21話 銀の刀、黒の鎧
VRゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』のβテスト期間最終ダンジョン『天に昇る塔』の地下にグラド達はいた。
本来、このダンジョンには地下に通じるマップは存在しない。だが、『英雄亡霊グレイ』という謎の存在から、地下の存在を示唆され、彼らはそこでこのゲームにいるはずのない存在『アームズ・トロール』と交戦。
それを見事討ち果たした。
何故、別のゲームにしか存在しないはずの敵モンスターがこんな場所にいたのか。この地下の存在は一体何なのか。未だ謎な部分は多い。
グラド達は蔦が生い茂る地下の通路をさらに奥へ奥へと進んでいた。
「『英雄亡霊グレイ』ってのの依頼は、あのトロールを倒せってことだったのか?」
「さー? どーだろーね? とりあえず、まだ奥があるみたいだし、進むしかないっしょ?」
ガスロンは頷いた。
「ガスロン君、亀吉さん……さっき攻撃を喰らって痛いって言っていたのは大丈夫?」
「ん?」
「あぁ……」
先の戦闘で、ガスロンと亀吉は敵の攻撃によって『痛み』を感じた。反射的に痛いと言っていた。
しかし、そんなことはある筈がない。VR空間内では過度な刺激、感覚はシャットダウンされる。強烈な痛みが再現されることは無い。
なのに、亀吉が手の甲にナイフを掠った時、ガスロンが殴られ吹き飛ばされた時、2人は『痛い』と言った。
「あー……、今は全然何ともないし……、こうして思い出してみると、ただの思い込みだったのかもな……」
「痛みの勘違いか。そうかもしれないなぁ……」
二人は首を捻りながら腕を組んだ。
痛みの誤認。高い精度で現実を再現するVR空間内は、時々受け取る感覚を勘違いする。
殴られたから痛いはずだ、刺されたから痛いはずだ、そう言った先入観が働く。実際には大した刺激を受け取っていないのに、勝手に痛みを思い込むことがある。
それだけVR空間内は現実を良く再現していた。
ガスロンと亀吉はうんうんと唸る。先程の痛みが感覚の誤認であることを否定しきることが出来ない。
「大丈夫ならそれでいいんだけど……」
眉を少し寄せながらキョウが言った。
皆が釈然としなかった。
「おっ! 扉だ! 扉があるぞい!」
クロは通路の奥に扉を見つけ、長い黒髪を揺らし、とととっと駆けていった。木で出来た古めかしい扉が異様な雰囲気を放っている。
「あ、クロ、待て! 罠の可能性も……」
「あ、やべっ!」
亀吉の静止は間に合わず、クロは扉に手をかけた。
慌てて扉から手を放すも、もう既に扉は半分以上空いていた。
「…………」
一瞬の沈黙が走る。
どうやら罠は付いていないようだった。
亀吉はクロの頭をこつんと叩くと、彼女はべっと舌を出した。
広い空間だった。
人が数千人は入れそうな大きな円形の空間が広がっている。
天井は30mも40mも高くにあるように見え、それまでのごつごつとした岩肌の壁ではなく、平らで傷一つない白い大理石で出来た壁だった。
清潔で明るい空間が広がっていた。
「ここは……」
「行き止まり……か?」
この先に扉や通路の類は無く、どうやらここが終点のようだった。
だが、何もないわけではない。
「あれはなんだろう……」
「……台座?」
広場の奥に何かがあった。地面から一段高くなっている台座がそこにあって、遠くてよく分からないが、何かがそこに刺さっていた。
皆でゆっくりと近づいていく。
「これは……」
「刀……?」
台座には一振りの刀が突き刺さっていた。
1m半ほどの高さの台座に、銀色の刀身が美しく輝き刺さっている。片刃の、少しだけ反り返った長い刀であった。
息を呑むほどの存在感があった。
「見て、何か書いてあるよ」
キョウは台座に刺さる刀だけではなく、その台座にも注目した。
台座にはこう書かれてあった。
『偽造聖剣・亜種;村雲ノ御剣』
「偽造……聖剣……?」
「なんだ? それは?」
皆にとって『村雲ノ御剣』は見知った名前だった。
グラドの世界でも、亀吉たちの世界でも、『村雲ノ御剣』は伝説上で存在する幻の刀だ。
ただ亀吉たちにとって、この名前はゲームとかアニメとかでよく使われる名前として認識しているのという面が大きい。
「どうなんだ? 運営さん?」
「……『村雲ノ御剣』は、確かにこのゲームで出てくる。勿論βテスト後の、後半のマップでな。だけど、『偽造聖剣』なんてのは知らねえな?」
亀吉はごくりと息を呑んだ。
「取りあえず、どうするんだ? あれ?」
「いや、運営の立場としては回収するべきだろう……」
ここにある筈のない武器。すなわちバグだ。
『アナザーワン』の会社にバイトとして働く亀吉は、勿論この武器を回収しようとした。バグは隔離して、原因を探らねばならない。
美しくも怪しく輝く銀色の刀に手をかけた。
突然、衝撃が走った。
バチンッ! と、何か破裂音のような音が部屋中に響いた。刀から一筋の光が迸った。
「いっっっっっでっぇぇ!?」
手に走る衝撃に思わず身を引き、尻もちをつく亀吉。
彼の身を襲ったのは明らかに電流だった。
「……え?」
「なに? どうした?」
「まさか! これが噂に聞く、持ち手を選ぶ聖剣ってやつなのかいっ!?」
クロが目を輝かせながら叫ぶ。
確かに、亀吉はこの刀に拒まれたように見えた。
「そ、そんなバカな! そんな剣がゲームの中にあってたまるか……! くそおっ! 『オブジェクト強制隔離』! 支配者権限『オブジェクト強制隔離』! ……あぁっ、くそぉ! 全然反応しねー!」
亀吉はぐぬぬと唸りながらゲーム運営側としての権限を使ったが、刀はうんともすんとも言わなかった。
このオブジェクトをゲーム上から排除し隔離することに失敗した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁーーっ! バグばっかなんじゃーーーー!」
亀吉からするとやってられない。
バグが増えれば仕事は増える。さっきもトロールに対して支配者低権限を使ったが、全く効果はなかったのだ。
このところ、妙なバグが増えてばっかだった。
「『グレイ』なのか……!? 全部『グレイ』が悪いのか……!? 『グレイ』がバグをばら撒いているのか……!?」
亀吉は頭をガリガリと掻いた。
『英雄亡霊グレイ』はバグをばら撒くという。ここ最近の妙なバグは、全て『英雄亡霊グレイ』のせいなのではないか。亀吉はそう思った。
「ぼ、ぼぼ、僕じゃないよっ!?」
「お前にはなんも言ってねえよ! グラド!」
亀吉の言葉に何故かグラドが震え、怯えていた。
「あ、あの……その刀、もし本当に人を選ぶって言うのなら、グラドさんなら抜けるんじゃない?」
「え……?」
キョウが手を上げてそう言った。
「なんで?」
「だって、さっきの戦いで一番活躍したのってグラドさんでしょ?」
「そりゃ、確かに……」
聖剣が人を選ぶというのなら、それはまさしく強い人だろう。そしてレベルこそ低いが、この中で一番強い者はグラドの他にいなかった。
「それもそうだな。うっしゃ、行って来い、グラド」
ガスロンに背を叩かれ、前に押し出される。え? え? と戸惑い何度も振り返りながら、グラドも台座の階段を上った。
そして、ひょいと刀を引っこ抜いた。
刀はあっさりと台座から離れた。
「おお!」
「やっぱり!」
「ば、ばかな……!」
拍手の鳴る台座の下に対し、グラドは困った顔で首をきょろきょろと動かし、亀吉は膝をついて項垂れた。
「これじゃあ、俺が聖剣に選ばれなかった才能のない人間みたいじゃないか!」
膝と腕を地につけ、演技がかった叫び声を上げた。
「ま、亀吉は特に凄かったとこ、別に無かったからねー」
「ちくしょーっ!」
クロが追い打ちをかけた。
「いーんだー……。分かってんだー……。どうせ俺は凡人ですよー……」
「わははははっ!」
体育座りをしていじける亀吉の姿を見て、クロが指さして笑った。非情である。
それを見て、グラドが申し訳なさそうにおろおろした。
「それで? 刀の感じはどう? グラドさん?」
「え? この状況で話を進めるの?」
キョウが亀吉を無視して話を進めようとしていた。非情である。
「う……うん、刀の方はいい感じかな? 刃も綺麗だし、持ち手もしっくりくる。重さは見た目に反してずっと軽いよ。逆に、軽すぎるのが少し懸念すべきとこかな。
あと、うん……。なにか、底知れない力を感じる……」
「……力?」
グラドは台座をぴょんと飛び降りて、素振りを開始した。
びゅっ、と風を切る音がし、銀の剣線が走る。素振りからでも分かる鋭い太刀筋。刀の残影が見えるほど、その速度は速かった。
「うん、やっぱりいい刀だ」
何かを確かめるようにグラドがうんと頷くと、続けて何回も剣を振った。
その一つ一つに銀の尾が走る。
「へー……。よく分からないけど、なんかすげーな?」
「グラドさん、なにか剣道とかやってるの?」
「剣道? いや、まぁ、剣はぼちぼち、かな?」
「ぼちぼちってレベルじゃねーと思ーぞぉ?」
そう言って、グラドの素振りを皆が眺めていた。
亀吉はまだ台座の上にいた。最初に剣から電撃を喰らって、それからずっとそこの端で尻餅をついていた。
彼はグラドの素振りを台座の上から眺めていた。そして、自分も会話に加わろうとして台座から降りようと思い、腰を上げた。
そんな時に、妙なものを発見した。
「ん?」
台座の裏、皆からは死角となっている場所にそれはあった。
「黒い……鎧……?」
そこには黒い鉄で出来た鎧があった。
不気味な鎧だった。一切の光を呑み込んでしまうかのような深い闇の色をしており、見ているだけで冷や汗をかきそうになる。
不吉な存在感を発していた。
よく見ると鎧の中に人形が入っている。黒い人形が入っている。
人ではない。人形だ。
黒い鎧の繋ぎ目から見える人の肌の部分もまた黒い鉄であるからして、鎧の中の部分が人形であることが分かる。
第一、人のような気配を感じない。
鎧と同じ、不吉な黒の色をしていた。
「なんだ……これ……」
亀吉は息を呑んだ。
もう少しよく見てみようと、台座から身を乗り出して、その黒い鎧に触れてみようと手を伸ばした。
しかし、それは叶わなかった。
「うわっ……!? な、なんだ……!?」
「地震……!?」
突然、その洞窟に大きな振動が走る。
地も壁も天井もグラグラと揺れ始める。突然の揺れに、皆のバランスが崩れて、岩壁や天井から小石や岩の粉がぱらぱらと降り注がれた。
「崩れ始めてるっ!」
「嘘っ!? なんで!?」
洞窟は確かに崩壊を始めていた。
「聖剣抜いちゃったからじゃねぇ!?」
「なんてはた迷惑な洞窟だ!? 皆! 逃げるぞっ!」
皆が慌てて部屋の出口に駆け寄る。
地上までには階段があるものの、距離自体はそんなに離れていない。急げば十分に逃げられるはずだ。
その中で、亀吉は黒い鎧の人形に気を取られて少しだけスタートが遅れた。
「亀吉さん! 早く!」
「お、ぉうっ! やべぇ! やべぇ……!」
グラドの声に背を押され、焦りながら走る。
降ってくる石から頭を守りつつ、崩れ落ちる天井のことで頭が一杯になり、黒い鎧のことなど考えてる余裕は無くなった。
「急げぇ!」
「やべぇ!」
皆でやべぇやべぇと言いながら、無事出口に辿り着いた。
とんでもないバグに巻き込まれたもんだ! と、誰かが大声で叫んだが、それに反してあっさりと、無傷で、地下から出ることが出来た。
不思議なもので、一度地上に出てしまうと地下の崩壊の音など全く聞こえなくなっている。
今まさに地下の洞窟が崩壊しているというのに、そんな気配などまるでしないし、地上の塔はびくともしない。さっきまでの冒険がまるで夢であるかのようだった。
「……何だったんだろうね、あれ」
「さぁ……。分からないな……」
「結局、『英雄亡霊グレイ』はうちらに何をさせたかったんだろうね?」
謎だけが残る冒険となった。
マップ上に無いあの洞窟は一体何だったのか。何故、別のゲームのモンスターである『アームズ・トロール』が出てきたのか。グラドの持つ刀は一体なんなのか。
『英雄亡霊グレイ』の目的は何だったのか。
村の酒場に戻り、あーだこーだ話し合うけれど、いまいち釈然としない。
答えが出ない。不毛な議論を繰り返す。
結局、今日の冒険にどんな意味があったのか、何故あのようなことが起こったのか、それらしい答えは誰からも出なかった。
ただ、彼らは朗らかだった。
深まる謎を素知らぬ顔で笑い飛ばし、今日の冒険譚を笑いながら語るだけで、彼らの心は満たされた。
それだけで、十分楽しかったのだ。
冒険は人を少年にする。
未知の場所の冒険は、確かに彼らの心を躍らせ、怖がらせ、良き思い出を作った。
それだけで十分だっただのだ。
そんな中、崩れ落ちた洞窟のその最深部で、黒い鎧の目が赤く光った。
おぞましい気配を生み出しながら、崩れた岩石を押しのけてゆっくりと立ち上がる。
黒い鎧を被った黒い鉄の人間が闇をまき散らしながら、おもむろに動き出したのだった。
* * * * *
「あぁ、お疲れ、橘君」
ゲームの世界では『亀吉』と名乗っている彼――橘 龍之介の意識が現実へと帰ってくる。
VRゲーム用のゴーグル型デバイスを取り外し、周囲を見渡す。
ここはゲーム会社『アナザーワン』である。もう外は暗くなっていた。
「どうだった? 『英雄亡霊グレイ』とやらは?」
「社長……」
目覚めたばかりの龍之介に語り掛けるのは、この会社の社長『天城誠史郎』だ。
「どうもこうも最悪っすよ。バグだらけっす。
訳の分からないバグだらけでもうどうしたらいいのか、訳が分からないっすよ」
「そうか」
「すぐにちゃんとした報告書を作るっすけど……結局、『英雄亡霊グレイ』なんつー者の手掛かりなんて何も掴めなかったですし、一体何をされていたのかすらよく分からなかったっすよ」
「そうか、そうか」
誠史郎は目を細め、微笑んだ。
「でも、それにしては楽しそうだな?」
「……そうっすかね?」
龍之介はぽりぽりと頭を掻いた。
確かに龍之介は楽しんでいた。未知の世界、何が起こるか分からない場所、それはまさしく冒険だった。出会ったばかりの仲間たちと訪れる未知の世界は、楽しかった。
確かに楽しかった。
「へへへ……」
「お疲れさま……」
そう言って、社長が立ち去ろうとした時、その異変に気付いた。
「……おい、どうした? 橘君?」
「……え?」
「その手だ。その手……」
龍之介は右手を持ち上げ、眺める。
その手からは血が流れていた。
「え……?」
手に刃物で斬られたような一筋の傷が出来ており、そこから血がぽたぽたと滴っていた。
大量の血が流れているわけではない。しかし、どろりとした血が手から零れ、床を濡らし続けるぐらいには大きな傷を負っていた。現代の日本において、そうそう起こるようなものではない傷が手の甲にしっかりと入っていた。
「うわぁっ……!? な、なんだぁっ!? これ!?」
気が付いてしまうと現金なもので、手がずきずきと痛み始めたような気がした。
「おい! 誰か包帯持ってこい!」
誠史郎が大声で呼びかける。
手に包帯を巻かれながら龍之介は考えていた。
今日、VRゲームをする前は確かにこんな傷無かった。
そして、VRゲームをしている最中、体は動かない。もし、現実から体に強い衝撃が入ったらVR空間内の本人に警告が走るようになっている。最悪、そのまま強制ログアウトとなる。
ではこの手の甲の傷は何なのか。
突拍子もないけれど、龍之介に一つ心当たりがあった。
『アームズ・トロール』戦でのことだ。その戦闘で、トロールの投げたナイフが彼の手の甲を掠ったのだ。
もし、その傷がちゃんと再現されていたというならば、丁度こんな傷になるだろう。
VRゲーム内の傷が再現されてしまったというならば…………。
「……まさかな」
龍之介は自分の血を見て、馬鹿げた考えだと頭を振った。
ずきずきとした痛みが、ただ手の甲に滲んでいた。
次話『22話 引きこもりの王!』は明日 12/16 19時に投稿予定です。




