第五話
時雨が闘技場に送られてきてから、三ヶ月の時が経った。しかし彼女は相変わらず、毎試合毎試合、一方的にボコボコにされていた。
この日二つ目の試合で時雨は、前日に送られてきた新人の少女と対戦した。
だが開始早々、彼女の得物の9ミリ口径の銃で、額と鳩尾にゴム弾を撃ち込まれて時雨は瞬殺された。被弾した所には、赤い痕が丸く残っている。
フラフラで時雨が控え室に帰ると、二人分のタオルを持った玲が、ベンチに座って待っていた。
白服が部屋から出て行くまで待ってから、少し離れた所にいた玲が時雨の隣にやってきた。
「やあ時雨。……また派手にやられたね」
「はい。何も出来ませんでした……」
「そっか……。おつかれ」
タオルと冷えた水を時雨に手渡した玲は、額に湿布を貼った彼女を労った。
「はい、ありがとうございます」
そう言ってから時雨は、水をボトルの4分の1を一気飲みした。
時雨と出会った日から玲は、2試合目が終わった彼女の元に訪れては、毎日こんな風に世話をしていた。
そうしている内に、いつの間にか玲も時雨の事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。
「はぁ……」
キャップを閉めて傍らに置いた時雨は、うつむき加減で深いため息を吐く。
「大丈夫かい、時雨」
アザだらけになっている時雨の脚を見て、いたわりの言葉をかけた玲は、彼女の肩をポンと叩いた。
「まあ……、はい……」
一応、時雨はそう答えたものの、玲は彼女が明らかにやつれている事を見抜いていた。
「……」
玲は穏やかに微笑みながら、そんな時雨の頭をそっと撫でる。
「えっと、あの……。どうしたんですか玲……?」
時雨は顔を上げて玲の方を見ると、彼女の顔が思いの外近くにあって、ドギマギしながら訊く。
「いやね、あんまりにも時雨がしょげてたもんだから」
ちょっとは元気出たかい? と玲は小首を傾げて時雨に訊いた。彼女がその問に頷いたのを見て玲は、良かった、と言って口角を上げる。
「じゃ、いつも通り部屋で待っててくれ」
時雨にそう言って玲はおもむろに立ち上がり、フィールドの方へと悠然と歩いて行く。
時雨が自室に帰ってモニターを見ると、すでに玲の勝利で決着が付いていた。
時雨の部屋に夕食が運ばれてきてからしばらく経つと、いつもと同じように玲がやってきた。
他愛の無い会話を交わしながら、二人は特に美味しいわけでも無い食事を摂った。
「あの、玲。どうやったら私、玲みたいに強くなれるんでしょうか?」
中身を全て食べ終わり、玲が弁当箱の蓋を閉めたところで、時雨は隣に座る彼女にそう訊ねる。
「うーん、そうだなあ。トレーニングと実戦あるのみ、としかボクには言えないな」
特にこれと言った秘策が無くてね、と、申し訳なさそうに笑って答えた。
「そうなんですか……」
その答えを聞いて、少し残念そうにしている時雨に、
「時雨は……、そんなに強くなりたいのかい?」
どこか憂いているような表情でそう聞き返す。
「はい。早くここから出たいですし」
「まあ、そうだよね……」
変なこと訊いてごめん、と、頭を下げた玲に時雨は、気にしてませんから、謝らなくても良いですよ、と慌てて言う。
「それもありますけど、いつまでも玲にご飯を貰うのは、やっぱり良くないかなって思ったんです」
大まじめにそんな事を言ってきた時雨に、玲は虚を突かれたような表情をした。
「えっと……、何か?」
しばし目を合わせっぱなしになったので、時雨は困惑した表情を浮かべる。
「あー、いや。何でも無いんだ」
真面目だね、時雨は、と言う玲の彼女を見る目は、微笑ましい物を見るそれになっていた。
「あっ、はい。ありがとうございます……?」
そんな玲の様子に時雨は、以前感じたことのある胸の高鳴りを感じていた。
ややあって。
雑談が一段落付き、玲がふと壁に掛かった時計を見ると、消灯時間まで後1時間になっていた。
「さてと。じゃあまた明日だ。時雨」
すっくと立ち上がった玲は、にこりとしながらそう言って右手を小さく挙げた。
「はい。また明日」
時雨がそう返すのを聞いてから、玲は部屋から出て行った。
彼女を見送った後、歯を磨こうとした時雨は、
「あれ? これって玲の……」
ベッドの玲が座っていた辺りに、開封された粒ガムのスティックが落ちていた。
今から追いかけたら間に合う、かな?
時雨はそれを拾い上げて廊下に出ると、20メートルぐらい先の角を曲がる玲の姿が見えた。
慌てて追いかけた時雨だったが、同じ角を曲がった所で大柄な男の選手とぶつかった。
「あっ、すいません……」
その巨体にはじき飛ばされて時雨は尻餅をついたが、すぐに立ち上がって何度も彼に頭を下げた。
「……」
彼は無言で舌打ちだけをして、その場から歩き去る。時雨は何もされなかった事に安堵したが、玲の姿を見失ってしまっていた。