第四話
その後もう一試合闘ったが、案の定時雨は何も出来ずに瞬殺された。
「疲れた……、な……」
再び部屋に戻った彼女は、精神と肉体の疲労からべッドで横になっていた。
試合を垂れ流していたモニターの画面は、それが終わると自動的に切れ、今はベッドとその上で仰向けになっている、ぐったりした時雨の姿が反射して映っていた。
時雨が天井をぼんやり見上げたまま微睡んでいると、
「――ッ!? な、何?」
ドアの横にある両側から開けられるボックスに、何かが乱暴に放り込まれる音がした。
それに飛び起きた時雨は、恐る恐るその中身をのぞき込んだ。
するとそこには、アルミ製の丸い弁当箱が入っていた。その脇にサプリメントが数種類入った、ビニールのチャック袋と水のボトルが置いてある。
彼女は弁当箱を手に取って蓋を慎重に開けた。すると中には、明らかにべちゃべちゃの麦飯が入っていた。
「……あ、これが食事なんだ」
時雨は先ほどモニターに表示されていた、食事と部屋の項目を思い出した。一旦、弁当箱の蓋を閉め、水とサプリメントを回収してボックスのドアを閉めた。
水道水の味がする麦飯をベッドに座って食べていると、出入り口のドアがノックされた。
「はい」
またあの黒服かと思って、時雨は怯えながらドアを開けると、
「……玲さん?」
そこにいたのは、最初に会った時と同じ、柔らかな表情をした玲だった。
「やあ時雨ちゃん。晩ご飯、一緒に食べないかい?」
彼女はそう言って、時雨のものより一回り背の高い弁当箱を、顔の位置に持ち上げてそう訊ねる。
その表情からは、闘っていたときに見せていた、あの冷徹なそれは微塵も感じ取れない。
突拍子も無い誘いに少し戸惑ったが、特に断る理由も無いので、どうぞ、と言って時雨は玲を中に迎え入れた。
「あの玲さん。どうして、私なんかの部屋に……?」
時雨がベッドに座ると、玲もその隣に少し間を開けて座る。
「たまには誰かと食べたいなあ、って思ってね」
時雨の質問にそう答えた後、ボクのことは『玲』でいいよ、と玲は微笑みを浮かべつつ付け足した。それから彼女は、二人の間に弁当箱を置いてその蓋を開いた。
「わあ……。やっぱり、豪華なんですね」
二段式になっているその上の段は、栄養と彩りのバランスが良いおかずが詰まっていた。
その下の段には、きちんと粒の形が残るように、適度な量の水で炊かれた麦飯が入っている。
「おかず、半分あげるよ」
羨ましそうに見ていた時雨に玲はそう勧め、カットされたチキンカツを一切れ口に運んだ。
「えっ、でも」
「気にしないでいいよ」
分けたらいけない、って言われてないし、とイタズラめかした口振りで、玲は遠慮している時雨に言う。
「じゃあ、……頂きます」
時雨もチキンカツを一切れ口に入れた。だがそれは、肉がかなりパサパサしていて、全くおいしくなかった。
「どうだい時雨ちゃん、おいしくないだろう?」
玲はわざとらしい様子で、マズそうな顔をしてそう言う。
「そうですね」
それに同意した時雨も、それにつられて苦笑を浮かべる。
多少ぎこちなくはあったが、彼女はここに来て初めてその表情を緩めた。
「……」
時雨は気がついてなかったが、彼女のそんな様子を見ている玲は、ほんの一時だけ懐かしそうに目を細めていた。
ややあって。
一応、中に入っていたおかずは完食したものの、何一つとして味の良いものは無かった。
弁当箱を片づけた玲はベッドから立ち上がり、
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
自分のをボックスに返しに行っていた時雨にそう告げる。
「はい。ありがとうございました」
回れ右をした彼女は、出口に向かって歩く玲に、ぺこり、と頭を下げてお礼を言った。
「えっと……、玲?」
そんな時雨の前に来たところで、玲はピタリと止まって時雨の頭を一撫でした。
「ああ、ごめん」
困惑している彼女を見て、気に障った? と、玲は申し訳なさそうに訊ねる。
「あ、いえ。そういうわけじゃなくて、ですね」
ちょっと驚いただけですからっ、と、頬を赤らめながら言う時雨の鼓動は、かなり速くなっていた。
「ならよかった」
それを聞いて、どこかホッとした様子の玲は、
「ねえ時雨ちゃん。明日もその先も、良いことが無いかもしれない。けど、ここの空気に慣れちゃだめだよ」
と、時雨に言い、彼女の返答を聞く前に、じゃ、と言って出ていった。
ドアが閉まるまで見送った時雨は、部屋の鍵をかけるとベッドに寝転んだ。
やっぱり玲さんっていい人だな……。それに、凄く温かい人だった……。
時雨は玲に撫でられた所に触れる。身体が少し熱くなるような感覚と、微かな胸の高鳴りを彼女は感じていた。