20話 英雄の剣舞(2)
薄暗い洞窟の中を松明の灯がゆらゆらと揺れる。
洞窟の岩肌には万遍無く大量の蔦が生い茂っており、蔦の緑は松明の灯の明かりを受け、少し赤色を含んで壁を埋め尽くしていた。
そんな薄暗い洞窟の中で、6本の腕を生やした巨大なトロールと1人の少年が対峙している。
Lv.45のアームズ・トロールとLv.7のグラドだった。
両者の間には圧倒的なステータスの開きがあった。普通だったらLv.7のグラドに勝ち目はない。
しかし、彼の仲間であるクロや亀吉たちはグラドの方に驚きの視線を投げかけていた。
息を呑み、前方のグラドに声を掛ける。
「グ……グラド!」
「だ、大丈夫か……!? 一体なんなんだ……あの動きは!?」
「どうなってるんだ!?」
グラドは人のものとは思えない動きをしながら目の前のトロールと戦っていた。
VRゲームでは普通、人の動きはその人自身の感覚に大きく左右される。どんなに速く動けるようなシステムが組まれても、人の感覚がその動きに対応できないのだ。
しかし、グラドは人の動きの限界を超えたような動きをしていた。
敵の腕に飛び乗ったり、宙を舞いながら攻撃をしたり、アクロバットな動きを繰り返し行っていた。
反応速度、身体機能、平衡感覚、反射神経、思考速度、そのどれもが人間を超えているように思えた。
皆にとってグラドの動きを目で追う事すら難しかった。
グラドは意識をトロールに向けながらも、後ろを少しだけ振り向いた。
「みんな。援護お願いだよ」
「どこで援護入れればいいんだよ!」
グラドは簡単に援護を頼むという。しかし、亀吉たちはこの戦闘のどのタイミングで介入すればいいのかまるで分らなかった。
付け入る余地も無いとはこのことである。
「適当に攻撃を仕掛けてよ。こっちで避けるからさ」
そう言って、気軽にまた前に駆け出した。
「ちょ、ちょっと待て! ……あぁ、もうっ……!」
「話を聞かない奴だっ……!」
ガスロンの伸ばした手は意味をなさず、また前で剣戟の音がした。
「くそっ! ええいっ! 男は度胸だ!」
そう言って亀吉は自分の両手で頬を叩き、前に出た。
つられ、ガスロンも前に出る。
「よっしゃあ! いくぜぇぇぇっ!」
「はいはい、クロちゃんは私と一緒に後ろから魔法撃ってましょうねー」
キョウは飛び出そうとするクロの襟を掴まえ、動きを止めた。
3人がトロールに肉薄する。
グラドは主に陽動を担当する。トロールの顔の周囲を飛び回り、意識を自分に集中させる。また、視界を塞ぐことも目的の一つとなっている。
《亀吉;Action Skill『サークルスラッシュ』》
《ガスロン;Action Skill『ストロングスラスト』》
亀吉とガスロンは攻撃の要だ。
グラドに気を取られ、薄くなった攻撃の隙を付いて敵に攻撃を仕掛ける。
とは言っても、トロールの太い腕がぶんぶんと振り回され、流れ弾のように2人を襲う。6本の腕の隙間を縫って攻撃するのは一苦労だった。
「エルク・ゲイン・ディ・アボムス」
《キョウ;Magic Skill『スパークアベルト・リバース』》
「ウォーデ・アルス・バルイン!」
《クロ;Magic Skill『ウォーターボール』》
後衛の女性二人が魔術を放つ。
キョウは支援系の魔法を良く使った。ステータス強化魔法、状態異常魔法、盾魔法。今使ったのは敵の速度を下げる魔法である。
「くそっ……! 全然ダメじゃん……!」
その一方、クロは水の魔法を放ち敵に直接攻撃を与えている。しかし、ダメージは1しか喰らわない。
Lv.6の身であるため仕方のないことなのだが、クロは悔しさで歯ぎしりをした。
亀吉たちは少しずつ少しずつトロールに攻撃を与えていた。
一番大きな要因はやはりグラドの陽動だ。彼がトロールの意識の大半を自分に向けているため、なんとか亀吉たちがダメージを与えられる。
亀吉たちに6本の腕を処理しきる力は無いのだ。
しかし、トロールは自分のHPが徐々に減っていくことを悟ると、NPCにも関わらずその攻撃パターンを変化させた。
「バトルアサ……、え……?」
ガスロンが突進技を繰り出そうとした時、変化があった。
トロールは体の向きを明確に変え、ガスロンと正面から向き合った。そして、グラドのことは無視してガスロンを3本の腕で殴りつけた。
「……!」
「え……!?」
「まずいっ!」
グラドが空中で蹴りを入れ、1本の腕の軌道をガスロンから逸らす。しかし、残りの2本の腕がガスロンに命中した。
「ガッ……ハッ……!」
肺の中の空気を押し出されながら、ガスロンは胸を殴りつけられる。ナイフも突きつけられているが、HPの概念があるために傷はつかない。
そのままガスロンは吹き飛ばされた。
「ガスロン君! ウォーデ・ドム・ケティアス!」
《キョウ;Magic Skill『ウォーターヒール』》
キョウは吹き飛ばされるガスロンを体で受け止め、そのまま回復魔法をかけた。
「カハッ……。お……っかしー……な……? めちゃくちゃ……痛ーぞ……?」
せき込みながら、ガスロンの体は痛みで麻痺した。
本来感じる筈の無いVRゲーム内での過剰な痛み。先程の亀吉と同様、確かにガスロンも痛がった。
トロールは狙いを変えたのだ。
周囲を飛び回る目障りで処理のし辛い人間を相手にするよりも、まず他の2人から潰してしまおう。そのような攻撃パターンに変更された。
相も変わらずグラドが顔の近くを飛び回り、トロールの視界を遮る。それ自体に効果はあるのだが、ターゲットを亀吉に明確に変えられてしまっている。
「ガッ……、クッ……クソッ……!」
意識が集中された状態では、亀吉はトロールの攻撃を捌ききれない。
「せめて、あと1回……大技を当てられるだけの隙があれば……!」
亀吉がそう唸る。トロールのダメージも十分蓄積されてきた。
あと1回、大きな技を当てられればトロールを倒すことが出来るかもしれない。その領域まで近づいていた。
しかし、トロールの攻撃が激しくなる事で、亀吉は防戦一方になる。とてもじゃないが攻撃に出られる状況じゃない。
「あと1回、こいつの動きを止めればいいのかな?」
「え?」
グラドからそのような声がしたかと思うと、驚くべきことが起こった。
ドン、という鈍い打撃音がして、グラドはトロールの攻撃を受けた。
「えっ!?」
「グラド!?」
グラドはトロールに殴りつけられ天井高くまで吹き飛ばされた。
今まで一度たりとも攻撃を喰らっていなかったグラドが敵の攻撃を受け吹き飛ばされてしまっていた。
「攻撃、受けちまったのか!?」
皆の驚きに対し、キョウが大きな声で言葉を挟む。
「いや……大丈夫だと思う! 敵の攻撃の勢いを利用して、自分から高く跳び上がったみたいに見えた! 実際、ダメージはほとんど受けてないみたい!」
確かに『鑑定』をしてみると、グラドのHPは3割程しか削れていない。敵の攻撃を防ぎつつ、自分から高く吹き飛ばされたのだ。
しかし、なぜ?
その答えが出る前にトロールが亀吉に襲い掛かる。
「うおおおおおおおおっ……!」
トロールの腕の1本を盾で防ぐ。
しかし、残り5本の腕が同時に亀吉に向けられる。防ぎようも、逃げようも無かった。
「亀吉さんっ!」
「やべぇっ!」
「亀吉っ……!」
もうどうしようもない。絶体絶命であった。
だが、ある男だけは気楽で、気軽な言葉を発した。
「……1回だけ時間を稼ごう。十分でしょ?」
そう言って、天井から降りてきた。
右手には緑色の網のようなものが握られていた。グラドは上からトロールに襲い掛かり、その緑色の網を頭から被せた。
緑の網はトロールの全身を覆い、グラドは地に降りその緑色の網を引張ることでトロールの体の自由を奪った。
その緑の網は、天井に万遍なく張り付く蔦だった。蔦を回収し、トロールの体に絡ませるために、グラドは天井高くまで飛んだのだった。
「今だよ!」
「お……、おう!」
「俺も行くぜ!」
|《ガスロン;Action Skill『バトルアサルト』》
回復を終えたガスロンが飛び出した。槍による突進技だったため、亀吉よりも速く攻撃が届いた。
神槍ボセムグニルがトロールの腹に突き刺さる。網の中で悶えるトロールが、体をくの字に折った。十分な手ごたえだった。
「喰らえっ!」
《亀吉;Action Skill『エストガント流剣技・十九の型・夕凪』》
亀吉が高レベル剣技『エストガント流』の剣の技を放った。
異世界の英雄グレイが遺したとされる剣の型。それが異世界にも伝わり、今も多くの剣士に伝わっている。そういう設定の技だった。
この技は8連撃の技だった。
袈裟、薙払い、切り上げ、小手、胴、足、腕、首を流れるように斬っていく連続技。
四方八方から繰り出される剣は、まるで煙のように相手の体にまとわりつき、体を次々と斬り刻んでいく。
ゲームのシステムによってアシストされているとは言え、とても複雑な連撃技だ。
滑らかな動きを必要とし、水のように、煙のように動かねばならない。使い手の技術が大きく反映される型だった。
それを亀吉がたどたどしい動きで扱う。
彼が今持っているアクションスキルの中で、一番強い技だったのだ。
袈裟を斬り、剣を横に薙ぎ払い、切り上げる。ぎこちない動きではあったものの、目の前のトロールはまだ蔦が絡まって自由に動けない。
亀吉の攻撃は次々とトロールの体に吸い込まれていった。
「これで、終わりだああああああっ!」
亀吉は叫ぶ。
胴を斬り、足を斬り、腕を斬り、あと一撃。あと一撃を入れればトロールを倒せるというところまでやってきた。
亀吉の素人剣技が走る。結局のところ、現実では彼はただの高校生。どれだけVRゲームをしていたとしてもそれは変わらない。
それでも彼は気迫とシステムの補助によって、自分の剣技の未熟さを補っていた。
……が、
トロールは最後の一撃を躱した。
最後の首への攻撃、それを上半身を後ろに反らすことで躱すことに成功したのだった。もう、蔦の網じゃトロールを抑えきれなかった。
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 8/1200』
亀吉の剣が空を切る。それによって彼は体勢を崩し、たたらを踏んだ。
トロールの残りHPはたったの8。あと一撃。一撃入れられれば倒しきれるはずだったのに。その一撃は避けられてしまったのだ。
トロールがにやりと笑ったような気がした。NPCだから、そんなはずないのに。
トロールはよろける亀吉に向かってナイフを振り降ろした。
「くっ……!」
振り下ろされるナイフを見て、亀吉は顔を強張らせる。攻撃直後の体勢の崩れで、敵のカウンターを避けられる状態ではなかった。
ダメだ、と亀吉は思った。
「……ごめんね、その技改良前なんだ」
そんな時、不意にそんな声がして、亀吉の服が引っ張られる。
グラドがいつの間にか亀吉の後ろに回り込んで、彼を引張る。今度はトロールのナイフが空を切る番だった。
「最後の一撃、首は駄目なんだ。避けられやすいんだ。最後の一撃は、体の軸を狙わないとダメなんだ」
「……グラド?」
「こうやるのさ」
そう言いながら、彼は亀吉と入れ替わるように前に出た。
ナイフが通り過ぎた後を走り、トロールの懐に飛び込む。
グラドが剣を構えた。
「……十九の型」
《グラド;Action Skill『エストガント流剣技・十九の型・夕凪』》
パッと、閃光が走った。
それは剣の残影だった。1秒にも満たない時間に、先程亀吉が放ったのと同じ技がトロールを捉えていた。
高速の8連撃。トロールの体全体に剣の太刀筋が纏わりつく。一筋の風が怪物の体の周りを舞い、そして過ぎ去っていくかのようだった。
あまりに速すぎたため、トロールを含め、そこにいる殆どの者がグラドの動きを目で追い切れなかった。
ただ、グラドが直前に言った通り、最後の一撃は首を狙うのではなく体の芯、上半身の中心を斬り裂いていた。
まず避けられるはずが無かった。
《グラド;Action Skill Get『エストガント流剣技・十九の型・夕凪』を習得しました》
システムウインドウがグラドにだけ見えるように現れる。
殆どの者が彼の動きを追い切れなかった。
ただ、その剣の凄さは脳裏に焼き付いていた。
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 0/1200』
トロールが力尽き、倒れ、光の欠片と化して消えた。
後に残されているのは、凪のような静けさだけだった。
「……うん、勝った」
グラドがほぅと小さな溜息を一つ付き、この戦いが何でもないただの日常であるかのように力を抜いて、手の中で剣を回し、鞘の中に収め、振り返って皆に笑いかけた。
しかし、周りの皆は呆然としていた。
激しい戦いの後の放心。そして目の前の男の強さの異常性。
明らかに現代の便利な生活に慣れた人間の動きでは無く、それは戦いを日常に置き、今のような激しい戦闘に慣れている者の動きだった。
ただ、現代の日本に住む皆はその事を明確には気付けない。
まさか異世界の英雄がVR世界に紛れ込んでいるなど夢にも思わない。その戦闘の性質から、グラドの人生の背景にまで気付けない。彼らは戦闘のプロフェッショナルではないのだ。
ただ、なんだか妙な男が目の前にいる。そのような印象を感じただけだった。
少しだけ、グラドに恐怖を感じていた。
そういう目を彼に向けていた。
次話『21話 銀の刀、黒の鎧』は明日 12/15 19時に投稿予定です。




