第七話
翌日。
「う……、ん……?」
時雨はいつも通り、部屋の照明の光によって目を覚ました。
あれ……?
だが、天井はいつもの灰色ではなく、真っ白に塗装されていた。時雨は違和感を抱きつつも、とりあえず身体を起こそうと身じろぎしたところ、
玲の……、匂い……?
昨夜、玲に抱きしめられているときに感じた、石鹸のような匂いがした。
それによって完全に覚醒した時雨は、身を起こして辺りを見回す。
「えっ、なんで……? ちゃんと部屋に帰った、よね?」
部屋にうっすらと漂う玲の匂いで、そこが玲の部屋だと彼女はようやく分かった。
時雨はひとまず立ち上がって、廊下に出ようと扉を開けた。
「よう。やっとお目覚めか」
すると、扉の向かい側の壁にもたれかかる、顔全体を覆うヘルメットとライダースーツ姿の女性が立っていた。その胸部は、防弾仕様のアーマーで覆われていた。
ドスの効いた声の彼女は、両方の腰と脇に小口径拳銃を一丁ずつ吊っていた。腰の背中側には、弾倉が入ったポーチがぶら下がっている。
「あ、あわわ……」
とっさにバンザイの格好になった時雨は、バイザーで隠れたその女性の顔を恐る恐る見る。
「……撃たねえから、とりあえず落ち着け」
冷や汗だっくだくの時雨を見て、彼女は呆れた様子でそう言った。
「あ、はっ、はい――?」
ぎこちない動きで首を縦に振った時雨の鼻に、錆びた鉄くさい臭いが飛び込んできた。
「ひっ、ひゃああああ!?」
臭いがする方をゆっくりと見ると、頭から血を流した黒服のスタッフが、長い廊下に何十人も倒れていた。その全員が、心臓と額に1発ずつ被弾していた。
「えっえっえっ――。ひええええっ!?」
金魚みたいに口をパクパクさせ、時雨は腰を抜かして尻餅をついた。
「あんまり、じっと見てない方がいいぞ」
時雨の目の前にやってきた女性は、その視界を遮りながらそう言った。
「ひゃあ!?」
急に来られて驚いた時雨は、全力で後ずさりをして後頭部を壁にぶつけた。
「だっ、誰なんですかあなたっ」
彼女の顔はガチガチに強ばり、全身が激しく震えていた。
「私は『情報屋』の芙蓉だ。……あんた、何も聞いてないのか?」
芙蓉と名乗った女性はそう言うと、怖がらせまい、とヘルメットのバイザーを上げた。だが、彼女は目つきが良くないので、あんまり意味が無かった。
「はっ、はい……」
時雨は依然ビクビクしたまま、ぶつけた所を撫でつつそう答えた。
「そうか」
芙蓉が面倒くさそうにため息を吐いたところで、通路の角から、小銃を持った黒服が2人現れた。
「まあいい。追々話すから私に付いてこい」
その2人を横目で見つつ、素早く腰の二丁を抜いた芙蓉は、それぞれの額と心臓に一発ずつ撃ち込んだ。その銃声は、ほとんど一発分に聞こえた。
「あっ、はい」
コクコクと頷いた時雨は、素直に彼女の言葉に従い、歩き出したその後ろを付いて行く。
2人は芙蓉を先頭に、黒服の死体が転がる廊下を進んでいく。それが目の前に現れるたび、時雨はビクビクしながら芙蓉に続く。
時々無線で誰かとの会話を挟みながら、芙蓉は時雨に事のあらましを説明する。
秘密裏に行なわれていたこの地下闘技場の存在が、ある大企業の御曹司の口から漏れて発覚した。
一斉に検挙するために捜査機関が動いたものの、その顧客達が揃いも揃って大物であったがため、実体を把握してもうかつに手を出すことが出来なかった。
だが、見つけた以上は放置する訳にもいかない、ということで、"臭い物に蓋"をする事となった。
そこで、芙蓉の所属する『情報屋』を含む、裏の人間(殺し屋)達にその役割が回ってきたのだった。
「それで、どうして玲が関係するんですか?」
割と早足で歩く芙蓉に必死について歩きながら、時雨は彼女にそう訊ねた。
「内通者なんだよ、その子は」
ガイドもなしに高い山登るバカはいないだろ? と言った後、芙蓉の無線が鳴って、柄の悪そうな女性の声がした。彼女はその向こうの相手へ、怒鳴る様に突っ込みをいれた。
その語気にビクッとしつつも時雨は、なるほど……、とつぶやいた。