者の全員が足を止めた。
「逃げてはいけない! いいかい!? 背を向けてはいけない! 敵にとって、背を向けて逃げる集団を追いかけ殺すことは造作もないことなんだ!」
誰もが困惑した。
その灰色の髪の男は無名のプレイヤーだった。それなのに、その声は凛とし、一切の恐怖も動揺もなかった。
無名の妙なプレイヤー。だけど、今この場で一番冷静なのは間違いなく彼であった。
「数の利はこちらにあるっ! 敵にとって最も不利なことは、僕たちに連携をとられ、集団戦に持ち込まれることなんだ!」
グラドという灰色の髪の男が周囲のプレイヤーたちに指示を飛ばしていると、そんな隙を待ってやるもんかと5体の鉄の人形が彼に襲い掛かった。
グラドは次々と襲い掛かる5体の敵の剣をすべて紙一重で躱していく。
それだけでも見てるものにとっては冷や汗が出てくるのに、グラドは涼しそうな顔をしながら後ろに指示を飛ばしていた。
「いいかい!? 死にたくなければ戦うことだ! 逃げれば死ぬ! たくさん死ぬ! それだけは確実なんだ!」
言っていることは分かる。しかし、恐いものは恐い。足が前に向かわない。
死ねば死ぬのだ。
彼らにとってそれは全く非常識で理不尽なことだった。
彼らが迷っている間にもグラドは鉄の戦士の猛攻を凌いでいる。5体の敵の乱舞を躱し続けていた。敵の攻撃の合間を縫うようにギリギリの隙を突いて、舞う様に躱し続けていた。
彼の動きには一切の淀みがなかった。
もう既に何人かがグラドを『鑑定』し、彼のレベルが低いことに気が付いている。2発ほど敵の攻撃を喰らったら死ぬのだろう。
しかし一切の緊張も淀みもない。まるでここが彼の日常であるかのように彼は踊っていた。
ついに6体目の敵が攻撃に加わった。6体目の剣がグラドに襲い掛かる。
「ウォーデ・アルス・バルイン!」
《Magic Skill『ウォーターボール』》
何処からか魔法が飛び、6体目の鉄の戦士の腕に水の球が当たった。
鉄の戦士に全くといっていいほどダメージは無かったが、奇妙なことに水の球は形を維持したままに敵の腕にまとわりついていた。
「続いていくよ! グラディン・カロカ!」
《Magic Skill『グラビティアド』》
突然横から現れた黒髪の少女が呪文を唱えると、急にさっきの鉄の戦士が前のめりになって倒れる。
腕にまとわりついていた魔術の水の球が、追加で放たれた重力魔法によって急激に重くなり、敵の行動を制限した。
「クロさんっ!」
「大丈夫かぁっ……!? グラド! 大丈夫だなぁっ! お前だったら大丈夫だぁっ! 心配する意味全くないなぁっ!」
「これクロさんがやったの!?」
「おうともよっ! うちだっていろいろ考えてるのさっ……!」
クロはにかっと笑い、ピースをした。
クロは前の戦い『アームズ・トロール』との戦いで全く役に立てなかった。レベルは低く、ダメージは与えられない。でも、グラドのように人並み外れた動きが出来るわけでもなかった。
だから彼女は考えた。レベルが低くても共に戦う仲間をサポートできる術を考えた。
それが水球と重力魔法を合わせた重り魔法だった。
『狂魔』は前のめりになって、未だ動けなかった。
「お前ら! それでもこの村まで辿り着いた前線の戦士かっ……!」
クロが挑発のような檄を飛ばす。いきなりの罵倒に周りの者は顔をしかめた。
「高レベルプレイヤーとしての実力と矜持をうちらに見せてみろっ!」
その言葉を受けた皆の顔が赤くなった。
彼らにはプライドがあった。ゲームが上手であるというプライドがあった。
ここの村にいる者の多くは、密やかにゲームを自分の特技として扱う者たちなのだ。
ゲームにムキになって下らない。そう言われてきた者たちもいるだろう。
でも、彼らは本当に本気でゲームをやっていたのだ。ゲームに密やかなプライドを抱いている者達なのだ。
次々と雄たけびが上がった。
「ああああぁぁ、うわあああああああ…………!」
それは戦士のように雄々しくなく、頼りないものだったが、必死さが痛いほど伝わる叫びだった。
皆の心に少しずつ熱が帯び始めていた。
「やるなぁ、クロさん……」
グラドはほとほと感心した。
クロの方に意識が向いており、隙だらけのように見えるグラドを敵の鋭い攻撃が襲う。
だが、彼はひょいと躱した。後ろからの攻撃をひょいと躱す。飛んでくる木の葉を避ける様に、気軽に、飄々と、楽々と、ひょいと躱していた。
彼だけ緊張感が足りていなかった。
それでも今、この場の指揮を執るのはグラドだった。
「盾を持つ者は前へ出て、一列になって壁を作ってください! 槍を持つ者は盾の者の後ろにつき、敵が攻撃した直後に槍を盾の隙間から突き出してください!」
「おっ……おおうッ!」
「お、おうッ!」
「おおうッ!」
強い返事が返ってくる。そのほとんどは空元気だが、空元気でも張れるだけ上等だった。たくさんの人で集めた空元気は中々に悪くないものだった。
黒い鉄の人形の狂魔の剣は盾に阻まれるようになり、敵の攻撃の隙を槍が襲い掛かる。
初めて狂魔の攻撃が組織だって防がれた。
「剣士の方は3人で1組を作り、左右から回り込もうとする敵を阻んでください!
数の利はあります! 必ず3人で1人の敵を相手にしてください!」
「おうっ……!」
「おおうッ!」
「おうッ!」
テキパキと3人の組が作られていく。実戦慣れをしているリーダーの存在が皆の迷いを消していた。慣れも慣れている。
この即席リーダーにとって、実戦とはただの日常であった。
3人で敵を囲い、前後左右から攻撃を仕掛けていく。
敵は翻弄され始めた。
「敵は『エストガント流』を使います! 『エストガント流』は連撃を主体として編み出された剣術です! 誰かが連撃の対象となったら複数で敵の剣をはじき、連撃を妨害してください!」
「おうっ!」
「了解っ……!」
「了解っ! リーダーッ!」
自分の剣術は自分がよく分かっている。敵が『エストガント流』を使うのはグラドにとってみればなんのデメリットもなかった。
その一方でグラドは少し、頬を赤くした。自分の剣の技を自分で『エストガント流』など言うのは恥ずかしかった。
「魔法使いの方は後ろに下がり、魔術を……って言わなくてももうやってるか……」
状況が好転し始めると皆に冷静さが戻ってくる。
魔法使いのジョブを持つ者たちは自分の役割を自覚していた。後方から大量の魔法が飛ぶ。敵を焼き、貫き、切り裂いていく。空中を飛んでやってくる敵は魔法と弓矢によって撃退されていた。
「回復魔法を持つ者は回復を最優先してください! 傷ついた人は素早く下がって治療を受けてくださいっ!」
「はいっ……!」
さっきまでの絶望が嘘であったかのように、状況は好転していく。
戦い方を知るだけで村に響く悲鳴は勇敢な咆哮へと変わった。
村にあった戦力に変化はないはずだった。増援が来たわけでもないし、誰かが急に強くなったわけでもない。
それでも1人の男の指示と経験が、戦況を180度ひっくり返していた。
その1人の男は敵のど真ん中でくるくるくるくる回っていた。
四方八方上下左右、敵の剣が襲い掛かってくる中で皆に指示を出しながら悠々と回っていた。
敵の攪乱。敵の陣地に身を滑り込ませての囮。最も危険な仕事である。
……と言えば聞こえはいいのだが、グラドにとって特にやることが無かったので囮役をやっているだけである。どうせ彼の攻撃はレベルの差によって大したダメージを与えられないだろう。
暇だったから。主な理由がそれで、敵の中心に立って降り注ぐ剣の雨をひょいひょい躱していた。
クロは先程と同じことを繰り返していた。
敵に水の球をまとわせ、重くして敵の動きを封じる。
動きが鈍った敵はすぐにプレイヤーの攻撃の餌食になった。
ちなみに、クロのLvは低いので、MPがすぐ尽きる。
なので後衛の若干余裕のある魔法使いにお金を借り、商店でMP回復薬をしこたま買っていた。
クロはこんな時でもやっている商店のNPCの図太さに呆れ、横目で見ていた多くのプレイヤーはそんなちゃっかりしているクロの図太さに呆れていた。
しかしNPCの店がやっている、というのは大きな発見であった。回復手段が整っていたのだ。回復薬切れも、MP切れも心配いらないことが判明した。
敵は次々とやってくる。
『空に昇る塔』から大量にやってくる。
いつまでも続く戦いに、皆歯を食いしばりながら耐えた。
その中でグラドの立てた作戦はぴったしと嵌っていた。
村にいたプレイヤーの数が多いことが活かされていた。盾役の数を増やし、人員の交代、休憩、治療などがスムーズにできる様になっていた。
戦いは長引く。が、増えていくのは敵の死体ばかりである。
挙句の果てには敵の死体を盾役の前に放り投げ、相手を動きにくくするという作戦もとった。割と容赦がなかった。
敵側の被害が拡大していく。
こちらにも被害は出るが、その度に後方に下がらせ治療を受けさせる。
戦いは長く苦しく、しかしそれでも盤石に機能していった。
100か200ほどの敵を葬った。それでも皆は歯を食いしばって戦った。集中力を途絶えさせること無く、緊張感を保ちつつ、戦い続けた。
戦って、戦って、戦った。
やがて、敵の増援が途絶えた。
「…………」
皆が肩で息をしている。
次の敵はどこだ。次に俺たちに襲い掛かってくる敵はどこだ。目を血走らせながら敵を探せども、あるのは敵の死体だけだった。
たくさんの死体が積み重なっている。
鉄の敵の死体が光となって消えることは無かった。つまり、以前のゲームのルールから反していた。おかしな存在だと、一目で分かった。
とにかく、敵の姿は途切れていた。
「あ…………」
「勝った……」
「終わった…………」
誰かがそう呟いた。
その瞬間、皆の胸に熱い血潮が流れ込んできた。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ……!」
「勝ったっ! 勝ったああああああぁぁぁぁっ!」
「生きてるっ! 私たち生きてるぅっ…………!」
皆が皆、特大の歓声を上げた。
勝利の咆哮、生への喜び、恐怖からの解放。
最後の力を振り絞るように叫び声をあげ、たくさんの人がその場にへたり込んだ。
体力と気力の限界。
HPと体力は違う概念である。回復薬でHPは増えても、疲労は回復しない。戦いに全身全霊を使い切り、体力も精神力も切れ腰が立たなくなった。
「やったあああぁぁっ……! やったぞおおおおぉぉぉっ……!」
「勝ったんだああぁぁぁっ……! 生きてるんだああああぁぁっ……!」
全力で狂喜していた。
生への実感。皆がこれほどまでに自分の命への実感を覚えているのは、勿論これが生まれて初めてだった。
皆が涙を流し、全身で狂喜していた。
「……っ! みんな……! ダメだっ! 早くその場から離れるんだっ!」
いち早く異変に気が付いたのはグラドだった。
「……え?」
へたり込むプレイヤーの前に、何体かの『狂魔』が起き上がっていた。ぬるりと立ち上がり剣を構える傷だらけの鉄の戦士達。
気が抜け、力が抜け、地に腰をつくプレイヤー達のすぐそばに悪夢のような不気味な姿が立っていた。
死んだふり。
単純で明快な作戦であった。
だが、実戦経験の少ない者たちにとっては最悪で効果的な作戦だった。
「くそっ……!」
グラドは駆ける。しかし、間に合わない。
グラドが敵に縋りつく前に、『狂魔』の剣が振り下ろされるだろう。
「うわっ……、うわっ……。い、いやだ……」
さっきまでの喜びとは反転、剣を向けられたプレイヤーの顔が一瞬で青ざめる。
しかし、それでも立ち上がることは出来ない。体力もなければ、気を張ることも出来ない。腰は完全に抜けている。
『狂魔』の剣が襲い掛かった。
「うわああああぁぁぁぁっ……!」
グラドは間に合わなかった。
クロも間に合わなかった。
何人か、共に戦った仲間がそのプレイヤーを助けようと駆けるが、誰も間に合わなかった。
剣が振り下ろされる。
……が、1人だけ間に合った女性がいた。
この戦いに参加していなかった女性だった。
黒い影が素早く飛び込んできた。
『狂魔』の首が飛んだ。
鉄の斬れる鈍い音が響いて、『狂魔』の首が高く飛んだ。
皆が呆気にとられる。その女性は鬼のような形相をしていた。鬼気迫るような殺気をまき散らしながら周囲の『狂魔』に襲い掛かった。
キョウだった。
『英雄亡霊グレイ』からのメールに茫然自失としていた彼女だったが、村の人たちを守るために戻ってきたのだ。
味方としてやってきたのだ。
「うがあ゛あ゛あ゛ああああぁぁぁぁぁぁっ……!」
激しい雄たけびを上げ、未だ立つ狂魔に襲い掛かる。
狂魔は鋭く剣を振るう。だが、彼女にとっては児戯に等しかった。
鋭く躱し、狂魔の心臓にナイフを突き刺し、股の下まで一気に裂いた。
獲物を求めるような眼で次の狂魔に飛びかかる。
首を裂き、心臓を抉る。的確に急所だけを狙っていく。効率よく、一心不乱に、ただ殺害を繰り返していった。
「があ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!」
最後の狂魔に飛びかかった。
地に押し倒し、上に乗る。そして何度も何度もナイフを突き立てた。
何度も何度もナイフを突き立てた。
最後の狂魔の体がビクンビクンと跳ねる。それでも一切の躊躇は無い。その狂魔が完全に動かなくなるまで、何度も何度も、何度も何度もナイフを突き立てた。
やがて、敵の息が絶えた。
これで本当に戦いは終わった。
「はぁっ……、はぁっ……」
辺りは奇妙な静けさで満ちていた。
勝利の歓喜も、生き残れた喜びもない。ただ沈黙がその場を支配していた。聞こえてくるのはキョウの荒い息遣いだけだ。他の者は息もつけなかった。
キョウがおもむろに立ち上がった。そして村の皆の方へ振り返った。
そして、キョウは見た。
自分が助けた者たちの目を。自分が助けた者たちが恐怖の目で自分を見るのを、ただじっと眺めていた。
その場に重くのしかかるのは恐怖だった。
たった数十秒のキョウの戦う姿にみな戦慄した。恐くて震えていた。自分とはかけ離れた戦いの実力に恐怖していた。
味方か敵かなんて関係なかった。
ただ、自分の理解が追い付かない強さの人がいる。それだけで、皆は本能的に恐怖を感じていた。
キョウはそれを見て悲しそうに俯いた。
そして、今まさに自分が救った男の方を見た。
「ひぃっ……!」
短く悲鳴を上げた。
男も頭ではわかっているのに、思わず身を引いてしまった。
「…………」
それを見て、キョウは目尻から涙を零した。露のように小さな涙が頬に伝わった。
彼女の胸の内には失意の毒が広がっていた。
それは彼女の心の根っこを傷つけた。彼女の心の深く深く奥を痛めつけた。
でも、誰も気付ける訳がない。皆の目の奥に宿るものが、彼女が心に抱える病であることに。
「やっぱり……そうなんだね……」
小さな呟きを零して、キョウは走り去っていった。
皆に背を向けて走り去り、村を出て行った。
「キョウさんっ……!」
グラドは呼びかける。でも、彼女は反応すらしなかった。
人との縁を断ち切るように、遠く遠く、失意の中走り去っていった。
次話『28話 柊京子(1)』は明日 12/22 19時に投稿予定です。




