22話 引きこもりの王!
休日の部活を終えて、私――櫛橋 万葉は学校から帰宅する。
自分の部屋に入り、手入れのされていないベットに横たわる。日は今まさに消え入ろうとしていて、空に赤い残り火が淡く光っていた。
夕飯まではまだ時間があるはずだ。少し仮眠をしようか、それともゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』をやろうか。
私がゲームの中で『ベルデナット』を名乗っているゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』。明日そのゲームのβテストが終了する。
その時に大規模パーティーを組んで、まだ誰にも攻略されていない最後のダンジョン『天に昇る塔』に挑むのだ。
私の準備は万端だ。だから今日は特にログインしてやることもないだろう。
明日は日曜だしたくさんの人がログインするだろう。どのくらいの人がパーティーに参加するのか。
運営の嫌がらせとしか思えないあの高難易度ダンジョンをクリアできるのか。
あの高難易度のダンジョンをクリアできるだけの『力』が私にはあるのか。
私は知りたい。私には『力』があるのか、ないのか。
そうだ、私たちは『力』というものに固執している。『強さ』に対して思い悩んでいる。
私たち、というのは私の幼馴染達の事だ。皆、勉学や部活、学外の活動で良い成績を残している。雄樹――ゲーム内で『ガスロン』と名乗る彼もまた優秀な結果を残している。
……奴だけは落ちぶれてしまえばいいと思うのに。
力というものをもっと知りたい。
力はどこからきて、どうやって育んで、そしてどうして消えてしまうのか。それは雄樹だけではなく、私の親しい友達はみんな自問自答しているだろう。
力はどこからきて、どうやって育んで、そしてどうして消えてしまうのか。
京子の力はどこに失われてしまったのか。
京子――ゲーム内で『キョウ』と名乗る彼女はある日、ある事件に巻き込まれてしまった経験がある。
全て、全て、あの事件が原因だった。
柊 京子の過去は今からは想像もできないほどの活発な少女だった。
何をやらせても一番で、リーダーシップ溢れる少女だった。
学校の成績も一番、運動も一番、体育の球技では必ず彼女のチームが勝った。
優しいのは今も変わらない。ただ今はどこか臆病な優しさになった。
小さいころからたくさんの友達を連れ、日が暮れるまで遊んでは色々な武勇伝を残してきた。
今の私の幼馴染は全部京子の回りに集まった子ばかりだ。
そして彼女は強かった。剣道がとことん強かったのだ。
由緒正しい家に生まれた彼女。家は古くから剣道、剣術の道場を開いていて、京子は私達と友達になる前から剣道を始めていた。
しかし、始めた時期を差し引いても彼女は強かった。
京子はすぐに高校生や大人の人たちに交じって練習をするようになった。
私達の年齢で、京子だけが練習することを許された真剣の型の練習も美しいものだった。
天賦の才というやつだろうか。
よく言われるやつだ、「生まれた国と時代が違えば英雄と呼ばれる存在だっただろう」。
京子はまさにそれだった。
私達は同年代にもかかわらず、彼女のことを「お姉ちゃん」と呼んでいた。
何もかも変わってしまったのはあの事件のせいだ。私たちが11歳の時だ。
私達はその日「お姉ちゃん」の家の剣道場で遊んでいた。
仲良しの皆が集まったいつものお遊び。
竹刀を使っていいのはお姉ちゃんのお父さんがいるときだけなので、私達は新聞紙を丸めてチャンバラごっこをする。
そこでもお姉ちゃんは最強だった。誰ひとりだって一太刀も入れられない。
舞うように避け、炎のように攻めた。
みんなみんなお姉ちゃんに憧れた。
突然、家の方から大きな音がした。
皿が落ちて割れただけではないような不吉な大きな音。日常では起きないような気持ちの悪い音が響き渡った。
皆の体が緊張した。みんなの勘が同じ結論を出した。
家で何か変なことが起こっている。
まだ11歳の私達は怯えながら竹刀を持って家の方に駆け付けた。お姉ちゃんは何かを取りに行くため道場の奥に走っていった。
お姉ちゃんより先に私達は家の中に駆け込んだ。
私達が家の台所に行くと、恐ろしい光景を目のあたりにした。
ナイフを持った知らない大人の大きい人が3人いて、顔を隠している。そのうちの一人がおばさんと取っ組み合っている。
強盗だ。
危ない人たちだ。
この家にはお金になりそうなものがたくさん揃っている。悪い人たちに狙われてしまったのだろう。
逃げて! 警察を呼んで!
おばさんは叫ぶ。
でも逃げたらおばさんの身が危ない。そのくらいすぐわかった。おばさんは今まさに強盗と組み合っている。時間なんてない。
でも目の前の大きな悪い人たちに向かっていく勇気はない。
前にも行けず、後ろにも下がれず。足が竦んだ。みんなそうだった。
持っていた竹刀は何の役にもたたなかった。
悪い人が私達に歩み寄る。
私達は何もできず、怯えた顔でただガタガタと震えていた。
悪い人のナイフが一番前にいた雄樹に襲い掛かる。雄樹はビクッと体を縮めた。そのためナイフは雄樹の肩に刺さった。雄樹の悲痛な悲鳴が部屋中に響き渡る。
私達もおばさんもつられて悲鳴を上げた。
悪い人のあの下卑た笑い声は今でも耳にこびり付いている。
そのとき、黒い影が部屋の中に飛び込んできた。
お姉ちゃんだ。手に信じられないものを持っている。
お姉ちゃんにしか扱いを許されていなく、保管してある場所も知らない真剣だ。
真剣の刃がきらりと光る。
お姉ちゃんは悪い大人の人に素早く迫っていく。
おばさんが特に大きい悲鳴を上げた。
悪い人はお姉ちゃんに向かってナイフを突きだした。
それをお姉ちゃんは真剣を用いて捌いた。
その後のことは語りたくない。
鮮明に記憶に焼きついているが語りたくない。
ただ、最後には1つの傷もない京子が立っていて、3人の男の人が倒れていた。真っ赤な絵の具をたくさんたくさんまき散らして、倒れていた。
部屋は真っ赤に染まっていた。
京子は悪い男たちの絵の具を浴び、もっと真っ赤に染まっていた。
それ以来京子は塞ぎこむようになった。
目立たなくなり、大人しくなり、臆病になった。
人目を気にしすぎるようになり、人の陰に隠れるようになった。
弱くなった。
京子から覇気が抜け落ちた。京子は壊れてしまった。
京子を中心とした輪は歪な形となった。リーダーがいなくなったのだ、仕方ないだろう。
でも仲が悪くなったわけじゃない、むしろ皆の仲はいい。
ただ、京子がいるとぎこちなくなってしまう。
あの輪は元には戻れない。
でも、それでも、
私達は意志を確認し合った。
京子を守り抜こうって、
京子を支え続けようって、
あの日壊れてしまった京子を守ろう、
もう京子は無理する必要はない、
もう京子は戦う必要がない、
あの日守ってもらった代わりに私達が京子を守るのだ。
そう決意を再確認して、万葉は浅い眠りにつく。
ただ万葉は気付かない。
自分の奥の奥にある、隠れた感情に。
* * * * *
「じゃあ、今日もお疲れさまー! かんぱーい!」
酒場でこつんとガラスのジョッキがぶつかり合う。麦茶がなみなみと入ったジョッキでの、少し締まらない乾杯となった。酒場での乾杯ぐらい酒で交わしたいものだと、この世界では未成年のグラドはそう考えた。
喧噪の激しい土曜日の夕方、それまでに働いて得たお金放り投げる様に、周囲の皆が豪快にお酒を飲んでいた。
「今日はうち、レベルが7も上がっちまったよ! いやー、凄いっ! うちっ!」
「そりゃ、元々のレベルが低かったからなぁ……」
この酒場で、グラドと亀吉とクロの三人は共に麦茶の杯を交わしていた。今日は3人でレベル上げをしていたのだった。
いや、亀吉は『レベルキャップ』に達している。βテスト内でのレベルの上限値に到達しているのだ。
グラドはそれを聞いて疑問に思う。
少し失礼だとは思うが、亀吉さんはまだまだ未熟で伸びしろがありそうな気がするんだけど、そう考えた。
とにかく、グラドとクロの二人は今日、亀吉に大変世話になったわけである。
グラドがLv.16に、クロさんがLv.14に上がった。
亀吉様々である。
「今日は悪いね、付き合ってもらっちゃって」
「いや、俺も『村雲ノ御剣』の様子見たかったし」
『村雲ノ御剣』、それはグラドが昨日、謎の洞窟で手に入れた伝説の武器だ。
亀吉はそれをバグの一種だとみている。ゲーム会社のアルバイトとして働いている亀吉はその武器の様子を見に、グラドの元にやってきたというわけだ。
何度か刀を回収できないか試したものだが、結局は無理だった。
毎回のごとく刀に拒絶され電撃を浴びる亀吉を見て、失礼だとは思いつつも、グラドは少し笑っていた。
クロは大爆笑していた。失礼な奴であった。
「……で? 亀吉は明日の『天に昇る塔』大規模攻略に参加すんの?」
クロが問いかける。
『天に昇る塔』大規模攻略。明日、11月1日の日曜日、高難易度ダンジョンの攻略が行われる。この世界での強者達が一堂に会し、世界の難所に挑んでいく。
明日、11月1日の日曜日、このゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』のオープンβテスト期間が終了する。
βテストと言うのは開発中のネットサービスなどを正式公開する前に、ユーザーにゲームを体験してもらうサービスのことだ。
この体験版によって顧客の反応を調査、その意見を反映させるための下地を作り上げる。ゲーム中の不具合を調査するためにも使われる。
このゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』では、その体験版を広く公開するオープンβテストという形を採用していた。
期間は1ヶ月ほど。その最終日が明日なのであった。
その最終日に、まだ誰も攻略できていない最終ダンジョン『天に昇る塔』の攻略の為、たくさんのプレイヤーが集まる大規模な作戦が実施される。
βテスト内の最後の挑戦だった。
「馬鹿言っちゃいけねぇ。まだまだアルバイトだけど、これでも俺は運営の1人だ。そういうのには参加しちゃいけねぇ」
亀吉はぐびりと麦茶を飲む。
「明日は1日外で友達と遊ぶさ」
「わお、何それ、健康で文化的な発言。亀吉ってゲームオタの引きこもりじゃないの?」
「あのな、それはめっちゃ偏見だからな? バイトしてる時点で引きこもりじゃないだろ。俺は友達の数だけはかなり多いんだからな? ヒッキーじゃねえからな?」
亀吉は大げさに眉間に皺を寄せ、テーブルに膝を付き手に顎を載せた。
「お前らこそ大丈夫だろうな?VRゲームは依存性強いからな。ゲームは1日1時間までだぞ? お前は特に心配だよ、クロ」
「そんなこと、亀吉なんかに心配される筋合いありませんよーだ!」
VRゲームの依存性は強い。
五感に擬似的な刺激をもたらすVR技術はたくさんの人を深く深く魅了してしまう。
それはだいぶ前から社会問題となっており、VR技術に関するソフトに強く依存する者は『仮想中毒者』と呼ばれている。
亀吉はゲーム会社のバイトとして、それを忠告する立場にある人間だった。
「夜遅くまでゲームしないで、外で友達と遊んで、学校にはちゃんと行けよ?」
「おかんか!」
クロはべっと舌を出した。
からかい合うような口調。亀吉はよしよしと言いながら、クロの頭を掻きまわし、そのぼさぼさの髪をさらに荒立てた。
わー、ぎゃー、言いながら抵抗するクロ。
おかんと手のかかる娘だった。
そんな時、思わぬ方向から問題の発言が飛び出した。
「へー? 2人は学校に通ってるんだぁ?」
「ん?」
「え?」
2人の顔がぐるりとグラドのほうを向く。
真面目そうで、虫も殺せないような顔をした少年が「学校に通ってるんだぁ?」と、さも学校に通わないのが当然のような言葉を発した。
「グラド……? お前、学校は……?」
「いやぁ、別に?」
亀吉とクロはごくりと息を呑む。
現代日本において、『学校に通っていない』と『引きこもり』は密接な関係で繋がっている。
もちろん、特殊な事情があるのかもしれないが、もしそうならば、こんなに楽しく元気よくゲームに興じられるものなのだろうか?
働いている、という線もあり得ない。
なぜなら昨日も一昨日も長くログインしていたためである。
「そ、そういえば……、グラドがここにいないとこを見たことが無いよ……」
「な、なんだって……?」
戦慄が走る。
真面目でしっかりしてそうなグラドが、まさか、不健康で不健全な生活を送っているというのか……。
「グ、グラド……。お前、もしかして……重度のゲーム依存症なのか……?」
「ゲーム……? 依存……? 何の事だか分からないや?」
「グ、グラドは……い、いつも何して過ごしてるんだ……?」
「いつも……? いつもかぁ……」
グラドは自嘲気に薄く笑った。
「僕はただ、毎日毎日剣を振って過ごしているのさ。それしか出来ない人間なのさ」
「依存してるっ!」
「めっちゃゲームに依存してるっ!」
亀吉とクロは恐れ慄く!
剣を振って生きていくなど、現代日本で出来るはずが無い! ただの銃刀法違反である!
ゲームにどっぷりと嵌った堕落者の発言であった!
ダークホース。しっかり者に見えたグラドがまさかのダークホースであった!
「あ、あのな、グラド……? せめて遅い時間になったらここを離れて、家族と飯食って、夜はしっかり寝ないとダメだぞ……?」
「何を言ってるんだい、亀吉さん。僕はちゃんと夜は寝てるよ。この村の宿でしっかりとね」
「村の宿で寝てるのかっ!?」
「この村で夜を過ごしてるのっ!?」
このゲームにおいて村の宿とはただの回復施設である!
宿に『金を払う』、という行為を完了した時点で『HP』や『MP』が全回複する。宿の個室を利用する者などあまりいないのが現状。『金を払った』時点で、宿としての機能は十全に果たされているのだ!
故に、この宿の部屋で一晩を過ごす者などいる筈が無く、いるとしたらそれはただの倒錯者に他ならないのである!
倒錯者に他ならないのであるっ!
「グ、グラド……! お前……! なんて生活をっ……! もっとましな所で寝ないと……」
「いやぁ、亀吉さん。これでも大分ましな生活になったんだよ。金が無い時はよく野宿してたからね」
「野宿っ……!? ゲーム内で野宿っ!?」
「何を馬鹿なことをしてるのっ!?」
最早、狂人である。狂人がそこにいた!
「あれは辛かったなぁ……。夜風が心にまで染み込んでくるの……」
「何なのっ……!? 何がお前をそこまで駆り立ててるのっ……!?」
「プロかっ!? プロの愚か者なのっ!?」
必死であった! 亀吉とクロは必死であった!
当然である! 今、目の前で一人の友が、自らの意志でその人生を崩壊させようとしているのである! 2人は必死でグラドを批難した!
しかし、何を勘違いしたのか、グラドはこう答えた。
「いや、でもね? 野宿は野宿だけど、簡易的な寝床は作ろうとしてたんだよ?
山に落ちてる木の枝と落葉を使えば、わりと温かい寝床を作ることが出来るんだ。結構どこでも野宿が出来る便利な技術なんだよ?」
「知らねえよっ!?」
「こう見えて、僕、結構逞しいでしょ?」
「逞しくねえよっ! 愚かだよっ!」
「何でそこまでしてゲームから出ようとしないのさっ!?」
「えぇ……?」
理解できないグラドの行動に、二人は罵詈雑言を叩きつけた!
人は理解できないものを恐れる傾向にある。今まさに、彼らは自分の理解が追いつかない存在と相対してしまったのである!
亀吉とクロは出会った!
『引きこもりの王』と言う、自分達ではどうしようもない魔物に出会ってしまったのだ!彼らには手に余る『ヒッキーの王』という怪物を目の前にして、卑しくも混乱をせざるを得なかったのである!
「もういいっ! もう止めるんだっ……! グラドッ! 今すぐログアウトをするんだっ……!」
「ろぐ……あうと…………?」
グラドはきょとんとして首を傾げた。
「その単語すら……忘れかけているのか……?」
「やべぇ……。やべぇよ…………」
2人はガチガチと震えた!
グラドはもう記憶が壊れるほどゲームの世界に浸っている! 脳細胞が死にかけているとしか思えない!
狂気ッ! 圧倒的な狂気を見て、震えていたッ!
「悪いことは言わねえっ! グラド! 明日はちゃんと外に出るんだ! グラド! いいから外に出るんだ! 外に出て、太陽の陽を浴びるんだっ! グラドッ!」
「あっはっは、何を言ってるんだい、亀吉さん。今日だって、みんなで森の中で狩りをしたじゃないか」
「こいつ……もう現実と仮想の区別が……」
「もう駄目だ……。いかれちまってんだ……」
『仮想中毒者』ッ!
VR技術に関するソフトに強く依存する者は総じてそう呼ばれていたっ! 症状が重いと、最早本当に現実と仮想の区別が付かなくなってしまう恐ろしい依存症であるっ!
そして、今2人のまさに目の前に、生粋の『仮想中毒者』が存在していたッ!
絶望していたっ! 2人はこの数日付き合ってきた気のいい優しい友人が、こんなに深い闇を抱えているという真実に絶望していたのであった!
2人はこの怪物を前に為す術無く、ただ咽び泣いた。
もう誰にも止められない。暴走したこの怪物は果てしなく自我を膨張させていきながら、永遠に電子の海を漂い続けるのだろう……。
2人は目の前の怪物に恐怖し、それを救うことの出来ない無力さを悔やみ、震えた……。
亀吉とクロは祈った。
誰か、このVR技術が生んだ現代の化け物を打ち倒し、救い、現実に帰還させてくれる勇者の存在を。
自分たちには荷が重すぎて救えなかった、現代社会が生んだ1人の憐れな犠牲者を救う英雄が現れることを祈った。
こうしてグラドは『引き籠もりの王』で、重度の『仮想中毒者』であるという烙印を押されたのであった!
頭のおかしい奴であるという烙印を押されたのであったッ!
あぁ、今日も夜が更けていくのであった……。
今回実験も兼ねて、地の文さんのテンションがおかしいです(笑)
ちょっと感想頂けるとありがたいっす。
次話『23話 悪夢』は明日 12/17 19時に投稿予定です。




