19話 英雄の剣舞(1)
松明の淡い光が洞窟を照らしている。
洞窟の岩肌につけられた松明の赤い炎がゆらゆらと揺れ、洞窟の岩肌が薄い橙色に染まる。岩壁には何処から生えているのか、無数の蔦が生い茂っており、洞窟の壁を埋め尽くしている。
そんな中、1体の化け物が淡い光の世界に似合わず、命ある者を震わせる大きな咆哮を放った。
腕が6本あるトロール。4mを越える巨体が腹を膨らまし、大きな叫び声を上げる。
地下の洞窟ごと、周りにいた人間の体が震えた。
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 1200/1200』
アームズ・トロール。
通常のマップには絶対に現れないLv.45の化け物が、グラド達に襲い掛かった。
「なんなんだ!? こいつ!?」
緊張に、混乱を隠せない亀吉。
トロールの巨体が足音を踏み鳴らしながら突進してくる。思わず息を呑んだ。武者震いでは無い、ネガティブな震えだった。
「く……来るぞっ!」
「もう来てるよっ!」
「システムツール! 管理者権限行使! 『敵アバター行動停止』っ!」
亀吉はシステムウインドウを開き、運営としての管理権限を行使した。名前の通り敵モンスターとして設定されたアバターの行動を封じる権限である。
この世界は全てがプログラムによって動いているため、そのプログラムを自由に書き換えられる運営という存在は、この世界の中では最強だった。
しかし……、
「全然止まってないよっ! 亀吉っ!」
「くそっ……! またかっ……!」
管理者権限が全く通用せず、トロールはそのままの勢いでこちらに突っ込んでくる。『英雄亡霊グレイ』の時と同じように、管理者による行動停止が全然通用していなかった。
トロールが亀吉たちの前に迫り、その巨体の上半身を捻った。
全身の力を使って、手に持ったナイフを振るおうとしている。握られたナイフは刃の長さが25cm近くある巨大なナイフであるにもかかわらず、トロールの巨体が握ると小さなナイフに見える。
トロールの丸太のように太い腕が、風を切り、勢い良く振るわれた。
「のわあああぁぁぁぁっ!?」
ここに一人、無様な絶叫を上げ逃げまどう情けない男がいた。
グラドだ。異世界では英雄とまで言われた男が頼りない姿を見せている。
しかし、これには仕方のない事情がある。
彼は今、上半身をロープで縛られ体の自由を奪われている状態なのだ。
両脚は動くものの、腕は動かず上半身も曲がりにくい。動き辛い状態となっていた。
加えて、レベル上げをしたとは言え、今の彼はLv.7である。Lv.45の敵の攻撃を食らったら即死は免れなかった。
「うわあっ! うわっ! うわっ!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて何とか敵のナイフを躱す。
6本の腕から繰り出されるナイフの攻撃を辛うじて避ける。攻撃も防御も出来ず、ただ情けない声を出しながら、跳ねては逃げ惑う哀れな男と化していた。
「こっち来んなー!」
「やべえ!」
「グラドッ!」
亀吉がグラドとトロールの間に割って入る。
トロールのナイフ攻撃を、亀吉が片手で持つ盾で防ぐ。鉄と鉄がぶつかり合う鈍い音がする。
ガチガチと盾が震える音がする。力は拮抗し、押し合いの状況となる。いや、亀吉の方がやや押されている。
「くっ……重ぇっ………!」
「亀吉さん! 反対!」
亀吉はハッとする。
左手で持つ盾の反対側、トロールが二本目の腕を使って亀吉に攻撃を仕掛けてきた。
右手で持つ片手剣を使ってナイフを防ぐ。しかし、完全に力負けする。上から押し込まれ、亀吉は膝を地に着いた。
「くそっ……!」
亀吉はこの状況の危険性に気が付いている。
アームズ・トロールの腕は6本。今、4本の腕が空いている。2本の腕がふさがった亀吉には防御する手段がなくなっていた。
アームズ・トロールが獰猛な腕を2本同時に振るった。
「くっ……!」
亀吉に避けられる道理はなかった。
「させるかぁっ!」
「バーグ・ゲイン・シドル!」
《キョウ;Magic Skill『マグシールド』》
ガキンと、ナイフが何かにぶつかる音がする。ガスロンが槍を振るい攻撃の一手を止め、キョウが魔法の盾を作成しもう一手を防いだ。
3人で一丸となり、4本の攻撃を防いでいた。
「よしっ……!」
「でもっ……!」
「ブルオオオオバアアアァァァァァッ!」
トロールが叫び声をあげ、残った2本の腕を横に薙いだ。あまりの威力のためか、衝撃波が飛び散り、魔法の盾を砕き、亀吉とガスロンを吹き飛ばした。
「うわあああぁぁぁっ……!」
「くそぉっ……!」
体勢が崩れ、二人は地に転がる。
「……! 亀吉さんっ! 避けてっ!」
「えぇっ……!?」
キョウがとっさに声を上げる。
トロールがナイフを投擲し、亀吉に追撃を加えてきたのだ。
亀吉は回る視界を何とか立て直し、上半身を捻った。しかし避けきれず、飛んでくるナイフは彼の手の甲を裂いた。
「痛っ……!」
「えっ?」
「えっ?」
亀吉は手の甲を押さえた。
ゲーム内によるダメージなので、全く傷はなく血も出ていない手の甲を痛がって押さえた。
「ウォーデ・アルス・バルイン!」
《クロ;Magic Skill『ウォーターボール』》
クロが水の球の魔術を放つ。ナイフの投擲後の隙を完全に突いた、タイミングの良い攻撃となった。
しかし……、
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 1199/1200(-1)』
「くそっ……、必死に頑張って、やっと1のダメージかよ……」
「……嫌になるね」
皆が苦悶の汗を垂らす。
この攻防で、アームズ・トロールに与えられたダメージは1。それに対して、亀吉とガスロンは全体のHPの2,3割のダメージを負っていた。
勝てない。皆の頭にその言葉がよぎる。
「亀吉さん、さっきナイフの投擲当たってたみたいだけど……」
「あ、いや、大丈夫だ。掠っただけでダメージはほとんどない」
「でもよ、さっき『痛い』って言ってなかったか?」
「…………」
痛いはずはない。
VR空間内での刺激は徹底的に管理されており、過度な感覚の再現は出来ないようになっている。今のようなナイフによる裂傷が再現されるはずがない。
しかし、亀吉は反射的に『痛い』と叫んだ。
傷が出来、血が出ているわけではない。いつものような、何事もないアバターの手があるだけだ。
でも亀吉にとって、手の甲がじんじんと痺れているような気がした。
ぼんやりと手を見つめる。
「……いや、すまん、気のせいだ」
「……そうか?」
たまにあることではある。
敵が迫ってくる迫力、再現された高度な現実感は、痛みを誤認させる。刀で斬られると、一瞬痛みが体中に走ったかのような嘘の感覚を覚える。
亀吉は、自分の痛みがそれだと思った。
それだと思おうとした。
「……気のせいさ」
奇妙に長く続く手の痺れを振り払うかのように、亀吉はぐっと拳に力を込めた。
「よしっ、切ったぞ! グラドや!」
「ありがとう、クロさん。……いや、そのクロさんに縛られてたのだから、お礼を言う必要ないのかな……?」
グラドを縛っていたロープがやっと切れる。グラドは腕をぷらぷらと振って自由のありがたさを実感した。
「そんなことよりも! あいつをどうするよっ!」
「大体、あのモンスターは何だ。見たことねぇし、第一Lv.45のモンスターが何でβテスト内にいるんだよ」
ガスロンの苛立ちに亀吉が答えた。
「あのモンスターは『アームズ・トロール』。
本来は『アトミック・ブレイク』って言う別のゲームに登場するはずのモンスターであって、このゲーム『ティルズウィルアドヴェンチャー』に出るはずのモンスターじゃないんだ……」
「別の……ゲーム……?」
キョウが目を見開いた。
「それって……バグの範囲に収まるの……?」
「あり得ないな。何が起こるかわからないバグとは言っても、データベースの異なる別のゲームのモンスターが現れるなんて、そんなことあり得ない」
亀吉が冷や汗を垂らす。
「全く、嫌になる……。厄介な仕事ばっかり増えちまう……」
「どうする? レベルも劣っているし、6本腕の対処も厳しい。勝てる見込みはあまり無いぞ?」
「ここは逃げるしかないのかな……」
「ブルオオオオバアアアァァァァァッ!」
トロールが自らの胸を強く叩く。
緩い肉が波打つような音がした。その音は面白いほどに洞窟内で反響していく。自らの強さを主張する音、目の前の人間たちを威嚇する音であった。
しかし、そんなパフォーマンスには一切動じない男がいた。
「いや、逃げる必要は無いんじゃないかな?」
グラドだ。自由になった体を伸ばしながら、軽く、まるで今日の夕飯を決めるかのように気軽に言った。
「お、おい、グラド。状況分かってんのか? あいつは俺達よりもレベルが上なんだぞ?」
「そんなのここ最近、いつものことさ」
昨日までLv.1だった彼にとって、格上との戦いは慣れたものだった。……勝てていたかと言えば、そうでは無いのだが。
「とりあえず、僕が前に出るから、適当に援護宜しく」
「お、おい! 待て! グラド!」
亀吉の制止を待たず、グラドは前へと駆けだした。
一匹のモンスターと一人の戦士の視線が交錯する。戦士は一切の躊躇なく、動揺も無く、昂揚も無く敵に迫っていた。
「ブロオオオオオォォォォォォッ!」
トロールが咆哮を放ちながらナイフを投げ飛ばす。3本の腕を使った3本のナイフ。それが高速でグラドに迫ってくる。
1秒にも満たない時間。ナイフが風を裂きながらグラドを襲った。
しかし、グラドはそれらを悠々と掴みとる。1本は左手で、もう1本は剣を握る右手を緩め、右手を使って器用にキャッチする。
最後の1本は左の前腕と二の腕を使い、肘で挟み込むように使ってナイフを捕えていた。
そしてグラドは体を回転させる。
回転の勢いを利用して、勢いよくナイフを投げ返す。肘に挟んでいたナイフは足元に落とし、蹴ってトロールにぶつけていた。
時間差の無い3本のナイフの投擲。トロールの柔らかい肉に、浅く刺さった。
「ブロオオォォッ!?」
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 1196/1200(-3)』
トロールが悲鳴を上げ仰け反る。しかし、その仰け反りの隙がいけなかった。
グラドは一瞬んでトロールに肉薄し、飛びかかる。額を掴み、肩に足を掛けて、トロールの頭に組み付いた。
そして、首を一気に横に裂いた。
「ブロオオオオワアアアァァァァァッ!?」
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 1194/1200(-2)』
「ちぇっ、やっぱダメか」
実際に首が裂けたわけでは無い。
HPという概念により、トロールの首は斬撃より守られ傷一つない。
しかし、急所により普段よりも多くのダメージが入る。
一般的なVRゲームのシステムに置いて、急所への攻撃によるクリティカル判定がある。モンスター毎に設定された急所を攻撃すると、普段よりも与えるダメージが跳ね上がるというシステムだ。
グラドの首への攻撃はクリティカルと判定され、2のダメージを与えた。
「わっ! なんだ、今の!」
「なんか変なナイフの捕り方してなかった!?」
「一瞬で頭に組み付いてたぞ!?」
グラドの背後がざわついていた。
「ブロオォッ! ブアアアァァッ!」
頭に引っ付いた人間を振り払おうと、頭を揺らしながら腕をぶんぶんと振った。しかし、もう既にグラドはトロールから離れ、地に下り立っていた。
自らのナイフで自分を傷つけるだけに終わった。
トロールは目の前の不敵な男を強く睨みつけた。
この男は危険だ。感情がある筈の無いNPCモンスターが危機感を募らせているようだった。
トロールは自分の手の平を薄くナイフで傷つける。トロールが小さく何かを呟くと、魔術によるものだろうか、手からにじみ出る血がナイフの形に変化し、空になった手に握られる。
また、6つの手に6本のナイフが握られた。
「ブルオオオオバアアアァァァァァッ!」
一際大きい叫び声をあげ、トロールは目の前の男に襲い掛かった。
右手の1つでナイフを逆手に持ち、勢いよく振り降ろされる。グラドはそれを躱すが、その腕とナイフは地面を叩き、地を砕く。岩の礫は八方に散り、周囲に飛んでいく。
その1つ1つをグラドは丁寧に、最小限の動きで躱した。
トロールが左腕を振るう。
グラドは回避行動をとりながら、その手を強く蹴り上げる。僅かだが左腕の軌道が変わり、左腕がグラドの頭上を通り過ぎていく。
手を蹴られたことで握っていたナイフも手放してしまう。
ナイフが宙高く、くるくると舞った。
もう1本の左腕が襲いかかる。4本の指で挟みこんで、1つの手に3本のナイフが握られている。
グラドはそれを剣で受ける。敵のナイフとナイフの間に剣を通し、一瞬だけ受け止めた。そして力で押され潰される前に、剣を回転させ、またもやナイフをトロールの手から弾き飛ばした。
同時にグラドはトロールの腕を避け、トロールの腕が空を切る。
宙にはグラドによって弾かれたトロールのナイフが何本も舞っている。
そのナイフを掴み、グラドはほぼ0距離でトロールに投擲した。トロールの鼻に自分のナイフが突き刺さる。
「ブロロロロロッ!」
「まだまだ」
落ちてくるナイフを順にキャッチし、グラドはそれを次々と投擲する。トロールの体にナイフが次々と刺さっていく。
「ブルオオオオバアアアァァァァァッ!」
トロールは叫び声をあげ、またグラドに襲い掛かる。
しかし一切の攻撃はグラドには通用しない。
次々と襲い掛かるトロールの攻撃をグラドは避け、剣で受け、受け流し、ナイフを弾き、翻弄していった。
トロールの猛攻を舞い散る桜の花びらのように回避し、敵を踏みつけ宙を舞う。そしてまた敵の手から弾いたナイフを手に取り、トロールに向けて投げつけていく。
トロールは幾度となく自分の血からナイフを作り出していくが、作り出す度にグラドにナイフを弾き飛ばされ、それを利用され攻撃される。
それが幾度となく繰り返され、トロールの体には自分のナイフがいくつもいくつも突き刺さっていった。
「な……なんだ、あの動きは……?」
「どうなってるのさ……?」
「人間の動きじゃねえ……」
「…………」
攻撃の筈のトロールの腕を利用して、立体的に飛び跳ねるグラド。腕に乗り、腕を掴み、腕を蹴り、トロールの前後左右、上下、グラドは踊るように周囲を舞った。
VRゲームでは普通、人の動きはその人自身の感覚に大きく左右される。
つまりは人が現実で出来ない動きを再現することは難しい。漫画やアニメのような激しい動きには、人の感覚そのものがついていかないのだ。
システムの補助によって、VR空間内の身体能力は向上させることが出来る。しかし、宙返りしながらの攻撃とか、壁を蹴って宙高く舞いながら戦うとか、そういったアクロバットな動きは人の感覚がついていかない。
身体能力だけでは、人はそれを持て余してしまうのだ。
しかし、亀吉たちにとって現実離れした動きを実際にグラドはやってのけている。一度も攻撃を喰らわずに。
グラドの動きを目で追う事すら難しかった。
トロールは必死に6本の腕を振り回し、グラドを襲う。しかし、その腕を利用され、グラドは悠々と宙を舞う。その度にトロールの手からナイフが弾き飛ばされ、それを利用され体を斬りつけられている。
「ブオオオオオォォォォォォッ!」
豪胆な雄たけびを上げながらトロールは攻撃を繰り返すも、まるでからかわれているかのようにグラドに回避される。
「ほれ」
「……ッ!」
6本の腕をかいくぐりトロールの懐に入り込んだグラドは、トロールの大きなナイフを両手に持ち、20連撃もの攻撃を仕掛けた。
舞う様にグラドの体が動き、トロールの体から幾度となくダメージエフェクトの光が放たれる。
「ブオッ! ブオオオオォォォォッ!」
『アームズ・トロール Lv; 45
HP 931/1200』
『グラド Lv; 7
HP 58/58』
グラドは200回以上の攻撃を与えていた。逆に、彼は1回の攻撃も受けていなかった。
それでもトロールのHPはまだまだ残っている。
グラドが大きく後方に飛び退き、皆の近くに逃れる。
「…………」
「…………」
グラドが悠々とまた剣を構えなおす中、皆はただ息を呑んでグラドの方を見ていた。
信じられなかった。目の前の男の戦いぶりが信じられなかった。
システムの大きな補助も無く、あれだけの動きが出来るなんて同じ人間だとは思えなかった。
グラドの仲間たちは息を呑み、彼に注目を集める。
得体の知れない何かに遭遇した気分だった。
戦いは終わりへと近づいていた。
2枚目の絵で、右手で振ってた剣が次のコマで左手で振るわれてる!?
ち、違うんや……、きっと高速で持ち替えたんや……。
次話『20話 英雄の剣舞(2)』は明日 12/14 19時に投稿予定です。




