15話 グレイの鈍感主人公伝説
それはグラド――異世界で勇者をやっていたグレイは知る由もないことだった。
今から15年ほど前、地球では完全ダイブ式のバーチャルリアリティの技術が爆発的に進歩した。
『完全ダイブ式』とは人の脳波をコンピューターに読み込ませ、意識を仮想空間の中に落とし込むバーチャルリアリティの技術であった。
それまでの長い間、VRの技術はゴーグルによって視界を覆い、視覚をメインとした形であったのだが、完全ダイブ式のVR技術が確立すると世界はその波に乗るようになった。
我先に、我先にと完全ダイブ式のVR技術の発展、開発、商品化を推し進めていく中、『ネクストワールド』という会社が1番最初に完全ダイブ式のVRゲームを発売させた。
どこよりも早く、そして完成度の高いVR技術に世界は驚いた。完全ダイブ式のVR技術の商品化はあと5年……いや、開発に遅れたら10年はかかるだろうと世間は見込んでいた時の話だった。
初めて出た完全ダイブ式のVRRPGゲームの名前は『勇者グレイの伝説』というタイトルだった。異世界の勇者グレイを主人公とした王道RPGのゲームである。
幼くして皇位を継いだアリシアやお姫様のサラ、闇ギルドの生き残りのベニヤ、エルフの大魔術師エジーディオなどと言った個性溢れる仲間たちと共に魔王を打ち倒すゲームである。
『勇者グレイの伝説』は歴史的な大ヒットを記録し、一早く世界中で遊びつくされるようになった。そして、完全ダイブ式のVRゲームの顔と言ったら『勇者グレイ』というようになったのだ。
その後『勇者グレイの伝説』は漫画化、小説化、アニメ化などがされる。
『勇者グレイの伝説』の最後で勇者グレイは死んでしまうのだが、別のキャラクターに焦点を当てたスピンオフ作品が作られるようにもなった。
とにかく完全ダイブ式のVRゲームの代表作といったら1番初めの作品である『勇者グレイの伝説』ということになり、誰もが知る有名なタイトルとなった。
地球でも英雄『グレイ』のことが知られている。
でも、『地球』の事すらよく分かっていないグレイと、異世界『アルヴェリア』の存在を知らない龍之介達には、このことに違和感を覚えることが出来なかった。
「英雄亡霊が『グレイ』を名乗っている意味ねぇ……」
うーん、と腕を組んでクロは考え込んでいた。
「そうだなー……、英雄亡霊がただ『グレイ』のファンだからとか?」
「んな、適当な」
「本当にそうだったら、これ以上バカげた都市伝説は無いわ」
「普通に売名行為じゃないかな? 『勇者グレイの伝説』って言ったらみんな知ってるタイトルだし」
「確かに、VRゲームっつったら『勇者グレイの伝説』っていう位だからな。仮想世界を飛び回る怪人として『グレイ』の名はやり易かったんじゃないか?」
グラドにはその会話の中にいくつか分からない単語が含まれていたが、それはいつもの事なのでスルーしていた。
疑問としたら、何故自分の名前を騙るのに自分の事を知らず攻撃をしてきたのだろうか、ということだ。
……とそこまで考えて、自分の顔自体はそこまで有名ではないことをグラドは思い出した。
『アルヴェリア』の世界には写真が無い。となると噂で聞く人の顔は肖像画で知るしかないのだが、肖像画で描かれる勇者グレイの顔は尽く本物と似ていないのだ。
似ていない理由は簡単だ。
本物のグレイの顔は女顔で丸っこいのに、肖像画に描かれるみんなが憧れる世界の勇者グレイの顔は凛々しくて逞しい男顔だからだ。
勇者=男らしく格好いいという偏見にも似た固定概念が肖像画、銅像、どれも彼を逞しく描いていた。
だから初めて訪れる町ではよく周りの人たちからグレイは自分が勇者だと信じて貰えないことが多かった。世界一有名な勇者の顔は知名度が低かった。
そこまで思い出して、グラドは少しへこんでいた。
「ん? どうしたん?グラド?」
「いや……、ちょっと、自分の女顔が恨めしくなって……」
「ふーん?」
クロは酒場のおつまみをポリポリ食べながら、一人で勝手にへこむグラドの事を見ていた。
「いや! ちょっと待てよ、みんな!
なんで『英雄亡霊グレイ』が誰かが仕組んだガセネタだって決めつけてるんだよ!
もしかしたら本当にゲーム内で死んだ『勇者グレイ』の亡霊がVR空間内を彷徨ってるかもしれないだろ!」
ガスロンが熱く語り始める。
「だって、人の記憶を奪ったり、意識を奪ったりするのはゲーム内では無理なんだから人間の仕業じゃないだろ、これ! 勇者グレイの亡霊が暴れまわってるんだよ!」
ガスロンのその声に、ピクッとグラドの手が震えた。
「まーたガスロンはそんなバカげた事を言って……。病院で頭見て貰ってきた方がいいんじゃないの?」
「あはは……、ガスロン君はこういう噂話好きだからねぇ……」
「記憶が無くなっちゃったりすることについては医者とか警察とかが原因を突き止めてくれるさ」
ガスロンの熱気に反して、場は冷ややかだった。そんなオカルトは信じられないといった空気である。
ただ、目をまん丸くして呆然としているのはグラドであった。
「……え? 死んだ?」
ぽつりと声を漏らす。
「……ん?」
「どうしたん?グラド?」
「い、いや……今、ガスロンさんが『グレイは死んだ』って……?」
グラドは困惑していた。
「え? うん、そうだけど? ゲームとか小説とか見たことないん? グラド?」
「『勇者グレイの伝説』の最後は主人公のグレイさんが死んで終わってしまうんですよ? 魔王と相打ちになるような形で終わるんですよ? 知りませんでした?」
「死ぬの!? 僕…………いや、グレイって死んでることになってるのっ!?」
目をまん丸にしてグラドは驚いている。
「え!? 嘘っ!? 死んでんの!? 世間では死んだことになってるの!? ぼ……グレイ!?」
「あぁ……、ネタバレだったか? ……つっても15年前のゲームだから今更ネタバレもなにも無いか」
「本当にゲームに疎いんだね、グラドは」
皆がワハハと笑う中、グラドだけは目を回しながら考え事をしていた。
僕が死んだことになっている!? 魔王と相打ち!?
あぁ、そうか。魔王の発した光に巻き込まれて、僕は空間転移を引き起こしてしまったけど、その場にいた仲間たちから見ると僕が消失してしまったように見えたのだろうか?
それで死んだことになっている? 死んだと世間一般に伝わっている?
そんなことをグラドはぐるぐると考え込んでいた。
というより早くないかな!? まだ魔王との戦いから5日くらいしか経ってないのに、情報や小説や出回るの早すぎないかな!?
まさか……まさか、まさか、魔王の光に飲み込まれた時に空間転移をしただけじゃなく、時間転移までしているのか?
いや、時間転移がそんな簡単に出来るはずがない? いやでも、魔王の最後の命の光だし、その位の奇跡が起きてもおかしくないのか?
まさか魔王も空間転移をしているかも? いや、それはないか? 魔王の心臓は僕の剣で貫いたから死んだのは確実だと思う?
グラドは混乱しながらぐるぐるとそんな考え事をしていた。
「私、『勇者グレイの伝説』の最後って苦手で……。グレイさん死んで終わるのでとても悲しいんですよね……。やっぱり私ハッピーエンドが好きです」
「キョウちんは純粋だなぁ」
「ま、結局はただのゲームの設定だよ」
ガスロンはそう話を纏めるが、グラドはただ茫然としていた。
気が付いたら世間では自分が死んだことになっているのだから、驚くのも当然と言えば当然である。
「でも別に変に捻らずハッピーエンドでいいと思いません? なんていうか、あんなに世界のために頑張ってきたグレイさんが可哀想じゃないですか」
「いやぁ、キョウさん。心配してもらえるなんて、照れるなぁ……」
「なんでグラドが照れてんのさ」
グラドはポリポリと頭を掻いた。
「でも、グレイってすごい女たらしなんだよなぁ……」
「たくさんの女性を囲ってたからなぁ……」
「えっ!?」
クロと亀吉の言葉にグラドは驚き振り向いた。自分が女たらしであるなんて事実とは全く反することを言われたから、彼は自分の耳を疑った。
「え……? え? ぼ……グレイが女たらし……?」
「いや、ちょっと違うんじゃないか? あれは『女たらし』じゃなくてかなりの『鈍感系主人公』なんだって」
「まー、清々しいまでの『鈍感系主人公』だったねぇ、勇者グレイは……」
「なにそれっ!? 『鈍感系主人公』って、なにっ!?」
もちろんグラドは恋愛に対して鈍感な男の事を言う『鈍感系主人公』など知る由もない。
「沢山の人を救って、それで沢山の女性を恋に落として、それに気付かず生殺しにするんだよ。アリシアがよくやきもきしてたねぇ」
「ちょ……、ちょっと待って!? ぼ……グレイってそんなにモテなかった筈なんだけど……」
「それなのにグレイは自分がモテないって言い張るんだよな」
「……!?」
「エルフのミシェルさんが可哀想だったよ……」
「……!?」
「水の精霊の湖での告白は全く気付かれなかったな」
「……!?」
グラドはがたがたと震えだした。
自分の知らない人が自分の知らない自分の冒険を自分の前で語り合っていた。
そんなバカな……。確かにミシェルさんとは…….親しかったが……。
そんなはずは……ないはずだ……。
グラドがそんな考えをぐるぐると頭の中で回している中、周囲から追い打ちが入る。
「魔族の敵まで惚れさせちゃうんじゃなかったけ? 確か、魔将メイリースって人」
「……!?」
「確か、グレイを奪うためだけに戦いを仕掛けた時もあったな?なんか谷での戦いのやつ」
「……!?」
サルティアの谷の戦い!? 魔将メイリース!?
いや、ち、違う! あの子は僕に恋愛感情は持っていなかった筈だ……! もっと別の……!
そ、それに、なんであのタイミングで彼女が攻撃を仕掛けたか……結局わからなかったわけで……。
グラドはそのように混乱していた。
「それでグレイが『なんでこのタイミングで彼女が攻撃を仕掛けたか分からない』って言って仲間を呆れさせるんだよねー」
「……!?」
「魔性の男だな、グレイは」
「そうだねー、女の敵だねー、グレイは」
「勇者なんだけどな、女心が分かってないみたいだからなぁ、勇者グレイは」
グラドは額をテーブルについて項垂れた。
「ん? どうしたん、グラド?」
聞きたくなかった……。そんな話……。
何でこんな場所で女心が分かってないという批判を受けなければいけないのか……。
なんか勝手に都市伝説にされてるし……。亡霊にもされてるし……。女心分かってないって言われるし……。
グラドは散々な1日に力なく塞ぎ込んだ。
食堂の中にいるため感じるはずのない夜の冷たい風が、グラドの心の中だけに悲しく吹き込んでくるかのようだった。
* * * * *
その後は時間も遅いということで、必要最低限の打ち合わせをして解散となった。
英雄亡霊グレイの指令をどうするかという話し合いであった。
まず亀吉が社員と相談するから少し待って欲しいと提案し、決行するとしたらいつにするかという日付、参加メンバーの予定を建てておいた。
行うとしたら明日の夕方からが丁度良いということ、参加メンバーはベルデナット以外のここにいるメンバー全員が参加の意思を示した。「下らないことには参加しないわ」とベルデナットは呆れ顔で口にしていた。
「じゃあ俺はそろそろログアウトするわ。また明日」
「あ、私も。皆さん、また明日」
「おう、また明日」
「ところでこの子どうするのさ?」
皆が去ろうとする中、クロが腑抜けている男の頬を突いた。
グラドだ。グラドは未だテーブルの上で項垂れていた。自分が世界中に女たらしであると伝わっていることにショックが隠せないようで、ずっと脱力状態が続いていた。
「つーか、なんでこの子こんな状態になってんの?」
「グレイが女たらしって話がショックだったみたいだけどさ?」
「なんでさ?」
クロはグラドの頬を引っ張り、おもちゃにしていた。
「……放っておいていいんじゃね?」
「だねー」
そう言って皆、グラドを残し無情にも酒場を後にした。
せっかく金を手に入れたというのに、今日もグラドは暖かいベットで眠れることはなかった。
* * * * *
惨劇が起ころうとしている。
世界は荒れ、混乱し、現実は悪夢と化す。まるで夢と現実が入れ替わるかのように世界は反転するだろう。
死は近い。
泣き崩れ、絶望し、人はその果てに死んでいくのだろう。
悪夢に吞まれ、弱い者から死んでいく現実の本来の姿が現れる。
人の知らぬ、世界という魔がその本質をさらけ出す。
仮想はその強大さをもって世界に自らの姿の意味を問いかけるだろう。
仮想はその残忍さをもって人に人の脆弱さを突きつけるだろう。
人は試される。
人は試され、死に、力なく崩れ落ちるだろう。
たくさんたくさん死ぬだろう。
しかし、私はそれで構わない。
それが私の使命だからだ。
『より効果的な正義の為』。
人は仮想に呑まれ、1と0が作る世界の秘めた力を知る。
『より効果的な正義の為』に私はなんだってするだろう。
私は悪であるべきだ。
利用しよう。巻き込もう。目を瞑ろう。
たくさんの死を手段として用いよう。人を騙し、世界の礎にしてしまおう。
たくさんたくさん死ぬだろう。
後悔はない。痛みも無い。苦しみも無い。涙も無い。
私はそれで構わない。それが私の使命だからだ。
私は悪であるべきだ。
『より効果的な正義の為』に……。
『より効果的な正義の為』に…………。
次話『16話 柊京子の日常』は明日 12/10 19時に投稿予定です。




