第二話
アイドルになることを夢見る17歳の青木時雨は、とある芸能事務所のオーディションを受け、その結果、落第点ギリギリでなんとか合格した。
ステージの上で輝きたい一心で、彼女は寝る間も惜しんでがむしゃらに努力した。
しかし、当然そう上手く行くはずも無く、思うように芽が出ないまま1年が経過した。
他の同期は皆、それなりに仕事をもらえるようになる中、なぜか時雨一人だけはロクに仕事をもらえず、すっかり事務所のお荷物になっていた。
それでも時雨はめげずに、地道な下積み生活を行なっていたのだが、
「いやね、申し訳ないけど、君はもうクビにすることになったから」
会議室に呼び出された彼女は、事務所の社長直々にクビを言い渡された。
「そ、そんな……っ。お願いします社長! もう少しだけ待ってください!」
夢を諦めきれない時雨は、私何でもしますから! と言って土下座して懇願する。
「って言われてもねえ。もう決定事項なんだよ」
けんもほろろにそう言った社長は、でもね、と言って、手に持っていた書類を時雨に手渡した。
「君を欲しい、って言うところを見つけてきたんだ」
それには、その事務所の名前と場所が書かれていた。
「ありがとうございます社長!」
絶望に満ちていた時雨の表情は途端に明るくなり、何度も頭を下げて感謝の言葉を繰り返す。
その夕方、事務所の宿舎を引き払った時雨は、最低限の荷物だけを持って指定されたビルへと向かう。その外見はかなりみすぼらしく、取り壊されてもおかしくなさそうな様子だった。
動きやすい服装で来いと言われたので、上は白いジャージ、下は黒いスパッツという出で立ちで、時雨はそのビルの一室へとやってきた。
だがその中は、芸能事務所というよりはヤミ金業者のそれであり、そこにいた数人も明らかにその筋の人であった。
時雨はびくびくしながらも、彼らのリーダー格の男に促され、フロアの真ん中あたりにある応接セットの長ソファーに座る。
その男の口から、時雨に二つの事を告げられた。一つはあの社長が投資に失敗し、ヤミ金からの莫大な負債を抱えている事、二つ目は、その全てを時雨が肩代わりさせられた事だった。
「そ、そんなに返せません!」
男から渡された借用書に書かれた額は、どうやっても時雨一人に返せるものではなかった。予想通りの返答に、周りの男達はにやついている。
「ならしょうが無いな」
リーダー格がそう言って柏手を打つと、全身を覆う黒い服を着た三人組が入ってきた。
「えっ、なん――むぐっ!?」
彼らは、力尽くで時雨をズダ袋に詰めて清掃用のカートに放り込むと、この建物の下にある地下闘技場へと運んでいった。
金属製の扉がずらりと並ぶ廊下を通り、三人組は一番端の部屋の前でカートを止める。
彼らは時雨が入った袋をその部屋に置くと、何も言わずに袋の口を開け、とっとと撤収していった。
「ここ、どこ……?」
袋の中から出て来た彼女の目に映ったのは、独房を思わせるような寒々しい空間だった。
ヒンヤリとした空気が漂う4畳ほどのそこは、窓というものがどこにも付いていない。天井にはむき出しの換気ダクトと、埃を被った蛍光灯がぶら下がっていた。
入り口から向かって右側にボロいベッドが置いてあるほか、その奥に申し訳程度に遮られたトイレ、その反対側に小さな洗面台が設置してあった。
それら以外にあるものといえば、ベッドの向かいの壁にあるモニターだけだった。
『ようこそ、この世の地獄へ』
という文字がその画面に表示され、その下にはこの闘技場のルールが記されていた。
それは、一日に一回選手二人がフィールドに呼ばれ、硬質ゴム製の刀剣やゴム弾の入った銃などを二つまで選んで闘い、勝てれば観客の掛け金やチップから報酬が支払われる。
選手達はその金で抱えている借金などを返済し、全て返し終えたら晴れて自由の身になれる、というものだった。
その下には、食事や飲み物は定時に配給され、勝てば勝つ程その質が向上し、部屋のグレードもそれに従って上がっていく、と表示されていた。
時雨がそれを、丁度全部読み終えたタイミングで、画面が変わり、
『君たちがいなくとも、世の中も地球も変わらず廻るのだ』
と10秒ほど表示され、何の前触れも無く画面は真っ暗になった。
「な、んで……」
自分がとんでもない所に来てしまった事を知った時雨は、床に座ったまま膝を抱えて顔を伏せた。
「なんで、こうなるの……?」
四方を囲む無骨なコンクリートの壁は、彼女の問いかけに答えてはくれない。
しばらくそのままでいると、突然モニターが点灯して、エキサイトしている大勢の人々の声が、そのスピーカーから流れてきた。
「えっ何!?」
時雨が画面を見ると、そこには円形のフィールドが映し出されている。不鮮明に映るスタンドで身を揺らす人々は、さながら黒い塊の妖怪の様だった。
リングアナが二人の名前を呼ぶと、赤と青両方のドアからそれぞれ一人ずつ、10代後半の少年が出てきた。
まもなく、フェンスの色の境目にあるランプが光り、甲高いエアホーンの音が鳴り響く。それと同時に両者とも、肉食獣の様な素早い動きで相手へと向かって行き、太刀筋が目で追えない程の勢いで斬りつけ合う。
「こんな人たちに……、どうやって勝てば良いの……?」
身体こそ生まれてこの方、大きな怪我も無いほど頑丈な時雨だが、武道の経験は授業でやった剣道程度しかなかった。
次元の違う攻防に、彼女が戦々恐々としている内に、青い方の選手が相手をノックアウトし、リングアナから勝ち名乗りを受けていた。
選手が二人とも下がった所で、リングアナは次の選手達をコールする。
赤いフェンスの方は、ユウキ、という新入りの選手で、
『青ゲート! こちらも新入り! シィィィィ! グゥゥゥゥ! レェェェェ!』
その相手は、まさかの時雨自身であった。
直後、ドアが乱暴に開けられて、競走馬に使うタイプの鞭を手にした黒服が、通路に無言で立っていた。
「えっとその、すいませ――ッ!」
時雨はびくびくしながら棄権を申し出ようとしたが、言い切る前に黒服が鞭で壁を叩いてそれを遮った。
「……何でも無いです」
すっかり肝を冷やした彼女は、それ以後、何も言わずに黒服の後に付いて行く。
しばらく歩いて控え室に着くと、さっき負けた選手がベンチでうなだれていた。生気を失った表情をしている彼を横目で見ながら、時雨はその前を通過する。
フィールドへ出る通路前にある、テーブルの上に置かれた武器の中から、時雨はホルスターに入った小口径の拳銃と、竹刀に一番近い太さの棍棒を選び、フィールドへと出て行った。